生きていることって。
思いの外疲れるし、大変なコトも沢山ある。
でも生きているからこそ、得られる事も沢山ある。
今日同窓会に出席した。
隣の席には小学校の頃、私をいじめていた女の子。
正直どう接して良いのか迷っていた。
けれどふと思った。
「これも何かの縁かな?」と。
偶然ってそうそうあるモノじゃない。
ならばそれを活かさなければ勿体ない。
自分から勇気を振り絞って(表面上は普通を装って)話しかけた。
そうしたら相手は普通の受け答えをしてくれ、何だか嬉しくなった。
「やった方は忘れていても、やられた方は覚えているモノだ」
誰かが言った。
でもそれって月日というクスリが解決するものであり、覚えている方の気持ち一つなのかもしれない。
色々な話をして、彼女に対して親近感が沸いた。
そしてこれからまた会ったとしても、多分私は普通に話せるだろう。何の迷いもなく。
きっと彼女も色々あっただろう、この長い月日の中で。
そして私も色々あった。
それがきっと今になって良い方向に動いているのだと思った。
そしてもう一つ嬉しかった事。
以前働いていた時の女の子から連絡が来た。
彼女は私に謝りたい事があったそうだ。
でも私は思っていた。彼女に謝って貰うことなんて何一つないって。
今の私がいるのは彼女のお陰であって、感謝こそすれ、謝ってもらうことなんて一つもない。
だからこれからはお友達として付き合って欲しいとメールを送った。
月日というクスリは偉大だ。
そしてとても大切であり、必要不可欠だと思った。
きっとここまで私が思える様になったのは、親友や彼のお陰だと思う。
今私の周りにいる人、全てに感謝の気持ちを伝えたい。
ありがとうと…
まぁ不要な人もいるけどね、実際は(爆笑)
「余命一ヶ月の花嫁」続編。
結論から言えば「どうだっていいじゃん」が私の意見です。
女性週刊誌やネットでネタになっているようですが。
例えば太郎さんが女性週刊誌でインタビューを受けたことだってそう。
あまりにもその手の噂が先行したからこそあえてお受けしたのでしょう。
でもね。
別に彼女がAVに出ていようが、彼女の意志は意志であり、彼女は故人なのです。
そして乳がんで亡くなった事も事実。それをありのまま伝えた勇気は素晴らしいと思う。
客観的に見ると違和感があるのは私も感じます。
実際の記事を拝読していないのであくまでも憶測ですが、
例えば体にあざがあったとかっていう内容だったら、太郎さんなら率直に答えられると思うのです。
だって恋人でしょ?そういう関係がない訳ではないでしょう。
それならば「自分が見た時にはなかった」で済む話であって同級生の話は不要だったのでは?
そしてさらに太郎さんが誰と結婚していても構わないと思うのです。
だってもし私が再発や転移で天に召されたとして、周りの人が泣き暮らす事を望むでしょうか?
そんな事は千恵さんが望まないと思う。
だからこそBBQをやったのだって、
「みんな千恵さんの事を忘れたのではないよ。今みんな元気にやってるよ」ってことだと思うのです。
そしてそれを千恵さんが天国から見て「良かったなぁ」って思ってくれることが供養では?と思うのです。
いちいち色々な憶測が出て、関係者の方はお辛いでしょう。
でもね。
興味本位で記事やネタにして欲しくない。
それが同じ若年性乳がん患者からのコトバだと思うのです。
いい加減、もうそっとして置いても良いのでは?と思います。
私だっていつ再発するか分からない。
いつ天に召されるのかは分からない。
だからこそ、過去をほじくり出したり、ネタにしたり…うんざりです。
いいじゃないですか、今存命している方の未来に向けて目を向けたって。
無意味な興味本位の取材はもう不要ではないのでしょうか?
パクリって…(涙)
私が良く見に行くサイトの中に「探偵ファイル」があるのですが、
そこの記事で今度は「余命一ヶ月の花嫁」のパクリ疑惑との記事がありました。
…何だそれ?といった感じでしょうか。
色々な利権が混じってとのことですが、そんなコトは当人達には全く関係なく、
実際に亡くなった千恵さんへ失礼だと思うのは私だけでしょうか?
人の感情表現を責めてみたり、涙を流さない太郎さんのことを責めてみたり…
ホント某巨大掲示板の人間は意味分かりません。
泣かなかったのではなく、泣けなかったのかも?ってどうして思えないんだろう?
自分が精一杯出来ることはしたというコトバに何故偽りを感じるのだろう?
本当に人間って不思議な生き物だと思います。
願わくば関係者の方達がこういう人達のコトバによってココロが傷つかないことだけを願います…