こぞうの誕生日は12月31日です

実の親や溺愛しているじじばばでさえ誕生日とクリスマスと正月のプレゼントがごっちゃになる、かわいそうなやつです


今年はこぞうのテーマ曲をコンポーザーで作りました

こぞうが鼻歌で作ったやつを聞きとめて、ツール集めから始めて使い方の勉強から下準備まで半年かかってしまいました

今日は家族が里帰りしていたので丸一日かけて仕上げました

いやー、思ったより難しい和音つかってやがってしんどかった…


というわけで、汗かいたけど金のかかってないプレゼント、こぞうがどんな反応をするのか楽しみなような怖いような

…いらねえとか言いやがったらつねるかもしれない


前の書き込みをしてからたくさんの連絡を頂きました。
公の場所に書き込んでいるのですから知られて当然なのですが、それでも半年に一回も書き込まない死にブログがこんなに読まれたなんて驚きです。
皆さん等しく私のことを心配してくれました。
本当に申し訳ないと思っています。

書いたことに嘘はありません。
だけども文章に乗せたほど深刻になってはいません。
今、自分の置かれた状況が面白くて、残しておきたくて、そしてせっかく書くのだったら少しは他人にも見てもらいたくて書きました。
少し曲がってはいますが、所謂創作意欲に突き動かされて書いている文章です。
なので、そこそこ楽しんでいると思ってください。



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お金がないのは本当に辛いです。
でも、それよりもっと辛いのは、お金を稼ぐ価値を持っていない自分について考えてしまうことです。
お金のことを考えているとこころがうすら寒くなっていくのを感じます。
でも、どんなに考えてもそのたった家族三人が暮らしていくだけのお金さえ稼ぎ出すことができない自分の価値を思うともっと冷たくこころがえぐれていくのを感じます。
人間50年も生きていればなんかしら経験をもっていて当然です。
私だって50年寝ていたわけではなく、それ相応の経験は積んできたつもりでした。

今の会社の部門長は私のひとつ上、隣の部の部長は同い年です。
並んで座ると明らかに格の差があるのが自分でもわかります。
私が若く見えるからではありません。きっとこれが50年生きてきた間の人生経験の差なんです。
創業から会社の成長を担ってきた人にはそれ相応の、その道でこつこつと真面目に技術を磨いてきた人にはそれ相応の風格が備わっているものです。
他人の作った会社の中で、なんの実績を上げるでもなく月々のモノをもらって生きてきた私が持っていないものです。

そもそも私は何になりたかったんだ?

大学を出た時はバブルの真っただ中でした。
私が、学友が揃って大手メーカーや銀行系の会社に就職していくのを見ながら130人の学部の中でただ一人就職先を決めなかったのは、つまらないサラリーマンになり下がりたくなかったからです。
当時は漫画家になるんだといって、原稿を書いては投稿していましたが、実のところ自分に才能がないのは薄々気が付いていました。
セブンイレブンと、ゼミの先生にお情けでもらった実験助手のバイトをしながら、芝居をやったり、音楽を作ったりしていました。
とにかくなんでもいい、人とは違った価値を持ちたかったのです。
一度結婚して少しまともっぽいフリーランスのソフト屋みたいになりました。
サラリーマンのソフト屋よりはるかに腕がいいと思い込んで調子に乗ってました。
バブルがはじけて仕事がなくなって、最初の貧乏になって、妻に逃げられて、それでも自分は特別な才能を持っている人間だと思い続けられていました。

一度底に沈んだあと、友人に拾われてゲームを作る仕事をもらいました。
今にして思えば仕事の仕方を知らなくて、酷いデスマーチプロジェクトでしたが、それでもなんとか4タイトルほど世に出すことができました。
やっぱり自分は特別な才能を持っていると思い込んでいました。

ゲーム会社と喧嘩別れして、2回目のどん底に沈んで、30過ぎてから1年ほどパチンコ屋で清掃の仕事をして、なぜか縁あって外資系の大きな会社に内勤で務められることになりました。
今にして思えばとんでもないラッキーだったのですが、当時は自分の実力だと思っていました。
会社の中でなんでだか認められ、なんでだか調子に乗っていろいろなことをしました。
そして上司の厚意と火事場のどさくさに紛れてなぜか社員として雇ってもらえることになりました。

思えばこの時が人生の転機だったんだと思います。
引く手あまたでより取り見取りだった新卒の時、土足で踏みにじった会社員という地位に落ち着くことを選んだのです。
その時友人に言った言葉を覚えています。
「俺的にはリタイアしたようなものだから。残りの余生のんびり暮らすわ。」
実際、就職するまでの十数年は一時も安心できない生活でした。
会社に就職した理由も、会社をあっせんしていたトンネル会社の経営が悪化して給料が滞るようになったからでした。
私の子供が生まれた時に素敵な木のおもちゃをプレゼントしてくれたその会社の社長は半年後詐欺罪で逮捕されました。
どこぞでだまし取った金の一部が私に振り込まれていたということで、生まれて初めて刑事さんから事情聴取をされました。

私はその時、自分の人生はゴールしたと思っていました。
この後はなんの心配をすることもなく社会人として生きていけると思い込んでいました。
就職してからの10年、人生で一番遊びました。
最初の5年はファイナルファンタジー11、後の5年はバトルスピリッツ。通してこぞうとは本当に楽しく遊びました。
その間米国本社とやりあったり、中国へ渡って仕切ったり、早期退職したあとはアジアの辺境の国の連中をまとめたり、自分ではそれっぽい経験を積んだつもりだったのですが、今レジュメに並べて書いてもただ流されてその場にあった仕事をこなしてきました、というストーリーにしかなりません。

10代のころ、ただものではない何者かになりたくて、20代のころ、社会に反抗して流れに逆らって、そうやって生きてきたはずの50の自分が、家族3人つつましやかに暮らすだけの価値も無いと気が付いて、打ちひしがれています。

宝くじを買いました。当たらなければ生活が破たんします。
宝くじの当たる確率が天文学的なことは理解しています。ただ、生活を立て直すもっとましな方法がもう思いつかないのです。
あれこれやりつくした結果、宝くじが一番ましなくらい自分には可能性が残っていないんだと思い知らされた結果なのです。

割りと普通な会社に入って、前より実入りは減ったけど、人並みに暮らすくらいはできるだろうと思ってました。
同僚の収入は幾らなんでも自分とそんなに変わらないだろうし、その人たちが普通に暮らしているんだから、きっとこれが世間並なんだろうと思ってました。
でもなぜか、毎月収入より数十万も多くのお金が出ていきます。
前の会社でも十分なお金をもらっていたわけではないのですが、支払日の関係でちょっとしたボーナスくらいの預金があったはずなのに、あっという間に底をついて、銀行預金額はマイナスになりました。
こぞうが私立の中学校に入ったばかりだから仕方ないのかな、なんて思っていたらあっという間にマイナスが限界に近づきました
まともな会社員というのはなんだか信用があるもので、カードローンの申請をしたらさくっと口座が開けてしまいました
それで安心したらまだまだどんどんお金が流れ出していって、あっという間に大台を突破してしまいました。

子供のころから裕福な生活をしたことはありません。20代の頃は掛け値なしに貧乏でした。40前後に大きな会社で働いていたころ少しゆとりがありましたが、基本裕福だったことはありません。
それでも今ほど気ちがいじみて苦しいと思ったことはありませんでした。
所持金が0に近づいて、使えるお金がなくなるのは苦しかったですが、自分がコントロールできないところでぐんぐん音を立てて借金が増えていくのは本当に恐ろしいです。

最初から収入が減るのは見えてましたが、ポジティブだったのはいろいろとやれることがあると思っていたからです。
前の会社のつながりでバイトできるんじゃないか、なんて考えていたこともありました。
勿論、世間はそんなに甘くありませんでした。
転職して2か月でちょっとしたアプリを作って、これ売りませんか?って見せたんですが、それっきり連絡がありません。
良く考えたら上場企業が一介のエンジニアと対等に付き合うわけないんですよね。

仕方ないのでGoogle Playにアプリを上げておけばお小遣い程度にはなるんじゃないかと思ったこともありました。
有料でアップロードしたアプリは未だにダウンロード件数0です。

フリーの友達と協力して仕事を取ろうとしました。幾つか打ち合わせするところまで行ったのですが、今のところ殆ど手を動かさない小さな仕事を1つもらっただけです。
今の会社の社則にバイト禁止とは書いていないのですが、リスクを冒してまでやるような仕事ではありませんでした。

ネットに転がってる小さな仕事をあっせんするサイトに登録してみましたが、どう見てもまともな人間が手を付ける金額じゃないので放置しています。
本当に世間ではあんな子供の小遣いにもならないような金額で仕事を請けるプログラマーがいるのだとしたら、もうプログラマーはまっとうな大人の仕事ではありません。
20代の頃は将来は何百万人もプログラマーが不足するなんて言われてたこともあったのですが、笑い話です。

年末になってエージェントからヘッドハントぽい連絡が何件か来ましたが、レジュメを送ったら返事がきません。少し夢をみたのは事実ですが、また現実を再認識させられました。50過ぎたソフトウェアエンジニアに価値なんてないんです。
今の会社だって友人の引きが無ければレジュメを見てもくれなかったでしょう。
転職できるとしたら、知り合いからの誘いしかないんです。
そして、私はもうそんな知り合いを持っていません。

こぞうを私立の中学校にやったのが身の程知らずだったんでしょうか?
さんざ苦労して、無試験で中学校に入れるレベルの英語を身に付けさせました。公立の中学校に入れて鎖落ちるのを見るのは耐えられませんでした。
ここに至るまでに結構な投資はしましたが、それを後悔はしていません。
今の学校も楽しそうに通っています。
彼の生活はどうしても守ってあげたいと思っているのです。

ひめの生活ももちろん守ってあげたいと思っています。でも、もう限界なんです。
この会社に入る前に、ひめに渡していたお小遣いを止めさせてもらいました。
結婚する前から10年続けていた習慣を止めるのは本当に苦しかったのですが、そうしないと生活に必要な資金を用意する計算が成り立たなかったのです。
ひめは少し不満な顔をして、急に言われるのは困るなぁと言いましたが、それ以上の恨み言は言いませんでした。
私には、急に言ったつもりはありませんでした。実際、早期退職した時から無理な出費だったのです。
もう無理だよ、無理だよと3年言い続けた、最後の決断をしただけなんです。

貯金なんてもちろんありません。
早期退職の時にもらった割増退職金は一年で使い切りました。
義父から譲り受けた株券は家を買う時に売り払いました。
私に残っている最後の財産はローン半ばの家だけです。
カードローンの上限いっぱいまで借りてしまったとしても、家を売り払えばさすがにとんとんくらいにはなるでしょう。
でも、これが本当に最後です。
家ではボーダーコリーを飼っています。今年で9歳になります。大型犬の寿命は10年程度と言われていますから、もう老犬の域に達しています。
せめてこいつが旅立つまでは家を手放したくなかったのですが、背に腹は代えられないでしょう。

今年の年末、宝くじが当たっていなかったら、次の決断をしなければなりません。
無制限に使わせている家族カードを食費以外に使うのはやめてください。キッザニアや幕張へたびたび遊びに行くのは止められませんが、お金は自分のバイト代から出してください。
それでも最後の最後まで、家族の生活費は僕が出します。あなたの働いたお金を出してほしいとは言わないつもりです。それが僕の最後の意地です。
それでも借金を返済する方向に持っていくのは多分無理です。
鋭く切られた傷口から流れ出る血のような借金を止めるのが精いっぱいです。
そこからどうしたらいいか、今はなにも考えられません。

3年前に書いた文章にコメントが付いていました

またいつものステマだろうと思っていたら、進行性核上性麻痺、父と同じ病気を持ったおとうさんをお持ちの方からでした

奇しくも、先週その父の葬儀を終わらせたばかりの時期でした


進行性核上性麻痺というのはパーキンソン病の一種で、小脳が麻痺する病気です

平衡感覚、嚥下、眼球運動といった最低限の反射運動が出来なくなっていく病気です

進行することだけがわかっていて、原因も治療方法もない難病です


発病すると2年ほどで死ぬそうです

この病気自体は命を奪う病気ではありません

最低限の生命維持運動ができなくなるので、介護が間に合わなくなって、事故や病気を引き起こして死ぬのです

父は病名が分かってから5年、発病から6年以上生きました

いや、時間は大きな問題ではありません


父は亡くなる二週間前まで食卓で食事をとっていました

亡くなる一年前までトイレで用をたしていました

この病気の患者としては奇跡的だと思っています


最後は、肺炎で体力が低下して嚥下が完全にできなくなりました

内臓はその前からほとんど食物を受け付けておらず、ありえないほど痩せこけていたのですが、皮下点滴した水分さえ処理できなくなっていました


母の招集で兄弟が呼ばれ、3人で主治医の先生に延命治療をしないことを宣言しました

胃瘻と点滴を駆使すればもう少し命を長らえることはできたかもしれませんが、それに苦痛以外の価値があるとはもう思えなくなっていました

父はもう言葉を発することが出来なくなっていましたが、父の意思も同じであることは家族全員確信してました

5年間の闘病生活の間、ゆっくりゆっくり衰えていく父と少しづつ、一歩づつ話し合って出した結論でした


一切の栄養と水分を断ち、それでも父は11日生き続けました

どれほど強靭な心臓と肺をもっていたのか、最後の最後まで本当に、この病気以外はなんの衰えもない鉄人でした

この病気がなければ100まで生きたでしょう


酸素吸入を受けて、顎を動かすこともままならなくなっても、こぞうがこえをかけると笑顔を作ってくれました

最後まで、優しい、いい人でした


最後はゆっくりと、静かに呼吸が止まりました

どこをどう絞っても一滴の水も出ないはずの父は、最後に一滴の涙を流したそうです

私はその場に居合わせることができませんでしたが、それは満足した、納得した、それでも別れがさびしい、ありがとうの涙だったと思っています


病気がわかった時、なにも悪いことをしていない父がこんな苦しい病気になったのかと恨み節を書き綴りましたが、今は少し違った思いをもっています

この病気は私たち家族に十分な別れの時間を与えてくれました

母はもうこれ以上はできないというぎりぎりのところまで完全な看護をやってのけました

あと一年生きていたら、もしかしたら看護疲れがでていたかもしれません

そういう意味でも父は母に、必要十分な丁度いい時間を与えてくれました

特に心の強くない母にとって、この別れはある意味最高のシナリオだったのではないかとさえ思っています

父でなければ、そして母でなければ、このゆっくりした死に耐えられなかったと思います

この病気は、もしかしたら、まっすぐに生きてきた父と母に誰かが与えてくれたものだったのかもしれない…というのは言い過ぎでしょうか


最後になりましたが、そういったわけで喪中です

暇です


家に帰って、9時過ぎてこぞうがベットに行ってからの数時間

ひめはすっと自分の部屋にこもってしまいます

ちょっと前まではむさぼるようにゲームをしていた時間

さすがに10年もやっているとFFも飽きてきたのか、安定サラリーマン時代は時間を浪費することになんの躊躇もありませんでしたが、今はいたずらに不安になっていきます

こんなことしてる間に金になることしなくちゃならないんじゃないか、などと考えてしまっています


でも、ちょっと考えたところで夜中の数時間で稼げる仕事なんて思いつかないのです

毎日少しづつ使えばなになになるのかもしれませんが、その気力もわきません


勉強しよう、なにかを身に着けようという欲が衰えたのも事実です

これが歳をとるということなのか


台所に残っている食器を洗ったり、部屋の片づけをしたりしています

疲れてなにもできない、というほど昼間が充実しているわけでもありませんので


そういえば、今年の初めごろまで異常に上がっていた私バブルがはじけました

会社でなんか居づらい感じです

極端な性格なので上がりっぱなし、さがりっぱなしということがあまりありません

この会社では2回目の暴落かな

まぁいつも1年くらいで回復するのでもう気にしていませんが


明日の夜、日本に帰ります

お昼ご飯は会社の中でも仲のいいほうの人たちがランチを御馳走してくれるということで初めてレストランに行きました

会社の近くだったんですが「リキシャに乗りたいだろ?」といって、リキシャを捕まえてくれました
大声で遠くにいるリキシャを「リキシャ―!」って呼びます
なんかすっごくストレート
地元の人は値段交渉なんかしません
ごく近距離なんで最低運賃でいいらしいです
二人乗りで2ブロックほど乗って10タカ支払いました


レストランはすごくきれいなブッフェ形式のところでした
バングラ料理がメインだそうです
全種類制覇をしたくて1品一口づつとっていったんですが、それでもとても無理な量でした
基本はマムンが作ってくれる料理と同じなんですが、やっぱりレストランの料理には品があります
マムンの料理が悪いとはちっとも思っていませんけどね
コーラを頼むと「冷たいのにする?普通のにする?」って聞かれるのはやっぱり変な感じ
ジュースは冷えてて当たり前、は日本独特の文化みたいです


夜は私の為に会社の人たちが集まってパーティを開いてくれました
といってもいつものゲストハウスなんですけどね
マネージャクラスの人達ばかり15人とか集まったようです
正直舞い上がってて何が起こったのか覚えていません
なんか偉い人になったみたいな感じでヘンです
この持ち上げられっぷりのまま日本に帰ったらマズイな

お土産といってはちみつ、お茶、工芸品などをもらいました
これ、お客さんが来た時に渡していたセットとほぼ同じだw
なんかお土産セットがある模様
まぁ、大事なお客さんと同じくらいの扱いをしてくれているんだねってことで


楽しいムードで終わったな、とおもったら帰り際にいつものヤツと些細なことで口げんかになり、椅子を蹴飛ばすという醜態を演じてしまいました
おもいっくそ酒が入っていたとはいえ、やっちゃいけないとこでした、反省しています


その後、いつも寡黙なエンジニアのひとりが残って、私、Tさんと3人で飲みに入りました
会社のこと、国のこと、ウィスキーをストレートで飲みながら1時まで語り明かしてしまいました

翌朝、頭が痛い前にくらくらしているという事態
喉はがらがら
お酒っていうより副流煙に酔った感じです
マムンが気を使って常温の(ノーマルって言ってた)ジュースをくれました
いや、有難迷惑なんだが、にこーっと笑われると何も言えません
今日はストが予定されているということでゲストハウスに泊まっていたエンジニアと3人でもくもくと食事
バングラディッシュでは結構ストで交通機関が泊まることがあるようです
ただでさえ渋滞が慢性化しているのに、輪をかけてひどいことがあるものです


帰り荷物の整理をしました
次に来るときのために着替えと非常食を残しておくことにしました
紙袋に詰めてマムンに預かってもらおうと思ったら、洋服ダンスを一段使っていいっていうことなので、お言葉に甘えることにしました
必ず帰ってくるからな、待ってろよチキンラーメン

二日酔いなど関係なく仕事を片付け、午後ちょっと時間ができたので部屋に籠って交通費の清算をしました
帰り際に会社の人が全員あつまってくれて、ちょっとだけ訓話をさせられました
乗せるのは得意なんです
ゲートオープン、界放!!…はやりませんでしたが


ちょっと早めにゲストハウスに戻って、ちょっと早めのディナーをもらいました
私が最後の日だというのでマムンががんばって5品も作ってくれました
いや、本当にいらないんだよそんなに
これで美味しいものでも食べてね、って1000タカお小遣いを上げました


6時にバシャさんが、6時半にアリフさんが来てくれて、飛行場まで送ってもらいました
今日は渋滞ほぼなしです
相変わらずわけのわからない量の車がカーズみたいにぶぁんぶぁんクラクションを鳴らして走っています
到着した時には戦争かと思った車の流れがごく自然に感じられるようになってしまった自分が若干怖いです


20分くらいで空港に到着
外から見た空港は、アメリカのスーパーマーケットみたいでした
地味な作りで、AirPortって看板がなかったら空港とは思えない造りです
入口には一応検問らしきものがありますけど、ほど素通し、敷地内に入ってもやたらめったら人がたむろしているのでちょっときれい目なショッピングセンターくらいの感じです
エントランスには地球型の噴水があって、そこだけちょっとオシャレかな

二階建ての上に上がると乗降場なんですが、ここがまたバトル
バシャさんは本当に運転が上手なのでジャムの間をするりと抜けていきました
空港の中がまたすごい量の人人人、人口一億八千万が四国くらいの面積の国に住んでいるってのはほんとうに伊達じゃありません

空港に入るのにチケットがいるらしくて、アリフさんが買ってきてくれました
荷物を持ってもらってチケットカウンターに向かいます
おざなりな金属探知機を越えて港内へ

私はドラゴンエアーを使うんですが、もう一つはタイ航空、たったそれだけなのでカウンターは一島しかありません
チケットカウンターには入れないのでここで待っていると言っていたアリフさんがなぜか中に入ってきていて、出国書類を書いてくれました
入国の時もやってもらったので何を書いていたか不明です
私はにこにこ笑ってチケット発券してもらっただけです


アリフさんと握手してここでお別れ
さすがに出国のイミグレーションは越えられないみたいです
青いペンキで塗られた木の箱の中に係の人がいます
工事現場もしくは文化祭のクオリティ
外国人の列に並んで待ちます
前の家族がやったら時間がかかっていたのでどうなるのかなぁと思ったら私はぽんぽんってハンコ打って終わりでした
日本人パワー凄い


港内はちょっと大きめの田舎の駅みたいな感じ
ゲートは5つ、行って帰って5分くらいです
トイレに行って用をたしました
なんか水のところが改造してあって、小便器にホースが突っ込まれているんですが、なんでしょうこれは
蛇口をひねって水を出すってことなんだと思いますが、君子危うきに近づかず

一応免税店やコーヒーショップはありますが全然食指が動きません
コーヒーは60タカだったかな
タカは余っているしケチるところではなかったんですが、どうにもおなか一杯でやめておきました
一時間あるんですが、コーヒーって気分ではなかったのでゲートに行くことにしました
チケットを確認してもらった後に金属探知機、そして中に待合席がありました


待ち時間の間日記を書いていましたが、ありえないくらい蚊が飛んでます
3週間の旅行中で一番虫除けスプレーが必要になったシチュエーションがまさかの空港ロビー
一心不乱に日記を書いている間にしこたま刺されました
ここにきてバングラクオリティ炸裂かよ、こんなことならコーヒー飲んでいればよかった
チケットに記入された時間になっても環境はピクリとも動かず、出発予定時間になってやっと搭乗のコールがかかります
チケット発券してくれた受け口のおにいさんがマルチに働いています


アリフさんは香港直行に違いないといいましたがどうしてどうしてカトマンズ経由です
カトマンズはネパールの首都だと思います

恐らくカトマンズまでショートトリップだからなんでしょう、機内食はなし
選択の余地を与えられることなく紙パックのジュースとクッキーをもらいます
美味しかったからいいんですが

ほんの一時間ほどでカトマンズに到着
半分ほどの人が降りました
カトマンズで降りる人はまた独特、寒いところなんでしょうね、みなさん登山のような恰好、手荷物も登山用のバックパックです
降りるときにはひとりひとりかとまんどぅー?と確認しています
間違えて降りられたら大変ですからね
フライトアテンダントの人たちがカウンターを片手に何度も何度も乗客の人数を数えています
棚の手荷物が自分のものか確認されたのが2回
そうしている間に掃除の人が入ってきます
これがまた冬の道路清掃の人みたいな重装備


この間ずーっとにほんごべらべらのバングラ人日本人のご夫婦と思われる方々ががたがたしています
悪気はないんだと思いたいんだけど、すごい日本語が乱暴
3人の子供に聞くに堪えない暴言を吐いています
一番下の男の子は離着陸の度に殺される勢いで泣くし…きついなぁ


念入りに確認が入った後にカトマンズからの乗客の方々が乗ってきます
これがまた独特
殆どの人が額に赤いしるしをつけています
インドの人みたいにちっちゃなしるしではありません
小粒のイチゴくらいのつぶつぶのある赤い塊を額にくっつけているのです
交通安全のお守りみたいなものなのかなぁ…帰ったら調べてみよう
みなさんわらっちゃうくらい登山装備
カトマンズ空港って山頂にあるのかしら?


機内映画は香港のバラエティ番組みたいなのばかりです
カーズ(最初の)をぼーっとみながら、うつらうつらしていました
ここで遅い機内食
チキンをお願いしたのは失敗だったかもしれません
だってまたカレーなんだもの
それも、なんというか独特な味付けです
味がなくて、辛くて、においばっかり強烈で、正直オイシクナカッタです

多分2時間くらい寝られたと思うんですが、香港国際空港に到着します
現地時間の6時、ダッカ時間だと4時です
強制的にピーナッツの袋を渡されますが、水をもらい損ねたんで喰う気なし、ポケットにねじ込みます


空港に着いたらもう乗り換えのコツはつかんだのでさっさと最寄りのトランジット口へ向かいます
すごい行列になっていたので、別な場所を探しました
やや遠くに行列がちょっとましな口をみつけたのでそこに並びます
そろいのジャージを着た中国か台湾の中学生集団がずらりと並んでいます
修学旅行なのかな

出発エリアに進んだらお楽しみの朝ご飯、朝マック食ってやるんだ!

フードコートに銀座サボテンを発見、残念ながら開店時間前でした
開いていたら朝6時からとんかつ定食食ってたかもしれません
3週間ぶりの豚肉ですから


マックは行列ができていました
カードが使えるか若干心配だったんですが、VISAなら大丈夫そうなので安心

香港のマックは笑顔がありません
なんか配給品を受け取っているみたいな感じ
コーヒーも後ろに並んでいる奴をぽいっと袋に入れられただけだし、日本の接客クオリティは本当に素晴らしいんです
そして悲しいことにコーヒーにはミルクが入っていました
砂糖が別だっただけ感謝しなければならないんでしょうね


いろいろやったけど出発まで2時間待ちです
行きにもお世話になった公衆インターネットで時間を潰しました


成田までの飛行機はお馴染みのCathay航空です
ドラゴンエアーと比べるとやっぱり各上です
食事はいつもの鉄則を破って軽めのパスタをチョイス、ドリンクもビールではなくコーラ
だって朝マックがもたれているんだもん
日本映画が見たいと思っていたのですが、やってないのでがっくり、寝ていようと思っていたのですがArgoが以外に面白くて完全制覇してしまいました
ハリウッドはやっぱりすごいね、いろんな意味で

予定通り8日に出国してから24日ぶりの日本に帰国です

月末過ぎたので家に入れる生活費をおろして、ジャンプとスタバのコーヒー買って高速バスで帰りました

長かったのか短かったのかまだよくわかりません
なんだかふわふわしている感じ
もしかしたら疲れがどっと出て明日は倒れているかもしれません


毎日ただで三食食って、2本ビールを飲んで、8時まで寝て、歩いて2分の会社の個室で働いて、他人にコーヒー淹れてもらって、夜はだらだら遊んで、週末はぼーっとする生活が終わりました
朝7時に起きて、暖炉の散歩して、ゴミ集めて、自転車で駅まで行き帰りして、一人でコーヒーを淹れる生活がまた始まります


お土産なんてありません
だって、買って帰るようなものがないんですから
私はうそを言うのが得意ではありません
どんな国だったのか、って聞かれたら、汚くて、騒がしくて、貧しい国でしたというしかありません
でも、そんな国の印象はちっとも悪くないんです
家族を連れて行くか、と言われたら答えはNoです
また行きたいか、と言われたら、必ず行きます
仕事のこともそうですが、個人的に出会った人達もみんな、こんな私を必要としている、と強く思えるからかもしれません
それ以上にまっすぐに私の目を見て自分の思いを伝えようとする人たちが、可愛くて愛しくて仕方がないからなのかもしれません
いい国でしたか、と聞かれたら、答えはYesです

HRのアリフさん-到着した時に私をピックアップしてくれた髭のダンディーが私のフライトの確認をしに来ました

ああ、もうそんな時期になったんだ


3週間はやりすぎだったかなぁと後悔していたのは今月の最初でした

気が付くと残り2日となっていました

明日の昼飯は日本で一緒に仕事をしていた部下が来てレストランで食事をおごってもらうことになっています

このあたりにレストランなんてあるのかよ?という疑問はさておき、よくよく考えるとゲストハウス以外でものを食ったのは和食屋が一回とフードコート一回のみという寂しさ

これは楽しみにせざるを得ません

最後の最後でクリティカルヒットしたりするかもしれませんが、そこはまた愛嬌で


明日のディナーは会社の偉い人たちが集まってくれるとかいう風のうわさを聞きました。まだ正式に伝えられていないんですが

それは正直あんまり楽しくないなぁ…

私は基本上に楯突いて下に弱いタイプの上司なので、偉い人は苦手なんです


今日は仕事でひどいプレッシャーがあったので、ブチ切れて定時上がり、ゲストハウスでビール飲んでFFのアップデートしています


帰りの飛行機はカトマンズ経由の夜行便、移動で眠れないタイプの私はどうなっちゃうんでしょうか


長かったダッカ滞在もあと4営業日となりました


オフィスでQAセクションのマネージャからプレゼントをもらいました

バンジャビという伝統衣装です

ゆったりして、それでいでどことなく気品がある良いものです

明るいえんじ色で、ボタンをしめるとぴしっと身が引き締まります

ひめ、こぞうの服は買ったけれど自分のは贅沢だからやめとこう、と思って買ってなかったんですが、正直これほしかったんですげえうれしかったです

仕事でそこそこ知恵は貸しましたが、こんなもんもらうほどのことしたかな

ちょうどシャツがなくなって困っていたので、その場で着てみました

贅沢をいえばもうワンサイズ上がよかったけど、でも問題なく着られます


サイズはどうですか?とSkype経由で聞かれたので、自分で見に来なさいといったらQAの連中がぞろぞろカメラもってきやがりましたw


今日の夕食はゲストハウスに現地のマネージャを呼んで小さなパーティでした

しゃべると飯が食えないのは私の悪い癖です

案の定、おなかが減って夜中に目が覚めてしまいました

一時間くらいもんもんとしていたのですが、どうしても寝付けないのでブログ書いてます


これは噂のWriddhi、いいおとこでしょ?

DDiamond's Blog

そしてマムンさんです
DDiamond's Blog

笑顔が硬くて、3回取り直しました

今日は泥のように寝ました
明け方まで頭が痛くてどうしようと思ってたんですが、治った様子で一安心
海外で病院とか行きたくないので


ゲストハウスの専属コック、マムンについて書いておこうと思います
マムンは自分のことをマムンさんと呼びます
英語ちょっとと日本語がちょっとわかります
英語は単語がわかるくらいで文法はわかりません
日本語はTさんと暮らすようになって2か月で覚えたようです

マムンは色黒で小柄で筋肉質で、歯が白くていつも笑顔でなかなかの好青年です
料理は大体名誉会長から教わったと言っています
すごく真面目です

お客さんのだれよりも早く起きて、だれよりも遅くまで仕事をしています

マムンさんはご飯を勧めるのが好きです
にこにこ笑って勧めるのでつい食べ過ぎてしまいます
新作料理を作ると特に嬉しそうです
「マムンさん、ニュー」と言います
そうなると食べざるを得ません
基本美味しいので問題ないですが、あんまし味の違いがなかったりします


マムンさんは毎食ジュースとコーヒーを入れてくれます
マンゴージュースはいつもコップ半分でいいって言ってるのに、気を抜くとコップ一杯入っています

マムンさんの料理は基本食べきれません
マムンさんはお客さんがいるとたくさん料理を作ります
私とTさんだけのときは3皿でいい、って言っているのですが、若干不満そうです


マムンさんは毎朝「いしゅたで、むしゅき?」と聞きます
Yesterday, Mosquite(昨夜は蚊がいたか?)と言う意味だと気が付くのにしばらくかかりました
「のーむしゅき」というとドヤ顔します
「わんむしゅき」というと、部屋に駆け込んで殺虫剤を振りまきます
いや、もう遅いんだって


マムンさんは新作料理を作るのに意欲的です
今日も野菜炒めにミソを入れてみました
ニンニク臭が強くて違いが判りませんでした

マムンさんは洗濯もしてくれます
時々間違って自分のシャツが入っています


マムンさんはお酒を勧めるのも好きです
オフィスから帰ると「びあ?」
テレビを見ていると「びあ?」
食前に「びあ?」
食後に「びあ?」
へやに入ってきて「びあ?」
寝る前に「びあ?」
いや、食後は「ウィスキー?」かな


英語は固有名詞とノー、ワン、メニー、ビッグ、リトルで会話を成立させます
日本語はちょっと、いっぱい、すこし、おいしい。あと最近「どういたしまして」を覚えたのが嬉しくて使いますが、気を抜くと「どうい、たしゅましゅて」になります

クリケットとインドのコメディが好きで良く見ています
でも、お客さんがくるとチャンネル権を譲ってくれます
日本人の私には何見ても同じなので好きなの見ていいよって言ってるんですけど、それはダメみたいです


凄く親身で親切な人です
もてなしの心っていうのを習得したのか、元からの気質なのか
ロビンソンクルーソーのフライデーってこんな感じなのかもしれません


今日は日曜日でした
体調が良くなかったので朝は一日ブログの更新をしていました

昼ごはんはピザハットとブリオニ
トッピングはタバスコじゃなくて振りかける唐辛子です
暖かいピザは美味しかったです


食後、Tさんと街に出ました
今日の目的はドリップしたコーヒーです
ゲストハウスでもオフィスでも定期的にコーヒーを入れて持ってきてくれるのですが、いつもインスタントです
たまには本物が飲みたいなぁと思ったのです
前に名誉会長が教えてくれた喫茶店に向かいました


街は賑やかです
今日は若い女の子もちらほら見えます
今日、日曜日はこちらでは平日で、学校がある日だかららしいです
実は私たちのいるボナリ地区はガイジン地区であるとともに大学がたくさんあるところらしいのです
私が毎日汚い汚いと言っているこのあたりはどうも日本で言うと六本木風のオシャレなまちらしいんですわ、これがまた


バングラの道はとにかくやかましいです
車がひっきりなしにクラクションを鳴らしているからです
安全運転のために必要不可欠なアイテムなので仕方がありませんが、とにかくうるさい
車が会話しながら走っている感じです
写真でとってもこの喧騒は伝わらないんですよね
むしろステレオマイクで録音しながら街をあるくと臨場感のあるデータになるのかもしれません


さて、目的のお店は休みでした
日曜日は日本での月曜日、休み明けの日で、商店は日曜日を休みにしているところが多いみたいです

どうしてもコーヒーが飲みたかったので、Westinホテルに行くことにしました
金属探知機とX線検査を通して入った別世界、Westin
まず、一階のちょっとしたコーヒーショップを覗きました
お店の人が流暢な英語で話しかけてきたのでコーヒー飲める?ときいたらもちろんですとのこと
Tさんは上階にレストラン風のところがあるらしいと言っているので、それも聞いてみました
べらべらべらっと早口でしゃべられて良くわからなかったのです、5階にもカフェがあるというところだけわかったのでそっちを見てくるね、と言って一旦離れます


エレベータで5階にいくとそこは屋上プールでした
カフェっていうかバーです
ケーキも食べたかったので、ありがとねと言って下に戻りました


冷蔵のショーケースにそこそこの種類のケーキが並んでいます

日本では当たり前のこれが実にありがたい

だって、下界のショップでは作りおいたハンバーガーが文房具みたいに木星のショーケースにならんでいるんだもん、もちろん常温で


ウェイターさんがメニューを持ってきてくれたので、二人ともコーヒーとケーキを頼みました
Tさんはイチゴのムース、私はタルトを頼みました

ケーキもコーヒーもすぐに運ばれました
金属のポットに入れて運ばれたのは、メニュにはエスプレッソと書いてありましたが、ごく普通のアメリカンコーヒーでした
ケーキは日本のそれのざっと2倍くらいの大きさだったと思います
バングラで喰うにはちょっと高いかな、と思っていたんですが巨大なケーキセット2人分で1500タカはまぁお値打ちだったんじゃないでしょうか
本物のコーヒーも嬉しかったですが、程よい甘さの砂糖のケーキがなんともいえず懐かしかったです
毎日Doiではやっぱり、ね


その後街を散策しましたが、どこもお休みしていました
やっぱし日曜日はダメなんですね
いい勉強になりました


帰ってリビングで映画を見ながらブログの更新をしました
暗くなったので壁のスイッチを入れたのですが電気の一部がつかず、おかしいなぁと思っていたら一時間後くらいにぱっとつきました
どうやらいままで停電だったようです
ゲストハウスは非常用の発電機があるので停電してもライフラインは無事なのだと聞いていましたが、こういうことだったんですね
TVが見えているから全然気が付きませんでした
まぁ、TV局が停電になるとダメらしく、一日に何回か全画面が砂の嵐になるのはそのせいだということでした


バングラは停電が多いです
停電しない日はないと言ってもいいです
ただ、今日みたいに長いのは初めてだったと思います
冬は電力消費が少ないのでこれでもマシなほうらしいです
夏はクーラーを使うのでもっとひどいとか…南無三


夕食の前にDoiを勧められました
あと一個だけあるから食ってくれといわれるので仕方なく
もうおなかいっぱいだよ助けてくれマムンさん

こちらはTさんからもらったバスの写真2枚

左は小さいシティバス、右はもう少し長距離用なのかなぁと

どちらも扉はありません

ダメージ具合は写真をご覧ください

扉に居る兄ちゃんは車掌さんていっていいのかな?

街中ではバスに向かって罵声を浴びせたり、走って追いかけたりする様子が日常茶飯事にお目にかかれます

じゃあ町中ダメージカーばかりかというと、たまにぴかぴかの車も走っています

正直、ぴかぴかの車の方が怖いです

私がいつも使っているトヨタカローラもわりとぴかぴかの部類で、怖いですw

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仕事でいろいろあってダメージ食っています
なんか疲れました


朝ご飯食べて、ブログ書こうかなと思ったら頭が痛くなって、ベッドに倒れこんだらそのまま昼ごはんまで寝ていました
こっちにきてから毎日朝まで寝られず、夜中に一度起きて何かする生活だったのでつかれがたまっていたのかもしれません


昼飯は近くの和食レストランに行ってみようと相談していたので、Tさんと出かけました
歩いて5分ほど、雑居ビルの中にあります
表に出ている看板がしまってあったので休みかと心配したのですが、営業中でした

日本で言うならちょっと高めの方の居酒屋みたいな凝った装飾のきれいなお店です
店内には日本語で書かれたメニューがたくさん貼られています
コンピュータで印刷したのか、それとも相当達筆な人が絡んでいるのか、筆文字はなかなかきれいです
カウンターの上には日本語”あいうえお…いろは…”が書かれています。これまた達筆です
”冷やし中華はじめました”の張り紙、いや今1月だからw


店内にお客は私たち2人だけ、昼はメイン営業じゃないんですかね
厨房には現地人が3人、カウンターに2人の現地人。どちらも日本語がわかる様子はありません
私がみそラーメン、Tさんが鮭ハラスとごはんセット、それに水を注文しました


コップ2つとペットボトルの水が運ばれました
目の前で封を切ってコップに注がれます
もしコップに注がれた水がでてきたら絶対口にしないので、まぁ合格
正直コップがリスクなんですが、もういいやどうとでもなれ
水の商品名は侍(SAMRAI)ここらへんはもうご愛嬌で


ハラスはもう本当に鮭の脂身。一口もらいましたが、美味しかったのは美味しかったです
ご飯とみそ汁とお漬物がせっとになってます
漬物は塩漬けというより酢漬け、ピクルスに近い味であまり好みではありませんでした


さて、もんだいはみそラーメンですよ奥さん

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茶色く濁ったスープにそぼろ肉、半分に割った煮卵入り、見た目はまぁまぁみそラーメンぽいです
引っ張り上げた面はどストレートの中太麺、色はちょっとくすんだ黄色でまぁ小麦粉は使っている様子
一口食べてみました


うん、違うw


私がこれまでの人生で食べてきたありとあらゆる料理のなかで同じ系統のものを見つけるのが困難です
しいて言うなら香港で食べた麺料理が一番近いかも
小麦粉練って作った麺なんですが、腰が無くてぼそっぼそっとした歯ごたえ
甘みも粘りもなく、厚めのギョーザの皮を捕捉切ったやつを喰ってる感じ
ラーメンの材料を研究して手打ちしているんだろうなぁと想像
そば粉0つなぎ10のそば麺、しかもコネが甘くて腰がないやつ


スープはまた独特
みそを使っているのは使っているみたいなんですが、味のベースは酸味がかったしょうゆ味
みりんが多めのしょうゆベースのスープにみそを混ぜて、混ぜきれなかった感じ
ネギと肉は大量に入っていて、ゲル状になっています
喰えないことはないんですが、すごく残念な味

麺を喰い終わった後、レンゲでスープからねぎ肉をこして食い尽くしました
スープすする度胸はありませんでした

2人で2000タカくらい
まぁネタになったから良しとしておいてやる


その後、爪切りが欲しくて例の秋葉原っぽい商店街にいきました
今日は休日だからかほぼ全店舗が営業中でお客さんもいっぱいいました

目を引いたのはコンピュータショップ
子供、大人、老人、老若男女がこぞってショップのコンピュータに向かってキーボードをたたいています
コンピュータ教室でもなさそう、どうやら公衆パソコンみたいなものらしいです
どういうシステムなのかわかりませんが、コンピュータを貸しているお店です
そんな店がそこかしこにあります


装飾品店らしきところで爪切りを発見、最初に目についたのはシンプルなもので70タカといわれました。爪飛びガードがついたやつの値段を聞いたら250タカということ
それでも十分安いんでこれを買うよといってお金を出しました
値切るほどの額じゃないんですがきっとぼられてるんだろうなぁ、とおもいつつ有り金を出して言ったらうまい具合に全額で240タカでした
別の財布にまだまだあるんですが、おたおたしていたら240でいいよといってくれたので、それで決着
多分、本当はもっと安いんでしょう


その後Tさんの要望でスポーツショップに行ってダンベルを購入
2つセットで2500タカを1個1000タカまで交渉するTさんは結構な侍


ゲストハウスに帰って爪を切っていたらこぞうからSkype着信
みんな元気そうでなにより


会社が気になったので、オフィスに顔を出しました

やる気のある社員が何人か出てコードのブラッシュアップをしていたのでおもいっきり誉めてあげました

まだまだやれるぞ


その後やる気が起きず夕方FFの約束がある時間まで寝ていました
頭が軽く痛い


FFの約束は日本時間の9時から12時、こちらの6時から9時です
6時に夕食は早いので夕食は9時過ぎねとマムンにお願いしていたのですが、お昼がアレだったので軽くおなかが減りました
食事の用意を前倒しにしてもらうにはもう過ぎた時間だったので、非常食チキンラーメンを登場させることにしました

マムン(どうやらこっちの方が発音が正しいようなので)にお湯を頼んで、大きな器を用意してもらいました
ラーメンどんぶりはありませんが、フルーツなどを盛る大きな四角い皿を出してくれました
お湯をかけてしばらく待ち、ほぐれたところでかき混ぜてすすります
うまいわ、まじ美味い、塩味サイコーしょうゆ味サイコー!!


FFはいつも通り遅れて終了がこちらの10時ちょっと前、ぺこぺこしながらマムンの料理を頂きました

中華風のチキンしょうが炒め、ベジタブルボールをビールで流し込みます
ベジタブルボール1個だけにしようと思ったんですが、マムンが悲しそうな顔をするので2個目も喰いました
太る、太ってしまう…