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リーンのガラパゴスサロン~趣味や娯楽の広場

「リーンのガラパゴス批評」の兄弟ブログです。趣味に関する記事はこちらでどうぞ。

 

 こんばんわ、竹内まりやです。


 このたびの大震災で被災されたみなさま方に心からのお見舞いを申し上げます。


 多くの尊い命が奪われ、大切に築いてこられた家庭やかけがえのない歴史をたくさんの方々が失われたことに深い悲しみを感じています。被災地でのニュースを知るたびに自分の無力さを痛感する日々ですが、だからこそ今、日本中のひとりひとりができることを探し、心と力を合わせてみんなで歩き出すときが来ていると強く感じます。


 今夜のこのひととき、ささやかな歌をお届けすることが、わずかばかりでもみなさんの心のはげみになればと願っています。お送りする「人生の扉」はわたくしが51歳の春につくった曲ですが、たとえ何歳になっても生かされているものには“生きる”という義務があり、生きていくことにはきっと意味があるのだと信じる気持ちを歌っています。


 いつか近い将来ニッポンの重い扉のむこうに必ずや明るい景色がひろがっていることを祈ってこの歌をお届けしたいとおもいます。


 聴いてください。


 「人生の扉」






 山下達郎です。


 このたびの東日本大震災により被災されたみなさまにこころよりお見舞い申し上げます。こんな通り一遍のコメントしか申し上げられず、まことに申し訳ありません。あまりの惨状に申すべき言葉をもてない、というのが正直な心情です。被災者のみなさま方がが一日でも速く平穏な暮らしを取り戻すことができますことを心よりお祈り申し上げております。


 またこの状況の中で復興救助のために懸命の努力を続けておられる消防・警察・救急・自衛隊・そして世界各国の救援活動隊のみなさまに最大の感謝とエールを贈りつつ、あわせて業務の安全を陰ながらお祈り申し上げております。


 ほんとうにありがとうございます。


 仙台は、私の母の生誕地であります。私の血の半分は東北人のものです。いつも温かなご声援をくださる東北地方のみなさま、


 運命に負けないで。


 生の音楽が必要とされる時が来たら、それが許される時期が来たら、わたくしもわたくしなりの活動を始めようと存じております。


 今夜はわたくしの小さな祈りの歌


 「希望という名の光」


 をこころを込めて捧げます。


 

 リーン おふたりからの心のメッセージ、お受け取りください。ひとことひとこと、かみしめていただければ幸いです。

 

 もう一度生まれ変わるとしたら、やっぱり男がいいですかね。少しのプライドと寄って立つべき譲れないものを持っているなら。


 典膳は中津藩の武士に言いがかりをつけられる。


「ならず者に腕を切られたそうじゃな」


 事実と違うことを言われてからかわれ蔑まれる。典膳はひるむことなく相手を峰打ちし、自ら奉行所に出頭する。


 男の証明、その1。潔白を証明するいさぎよさ。


 やがて牢屋を出て紀伊国屋文左衛門と再会する。さなぎ太夫と名のる花魁になったお豊が横にいる。となれば文左衛門の申し出を受けて長崎へ行く。はずが、白竿屋長平衛(高島政伸)に御厄介になる。身の丈に合った、剣を生かせそうなところを選んだ


 男の証明、その2。自分を生かせる身の丈に合った場所を選ぶ。


 欲にまみれないということでしょうか。ついでに、


 男の証明、その3。剣、という比類なき技術を持っている。


 現代でも上記の3つを持っている人はいないでしょうけど、やっぱり時代劇なら素直に見て楽しめる。現代劇なら典膳は鼻持ちならんとおもうでしょうから。


 今後の期待は、文左衛門とお豊が典膳にどうからんでくるのかが楽しみ。文左衛門は振られても意に介するような狭量な人間ではない(江守 徹がふところ豊かに演じていて楽しみ)し、お豊が花魁になってそのまま出てこないのはちょっと不満。昔のように純粋ではないところなど見せてもらえればいのですが。


 まだ歴史的重大事件は物語では起こっていないのではなしはつなぎといったところですが、重要人物はあらかた登場したので次からが風雲急を告げるのでしょうね。

 この回は安兵衛(高橋和也)が赤穂藩江戸留守居役・堀部弥兵衛(津川雅彦)の養子に入るという話の重要な転換点なのですが。私が印象に残ったのは


 お豊(藤本 泉)の身売り。


 父親が亡くなる。野辺の送りが終わると、お豊ひとりが天涯孤独となる。肩にかかるのは父親が作った借金だけ。日々の暮らしの糧、部屋の借り賃、これらを長屋の家主に返さなければならない。そこでやむなく吉原に借金の肩に売られていく。


 牢から出された安兵衛は長屋に戻ると、お豊がいないことを悲しむ。


「それでも、生きていくしかないのじゃ」


 典膳(山本耕史)が辛気臭く安兵衛を諭す。ちょっと偉そうになんておもうが、妻と別れ知行も取り上げられたとなれば世の無常を感じるのも致し方ない。一生かかっても返せるかどうかわからない借金を背負えばそれに流されるしかない。でも、お豊が次回、花魁姿で登場しそうです。おなごはたくましく生きるということを証明しそうです。


 それに比べて男はメンツばかりにこだわる。江戸で高田馬場の助太刀に参加し名をあげた安兵衛を、大名諸氏が召し抱えようとする。最後に安兵衛の心に残ったのは羽州米沢の上杉家と播州赤穂の浅野家。千坂兵部(草刈正雄)と堀部弥兵衛の口説き方といったら。


「上杉は何を送ったのじゃ」(弥兵衛)


「溜まり醤油でござる」(安兵衛)


「塩などは送ってはいかん。上杉は敵に塩を送ったのじゃ」(兵部)


「浅野は清和源氏の流れを組む名門じゃ」(弥兵衛)


「上杉は謙信公以来の名門。浅野は分家ではないか」(兵部)


 使える家の面子をかけて他家を馬鹿にする。映像としては二人の家老を行ったり来たりして笑いが取れる面白い作りですが、中身は男がプライドを鼻にかけるというのが浮き彫りになるという興味深いものでした。これは身ひとつで生きるお豊の方が強いかもしれません。


 結局、安兵衛は典膳の意見に従い浅野の家来になり、弥兵衛の養子になることを選ぶ。


「剣の道を選ぶとなればおのずと選ぶ道はみえるはず」


 典膳も剣の道に生きるプライドを捨てていない。


 面子とプライドに生きる男。


 すべてを捨てても生きられる女。


 世の中、どちらが強いでしょうね。

 

 ちなみに、私が安兵衛の立場だったら、紀伊国屋文左衛門(江守 徹)と組むかな。面子を捨てて力を得て他と対抗できる道を模索するかなあ。

 今回、ひとつだけ気になることがあった。東北、仙台でのコンサートですから、1曲目を変えるのか、それとも変えないのか? ということ。エヌ・エー・エム・アイを連想させるので……。


 もし、達郎さんにこのことを聞いたら答えはこうでしょう。


 曲に罪は無い!!


 達郎さんのコンサートはセットリストを変えません。今回も64公演ほとんど変えずに進行するでしょう。ただ、震災に会われた方に配慮して曲を差し替えるかもしれない。私も1999年2月4日のNHKホールから数えて14公演を見ていますが、13年もコンサート体験を重ねるといろいろ聴きたい曲が増えるわけで、今まで聴いたことがない曲をもっと聴きたい、そんな希望を持ってしまうわけです。


 で、仙台はどうだったかというと、結局広島と同じでした。イズミティ21に集ったファンの反応を気にしながら見ていましたが、拍手、手拍子、いつものコンサートと変わらぬ活気が漂っていました。よかった、私のろくでもない取り越し苦労でしたね。ちなみに、このブログではセットリストは5月の最終公演が終わるまで絶対に書きません。悪しからず。でも、達郎さん、仙台では「ネタバレの節は御配慮を、って言わなかったですね。きっと盛り上がって忘れちゃったんでしょうね。


 今回の仙台公園は達郎さんとバンドメンバーに軽い力みが入っているようでした。


いろいろ、いいたいことはありますが、私は歌を歌う人間なので、音楽を通して癒しを届けたいとおもっております。どうぞ、ヨロシク!!


 前回の記事で書いた東京エレクトロンホール宮城の復興イベントに関することについて憤った以外は、お悔やみを申し上げただけで後は特別な発言はしませんでした。きっと、ファンが求めていることがわかっているのでしょうね。慰めではなく、音楽を楽しみにしているのだと。仙台のファンから白けた空気は微塵も感じられなかった。達郎の音楽を楽しめるのなら、曲調は関係ないのだと。達郎さんのコンサートを楽しむ客層は40代から50代が圧倒的だが、大人としてリラックスするなかにも、どこか若返ったはつらつさを微妙に醸し出している。仙台のファンはこの空気が素直に現れていた。


 イズミティ21は客席も見やすい設計になっているが、音響に関しても素人判断ながらかなり満足できる。スピーカーから一音一音、きれいに聞き分けることができる。キーボード、ベース、ギター、音色がはっきり届いてくる。なによりコーラスの3人の声がよく届く。当然、達郎さんのマイクの音量より小さく設定してあるので、会場によっては多少聞きにくいところがあるが、ここは本当に三人三色しっかり響いてくる。クラシックのオペラも演目にあがるそうだから、設備面もしっかりしているのだろう。大阪フェスティバルホールはステージから届く音が風に吹きつけられるような圧力を感じたが、ここはステージ上の11人のアンサンブルをしっかり確かめられる。達郎さんはこの会場、きっと気に入ったでしょうね。私もここならもう一度来てみたい。あといったことがないところでは琵琶湖ホールとホクト文化ホールが聞いてみたいですね。後者は5月にファンクラブ優待で確保してあるので楽しみです。


 全64公演中、仙台(1月15日)は23公演目でしたが、とにかくツアー最終盤のように音がこなれている。素人目(耳?)にはどこがミスしたかさっぱり解らない。唯一、6曲目でマイクをスタンドに戻すときに落としそうになった、そんな小さなことがあっただけ。佐橋さんのギター演奏も童謡のフレーズを弾いたりして遊び心満載。なにより素晴らしかったのはアンコールの2曲目と3曲目。これは私のコンサート体験の中でも白眉といえる。イントロの入りに無駄がなく、演奏とコーラスが盛り上がり、何より達郎さんの声がとにかくよく響くし、ギター演奏をいれるタイミングも絶妙、そこに仙台のファンの熱気が加わって素晴らしいものでした。ホント、仙台に来てよかった。わざわざ来た甲斐がありました。


 今回はいろいろつらい事情を抱えているファンもいらっしゃるでしょうが、とにかくコンサートの間、3時間20分は忘れて楽しめます。今日は広島県福山市で公演ですが、またいい演奏をしていることでしょう。これから見られる方も楽しみにお待ちください。私見ですが、今回のセットリストはバンドメンバーの長所を引き出しつつ、日常から離れてノリが楽しめる曲を並べているように感じますが達郎さんはどんな苦心をして組んだのでしょうね。とにかく、考えすぎず楽しむこと、それにつきます!!今回、達郎さんは声量もバッチリ、ムラがないです。ガラパゴスに徹した(これを書くとネタバレになるので御容赦ください。ま、本人だけがやっているって意味です)達郎ワールドを楽しみにお待ちください。


 ところで、クラッカーに激怒して始末書を書かせ、市長のトップダウンで今ツアーの開催にこぎつけた会場ってどこですかね?ホクトだったら怖いなあ。だれか教えてくれませんか?


 名取市から帰ってきて降り立った仙台は、震災の影などどこにも見出せなかった。駅のフロアでは京都の物産展が開かれ、歩道橋の端ではバーゲンの安売りを呼びかける女性のメガホンで叫ぶ声が響いていた。日曜日の夕方とはいえ、どことなく平日の帰宅ラッシュの慌ただしさが東北の中核都市を包んでいた。

 16時半過ぎに仙台国際ホテルにチェックイン。中に入ると、大理石調の床がまぶしい。


「この前来た時、ここのサービスがよくてねえ。また来ましたよ」


 隣で御老人が感謝を述べていた。どうやらここのホテルは評判がいいらしい。従業員にとっては当たり前のサービスをしているにすぎないが、その仕草ひとつひとつに落ち着きと品の良さを感じる。ホテルによっては接客慣れしていない新人をカウンター業務にあてるところもあるが、ここはおそらくエース級のベテランを配置している。カウンターで業務をこなす女性はもしかしたらアラフォー世代とお見受けしたが落ち着いた笑顔と仕事の滞りなさに感心した。声が上ずらない落ち着いた低さ、サインを求めるときの書類を出すときの嫌味のなさ、作り笑いとかけ離れた目を細める笑顔の美しさ。いっぺんにこのホテルが気に入った。こんなホテルがあるならきっと仙台もいい街にちがいない。こんな街に地震の被害が及ばなくてもいいのに。


 仙台市街から北にあるイズミティ21についたのは開演約10分前、いつも開場前にならんで待つのが習慣になっているので今回は遅刻した気分だった。地下鉄の駅から階段を上がったところにすぐ会場があったことにホッとする。せめて達郎さんのコンサートは1曲も聞き逃したくない。


 今回の宮城公演はいつも使用している東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)が使用不能になったため、急遽今回のイズミティ21に変更された。客席数は約1500人収容、一階席のみ。26列目に割り当てられたのでステージが良く見えるか心配したが、ここは反比例のグラフのような曲線を描いた席の配置になっているため前の席の観客の頭がステージと被ることがない。正面にコーラス隊が見え、首を左に振るとセカンドキーボードの柴田さんもばっちり見える。ホールの見やすさといった設計面ではここが一番だ(ちょっぴりしんどかったのがALSOKホール)。


 山下達郎という人は基本的に会場に来ているファンとその地元を褒める。地方だからといって馬鹿にしないし、そこの思い出話で笑いをとるのが漫談風のしゃべりのミソだ。中野サンプラザやNHKホールで業界関係者やアンコールでも立たないしょっぱいファンがいても、そのほかの観客に類が及ばないように神経を使う。


「私の三大、いいお客というのは長崎、大阪、仙台なんですよ。昔、電力ホールでシュガー・ベイブが急遽コンサートをやったときすごくウケたんですよ。あのときがシュガー・ベイブの最高の演奏だった」


 ソロの初期やバンドで食えない時代に暖かい声援をもらったことを決して達郎さんは忘れない。仙台は母親の出身だから、という出自だけが仙台のコンサートに気合が入る理由ではなかったわけですね。


「歌に意味を込めすぎることを、“フォーク”という」


 わ、は、は……(拍手)……(爆笑)。


「仙台はいいですね、やっぱり洒落がわかる。○○(私が昨年いったところ)ではみんなシーンとしてたんですよ」


 このネタ、他の会場で使ってなかったのか? あたしゃ、笑ってたけどな。確かにあそこでは「ウケると思ったんだけど」と苦笑いしてましたね。


「これは洒落ですよ」


 といって腹を立てることを押さえるフレーズに


「わかってまーす!!」


 と応えたファンがいた。


「すいません。よく聞こえないんですよ。もう一度聞いてあげましょう。どうぞ」


「……」


 同じ事を言えって天下の山下達郎に言われればそりゃしゃべれないでしょうね。いじってもらうチャンスを見逃しましたね。でもそのあと別のファンが、


「クマッ!!」


 っていったのはどうだったでしょうね。いくら昔の愛称だからってねえ。ま、達郎さんはウロウロする真似して観客に応えていましたが。ともかく、ことMCに関していえば達郎さんのリラックスぶりが際立っていた。


 しかし、リラックスした喋りが最後に一変した。


 イズミティ21は被災当時スプリンクラーが故障してホールが水浸しになったそうだが、東京“トリニトロン(達郎さんが途中で言い間違えた)”ホールが復旧の目処が立たないことに触れた。


実は東京エレクトロンホール宮城、県民会館をピンポイントで支援することを企画していたんですよ。あのう、詳しくは話しませんが、結論から言いますとこの企画は中止に追い込まれました。結局、官僚機構と政治の前に断念を余儀なくされました。こうした官僚や政治が、震災の復興を妨げているんですよ


 早口でまくし立てた。達郎さんが早口で語彙を多くしゃべるときは、かなり本音をさらけ出すことが多く怒りや真剣さがにじみ出る。大阪フェスティバルホールの休館による取り壊しの際、


「フザケンじゃねー! このヤロー!!」


 と激怒したときの興奮と重なるものがあった。


「“トリニトロン”ホールよりこっちのほうがいい」


 なんて今まで使ったホールを揶揄していましたが、実は慣れた愛情の裏返しだったのかもしれない。フザケンな、と激怒した大阪公演で


「ホールには、ステージに上った人の血と汗が染み付いてるんですよ」


 と強調し建て替えに最後まで抵抗したが、愛着あるホールには片時ならない愛情を見せる。達郎さんがどんな支援を考えたかは知る由もないが、おそらく警察などの許可がいるような交通規制が絡んだ野外イベントだったのだろうか? どんなかたちのものであれ認めてあげればいいのに、頭の固いお偉いさんが復興を遅らせていることが図らずもこのコンサートで知ることになってしまったのは少々皮肉だ。


 とはいえ、コンサートの全般では達郎さんは集まった1500人を飽きさせないしゃべりで惹きつけ、そして笑わせ和ませた。これがコンサートの素晴らしいスパイスになる。もちろん、歌と演奏がよかったのは無論のこと。


                             (次回に続く)