今の自分のことを幸せって言うんだろうな、としみじみ感じたことがあります。

二回目の大学一年生の時、初夏のころ、雨上がり、すっこーんと抜けた青空の休日でした。
下宿の近くのスーパーで買った70円のあんぱんと豆乳を食べながら、一山越えた向こうの駅まで歩いている途中。
暖かくて、軽く吹いている風が心地よくて、なんの不安もプレッシャーもなくて、健康で、ああ、俺、幸せなんだなぁって思ったのを、今でも鮮明に覚えています。
今でもその時の感覚を反芻すると、あの時は幸せだったなぁと思います。

50年生きていればそれなりに楽しかったこと、うれしかったこと、感動したこと、満足したことはあります。
でも、幸せという感じではあの晴れた休日を超えたことはないように思います。

実はそんなにのほほんとしたはなしではありません。
何故その時自分が幸せだと思ったのか、それなりの理由があります。
私は大学で一年生を二回やっています。
必修科目の数学が取れなかったのです。
それまで多少の波はあったものの学業で引け目を感じるようなことはなく、挫折をしらない若造でした。
生まれて初めて公式に自分を否定されて、張りつめていた気持ちが切れました。
俺、もうトップとらなくてもいいや、あとは合格点取って落第しないようにしよう、とようやく気持ちが切り替わったころでした。
時代はバブル景気の真っただ中で、なにしたって食っていくには困らないだろうとみんなやみくもに信じていた時代でした。
それでも自分の中で作り上げていた誰にも負けない連戦連勝の人生は終了していました。
その時感じた幸せは、登り切ってもうこれ以上の幸せはないだろうなという達観したものだったように思います。

そこからこれという成功もなく、物書きになるんだと言って就職しなかったのはいいものの自分に才能がないのはうすうす気が付いていました。
結婚して、彼女を食わせるんだというのを言い訳に創作から遠ざかって、そんなつまらない男にいつまでも人がついてくるわけもなく、バブルがはじけて中途半端なフリーランスが食える時代ではなくなりました。
仕事もせず、彼女にあたってごろごろ生きていたころが人生最底辺だったでしょう。
自分に何の才能もないのは、言葉にしないけどはっきりわかっていて、老後はおろか10年後の自分でさえ想像ができませんでした。

曲がりなりにも家族をぎりぎり養って、そこそこ立派な家をぎりぎり手放さずに持ちこたえている。
十人並みでも人様の役に立つ仕事ができていて、平均位の給料は多分もらえてる。
あのどん底だったころの私から思えば出来過ぎな人生だと言えるでしょう。

最初に結婚した彼女は、本当にやさしくていい子だったけれども、私の世界の中でしか生きていないひとでした。
正確にいうと、私の小さな世界から私を引っ張り出すような力のない人でした。
彼女と別れなければ、私は今でも自分の中の小さな世界に生きていたでしょう。
小さな幸せの中でそれと感じることもなく小さく満足して、小さく死んでいったでしょう。
小さな人生で失敗したとしても、それは小さな挫折を伴った小さな不幸でしかなかったと思います。

ひめは軽々と私の器を越えていく人で、私の器などお構いなしに広い世界に私を放り出しました。
それでもひめにとって私は小さい人間なんでしょうが、私にとっては息がとまるほどの広い世界を次から次に思い知らされます。
なんでそんなに苦しい思いをしてまで世界と向き合わなければならないのか、正直理解に苦しみます。
だけれども、世界を見てしまったからにはもう一度自分の殻の中には戻れません。
どっちへ行っても自分が惨めになるだけだから。
私はただあの暖かい日差しの一日が続けばいいだけなのに、どうしてこんな苦しい日々を送らなければならないのか、正直わかりません。
わからないんですよ、本当に。

こんな情けない文章いつまでも書いてていいのか私は?