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鴨ネギじゃないよ

何年も前のコトだけど、、、中御座神輿の屋根の鳳凰を見て

「何でネギを咥えてるの?」って言った人がいたの。

まぁ~ね、、、そう見えなくもないけど、、、

ネギではなく稲です。

丹波にある八坂神社の 神饌田(シンセンデン)で育てられた稲で 根ごと引き抜かれています。

煎じて飲めば熱ざましに効くと言われています。

刈られた若い稲は八坂神社でお祓いを受け 神輿の鳳凰の嘴に咥えられます。

東御座神輿は擬宝珠(ギボシ) に括り付けられます。

その稲を26年ぶりに頂きました。

 

まだ7月で穂が成っていないのでネギに見えますね。

実は24日の稲に立派な穂が成っていた時もありました。

その年は早生だったのかしら。 

  

ついでに、、、

中御座神輿の担ぎ手さんの法被は白に藍の鱗(ウロコ)紋。

かつては 頭(かしら)の法被は赤の鱗紋と左三つ巴だったが

26年前より廃止され 現在は全て藍の鱗紋を着用。

 

さて 7月1日から始まった祇園祭も 7月31日 夏越祭をもって終わります。

八坂神社 西桜門を入って正面にある《疫神社》で行われる祇園祭最後の神事です。

疫病退散祈願の神事が成された御礼と 無病息災を願って大きな茅の輪(チノワ)をくぐります。

 

Ps.

神輿の担ぎ手さんのハチマキの手ぬぐいを使って 小さな小さな法被を作っていたのを思い出しました。

  

      

 

当時 7ヵ月の娘の写真です。

もう43歳なのですが こんな時もあったのですねwww

7月は祇園祭のお話を、、、還幸際

さて 17日夜 無事に三基の神輿が御旅所に移されました。

《還幸際》7月24日夕刻まで神様方は此処でお泊りです。

その間 八坂神社には神様はいらっしゃらないので お参りは御旅所まで来てね。

明るい照明の中 24時間 立派な神輿をご覧になれます。

普段は京都の土産物を売る店になっていて 祇園祭の時だけ神様のお泊り処になるのです。

      

 

《還幸際》7月24日

民衆の祭りである山鉾巡行は既に日中に終わっています。

夕刻 錦天満宮より白馬の駒形稚児がお出ましになり 行列は御旅所の前を通過します。

駒形稚児は祇園祀りで最も強い神様なので何かを待ったりなんかいたしません!

稚児行列は後に続く中御座神輿を先導し《神泉苑》に到着。

      神泉苑 (shinsenen.org)

境内に白馬の駒形稚児が入られ 祇園祀りで最も重要な神事

《疫病退散祈願》が成されます。

おそらく この場所に見物客は一人もいません。

それで良いのです。

八坂神社の神事としての祇園祀りはショーではないので。

たとえ神泉苑に至る路を山鉾が清めなくても 素戔嗚尊と牛頭天王が揃って神泉苑に向かい疫病退散祈願を成すのです。

祈願のあと 門外で待機していた中御座神輿を再び先導し 

三条大宮《又旅社》=八坂神社の境外末社に到着。

ここで休憩。

中御座神輿の担ぎ手さんたちは弁当を頂きます。

17日も同じ弁当を頂きますが これは当日の朝 中御座三条若衆三条会の方々によって打たれたものです。

 

休憩後 久世稚児行列は再び中御座神輿を先導し 八坂神社に向かいます。

三条通りを真っすぐ東に寺町~四条~八坂神社のコース。

 

中御座神輿は午後10時ころ祇園石段下に。

そのころ既に駒形稚児は八坂神社を去り綾戸国仲神社に向かわれています。

小さい身体で長い道中を白馬に乗り 立派にお役目を果たされました。

現在は久世~祇園は自動車移動ですが 明治・大正・昭和の初めは 実際に白馬に乗ってこられていました。

夏の炎天下 八坂神社に辿り着く頃には白化粧も剥げ落ち 京の町衆から田舎のお稚児さんと呼ばれ笑われていたそうなタラー

 

午後10時半ころ 中御座神輿は八坂神社に戻ります。

当日夕刻 中御座神輿の出発後 御旅所を出て氏子町内を巡った東御座神輿・西御座神輿も順に八坂神社に戻ります。

 

深夜 暗闇のなか三基の神輿から神様がたの御神体が本殿に戻されます。

誰も御神体を見ることはできません。

 

7月1日   切符入り(民衆の儀式)から始まった祇園祭は

7月31日 神社境内にある《疫神社(エキジンジャ)》で

祇園祀り最後の神事《夏越祭(ナゴシサイ)》をもって終わります。

 

このブログでは 八坂神社の神事=祀り としています。

 

以下 

2020年のブログですが是非こちらをご覧になってください。

剛力さんの肩に担がれた愛らしい駒形稚児のショットは必見ですよラブラブ

祇園は、、、説明するのにややこしい  その4 | ツール系ミニチュアグッズ DCVS.227 (ameblo.jp)

7月は 祇園祀り のお話を、、、神幸祭

八坂神社の宮司さんが おっしゃいました。

  「祇園祭は観光事業ではない!

    料理のみならず酒類を提供するとは何たるコトムカムカ

    祇園祭りは神事である雷

    今年もそんなコトが行われるのなら私は宮司を辞める。」 

 

昨年の祇園祭に京都市役所前に 一人40万円の山鉾巡行の観覧席が設けられたコトに対する抗議です。

問題は金額ではなく その内容です。

 

じゃあ 祇園祭の神事ってなぁ~に?

    

                        

         《八坂神社 西門 祇園石段下》

 

京都祇園 八坂神社

元々 祇園社と称されていた八坂神社には

素戔嗚尊(スサノオノミコト)=天照大神の弟神 と 

牛頭天王(ゴズテンノウ)=インド伝来の疫病神 の

お二人の神様が お一人の神様として合祀されていました。

 

平安時代 全国に疫病が蔓延したとき 合祀されていた神様を

神輿で神泉苑(しんせんえん)までお連れし 疫病退散祈願行われました。

これが八坂神社祇園祭神事 神輿渡御(ミコシトギョ) の始まりで 今日まで続いてます。

 

民衆は神泉苑に至る路の両側に それぞれ33本の矛(長い棒の先に刃を付けた武器)を立て 神輿の通り道を清めました。

 

その矛が今日の豪奢な山鉾巡行に至っているのですが、、、

京都市最大の観光事業となってしまった山鉾巡行は 神輿の通り道を清めるどころか、、、 

烏丸四条⇒四条河原町⇒ 河原町御池(京都市役所前)⇒

御池烏丸で終わり 午後2時ころには それぞれの町内に戻る、、、という 単純なコース。

これで神輿の通る路を清めたコトになっています。

まぁね 交通事情もありますし 稼ぎ頭の観光事業なんだから 

仕方がないよ、、、というか 京都市民の殆どが 山鉾巡行が祇園祭だと思っていて 神事がどの様に行われるのかを知らないのが本当のところです。

八坂神社の宮司さんが怒るのも無理はない。

で、、、今年はアルコール抜き軽食付き 一人20万円 の席になったらしい。

 

さて かつて合祀されていた牛頭天王は 神仏分離令(明治元年)以来 八坂神社から離され 京都市南区にある綾戸国中 (アヤトクニナカ)神社に祀られています。

        綾戸国中神社 - Wikipedia

疫病退散は疫病を司る牛頭天王に祈願します。

常に恐れ敬って祀っていれば災いは起こらないが それを怠ると疫病を流行らせるという 怖~い神様です。

従って 分離された牛頭天王と八坂神社の素戔嗚尊の二人の神様を ご一緒に神泉苑にお連れして 疫病退散祈願をいたさなければなりません。

困りましたねぇもやもや 

そうだハッ白馬に乗って八坂神社に繰り込もうではないか。

ワタシが行かねば疫病は収まらんではないか!

、、、と仰ったかどうか、、、

或いは どうか神社にお帰りになって疫病退散祈願を、、、

と八坂神社からお願いされたんでしょうか、、、

 

神幸際 7月17日

既に山鉾巡行は日中に終わっています。

夕刻 綾戸国仲神社の氏子から選ばれた久世稚児 清楚なお召し物に牛頭天王の御神体である駒形(馬の頭の彫り物)を胸に着け 白馬に乗り八坂神社にお入りになります。

騎馬のまま神社に立入るのを許されるのは この御方のみ。

御神体を身に着けた駒形稚児は 元々 八坂神社に合祀され

ていた牛頭天王そのもの とみなされるからです。

 

ちなみに 長刀鉾のお稚児さんは長刀鉾町から選ばれた(とされる)子供が 八坂神社より10万石の大名の位を授けられ 山鉾が神社内に立ち入るために 神社の結界である注連縄を切るという役目を担います。

鉾の高い位置から神社を見下ろすには大名の位が必要です。

その位を頂くため騎馬で神社に向かいますが 下馬しなければ神社に入れません。

大名の位を授けられた後は神様の使いとなり 地面に足を着けず大人の肩に担がれ門外に待っていた馬に乗られます。

大名といえども騎馬で神社に立ち入るコトは許されません。

長刀鉾巡行では とても煌びやかなお召し物で注連縄を切るやいなや一躍 最も有名な稚児として賞賛を浴びれらます。

 

午後5時ころ 白馬の駒形稚児行列が南桜門(下河原通に面した八坂神社の正門)より出発します。 

 

           《八坂神社正門 南桜門》  

        

                 

               《久世駒形稚児》

              

 

             《駒形稚児行列》                             

 

続いて 中御座神輿~東御座神輿~西御座神輿 の順に 祇園石段下に揃います。

  

 

稚児行列に続いて 中御座神輿が石段下を出発。

稚児行列の先導で氏子町内を巡り、、、

午後九時ころ <御旅所(オタビショ)>に入ります。

 

稚児行列は神輿より先に御旅所を通過し 駒形稚児は<錦天満宮>に入られ お祓いを受けられ 久世にお帰りになります。

中御座神輿は<還幸際>まで御旅所に滞在します。 

当日夕刻 中御座神輿に続き祇園石段下を出発し それぞれの異なるコースで氏子町内を巡った 東御座神輿と西御座神輿も 午後9時半ころから順に御旅所に入ります。

三基の神輿は揃って 還幸際まで御旅所に滞在します。

 

                              《御旅所》 四条寺町東入る南側 

       

                     

 

              《中御座神輿》

三若神輿会の奉仕により素戔嗚尊の御神体をお運びします。

            

 

                 《 東御座神輿》

四若神輿会の奉仕により 櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)の御神体を お運びします。

この姫は 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治で助けられ 素戔嗚の妻となった 稲田の女神。 

                      

 

                             《 西御座神輿》

錦神輿会の奉仕により 八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)の御神体を

お運びします。八人の子どもの神様です。

             

 

という訳で 八坂神社には 7月24日《還幸際》まで 神様方はいらっしゃいませんので お参りは御旅所に行ってね。

夜中に無言参りに訪れる祇園町の綺麗所(キレイドコロ)のお姉さん方と遭遇するかも。

 

今日はここまで。

<還幸際 7月24日のこと>は後日に。

祇園祭を要約して語るには その内容が余りにも多く、、、

メチャクチャ疲れますドクロタラー

写真は過去のブログから引っ張り出しています。

実は10年以上前に祇園祭りのテーマのブログは10件以上も書いています。

その後 祇園祭を語るのを一切止めました。

私はキリスト教徒でも仏教徒でも神道の信者でもありませんが 『八坂神社の宮司を辞めます雷』と仰った宮司さんに敬意を表して <DCVS.227>7月のテーマを 《祇園祭神事 神輿渡御》 にしました。

ほんの少しの知識しか無いのですが。

<DCVS.227>7月のディスプレイ 《祇園祭神事 神輿渡御》

今回もガラス越しの写メとなり、、、後悔しきりですガーン

向かいのお弁当屋さんの配達用バイクのボックスとか赤いテントとか看板とかが ガラスに写り込んでいますもやもや

 

《祇園祭の神事 神輿渡御》 で素戔嗚尊の御神体を 《神泉苑》までお運びする 《中御座神輿》 を描いた扇子の表・裏を額にしました。

 

元の扇子と八坂神社の粽です。

毎年 幾つかの山鉾の粽を頂きますが 今年 初めて自分で買いました。¥1,500- 蘇民将来子孫也、、、

右端にあるのは 中御座神輿のミニチュア。

 

八坂神社から賜った 抹茶碗。

黒字に金の粽。

平茶碗にしては丸いのですが 夏用ですね。

 

八坂神社御神紋の扇子の表裏。(神社からの頂き物)

左三つ巴 (ヒダリミツトモエ)と 五瓜に唐花(ゴカニカラハナ)。

五瓜に唐花紋はキュウリの断面に似ているのでキュウリ紋と呼ばれています。

祇園祭の期間(7月中) 氏子はキュウリを食べないっていうけど、、、生まれてからづーと氏子ですけど私、、、食べてます。

 

八坂神社 舞殿(ブデン)に置かれた神輿が描かれた色紙。

左から 西御座神輿・中御座神輿・東御座神輿。

 

久世駒形稚児行列と中御座神輿のコースです。

常に稚児行列が神輿を先導して 同じコースを辿ります。

 

説明文は 祇園祭の神事について語っています。

内容は次のブログで。

 

 

いつまでも忙しい生活は続く、、、猫と共に

店舗を閉業した結果、自由時間が増えたルンルン

のは良いけれど、、、月一の<DCVS.227>ディスプレイには結構な体力と手間が掛かるアセアセ

 

まだまだ自宅内の整理も収まらないガーン

借りたくも無い猫の手が原因の一つもやもや

 

悪い眼をしてる、、、

 

気が付けばソファーも全面的に制覇されたハッ

悪い眼をしてる<もちまる>、、、

 

悪い眼をしている、、、私の猫。

 

悪い眼といったらコレ!

<隙あれば猫>展の猫たち、、、

メチャ悪い眼をしてる、、、クリアファイルです。

 

そんな中、大きすぎて誰も使っていなかった昔に買ったパジャマをリノベした音符

下はゴムを入れ替えてデカ半パンに。誰が履くねん爆  笑笑い

 

上は猫用のクッションカバーに。ポケット付き。

ボタンで開いて付け替えするのだグッ

 

裏布は背中部分で。

 

自己流の簡単なミシン作業だけど、やり遂げたら気分は晴れ晴れ爆  笑ルンルン単純な後期高齢者です。

ご褒美に<洛甘舎>のケーキを食べてしまって後悔しきりガーン

 

人たらしの猫に慣らされてしまった毎日を送ってる。

でも いいの。動物好きで良かったよ。

人生の幅は広いほうが楽しい。

コレは<隙あれば猫>のマグネット。

可愛いすぎるグリーンハーツ

 

ベッドも制覇しているワタシの猫。許すしかないでしょラブラブ

 

Ps. 空気清浄機は裏向けに置くのが私の流儀。

     壁にくっ付けて置けるからですグッ

     ベッドルームだからコレで良いのよ。

<DCVS.227>6月のディスプレイ

6月はモネ系のディスプレイ音符

といっても、たった3枚のパネルしかありませんアセアセ

元々 フランス製のカレンダーの絵を木工制作でパネルにしてもらったモノで 大小合わせて48枚あったのですが、ありがたいことにお客様に買っていただいた結果です。

 

実は もう一点、モネ系リモージュボックスを手に入れましたグリーンハーツ

ボックスの中には絵具が描かれ、チューブが一本!

 

もちろんキャンパスにはモネの池の太鼓橋が、それもパネルと同じ季節の!!

一週間ほど前に見つけたなんて奇跡みたいキラキラ

 

チョット寂しい こちらのテーブルには、ごく最近に手に入れたアンティックのデコイと20年前から持っていた小鴨たちをブルーハーツ

 

この2枚は同じ絵の部分だと思います。

テーブルの下は小さなベンチ。ブックスタンドです爆  笑笑い

横にあるのは仕入れていたマグネットの最後の一個<ペンキ塗りたてミニベンチ>ブルーハーツ自分用に大事に残しているモノ。

とても人気の商品だったのですが10年以上前に製造中止になっていますタラー

 

このデイスプレイは6月下旬まで。

 

6月末~7月末は、祇園祭<中御座神輿>系のディスプレイに変える予定です。

やっと約束のフレンチ

幾つかのランチナイフとフォークの約束を果たし始める余裕が出来てきた音符

と言っても何かがあれば20分以内にビルに戻らなければならない運命にあるからして、やはり目と鼻の先のフレンチナイフとフォークに。つまり<京都八百一 屋上 農園ナイフとフォークSAVORY>

セイボリー | 京都八百一本館 (kyotoyaoichihonkan.com)

 

 

 

毎年、春と秋に何回かお邪魔している。

農園のロケーションが気持ちがいい。

今日は忘れずにカメラハッできたのよねグッ爆  笑笑い

 

コレステロール値上がるの心配するのも忘れてたドクロハッ

久々に気の合う友人との食事って、そういうもんだルンルン

実は昨日と今日のレンちゃんなんだよねアセアセ

5月のディスプレイは、、、

さて<DCVS.227>5月のデイスプレイは、、、

この地のちょっとしたお話。

ガラス越の写真は哀れですがタラー

 

これは、明治時代の 三文字町六角西北角

五代目(私の夫の祖父)尾張屋<六蕎軒(ろくきょうけん)>の様子が描かれた絵を昭和時代に複製した墨絵です。

特に墨絵として価値のあるものではありません。

 

飛脚ではなく 〒郵便屋さんが郵便物を運んでいるので、明治5年以降の様子ですね。

 

以下は江戸時代~現在の尾張屋の経緯です。

尾張屋の屋号を名乗る店は複数あります。

尾張屋〈上七軒(かみしちけん)〉は分家の一つです。

 

六代目は私の義父です。

当時この蕎麦屋の建物は墨絵と同じではない筈です。

その頃を知っている人は誰もいないので分かりませんが爆  笑笑い

昭和元年七代目継承については、<三条>尾張屋さんに確かな書付があります。

それ以外は戦前なのか戦後なのか、、、??

はっきり分かっているのは、、、

<そば処 藤六>二代目が店舗を改築。(下部の写真)

9年後、ビル建築に向けて取り壊す前の店舗。(上部の写真)

店舗内にあった神棚を道路東側に移しています。

 

義父・義母・が他界した時、そして夫が亡くなった時もかなりの古いモノを処分しましたが、幾つかは大事に残しました。

墨絵がその一つですが、狸と布袋さん(明治・大正)などです。

 

この狸は<そば処 藤六>二代目のモノです。

 

1993年 藤六ビル新築後1階で営業を継続しましたが、

5年後1998年 5月24日 に閉業しました。

その後2階テナントの専用階段を作る為に、道に面していた神様のお社(右下写真の右下)は屋上に移しました。

お客様に結構人気だったマッチは<DCVS.227>で毎日一本お香用に使っていましたが、まだ千個ほど残っています。

ので、これからも毎日一本消費するつもりですルンルン


今後<DCVS.227>は物販はいたしませんが、何らかのディスプレイを続ける予定です。

元々、ビルを綺麗に見せる為に始めた店だったのですから。

6月はどの様にしようか、、、考え中もやもやもやもやもやもやアセアセ

 

現在、1階のテナントは<パティスリー洛甘舎>さんです。

パティスリー洛甘舎|京都東洞院六角 洋菓子・ケーキの専門店 (rakkansha.jp)

てんやわんや!の4月

 

からの、、、

店内にあった全ての物を5階自宅に運んだ1日めダッシュアセアセ

プロの清掃業者さんにスッカリ綺麗にしてもらった2日めキラキラ

 

3日めには、5月のディスプレイのプランを立てうずまき

遅れてやってきた初日の仕事の筋肉痛が半端ないアセアセアセアセアセアセ

5日めには、空にした収納スペースに、、、

 

ケースを戻し、、、

 

トランクとバケツ類も、、、販売はしません。

 

まだまだ自宅には、2坪足らずの小さな場所に入ってたなんて信じられない量のアレヤコレヤが散乱ガーン

 

10日には、新しいブラインドが取り付けられルンルン

 

5月のディスプレイに使うと決めた古い墨絵は、額裏の和紙がボロボロでタラー

 

それを抱えて700m先の表具やさんに持って行き一週間後、びっくりするほど低価格で直してもらった!

5月1日、蕎麦屋をやっていた頃エントランスに置いていた狸の置物を倉庫から出して、、、思いのほか重~いアセアセ

 

この1ヵ月の愛用品は100円ショップの軍手爆  笑笑い

 

5月1日の午後3時、何とかデイスプレイを完成!!

                        あ、、、ガラスに写メ撮ってるのが写ってるガーン

 

今後はテナント貸しはしません。

何らかのモノをディスプレイします。

スペースの名前は<DCVS.227>のままです。

227はビルの番地ですから。

栄養士の若いお嬢さんからのプレゼント

今年になって初めて来られたお客様です。

3月に閉業するのを伝えていたのですが、まさか再び来店されるとは!

お帰りになる時、小さな包みを頂きました。

閉店後 自宅で包みを開けると、、、え、、、新しいタイプの三笠が、、、嬉しルンルン 

 

だって その日は<永楽屋の三笠>を食べたくて開店すぐの大丸に行くも、店からデパート内店舗に届いていなく、、、泣く泣く店に戻って来たから。

夕方には売り切れになるのですよ。

もちろん、お客様は何もご存じなかった。

こんな幸運ってあるのね。

 

お帰りになる時、彼女と一つ約束をしました。

「連絡は貴女から下さいね。あくまでも貴女の意思で。こんな高齢者ですけど。」

専門職に就かれている若い方のお話を聞くのは新鮮!

真っすぐな価値感を持った方だと思えるのです。