D-DST

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日記や、沢山の好きなことへの、
独り言。

『ゴースト&レディ』

@名古屋四季劇場


いきなり8分の6拍子という大好物攻撃で一気に惹き込まれる。

今回もご一緒、チケット手配くださったMさんは東京公演千穐楽配信をご観劇、萩原グレイにどハマりなさったが、
そのお気持ちが一曲目からよく分かる。

コレはハマる。

…しかし、わたくしの大本命はやっぱり岡村デオンでした。


昨年春。新作ミュージカル開幕、とのことで。

四季のグッズオンラインショップを覗くと、なんだか好きな雰囲気の世界観ぽい。

一気に気になり始める。

漫画が原作、とのこと。
タイトルからして、ミュージカル化からして、そしてグッズの雰囲気からして、
トートとシシィ的なアレか、夢夢しい女子好み然としているのか、と思いきや。

絵のタッチは少年マンガ寄りの劇画調、
クリミア戦争が舞台の、戦場は勿論、戦場外でも繰り広げられる激闘、
何やら人間の負感情を具現化した〈生霊〉がゴロゴロしている。
え、コレを舞台化!?ミュージカル化!?
全く想像できない、という、
原作を手にした時点での観劇前感想でした。

開幕後。
お気に入りの岡村美南さんがデオン役で、その扮装写真が美しく、
当初は正直、それだけが観たい一心でした。

デオン。
川島芳子みたいだなーと思っていたら実在人物だった。
シュバリエ・デオン。
猛烈に知りたくなった。


実際観劇してみると。
〈生霊〉はどう表現されるのか、気になっていたのですが。

あのくだりはほぼ完全にカットされていまして、
キュレーターも登場しなくて、
舞台化に際しての整理整頓は見事でした。


原作を読んだ印象からは、グレイは次元大介風味の感想だったのですが、

一曲目『奇跡の夜に』美しくも物悲しいアリアで一気に客席を鷲掴みしておきながら、
時々謎のべらんめえ調だったり、ボケもスマートで、
次元大介をよりコミカルにした感じ。

あと、原作読んだときから思いましたが、

「死後は劇場に住みつきずっと観劇している」

よくも私の将来の夢をバラしてくれたわね。
私は一ヶ所に留まらず、世界中の劇場をまわるわよ。


ゴースト観と自己紹介の楽曲『俺は違う』では、
そんな芝居大好きグレイさんらしく、ゴーストたちがギリシア劇の仮面の様なマスク装備だったのが佳い。

それから、全編通して照明効果が見事。
『絶望のどん底で』で、グレイが当面の生き甲斐?を見つけ、
意気揚々と俺様が主役だあ言うてる、最前まで青ざめ真っ白だった顔色に赤みが差す。

ちょっと人間くさいこと言っている場面では、暖色系の照明を当てているのではないかとおもう。知らんけど。


作品を象徴する楽曲、場面でもある『不思議な絆』での、
あの二つの階段のフォーメーションも素晴らしかった。

階段の動き見ているだけで感動した。


『走る雲を追いかけて』は、これから戦場へ赴くという勇ましい楽曲で、曲調もマーチなのに、

女声のみの和音が美しくて讃美歌の様だ。


吾輩、腹立ちます。
超ーーー嫌い、こういうおっさん。

で、あの棒読み感がまた、絶妙に神経を逆撫でしてくる。

瀧山久志氏、巧いわ。巧妙すぎるわ。
客が、芝居観ていて登場人物に腹が立ってくる。
悪役冥利に尽きるのではないでしょうか。

正論、正義感、倫理観がブレず、真っ当に仕事しようとしている若者を、
セコくて心卑しい、年功序列という魔法に乗っかってきただけの小物おっさんが邪魔をする。

本当、よくあるけど、
本当、腹立つ。

既視感と憎悪しかなかった。
ああ、きっといま、私の〈生霊〉が暴れているんだわ。
フローに呆れられてグレイがつまらぬものを斬りにくるんだわ(どあほう)。

正直、デオンにはあんなおっさんに憑いていて欲しくなかった。

『偽善者と呼ばれても』
フローとグレイとデオンと吾輩の迫真の四重奏は、
正直、歌詞が総て聴き取れなかったので、
あの迫力だけひとまず堪能し、
CD買ったし、後ほど確認しよう。


大本命・デオン・ド・ボーモン。

名古屋で開幕後、毎日のようにキャストをチェックし、
観劇日当日まで確認しておりました。
岡村デオン❤️なかなか出てこなくて、やっと出てきたー!ら、幕間になっちゃって泣いた(涙)。

原作では語られない複雑な生い立ちがハバネラでのダンスシーンで語られる演出が刺さりました。

生前デオンがまた、想像以上に美しかった。
原作終盤の方は、もう、モンスターの様になっていたが、
ミュージカルでは最後の最後まで美しいままで救われた。


Mさんは「デオンの目的、信念の先が何故ああなるのかが分からない。私には、デオンは難しい…。」
と仰っていまして。

え、や、私もそんなところまで考えていません、
シンプルに単純に岡村さんのデオンのカッコよさ、美しさを讃えているだけなんです。

キャラがどうとかすらも、気にしていません。
例えただのど変態だったとしても、
あの姿が好きなだけなんです。


Mさん、相変わらず洞察力深くて作品にも大真面目に向き合っていらして、
片やわたくしただのミーハーで、
もう、なんか本当にすみません(恥)。





『梅雨小袖昔八丈 髪結新三』
↑2018年公演より。

主人公はワルいやつだ、という認識しかありませんでしたが。

や、基本ワルいんですけれど、

大変人間味溢れる、魅力溢れる主人公でした。

人外菊さんがお似合いになる(個人の感想です)し好きだし、と書いておりますが、
こんな、俗のカタマリ、ザ・人間もとても愉しい。


終盤での大家さん(彌十郎丈)と、
モメてキレて、
罵り合い、怒鳴り合い、
ヒートアップし見合って見合って、

最後ちゅう❤️する(←ダチョウ)のかと思った。

あのリズム感、グルーヴ、テンション、最高。


場面の転換も多いので、
世話物の醍醐味、お江戸の生活風俗あれこれをめぐる所作やらファッションやらのチェック事項も都度盛り込んであり、
毎場面が観どころ。

そういえば、祖母は美容室のこと「かみいさん」と言っていた。
幼少時から美容室のこと、と何となく理解していたし、特に何もツッコむこともありませんでしたが、

今になって語源、所以を知りました。


菊さんの新三役は三度目とのこと。

嘗ては、初役をおつとめの際は可能な限り観劇していたものですが。

初演は観られませんでしたが、漸く新三観劇が出来ることに感謝。

菊さんはご結婚されてから一層芸幅が広がり、
挑戦されるお役も一気に多彩になられた(個人の感想です)。

が、その頃、私自身生活基盤が変わり、歌舞伎に拘らず観劇から離れてしまい、
菊さんの1番おもしろい時代を体験できなかったことが悔やまれていたので。


前回2023年公演時の勝奴役は菊次丈だったそうで、今回も続投。
私にとっては、音一朗丈、のときの方が馴染みがありますが。
今や劇団の筆頭立師。

歌舞伎を観始め、少しずつ色々わかるようになってきた二十代はじめ頃の感想として、

主に菊五郎劇団、澤瀉屋さん一門(二十一世紀歌舞伎組。中日劇場(わたし生まれ育ち名古屋)にて毎年確実に公演があったので。)を観劇しておりますと特に、

お弟子さん方、名題、名題下さん方々による立回り、アクション、アクロバット(?)のご活躍が多く、
でも割とさらっとしか紹介もされず、
早変わり等の吹替などおつとめになっても、その場合パンフレットに絶対お名前が載らない(←コレにはちゃんと理由、意図があるのでしょうけれど。分かっているけど、やっぱりなんだかさびしい)。

無論、メインキャストの役者さん方々あってこそなのですが、
個人的には特に役名のないお役、群舞や大勢の立回り、後見などで活躍していらっしゃる役者さん方々⋯

何なら役者さんに留まらずお衣裳や演奏、小道具、照明などの造り手さん方々のスピリットに至るまで、
舞台観劇では可能な限り隅々まで楽しみたい質なので、

メイン以外にももっとスポットを当ててほしい!と思っていて。


そんな中、
菊さんは、お弟子さん筋も適材適所でどんどん抜擢なさっていて、好き。

お弟子さん方々をお誕生日に姫抱っこしたり、
「遊び仲間でもあります(笑)」と仰る彦さま、好き。


私が記憶している限り、
ナウシカでの庭の主に始まり、ユウナレスカ様、急遽の代役でしたが先代萩の八汐(通常は立役の役者さんがお勤めになる)にキャスティングの芝のぶ嬢、違、芝のぶ丈はその最たる適材適所だった!

贔屓目120%は重々承知しておりますが、
八代目はプロデューサーとしても冴えていると思う。


お熊(米吉丈)にはモデルとなった実在した人物がいるそうで、
それが、え、モデル…?と信じ難い、首飾り事件のド・ラモット夫人を彷彿させるような悪女だそうで、
それはそれで実話、実録側も調べてみたくなったり。

その後、そのお熊と忠七(萬太郎丈)がどうなったとか、
大家さん、人助けに来たのに(なかなかセコかったが)災難に遭ってかわいそう(涙)とか気がかりが残りつつも、


新三と対を成す様な正義のカタマリ・源七親分(錦之助丈)のオトナ対応したのにやっぱり逆襲に来る熱血振りがカッコ良く、

いい感じに口上で結んでしまう歌舞伎の清々しさに丸め込まれた感もあるが(笑。良い意味で)、

結局は気持ちよく劇場を出ることが出来る不思議。


次々にイベントが発生してなかなか忙しくて楽しいので、
是非またリピートしたい作品。





菊さん、菊之助さん襲名披露演目!

先ずは舞踊。


『うかれ坊主』


躍動感があるが重力を全く感じさせない、
ブレない体幹が美しく、プリエの行き届いた、本当に綺麗な舞踊。

小道具も多彩、
ユーモアもあって、観応えたっぷりの舞踊なのですが。

のハズなのですが。


目のやり場に大変困るんです。

もう、ヘルベルト(ダンス・オブ・ヴァンパイア)なんです。

あの、シアー上着といい、もう、完全なる和製ヘルベルト。
日本初演、吉野圭吾さんの。

スポンジ持っているのがヘルベルト。
桶持って来るのが源八。
二人ともくるくるまわって楽しそう。
まさかの温泉コラボ(←源八坊主の桶は風呂桶に非ず)が結成された私の脳内(←もう黙れ小僧)。

本日お昼のお席は五列目どセンター。

なので、ほぼ全編真正面で踊られているという最強席なのですけれど、
前のお席の方が結構おおきな方で、足元が若干見辛く、

見えないなーと顔や身体を移動させると、もれなく真正面に菊さんのお褌が。


うん、今回ばかりは最前列でなくて良かったです。

夫のお褌だってまず見ないのに
(うちの旦那様、家の中でも絶対上下服着てますので。実父はぷりけつで家庭内行脚していたが)。

や、菊さんのお褌は見たことありますよ、
本水使いの迫力満点の殺陣、
殺陣まわりのスピード感と外連とアクションが物凄くて、そちらに圧倒されていて、
お褌一枚姿でもそんなに気にならなかった。


ヘルベルトは、いかん。
あの、シアー上着が、いかん。
いっそお褌のみ、パンイチのみの方が自然かもしれん。

その昔スタイリング(わたくし服飾出身)とか心理学でやったぞ、
ダイレクトに完全に見えるよりも透かして見える方がミステリアスを強調する視覚効果がうまれるだのなんだの。

うかれ坊主ならぬミステリアス坊主。

洋式お褌のヘルベルトも相当うかれている場面だった。
なにこのシンクロ。

観劇後はのぼせた様な、
平衡感覚を失いそうになっていた。


ダンスで身体のラインが見えるのは寧ろ嬉しいことなのだけれど、
えっと、もう少々、布、多くなりませんかね(涙目)。


『羽根の禿』

正真正銘子供の踊りなので、等身大で無理なく、
首をふりふり、下駄をカラカラ鳴らして実に愛らしい。

お一人で丸一曲踊られるのは初めてではないでしょうか。


禿ちゃんとミステリアスという、
その全く異なるキャラクターでの組み合わせは、嘗て六代目菊五郎丈が演じ分けて人気を博していたそうで。

それも是非観てみたい。

禿ちゃんを大人が踊る際は、セットや後見さんのキャスティングなどを工夫するそうで。

アナログ舞台ならではの先人たちの知恵盛りだくさん。


⋯⋯


ごめんなさい、菊之助さん。

この幕はお父上のミステリアスに持っていかれてしまいました。

名古屋の二人花子さんで挽回させてください(土下座)。





『野崎村』

七月お昼の部は、すべて初観劇の作品です。

歌舞伎観劇は年齢の割に長い方だとは思いますが、
基本、地元名古屋(当時)や、時々遠征していた程度(それでも後援会スタッフさんには覚えていただいておりましたが)ですので、
まだまだ観劇したことのない有名作品は多いです。

↑向かいの看板が写り込んでしまう⋯。

七月も朝からハードな内容です。
観方をかえたら、正直、酷い話です(涙)。

主人公はお光ちゃん(壱太郎丈)。
ひどい目に遭わされたにも拘らず、
相手、周囲を慮る視野の広さ、感情の豊かさ、心根の美しさが、
より物語の悲壮感を際立てる。

しかし悲嘆にくれてはいるが、決して誰のことも恨んでいない。

お灸の場面を観ていても、父上・久作(鴈治郎丈)からの愛情を授け、
本当に清く正しく、育ったのでしょう。

こんなに善い娘なのに。


今後を応援したくなるお光ちゃん。


このお話、現代だったら、

結婚前に不誠実がわかって良かったわ。
こっちから捨ててやるわよそんな男。

で、その後仕事もプライベートもバリバリ充実させて、
華麗に逆転ハッピーエンド、
といったところかもしれない。

そんなお光ちゃんだったら尚、応援する。




あと⋯。

コレはもう、わたくし自身の問題で、

歌舞伎に限らず観劇全般に関して、
入り込みすぎず、基本冷静に観てしまう習性があるが故なのですが
(但し犬映画は別!犬映画は感情移入しすぎる!)、

あのタイミングであの『駕籠舁きコント』

一体どんな気持ちで観たらいいの(涙目)。

無事に(?)久松(隼人丈)お染(扇雀丈)の心中は回避出来そう、
でも言うても確実に人一人を傷つけているのだから、せめて償いながら生きてくれ、と思っていたところへ、

早速やってきた久松への試練。
絶対笑ってはいけないシリーズか何かか。


まあ、そういうトコロも総てひっくるめて歌舞伎の愉しみなのですが。

真面目に観なさい、私。


約13年振りの松竹座。
先ず、ファサードが好き。

この日は気温も高く快晴、
撮影をしようにも逆光でうまく撮れているのか全く分からない(汗)。

会場の敷地もそんなに広くはないので、
襲名披露展示は一ヶ所コンパクトに。

ステージも、こんなに横幅コンパクトだったかったかしら(汗)。

祝幕は五月と同じね。

無駄に階段上り下りしてみたり、外へ出て、何度もファサードの写真撮ったり。
ああ、やっぱり『劇場』が好き❤️




⋯そうこうしていたら、松竹座クローズのお知らせが(涙)!

名古屋もそうだったけれど、どんどん無くなる、劇場⋯(涙)。
大阪での歌舞伎公演、今後はどこになるのだろう⋯。

すっかり日が経ってしまいましたが、
襲名フェス六月からの続きです。

『連獅子』

毎度思うのですが、

大掛かりなセットを使わず「高さ」の概念を取り入れ、表現する。
最初にこの振り付けした人のセンスに感服。

子獅子の花道高速バックとか毛振りとか。

ダンス、舞踊って本当に深くて想像力の鍛錬にもなって愉しさ尽きない。


子獅子菊之助さんのひたむきさ、情熱。

六月の菊之助さんは、お昼の梅王丸と同様、
その「スケールの大きさ」に驚きました。

両腕を左右に伸ばせば、空間が拡がり、
足を一歩一歩進めれば、躍動感で劇場の空気が変わる。

お生まれ、お血筋からも、既に方方から十二分に期待を寄せられ、
着実にそれらに応えていらっしゃり畏ろしくもありますが。


五月の稲瀬川で魅せてくださったように、
同世代の仲間にも恵まれ、そのみなさまにも通ずるところかとおもいますが、

生まれながらにいろいろ背負っていらっしゃるご身上とは存知ますが、

どうか、今はのびのびと、ご年齢相応の時間も過ごしてくだされば、
とも願っております、大変僭越ながら。



菊さん。
清やかな狂言師右近からの、余裕と圧倒的存在感の親獅子。

菊さんの舞踊は、どのお席で観ていても目が合う気がする。個人的に「菊さんの雲竜図現象」と呼んでいる。


菊さんは人外のお役がよくお似合いになると思っていて(個人の感想です)、
鏡獅子は何度か観劇しましたが、前シテの弥生さんも、登場からもう既に取り憑かれている感、と申しますか、
あぁ、この人なら憑依されそう、と思わせる神秘性が醸し出されていて(個人の感想です)。

昔からよく申しておりますが、瞬きのタイミングなども緻密に計算していらっしゃることもあると思う。
「瞬き」って、すごく感情が表れる動きのひとつだと思うので。


菊さんの連獅子は今回が初見ですが、
実の親子共演というのもあるのでしょうか、
狂言師は人間の親子に見えてくるのですが、

やはり獅子は、獅子でした(語彙力⋯)。

鏡獅子にはなかった、ラスボス感(語彙力⋯)というのか、
どっしりと大樹の様な揺るぎない存在感と安心感。


なんだかもう、泣きそう。
五月、六月、目がうるうる放題。
ずっと目を見開いていた(集中力!)はずなのに、お蔭で目薬いらずでしたわ。

繰り返しになりますが、特に六月公演は当初は断念方向だったので、

もう、思い切って来て良かった。
旦那様、ダイアナ姫様、ありがとう(愛)。


お席はどセンターだったとはいえ、
ラストはやっぱりずっと雲竜図現象のまま幕でした。