死にたいブログ ~ ザ・デス・マーチ(The Death March) -16ページ目

本屋にて

くらいつらい。

休みが終わる夕暮れ時に先行きと不安。

家族といてもそうだった。

仕事の悩みを本で解消しようとして、本屋に行ったら、本当に久しぶりに本屋に来て、如何に最近本を読まなくなった事を感じた。

そして時代は進み、新しい内容の本ばかり。

その中でこの10年くらい、自分はまるで何も学んでいなかったようでつらい。

学ぶ。仕事以外の時間はぐったりしてしまい、仕事のことなど一切考えたくない。

ぐったりするだけならもったいないので、遊ぶ。

ひたすら遊ぶ。

遊びすぎて最近は全然仕事の勉強などしていなかったなぁと思い知った。

しかし、週末も勉強していたら、それはそれで本当にぐったりするはず。

そしてかつては休みの日も働いていた日々もあった。

ブラックな労働環境。とにかく仕事をうまくやる事よりも仕事から逃げたい。

そんな思いしかなかった。

とにかくしんどい精神状態をいかにやり過ごすか。

そこで、自らの行動力とか判断力とか育つわけはなく、できれば事が過ぎるのをやり過ごす事ばかり考えてきた。

やり遂げよう、そんな情熱よりもしんどさばかりが先立つ。

他の仕事仲間がそんな情熱をもっているのか、やり遂げている姿を見ては疲弊する。

自己の成長のみにフォーカスすればよいのだけれど、自分を育てようとする気が無いせいで、むしろ退化している気がする。

何か転機が必要だ。

今の状況を思い知って、何かをやり遂げる。

今のままで死んでよいのだけれど、まだまだ死ぬのが惜しいと思っているうちは何かやりたいことが残っているのだから、それに向かって進む道を考えたい。
 

後ろ向き

毎日、仕事になると後ろ向きで鬱な気分しかない。
仕事がクソ過ぎるのか。
自分がクソなのか。
ちゃんと分析でもして改善しないといけないのだろうけど、そんな知能も暇も無い。
死にたい。

よく後ろ向きな人を揶揄する時に

他人と比べるな
失敗から学べ

だの何だの言うが自分がそうしたくても出来ないような状況が鬱を招くのだろうか。

仕事から遠ざかれば元気なものなので、とにかくクソ仕事の時間だけが自分を苦しめているようだ。

視野が狭くなる前に、なんとな脱出を考えなければ。

拒絶反応

仕事や職場に対する拒絶反応が酷い。
週末はウキウキ生活していても、職場に来ると胸が締め付けられるような苦しみばかりにのた打ちまわる。
職場でただじっとしているだけで辛い。
この苦しみから解放されるまでじっと耐えるだけの時間になってしまうのか。
仕事や職場についていけてないのか。

一度、心や体をぶち壊して退職してやりたい。

自己否定ばかり

自己否定の思考ばかりで死にたい。

自分への肯定感が何故ここまで無いのだろうか。

死にたい。

思考が死んでいる。

死すべき人間なのか

また非情な行いをしてしまった罪悪感に苛まれ、一生涯後悔すべしと自己叱咤の観念が渦巻き苦しめられる。

元妻に対する仕打ちの酷さは元妻へ知らず知らずのうちに貯めてしまった逆恨みの思いからなのだろう。

死すべき。

自己否定の観念が止まらない。

自己を肯定するだけの気力も無く、今日も仕事とその環境への恐怖と不安と諦観だけが育つ毎日。

数々のデスマーチを過ごしてきたが、過ごせば過ごすほどトラウマばかりが育ち、仕事への恐怖心が募るだけ。

何の成長も無いどころかただただやり過ごして逃げ出しだい事しか考えられない。

何かを成し遂げる気力は無い。

この恐怖心からくる苦しみから解放されるなら、いち早く逃げ出したい。

この恐怖心をコントロールできる能力を学習する能力が無い。

死にたい。

ただただ呼吸しているだけで苦しい状況は生きてはいけないと言われているようにすら感じる。