今の自分のことを幸せって言うんだろうな、としみじみ感じたことがあります。

二回目の大学一年生の時、初夏のころ、雨上がり、すっこーんと抜けた青空の休日でした。
下宿の近くのスーパーで買った70円のあんぱんと豆乳を食べながら、一山越えた向こうの駅まで歩いている途中。
暖かくて、軽く吹いている風が心地よくて、なんの不安もプレッシャーもなくて、健康で、ああ、俺、幸せなんだなぁって思ったのを、今でも鮮明に覚えています。
今でもその時の感覚を反芻すると、あの時は幸せだったなぁと思います。

50年生きていればそれなりに楽しかったこと、うれしかったこと、感動したこと、満足したことはあります。
でも、幸せという感じではあの晴れた休日を超えたことはないように思います。

実はそんなにのほほんとしたはなしではありません。
何故その時自分が幸せだと思ったのか、それなりの理由があります。
私は大学で一年生を二回やっています。
必修科目の数学が取れなかったのです。
それまで多少の波はあったものの学業で引け目を感じるようなことはなく、挫折をしらない若造でした。
生まれて初めて公式に自分を否定されて、張りつめていた気持ちが切れました。
俺、もうトップとらなくてもいいや、あとは合格点取って落第しないようにしよう、とようやく気持ちが切り替わったころでした。
時代はバブル景気の真っただ中で、なにしたって食っていくには困らないだろうとみんなやみくもに信じていた時代でした。
それでも自分の中で作り上げていた誰にも負けない連戦連勝の人生は終了していました。
その時感じた幸せは、登り切ってもうこれ以上の幸せはないだろうなという達観したものだったように思います。

そこからこれという成功もなく、物書きになるんだと言って就職しなかったのはいいものの自分に才能がないのはうすうす気が付いていました。
結婚して、彼女を食わせるんだというのを言い訳に創作から遠ざかって、そんなつまらない男にいつまでも人がついてくるわけもなく、バブルがはじけて中途半端なフリーランスが食える時代ではなくなりました。
仕事もせず、彼女にあたってごろごろ生きていたころが人生最底辺だったでしょう。
自分に何の才能もないのは、言葉にしないけどはっきりわかっていて、老後はおろか10年後の自分でさえ想像ができませんでした。

曲がりなりにも家族をぎりぎり養って、そこそこ立派な家をぎりぎり手放さずに持ちこたえている。
十人並みでも人様の役に立つ仕事ができていて、平均位の給料は多分もらえてる。
あのどん底だったころの私から思えば出来過ぎな人生だと言えるでしょう。

最初に結婚した彼女は、本当にやさしくていい子だったけれども、私の世界の中でしか生きていないひとでした。
正確にいうと、私の小さな世界から私を引っ張り出すような力のない人でした。
彼女と別れなければ、私は今でも自分の中の小さな世界に生きていたでしょう。
小さな幸せの中でそれと感じることもなく小さく満足して、小さく死んでいったでしょう。
小さな人生で失敗したとしても、それは小さな挫折を伴った小さな不幸でしかなかったと思います。

ひめは軽々と私の器を越えていく人で、私の器などお構いなしに広い世界に私を放り出しました。
それでもひめにとって私は小さい人間なんでしょうが、私にとっては息がとまるほどの広い世界を次から次に思い知らされます。
なんでそんなに苦しい思いをしてまで世界と向き合わなければならないのか、正直理解に苦しみます。
だけれども、世界を見てしまったからにはもう一度自分の殻の中には戻れません。
どっちへ行っても自分が惨めになるだけだから。
私はただあの暖かい日差しの一日が続けばいいだけなのに、どうしてこんな苦しい日々を送らなければならないのか、正直わかりません。
わからないんですよ、本当に。

こんな情けない文章いつまでも書いてていいのか私は?
映画のワンシーンに胸を掴まれました。
往年の名画とかハリウッドの話題作なら絵になる話なのでしょうが、スーパーヒーロー大戦GP、仮面ライダー3号。

「勝ち負けなんて関係ない。大事なのは今、何をやるかだ!」

50過ぎたおっさんが、子供向けヒーローの言葉にわが意を得たりと心躍らせるのは滑稽でしょうか。
40半ばからの転職活動人生で、結論として自分がもう転職市場で価値の付く年齢を超えていることを知りました。
それですなわち、自分の人生もまた総括をしなければならないフェーズにいると思い込んでいる時期がありました。
でも、それは転職市場という、人間社会の中のほんの一部の価値観なんじゃないかと、やっと最近思えるようになってきました。

人生ってどこからが後半戦なんでしょうか。
夢、ってことばは好きじゃないんです。夢っていうのは、遠く感じたこと、諦めたことに付ける名前だから。
だから、夢を語るのはもう少し先送りにするつもりです。

あー、ところで先のセリフを受けて悪役が言ったセリフがあります。

「それは負け犬のいうことだ。」

あー、いや、ごもっとも。
ちゃんと人生予定通りに踏んできた大人は、こっちに共感しなきゃいけないんだろうなぁ。
等価交換の法則が発動したと見るべきなんでしょうね
グリーンジャンボ当たってました
一等じゃないから人生バラ色!!てわけにはいかないけど、現状を一時脱出することはできそうです

とりあえず、目の前の借金を返済して、住宅ローンの終わりかけている方を払いきったら月々の支払いが楽になるので、今の仕事でもなんとか食っていけそうです
もしかしたら旅行に行くくらいは残るかもしれない
明日は銀行に寄って、外食するかな
ああ、本当に久しぶりに気持ちが落ち着きました
パソコンのクラッシュさえなければウルトラハッピーなんだけど…きっとこれが等価交換の法則

なんて夢を見た、今日は4月1日
ちなみにPC壊れたのは本当


パソコン壊れました
こぞうがパソコン横に置きっぱなしにした飲みかけの水が入ったコップを暖炉がしっぽで叩いて、ノートPCのど真ん中に着地したのです
見事な家族の連携プレイ、誰に怒りをぶつけることもできません
慌てて電源抜いて、ひっくり返して乾かしたのですが、一日経って電源いれてみたところ、機動ランプが付いたきりウンともスンとも言いません
これもうほんとにしゃれにならない

泣きっ面にはちってこういうことを言うんでしょうね
これは流石に人生詰んだ、と思いました
呆然として、誰か慰めてくれないかなぁとひとしきりすねてみましたが、誰も相手にしてくれないので冷静になりました

パスワード系メモしたファイルが沈んだのは痛いですが、まぁいつかはなくなるもんだししょうがない
よくよく考えるとメールは全部サーバサイドだし、開発中のコードはGitHubに置いてあるし、電子署名はバックアップがあるし、なんとかならないこともない
いま、ひめのパソコンを借りて開発環境を再構築しているところです

たまにはコーディングしない夜があってもいいや

もしかしたら私は人生で一番、勝負するのにいい時期にいるのかもしれない。


スキー場で子供たちについていけなくなってリタイアして、休憩所で休んでいたら面白い電波を受信した。
宝くじ買うより少しはマシな勝負ができるかもしれない、と思った。
ヒントはスマート・ウオッチ


毎日定時に帰れる、大して忙しくもない仕事をして、生きていけないこともない給料を頂いて、家に帰れば好きなことをする時間がある。
清貧に満足することなく絶えずモチベーションを掻き立ててくれる家族が居る。


50という歳を言い訳にしていたのも、よく考えたら大間違い。
責任もなく、世間に甘やかされていて、元気があって頭の回転も早い若いころにやっとけばもっと楽だったのかな?
やりたいことはやり尽くして後悔することもなく、世間に期待されず、肩の力が抜けて落ち着いてきた今よりはるかに有利だとは言えないんじゃないかな?
残された時間は短いけれど、それは失敗しても負け逃げが簡単ってこと。失敗したら残りの人生どうしようという恐怖は若いころの方がはるかに大きいはず。
20代で気が付いて、成功しようと思ってたらきっと30代で失敗することが怖くてやっぱり何もできなかったと思う。自分はそうだった。
残り長い人生を負け犬で過ごす恐怖に負けていた。


漫画描きになるって言って、就職しなかったのはいいが、大したこともせずコンビニのバイトで食いつないでいた20代のあの頃。離婚してもまだ自分と社会の立ち位置がわからず、死にかけた猫の世話だけしていた30代のあの頃。会社をリストラされて、次の会社なんてすぐに見つかっちゃうんだから保険が出ている間は仕事したら負けだよねって思っていた40代。

膨大に浪費してきた時間を有効に使っていれば今の俺がバラ色の人生を送っていたのかと言うと、多分それは大間違い。
20代には20代、30代には30代、40代には40代の、なにもできなかった理由があった。
夢ばかりでかくて、一筆書き繋がるそこに至るまでの道筋が見つからず壮大に空回りしていた20代。
未来の俺が「40代になったら英語使える奴が勝つぞ、やっとけ」って言ったって理解できる基礎が全くない。
C書くのがつまらなくて、C++覚えるの面倒くさくて、プログラムなんてやってられるかと思っていた30代の俺に「Androidでお前のやりたかったこと大体できるぞ、今のうちにJava押さえとけ」って言われても、聞く耳持つはずがないし。
会社員なんだから次は上のランクに転職しないと負け組とか信じて疑わない40代の俺に「お前の賞味期限切れてるから無理だよ」って言ったところで信じる理由がどこにもない。
全部やって、気が付くのにこれだけの時間と経験が必要だったんだからそれはしょうがないんだと思う。

色々ぶつかって、迷惑かけて、恥かいて、それでやっと50超えたところで、社会は人と人の信頼関係で回ってるんだとか、俺が正しいから俺に従えって言って従う奴なんていとか、尊敬されたいと思ってる間は尊敬なんてされないんだとか、そういう当たり前のことにようやく気が付いた。

10代で気が付いたやつは10代から伸びるんだろうね、俺50になって気が付いたからやっとこれからなんだよ。

それでついこの前まで、10代、せめて20代で気が付入れてばよかったって後悔してた。
正確には後悔しなきゃいけないんだろうなぁって思ってた。
実はどうしても後悔の感情が沸かなくて、そっちのほうで困ってた。
でも、20代で気付いてたら完全に勝ち組かっていうとそうでもない気がする。


会社の社長、会長と飲んで絡んだけど、全く勝てなかった。
私が100円200円ケチって生きているのに10億100億の稼ぎの話を真剣にできる。
正直下品だなぁと思ったが、それでも10歳違わない人間が桁の違う話をするのは、歩んできた人生の違いなんだなぁと感じざるを得ない。
前の会社で本社から30そこそこのエグゼクティブが来て偉そうにしゃべってた時にはこいつら馬鹿じゃねぇかと思って嘲笑していたけれど、今、まっとうに社会の歯車の中で金を動かしてる人たちはすげえリアルだ。

私は本当に社会の尺度で測られるのが嫌で逃げ回っていたけれど、社会と向き合って価値を高めることに執着していた人たちの努力は、50になってはっきり違う。素直に尊敬できる。
その尺度は金になる。その構造もやっと理解できた。
同じ夜中にヘルメットかぶって棒切れ振り回しているのに野球選手と道路工事のおっさんの収入に雲泥の差があるのか。むしろ道路作ってる分工事の方が価値があるんじゃね?と思っていた私。
結局のところ、金っていうのは社会という枠組みの中でどれだけ人の心を動かしたかを示す尺度なんだね。
どんだけ役に立ったかは別の尺度で測られるかもしれないけれども、お金じゃないんだってこと。
なにが言いたいかって言うと、金なんてやっぱりつまらない、私にとってどうでもいい話。
だから金が無いって文句を言うのはまったく筋違い。
だからっていって、何もしないで死んでいくのはこれもまた筋違い。
生きている限り何かしていこう、って思ったって話。

10億100億稼ごうって言う人と同じレベルで金の話する気はないけれど、10億100億稼ごうって人の目をまっすぐ見て同じレベルのことを語れる人間にはなりたいって強く思った。


自殺するまで思いつめられたらどこぞの文豪のように歴史に名前を残すような偉業が残せるのかもしれないけれど、悩みが続かない私は思いつめる才能もないんだなぁと思った。

確定申告の準備をしていたら久しぶりに気持ちが落ち込んできました。


ダウン系の話を書いてみようと始めたはいいものの、ひとくさり書いてしまったら溜飲が下がってしまい、続きを書くモチベーションが上がらなくなっていました。
PCアプリを自作したり、趣味のゲームのことで相談を受けて世話役みたいなことをしていると、生活のことをすっかり忘れてしまうのです。
真剣に悩めるのも才能のひとつなのだとしみじみ思います。
”意志”とは悩みつづけることを言うのだと思います。
”決意”とは悩みを認めることなのだと思います。
結果を出せるのはきっと悩み続けられる人です。
私にはそんな才能もないんだなぁと落ち込むものの、落ち込み続けることさえままなりません。


最初は24時間くらいで作れるだろうと思っていたPCアプリでしたが、UIに凝りだしたらC#の深淵に触ってしまい、気が付いたら2か月ほどかかってしまいました。
それっぽいものができたので、公開しようと思い、Vectorに登録の手続きをしたのですが、同名の人がもうアカウントを持っていると言ってはじかれました。
知ってます、それは私です。
もう10年も前にWindows95用のアプリを作ってアップしたまま放置していました。
パスワードはおろかアカウントさえ紛失していたので面倒くさいやりとりをしてアカウントが復帰するまでひと月かかってしまいましたが、アップすることができました。

昔アップしたアプリはいつの間にか2本合わせて40万回ほどダウンロードされていたのは軽く笑いました。
今ではもっと高度なフリーウェアが山ほど出ていますから競合などできませんが、当時は今ほどアプリ製作者はいませんでしたし、わりと隙間をついたいいアプリだったようです。
そういえば雑誌やまとめサイトに登録したい旨の連絡は何件か受けましたから、そこらへんが利いたんでしょうね。
当時はそれが当たり前なんだと思っていました。
これもまた一つの、私が拾い落したチャンスだったんでしょうか。


現状は何一つ改善していません。
こぞうの通う市立の学校は馬鹿高い月謝に加えてやれ合宿だやれTOEFLだと面白い企画を次々立てて来るので、月の出費は6ケタに迫ります。
緊縮財政にシフトしたとたん洗濯機が壊れて、車が車検になって、暖炉が会陰ヘルニアとかいう病気で一週間入院する手術を受けて、結局いつも以上の出費が重なっています。


そして、ひめとこぞうは北海道のスキーリゾートホテルでバカンス中です。
そして、ひめとこぞうは北海道のスキーリゾートホテルでバカンス中です。

大事なことなので2回言いました。


去年は正月に里帰りして、春に里帰りして、夏に里帰りしたあたりでさすがに納得してくれるかとおもったらすぐに青木湖に一泊旅行。
これで終わりかなと思ったら年末に里帰りからのスキーリゾート。
年明けに、カード使うのはやめてくださいとお願いしたので、さすがに今回は飛行機や空港の外食をカードで払うことはしないだろうと信じていますが、自分のバイトで稼いだ金を使う分には止められません。というか豪勢な旅行とはいえたかだか数十万。現状解決するには一桁足りないので、目くじら立てることもないかと。

現状説明できることは説明しきったつもりなので流石にこれで理解してくれたと思いたいのですが、これでまた春に旅行とか言い出したら正直もう打つ手がありません。
こぞうは中学生になっても基本馬鹿なので、ママはお金持ち、おやじは貧乏人だと思っているようです。
ママはお金持ちなんじゃなくてお金持ちのお金のお金の使い方ができるだけなんだよ。


きっと某所から忠告が来ると思うので、事前に言っておきます。
まずは収入に見合ったライフスタイルを作るのが最初の一歩。
はい、わかってます。当たり前です。
でも、それはできません。私は彼女をコントロールする気がありませんから。
だから私のせいなんです。
私が今不安に思っているのは、私が破たんした時に彼女がちゃんと迷惑が掛からないところまで逃げられるかどうかだけです。


さて、確定申告の為に収支の数字を集めて、改めて現状の悪さに気持ちが悪くなりました。
収入は半減したと思っていたのですが、実は最盛期の1/3でした。
前職と比べても半分。
これで同じような暮らしをしていたら生きていけるわけないですね。
今の会社で働き続けるのは、ゆっくり自殺するのと同じです。
私なんでこの会社で働いてるんだっけ、と、改めて首をかしげたくなりました。
いいえ、理由はわかってます。他に誰も雇ってくれなかったからです。

目前の金を勘定するなら前の会社にいた方がはるかにマシだったことになります。

事実、歩合給にするぞと脅された時にこれはチャンスだと思えば、頑張って収入を上げることだってできたはずでした。
会社の根幹が不安定だから、気にくわない奴がいるからと言い訳を付けていましたが、実際は自分の働きが金に換算されることが怖かったからなんだと今では思っています。
可能性を時間いくらで削り取られているだけの今の会社で心安らかに仕事をしていられるのは、売り上げが立たない仕事を黙々とさせてくれているからです。
利益にならないことしかしていませんから、給料上げてくれなんて言ったら笑われます。
それでも、結果を出さないと給料が出ない会社より、結果が0でも給料をくれる会社の方が、自分にとっては得に思えています。


結論、私は資本主義社会の不適合者です。

今日、19:06代々木上原発の急行をモノ挟みで停めて3分遅らせたのは私です。

ジャンバーのポケットに入っていたメガネは真ん中からひん曲がりました。


勿論、宝くじは当たりませんでした。

もう暴れても仕方ないので淡々とお金が無くなりました、とひめに報告しました。

いい意味でも悪い意味でも慌てない人なので、淡々と受け入れたように見えますが、どう理解したのかは正直わかりません。

年末年始のあいさつにかこつけて仕事をくれそうな人に連絡をしてみたり、海外の転職サイトに登録してみたりしていますが、ドリームジャンボより可能性があるとは思えません。

それでもまだ真剣に生き死にを考えるほど追いつめられていないのは、いままでなんとなく危機を切り抜けてきているからだと思います。


学生の頃はそれはそれは貧乏でしたが、親元に逃げ込もうと思えば逃げ込める位置に住んでいましたから危機感を感じたことはありませんでした。

人生で一番最初に金銭的に危機になったのは最初の妻に逃げられた時でした。

彼女の名誉のために言っておきますが、お金が無くなったから逃げたわけではありません。

お金がなくなって私に心のゆとりがなくなって、彼女に当たってしまったので逃げたのです。


バブルがはじけて、食わしてもらってた会社から仕事が来なくなって、パチンコ依存症になりました。

うちを出ていく彼女の引っ越し荷物をレンタカーで運んで、帰ってきた時に燃料を満タンにするお金がなかったのを覚えています。

本とバイクを売って、保険を解約して食いつないでいるうちに運よく友人からゲーム制作の仕事の声がかかり、気がついたら曲がりなりにも人を雇って仕事をするようになっていました。

何年かやった後、販売元と喧嘩別れしてまた仕事がなくなりました。

飼っていた猫が死にかけていたので看病にかこつけて仕事を探すこともなく、オーム真理教が逮捕されるあたりから阪神大震災が起こるあたりまでずーっとワイドショーを見て過ごしていました。

3月1日に猫が死にました次の日に弔ったその足でサラ金にいってお金を借りました。

その次の日、面接に行き、清掃のバイトを始めました。

清掃のバイトをしている間、サラ金に借りたお金で食いつないでいました。

月末には上限いっぱいまで借り切ってしまって、バイト料を全額返済に突っ込んで、次の月まで少しづつ借りながら生き延びる生活でした。

今思えばこの時は人生の最底辺でした。

漫画でも芝居でも絶対自分が勝てない人たちを見てしまったので、これ以上戦う気になれず、プログラマとしては使い物にならないスキルしか持ってないことがわかっていましたし、なにより興味を失っていました。念願だったゲーム制作でも限界を見てしまって、これ以上将来に何かできる気もせず、さすがにもう人生だめかなぁと思っていました。

学生のころから兎に角物書きになりたくて、でも自分が成功した姿が想像できず、多分野垂れ死ぬんだろうなと漠然と思っていた、その未来がやってきた感じでした。


なんでだか遠い知り合いの紹介で会社務めをすることになっていたのもきっと自分にまだ運があったからでしょう。

今考えるとなぜあの会社が自分を雇う気になったのか不思議です。

たまたまおかしなものが好きな、不思議な人が面接をしてくれて、それをまた変人に紹介してくれて、それでなぜか契約してくれたのです。

本当に細い細い一本の糸がつながった奇跡でした。

それが奇跡だったんだなぁと気が付いたのは、ごく最近でした。


なぜかプログラムのエキスパートという触れ込みになっていて、調子に乗りやすい自分はその気になってしまって、嘘を嘘で塗り固めている間になんとなく力が付いてきてしまった、というのが真相です。

フリーでいろいろやってきたから会社勤めのエンジニアなんかより経験値が高いんだよ、とうそぶいていましたが、大学卒業してからずっと一つの仕事に専念していた人に、だらだらごろごろその日暮らしをしていた私が勝てるわけないんです。


気が付いたらサラ金の借金は完済、人生二度目の危機からもなんとなく脱出していました。

結婚して、子供ができて、契約だった会社に正社員で入社して、このまま何事もなく社会人として死ぬまで安泰だと思い込んでいました。

社会は不景気でしたが、忙しいなりに収入がある自分は勝ち組だと思い込んでいました。

馬鹿でした。


会社員になったら収入が減りましたが、生活は変えられなかったのでじりじりお金が無くなって行きました。

このままだとまたサラ金だなーと思っていたら会社が売られてなんでか退職金が支払われました。

それを使い切ってやっぱりサラ金だなーと思っていたらまた会社の名前が変わって退職金が支払われました。

たった5年の会社員生活で3回退職金をもらいました。

3回とも直前には預金が底をついていました。


3回目は会社を辞めさせられたので結構まとまった金額の退職金をもらいました。

折角だから失業保険を満額もらって見ようかなんて思っていたら、本当に満額もらいきって、もらえなくなっても職が見つかりませんでした。

退職金も一年でものの見事に使い切りました。

節約したら負けだから、というのがひめの理屈でしたが、失業中に8桁使い切ったのはさすがです。


銀行口座がマイナスになるかならないかの瀬戸際あたりである会社に拾われました。

最初は月10日勤務のバイトでした。

2か月くらいでお客さんに気に入られて事実上常勤になりましたが、収入はぎりぎり現状を維持するくらいでした。

毎月銀行預金がマイナスになり、月末になると収入を全額突っ込んでプラスに頭が出て、徐々にマイナスに行っての繰り返し。


この会社はバイトのつもりだったので、正社員の口は別に探していました。

一つ、そこそこの金額で正社員にしてくれるという内定をもらったのですが、ちょっと胡散臭かったので今の会社と天秤にかけてみました。

その会社が正社員で雇ってくれると約束してくれたので、内定をもらった会社は断りました。

多分これは間違いでした。

今どんなに探しても、この会社が出してくれた条件なんて絶対に出てきませんから。


その会社には結局2年勤めましたが、固定給にするという約束も、正社員にするという約束もいつの間にか消えていて、歩合制にするから基本給0にすると脅されて、この会社ダメだなぁと気が付いて、まともな会社を探し始めました。


今の会社は最初の会社の同僚から呼ばれた会社です。

自分の専門とはかなり毛色が違う会社です。

正直この会社で自分になんの仕事ができるのかわかりませんでした。

それでもまともに商売している日本の会社なので、藁をもつかむ気持ちで入社しました。


給料は最初の会社の半分になりました。

前の会社よりも手取りは少ないです。

それでも給料日の関係でちょっとしたボーナスくらいの金額が手元に残りました。

こぞうが私立の中学校に入り、入学金やらなんやらで出費がかさんでだめかなぁと思っていたのが救われました。


普通の日本の会社はとても居心地がいいです。

自分が必死に働かなくても明日会社がつぶれるような危機感に煽られることはありません。

毎日定時に会社に行って、席に座って与えられている仕事をこなしていれば、少ないとはいえ決まった金額を決まった日にちに振り込んでくれます。


今、お金がない以外はとても安定した、安らかな生活ができています。

今でも気持ちはこの会社に籍を置いている間は死なないと思い込んでいます。

冷静に、客観的に計算すると破産するんだと、理性ではわかっていても、体が付いて行かない感じなのです。

サラリーマンの子供なので、会社に入っていれば生活に困ることはないと信じているからなのかもしれません。

何度も何度も危機を救われてきたから、今度も何とかなるような気がしているからのような気がしています。


でも、もう救われるネタがありません。

宝くじくらいしかないんです。

今年も終わろうとしていますね


1月はまだオフショアの会社で働いてました

2月から今の会社に転職して、なんとなく一年たってしまいました


最初は半年くらいで会社乗っ取ってやるくらいの勢いだったのですが、いまだにメインストリームに乗っかれずに日々のたのたと大してありがたがられるわけでもない雑用をしている毎日です

最初からわかっていることではあったのですが、それにしても50になってから異業種への転職は無理がありました

大学進学するとき、文系コースから理系大学に入って、応用数学まったくついていけずに留年した時よりはるかにアウェー感があります


ダメな話で書き始めたように収入減、支出変わらずで結果大赤字な一年でしたが、こんな状態では会社に賃上げ要求する足がかりもなく、どうしたものかと思考停止している状態です


とはいえ、早期退職後の世間からいらないもの扱いされてる疎外感、オフショア開発の俺が倒れたらこの会社死ぬ感の後、普通の日本の会社、俺一人役に立ってなくても勝手に給料振り込まれる安心感は実際のところ心地よいです

心に余裕ができたので、今年はいくつか作品を作ることもできました

PhoneManaer、MannerTimer、くりくり、BSMatchMakerと外に出せるアプリを作って、久しぶりに打ち込み曲も作りました

来年はくりくりの応用でちょっと遊べるゲームを作ろうと思ってます

次の10年を見越して、魅せるプログラミング活動をやっていこうと思っているのはなかなか難しくて停滞気味ですが、来年もまだ続けていくつもりです


自分自身の中でお金と幸せが結びついてないので、お金がないことは困ったことだけど不幸じゃない感じです

自分自身が生きていくのに必要なお金、ひもじくない程度に食って、布団で寝起きできる場所と毎日履き替えられる下着を持っているくらいのお金は持っているので、困ってないんです

お金を欲しがっている家族に十分なお金をあげられないのは苦痛です

お金のことなんて本来考えたくないので、欲しいって言うだけ与えたいのに、与えられなくて言い訳しなきゃならないのは苦痛です

でも、それは所詮間接的な苦痛なんで、自分には痛くないんです


なんでお金ほしいの?

夢も希望も成功も尊敬も、お金では買えないじゃない

夢の代用品とか希望の代用品とか成功の代用品とか尊敬の代用品とか、お金で買えるのって代用品だけじゃない

あるお金は全部あげる、だって僕には価値がないから

でもないお金まで持っていかないで

…ああ、違うな。ないっていうのがイヤだから勝手に私が借金つくってるだけだったw

イヤだけど、もう無理だから来年になったらもう無理、ないよって言おう

それでどうにかなるようならしょうがないや

お金で守れたり壊れたりするような幸せは、所詮代用品だから、こわれてもいいや


あー、ゆるく書こうと思ったのにまたダメな話になってる


作詞、作曲 こぞう

編曲 おやじ


風を切り大地を走る(だらっだー)

闇を抜け海を走る(だらっだー)

OH!最強のSpencoman

今ここに現るZe!


Fack You、Fack You、Spencoman

ぼくらの みんなの味方

Fack You、Fack You、Spencoman

ちびっこの味方 Shit Ass Hole!(だらったったったー)



…Spencomanはスパイダーマンの子供らしいです

芸術的に頭悪いでしょ?




クリスマスの朝、ツリーの根元に山盛りのプレゼントを用意するのが我が家のルールです。
別に大したものを送るわけではありません。量が重要なのです。
夏が過ぎたころから緊急性のない日用品を買いためておきます。歯ブラシとか靴下とか。
こぞうはまだサンタの存在を信じているふりをしてくれてます。さすがにもう中学生だしアレだとは思いますが、それでも声に出して「サンタなどいない」とは言いません。
なので親からバラすこともできないので、プレゼントは秘密の場所に保管しています。


本当にお金がなくて困っている私はというと、クリスマスプレゼントという免罪符にかこつけてずっと我慢していたものを買う日となっています。
兎に角どうしても必要なのが度付きの老眼鏡、普段のめがねでは近くが見えず、かといって老眼鏡をかけても乱視の補正ができてないのでしんどくて、ここ半年はノートパソコンの文字さえ見えなくなっています。
苦肉の策でメガネをはずすという本末転倒、商売あがったりなのです。


土曜日に量販店に行ったら、2本買うとおまけがつくという看板があって躊躇しました。
数日前、こぞうがメガネをなくしたので、ついでに作ってやればちょっとお得だろうと思ったのです。

朝一番に町田の駐車場に入れました。
店舗のあるビルからは遠いんですが、サービスがある駐車場がここしかないので。メガネ買えば2時間無料になるはず。


お店に行って、まず私の視力を測定します。
近くが見えないんです、と言ったらちょこちょこっとレンズをいじってくれました。おお、これは良く見える。
これ老眼鏡なんですか?と聞いたらはい老眼鏡ですと言われました。
遠くは逆に全く見えません。これからは2本使いです。


さて、2本目はこぞうのメガネです。
家にあった保証書を見せたら、これと同じものを用意しますか?と聞かれました。
ひめが選んだものだから絶対お高いんだよな、でも変なもの選んだら怒られるからなーと思いつつ気が付いたらいいですって生返事してました。
少なくとも+4000円のプルーライト対応はこぞうのメガネにはいらんだろ、と言えませんでした。
ただ、高いの買ってもまたなくすんですよねーって独り言っぽく言ってみて、お店の人が相槌うってくれたら切り出そうと思ってましたが、相手も商売ですからそういうのはスルーしますね

自分のめがねは明らかにパソコン仕事用なんですがブルーライト対応にしたかったんですが、こぞうからとって私のに付けてくださいってネグレクトしてるっぽくて言えませんでした。

結局、私のめがねはプルーライト対応なし。

フレームを値段で探して、一番安い特売のフレームを見つけて会計お願いしたら、これは特売だから2本目の割引できませんけどいいですか?って言われます。あーそういうことですか。でも、やり直す度胸もありませんのでそのままずるずると会計。
レジに出てる値段見て、2本でこの値段ならまぁ仕方ないか、とおもったらこぞうの分だけでした。半分以下だけど私のめがねの値段が足されてお会計。
お店のカード作りますか?って聞かれてお断りしました。年会費無料でもこれ以上クレジットカード持ちたくないので。


こぞうのめがねができるまで30分くらい時間がかかるそうで、それまでめがねの代金でもらったくじ引きをしにいきます。
最上階のくじ引き場所までエレベータで上がってる間に、ここのカード持ってるとちょっとべんりだったかなって思い始めました。
ひめはもってるんですよね。10%割引もらえるところが結構あるので時々借りてます。
ああ、あのときつくっとけば2000円の商品券とくじ引き5枚余計にもらえるんだった、と後悔してたらくじ引きのところで再度カード作りませんかってプッシュされるという商売上手。
時間もあるので作りますって言っちゃいました。


エレベータで下まで降りて、カード作成コーナーに連れ込まれます。
住所氏名とかたくさん書かされて、20分くらいかかってカードが手元に来ます。
日本の会社員って本当に身分が保証されてますね、私うん100万カードローン抱えてるんだけど、こんなに簡単にクレジットカードつくらせちゃっていいの?

カード作ったので2000円の商品券とくじ引きの券を10枚余計にもらいました。
こぞうのめがねを引き取って、10階に戻ってくじ引き15回やってうまい棒15本もらって帰りました。


あれ、この商品券メガネに使えたのかな…
もし、使えたとしたら2000円+割引品買わずに2本割引もらう+こぞうのめがねからブルーライト対応引く、で8000円とか損してますね、私。


外国にいくと買い物をするのにテクニックが必要だなぁと感じることが多々あります。
アジア圏とかとくに、基本正札なんてないですからそのものの値段と質を値踏みできないととんでもない買い物をさせられます。ていうか海外ではそんな買い物しかできてません。
日本は何でも定価で買える面倒の無い国だと思っていたんですが、ところがどうして意識をしてみると、お金をつかうのにもいろんなテクニックがあるんですね。
正直面倒くさいです。そんなことに気を使うくらいなら金払う方すぐにその品物くれ、ってずっと思ってました。
そんな考え方だからお金がたまらないんですね、なるほどね、って話でした。