官僚に遮られても1500人のために歌う。山下達郎仙台2日目会話編(1.21記) | リーンのガラパゴスサロン~趣味や娯楽の広場

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 名取市から帰ってきて降り立った仙台は、震災の影などどこにも見出せなかった。駅のフロアでは京都の物産展が開かれ、歩道橋の端ではバーゲンの安売りを呼びかける女性のメガホンで叫ぶ声が響いていた。日曜日の夕方とはいえ、どことなく平日の帰宅ラッシュの慌ただしさが東北の中核都市を包んでいた。

 16時半過ぎに仙台国際ホテルにチェックイン。中に入ると、大理石調の床がまぶしい。


「この前来た時、ここのサービスがよくてねえ。また来ましたよ」


 隣で御老人が感謝を述べていた。どうやらここのホテルは評判がいいらしい。従業員にとっては当たり前のサービスをしているにすぎないが、その仕草ひとつひとつに落ち着きと品の良さを感じる。ホテルによっては接客慣れしていない新人をカウンター業務にあてるところもあるが、ここはおそらくエース級のベテランを配置している。カウンターで業務をこなす女性はもしかしたらアラフォー世代とお見受けしたが落ち着いた笑顔と仕事の滞りなさに感心した。声が上ずらない落ち着いた低さ、サインを求めるときの書類を出すときの嫌味のなさ、作り笑いとかけ離れた目を細める笑顔の美しさ。いっぺんにこのホテルが気に入った。こんなホテルがあるならきっと仙台もいい街にちがいない。こんな街に地震の被害が及ばなくてもいいのに。


 仙台市街から北にあるイズミティ21についたのは開演約10分前、いつも開場前にならんで待つのが習慣になっているので今回は遅刻した気分だった。地下鉄の駅から階段を上がったところにすぐ会場があったことにホッとする。せめて達郎さんのコンサートは1曲も聞き逃したくない。


 今回の宮城公演はいつも使用している東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)が使用不能になったため、急遽今回のイズミティ21に変更された。客席数は約1500人収容、一階席のみ。26列目に割り当てられたのでステージが良く見えるか心配したが、ここは反比例のグラフのような曲線を描いた席の配置になっているため前の席の観客の頭がステージと被ることがない。正面にコーラス隊が見え、首を左に振るとセカンドキーボードの柴田さんもばっちり見える。ホールの見やすさといった設計面ではここが一番だ(ちょっぴりしんどかったのがALSOKホール)。


 山下達郎という人は基本的に会場に来ているファンとその地元を褒める。地方だからといって馬鹿にしないし、そこの思い出話で笑いをとるのが漫談風のしゃべりのミソだ。中野サンプラザやNHKホールで業界関係者やアンコールでも立たないしょっぱいファンがいても、そのほかの観客に類が及ばないように神経を使う。


「私の三大、いいお客というのは長崎、大阪、仙台なんですよ。昔、電力ホールでシュガー・ベイブが急遽コンサートをやったときすごくウケたんですよ。あのときがシュガー・ベイブの最高の演奏だった」


 ソロの初期やバンドで食えない時代に暖かい声援をもらったことを決して達郎さんは忘れない。仙台は母親の出身だから、という出自だけが仙台のコンサートに気合が入る理由ではなかったわけですね。


「歌に意味を込めすぎることを、“フォーク”という」


 わ、は、は……(拍手)……(爆笑)。


「仙台はいいですね、やっぱり洒落がわかる。○○(私が昨年いったところ)ではみんなシーンとしてたんですよ」


 このネタ、他の会場で使ってなかったのか? あたしゃ、笑ってたけどな。確かにあそこでは「ウケると思ったんだけど」と苦笑いしてましたね。


「これは洒落ですよ」


 といって腹を立てることを押さえるフレーズに


「わかってまーす!!」


 と応えたファンがいた。


「すいません。よく聞こえないんですよ。もう一度聞いてあげましょう。どうぞ」


「……」


 同じ事を言えって天下の山下達郎に言われればそりゃしゃべれないでしょうね。いじってもらうチャンスを見逃しましたね。でもそのあと別のファンが、


「クマッ!!」


 っていったのはどうだったでしょうね。いくら昔の愛称だからってねえ。ま、達郎さんはウロウロする真似して観客に応えていましたが。ともかく、ことMCに関していえば達郎さんのリラックスぶりが際立っていた。


 しかし、リラックスした喋りが最後に一変した。


 イズミティ21は被災当時スプリンクラーが故障してホールが水浸しになったそうだが、東京“トリニトロン(達郎さんが途中で言い間違えた)”ホールが復旧の目処が立たないことに触れた。


実は東京エレクトロンホール宮城、県民会館をピンポイントで支援することを企画していたんですよ。あのう、詳しくは話しませんが、結論から言いますとこの企画は中止に追い込まれました。結局、官僚機構と政治の前に断念を余儀なくされました。こうした官僚や政治が、震災の復興を妨げているんですよ


 早口でまくし立てた。達郎さんが早口で語彙を多くしゃべるときは、かなり本音をさらけ出すことが多く怒りや真剣さがにじみ出る。大阪フェスティバルホールの休館による取り壊しの際、


「フザケンじゃねー! このヤロー!!」


 と激怒したときの興奮と重なるものがあった。


「“トリニトロン”ホールよりこっちのほうがいい」


 なんて今まで使ったホールを揶揄していましたが、実は慣れた愛情の裏返しだったのかもしれない。フザケンな、と激怒した大阪公演で


「ホールには、ステージに上った人の血と汗が染み付いてるんですよ」


 と強調し建て替えに最後まで抵抗したが、愛着あるホールには片時ならない愛情を見せる。達郎さんがどんな支援を考えたかは知る由もないが、おそらく警察などの許可がいるような交通規制が絡んだ野外イベントだったのだろうか? どんなかたちのものであれ認めてあげればいいのに、頭の固いお偉いさんが復興を遅らせていることが図らずもこのコンサートで知ることになってしまったのは少々皮肉だ。


 とはいえ、コンサートの全般では達郎さんは集まった1500人を飽きさせないしゃべりで惹きつけ、そして笑わせ和ませた。これがコンサートの素晴らしいスパイスになる。もちろん、歌と演奏がよかったのは無論のこと。


                             (次回に続く)