リーンのガラパゴスサロン~趣味や娯楽の広場 -16ページ目

リーンのガラパゴスサロン~趣味や娯楽の広場

「リーンのガラパゴス批評」の兄弟ブログです。趣味に関する記事はこちらでどうぞ。

 

 2010年10月3日、22時15分ごろ。東京・中野サンプラザホール。


 山下達郎がマイクスタンドを舞台の際から奥に下げた。予定調和が好きな達郎がみせた不釣合いな行動。



 FCの会員で8、9割埋め尽くされた客席が、予想もしなかった司祭の行為でどよめいた。


 アンコールを3曲披露し、バックのミュージシャンが舞台の袖にはけていく。佐橋佳幸は手をひらひらさせて達郎に小さなエールを送る。これからは、達郎さんひとりの時間ですよ、と。達郎がマイクスタンドを舞台の縁にだす。土岐英史が後ろでサックスをもってスタンバイ。あとは「YOUR EYES」を朗々と歌い客席にお決まりのご挨拶をする、はずだった。


 達郎は忘れ物を思い出したかのように、マイクスタンドを後ろに下げる。ステージの脇からテクニシャンの宮村貴史がコードをつないだ黒いギターをもってきた。


もう1曲おまけです


!!


今日はおまけにLAST STEPを演ってくれるんだな。コンサート、26本目で“One Of The Best”の出来って言ってたからなあ。)


 観客は手拍子の準備をこころに秘めた。土岐は達郎のご乱行に動揺したのか、目を泳がせ所在なさげに舞台袖に消える。しかしギターを抱えた殿のご乱行はまだつづいた。



LAST STEP』じゃないです



???



 アンコールで「LAST STEP」以外にギターソロで演るものなんてあるのか?みんな、頭の中で探し始めた。でも見つからない。いつもと違う不調和、ファンは小さな混乱の声をあげた。達郎はなにをする気なのか?マイクに向かった達郎は、笑いをわすれた落語家のようにかたりだした。



前回からツアーを再開して、ツアーを3回やれば声の調子ももどると思うんですけど。今回、前半でなかなかもどらなくてつらい思いをしてたんですけど……、調子がもどってきたら、ぜひやりたいとおもっていた曲があります。35周年の記念に……、これから、それを、やります


 2200人あまりの気を受けとめて、達郎は弦を爪弾く。声をマイクに乗せる。


 めーをとじれば そーこーおに まい しゅがーあ べえーいーぶっ ……



???   えっ?  !!!  あっ!  『MY SUGAR BABE』?」



 その曲は16年5か月ぶりに蔵の奥から引っ張り出された。大事にしまっておいたヴィンテージワインのような趣、アロマのような空気がサンプラザを満たしていった。いつもと違うアンコールが幕を開けた。


 ……


 9月初旬、北陸某市で今ツアー最初のコンサート、そこで達郎は喉をつまらせ何度となく声をとぎれさせた。俗にいうエヘン虫に入られたらしい。「LOVELAND ISLAND」で拡声器にのせて声をはりあげるお決まりの締めで、まったく声が出なくなった。無理やり張り上げて格好をつけるそのうしろで、コーラスの佐々木久美が体を前に倒し腹をかかえて笑っていた。

 こちらも笑った。けれど釈然としない。いつもなら興奮を冷ましながら帰るはずが、この日は高揚感がまったくなかった。『ドカベン』の銅像を見ながら、「オレも達郎がいうところのすれた評論家気取りに成り下がったのか……」自分が達郎を裏切ったことにがっかりした。


 FCをやめようかなあ


 

 中野サンプラザのコンサートも、達郎の調子がいいことを願いながらも半信半疑で会場にいた。ステージから10列目、FCの予約でとった席から達郎をみた。「HAPPY HAPPY GREETING」を歌いながら、ふと振り返る達郎をみた隣の女性が「すごくノッているね」と興奮していた。ステージで35周年を祝う曲を演奏しながら、達郎は口笛を吹いてスキップしそうな面持ちだ。


 今日は大当たりかもしれない


 東京のお客は評論化然としていてスレた客がいる、と達郎はファンクラブの広報誌で語るが、今日のお客は違うらしい。無駄な掛け声がなく、拍手・手拍子は途切れない。MCは早口だけど演奏への集中力を切ることをおそれるように、話のながれを破綻させない口調だった。


僕らは猿回しの猿なので、いい演奏をするかの半分はお客さんにかかっているので、お客さんがノッてくれるとこちらもいい演奏ができる


 なんともトウがたった猿回しですが、途中でこんな話ができるほど今日の演奏は素人には破綻が見えないものだった。そして、アンコール前、達郎はファンに声をかける。


今日のお客さんは最高です。今日はOne Of The Bestの出来です。やっぱり、東京のお客さんはこうでなくちゃ



 ……


 さすがに3時間歌いこんだ後はつらいのか、声は裏返り、ギターのキーもはずれ気味。だけど……、


 

 すべて燃えつきるとも 君は僕のものさ OH MY SUGAR BABE OH MY SUGAR BABE


 

お粗末さまでした。……爪がわれた……


 ファンの静かな熱気を受けとめた、いつもと違うアンコールが終わった。


 達郎の爪がわれた瞬間に、FCをやめようなんて気持ちが消え去った。9月の達郎はたまたま調子が悪かっただけだ。もう2度と達郎を裏切る気はない。

 これが私の“アンコール オブ ザ ベスト”、これを胸に刻んで、また来年のツアーでもこんな感動に出会いたいのです。

 


 山下達郎ファンの皆様、ぜひとも来年のコンサートを楽しみに待ちましょう。きっと素晴らしい音楽が待っています。

 このブログも、書評、ドラマ評、続けていきますので、どうぞよろしく。みなさま、よいお年をお迎えください。

                                (敬称略)


 テレビドラマは放映が終了すると泡が弾けるように忘れ去られるもので、映画よりも賞味期限がとても短い。人生の一時期、映画ファンだった私はドラマを娯楽として考えていませんでした。それが今や、ドラマのブログを立ち上げるなんて、人生はわからないものです。


 ところで、映画ではディレクターのことを監督と称するのですが、テレビドラマでは演出とクレジットされる。この違いはいつから、またどうしてついたのでしょうか?映画ファンは必ずといっていいほど好きな監督をかたるのに、ドラマ好きはキャスト(俳優)とコンセプトでにぎやかす。おなじ映像作品なのにこの違いはなぜ?。ドラマの場合、演出家は放送局やプロダクションに所属しているので会社の影響が大きいのでしょうか?


 かつて私は、十数年前に一日4本映画を掛け持ちしてみる映画フリークでした。有楽町界隈の映画館をまわり、上映時間を縫うように見ていました。(ちなみに思い入れのある映画館は、有楽町マリオンの東宝側と、シネスイッチ銀座)しかし、仕事が忙しくなり映画を見る時間が削られ、また通うのが億劫になるにつれて、数年前からテレビドラマを視聴するようになりました。


 そんな元映画ファンからすると、ドラマの演出はオタクの匂いが少ない。映画監督はS.スピルバーグもそうであったように、カメラを幼い頃からいじってきた人が長じて監督になるケースが多い。ところがドラマの場合、たとえば『龍馬伝』の大友啓史氏は幼い頃はドラマをほとんど見なかった(朝日新聞の土曜版でかたっている)。映像をおもちゃにしてきた子は、長じて映画界に就職したケースがおおいのでしょう。ドラマを作る人はサラリーマン的なのかも。ただし、ドラマの製作スケジュールはタイトなので演出家が複数いるケースがほとんとで、それもドラマがオタク化から遠ざかる理由でもある。

 

 自分の人生の都合でドラマフリークになった今でも、映画に耽溺した時代をひきずっています。それは演出家と脚本家の名前をおぼえてから作品を見るか見ないかを決めること。この見方をテレビでおこなうと、おなじ演出家のドラマでも当たりはずれが多くなって何度も失敗しています。ドラマをみるときは別の見方が必要ですかね。



 映画を見るときは、カットの編集、台詞の熟成度、俳優のしぐさ、などを見ます。やはり批評をしながら見るのが楽しくもあるのですが、その反面、枝葉末節をみるあまり楽しんでみることからは遠ざかる。そこは世界が映画からドラマに移っても変わらない。そして、筆者の趣味の性向は、エンターテイメント性のつよいものより、やや問題作といわれるものが好みです。いわゆるへそ曲がり。娯楽性作品はそのとき夢中にみても、後からふりかえると「まあまあかな」と、冷めた気分で思い出す。『華麗なる一族』はDVDをもっているのに今やお蔵入り。下記でコメントする、おなじクールでも他局の作品のほうが今でも見ます。そこで、過去に見たドラマで“1位タイ”のドラマを2本上げておきます。


 

 『ハゲタカ


 このドラマで録画率という分析方法があることをはじめて知りました。仕事をしていてリアルタイムに視聴できないサラリーマンが録画してみたドラマですね。

 このドラマを見ていた時期は私は一日12時間労働が当たり前のころで、その疲労感や徒労感を鷲津政彦(大森南朋)や柴野健夫(柴田恭兵)に重ねてみていました。金融社会の果てしない欲望に飲み込まれながら歯を食いしばって生きる、社会情勢が変わっても人の生き様を見る上では格好のドラマです。

 青みがかった映像処理、せわしないけれど迫力ある音楽、キャスト変更やご病気で撮影延期の事態にも負けずにがんばったスタッフと俳優陣、などが組み合わさったアンサンブルです。そして、映画版で中国資本が進出してくるさまは、今になって切実な問題に思えます。



 『結婚できない男


 これはTSUTAYAからDVDを借りてこの3日で全部見返しました。抱腹絶倒してみました。こんなことは『踊る大捜査線』以来でしたね(ちなみに今年の映画はだめです)。

 桑野信介(阿部 寛)が毎回、クラシックを聞きながら指揮の真似事をするのは、脚本の尾崎将也氏の実体験だと雑誌(日経エンタテイメントだとおもいます)でみたことがあります。自分のことをかけば誰でも小説を書けるといいますが、それは自分のことをかくことが人間を掘り下げる最良の方法になりえるから。結果的にそれが一番ひとを感動させる方法になるし、そこから出発すれば他人のことも書ける(かもしれない)。最良の脚本とキャストのはまりのよさ、そしてKENちゃんの演技のうまさ、どれも天下一品です。このドラマのおかげで、阿部寛がでていればどんなドラマでもチェックするようになりました。ドラマをみて俳優をおぼえる、ひとと逆の見方をするようになった端緒のドラマです。余裕でたらDVDを買わなきゃ。


 

 しかし、なんでこんなに趣味が正反対なんでしょう。結局、脚本重視で難しいもの好きってことです。


 今年のドラマで好きなのは『ゲゲゲの女房』『チェイス~国税査察官』『10年先も恋して』『咲くやこの花』『心の糸』『フリーター、家を買う』です。苦手なのは『鉄の骨』『チャンス』『99年の愛 Japanese Americans』、好悪半ばなのは『龍馬伝』『獣医ドリトル』、最終回だけ見て面白かったのは『流れ星』、こんなところです。

 

 さて私が選ぶ今年のドラマアカデミー作品賞は、過去に見たドラマ1位タイに並びます。きっとこれからも見続けますね。それは別項で。


 どうでもいいことですが、私のネーム“リーン”は1962年の映画でアカデミー賞7部門受賞した『アラビアのロレンス』の監督、DEVID LEAN からいただいてます。黒澤明よりこっちですよ。


 

 結局、このドラマのことを書きたいがために1コーナーつくってしまいました。このドラマがなかったら私の大賞は『ゲゲゲの女房』です。その2作品の差は、作品が終了してからYAHOOの質問箱で検索して細かいディテールを知りたくなるほど引きずったか、最終回終了と同時にマイブームがなぜか終わってしまったかの差です。暗い穴なのにずっと隠れていたい気分、これが数日続きました。


 最終回の結末は賛否両論というより、ドラマを愛する人がそれぞれの結末とふたりの未来をそだてた、そんな重い想像が質問箱の答えによせられていました。 わたしのなかで、『ハゲタカ』の鷲津政彦が足を引きずって働いていて、『結婚できない男』の桑野信介が早坂夏美と皮肉を投げ合う、そんなシーンをいまでも心の鳥かごに飼っています。おなじように『Mother』の私の中では、鈴原奈緒(松雪泰子)は今でも償いを続け、継美(芦田愛菜)は道木怜南として暮らしている。気味のわるいことですが、そんな擬似現実感をこのドラマに持ちました。ふたりはどこかに今でもいそうな気がする……。


『Mother』が放映された今年の4月から6月も、今と変わらず、幼児虐待のニュースが流れました。さらに放映当時、NHKの番組で、漫画週刊誌モーニングに掲載されている『特上カバチ』で幼児虐待を扱ったシリーズが取り上げられました。社会情勢の悪化と重なったこともあり、登場人物を見守るような気持ちでいた人は多かったのでは。このドラマは6月末に終了したのに、ホームページではコメントの受付をを9月末まで延長していたようです。たしか『怪物くん』より長期間のはず。コメントはどれも切実で真剣でした。


 このドラマを見てまず連想したのは、むかし日本テレビで放映された『池中玄太80キロ』のこと。西田敏行演じる玄太は、人間を被写体にするのは苦手だが野鳥を撮らせると天下一品のカメラマンという設定。その彼が妻を亡くしたあとの子育てをえがいたヒューマンドラマと『Mother』のどちらにも野鳥があらわれる。チーフディレクターの水田伸生は若い頃“玄太”の第2シリーズでサブ演出をしていたそうだ。日本テレビのドラマのDNAがこんなかたちで出てきたのでしょうか。うがった考えですが、放送局ごとに培われた伝統があるとしたら、それが最良のかたちで出現したように感じた。



 私はどうしても1話が見たかったのでアマゾンでBOXセットを購入しました。初回はまるでショートムービーのような手触りでドラマ離れしたつくり。さらに全11話の雛形のような、各場面がリンクした複雑な構成でした。ざっといくつか挙げてみます。


 1、奈緒と怜南が喫茶店で遅い夕食をとるシーン(これはフランス映画かと思わせるレトロなところ)

   → ふたりが向かい合って座る位置が最終話のラストカットとおなじ位置。


 2、「怜南も連れてってえ~」の砂浜のシーン

   → 初回は白銀の世界、最終回は緑が萌えている。


 3、北斗星に乗りお弁当をひざの上に置く

   → 手を重ねあう場面が、これも最終話のラストとリンクしている。


 初回のカットが未来を暗示しているシーンがおおい。おそらく私よりもっとはまった人が見ればまだまだ出てくるはずだ。こうしたワンカットを忍び込ませる撮影と編集、これを見つけるのは視聴者側としてのドラマ冥利につきる。またこんな映像をまぶすところが実に映画的なのだ。台詞をつなげるだけが作品の魅力ではない。


 

 と映像のことを取り上げてばかりで、もう一方の大事な構成要素の台詞はどうかといえば、これもとても意外性に富んでいて興味深い。


「クリームソーダは食べ物ですよ」


 なんてこれは思いつきでは書けない。この発想、坂元裕二氏はどこでみつけたのだろうか。もしや愛菜ちゃんが普段はなしていることから着想したのでしょうか。つくりものめいて現実には交わさない言葉を盛り込んでいるのに、はっと胸をつかれることばのかずかず。置手紙のシーン、温泉街での悲痛な別れ、そこに加わるなにげないしぐさ、台詞と演技の相乗効果で美しいドラマができている。ひとりの力が突出していることがなく、組み合わさった積み重ねをここに見る。台詞は多すぎてあげきれない。


「うすのろ」 「ロボット体操」 「裏街道」 「運動会体操」



 こんなしりとり、日本の誰も思いつかない。きっと坂元氏は、墓場で鬼太郎にこれを教わったにちがいない。





 俳優陣では、話題をさらった芦田愛菜ちゃんのこと。彼女でひとつ驚いたのが、一ヶ月に本を何十冊もよむと発言したこと。彼女の年齢からいって絵本とかひらがな文のかんたんなものを読むのでしょうが、おそらく音読した言葉を耳にいれ、さらに他人や社会生活できく言葉をまた聴いておぼえる。読書で身についた力と、もうひとつ実体験が結びついてできた感性、それが一番長持ちしていつまでも使える能力だとおもう。寡聞にして、若手女優で読書を役作りの基礎にしているのは井上真央だけ、宮崎あおいもそこはしっかりやっているかもしれない。 おそらく東宝所属のNさんや、先輩で子役あがりのSさんとは違う気がする。愛菜ちゃんが女優を続けるかは神のみぞしるところですが、今のままなら引っ張りだこじゃないかな。ドラマの収録時より背が伸びた愛菜ちゃんをみるのがこれからも楽しみです。ロボット体操は特許をとって永久保存したほうがいい。あれぞ、生涯であのときにだけできる芸術でしょう。


 この作品とおなじ幼児誘拐がテーマの『八日目の蝉』、このブログで書評をしてますが、そちらの人物は結局自分が何を求めているのかが最後までわからない。まるでこちらは雲をつかむような心持で読みました。

 おなじテーマを扱いながらも、『Mother』は衝動的に誘拐し悪事をかさねながらも、他人が無理やり環形を築いていく。なかば確信犯的に。その過程について、演出の水田はザ・テレビジョン誌のドラマアカデミー賞受賞時にこんなコメントをよせている。


 “母性”という曖昧模糊としたものを描くのに最初迷いがありましたが、第2話のラスト、歩道橋の上で奈緒と葉菜(望月葉菜、田中裕子)が擦れ違うシーンを撮った後に“愛する人をおもう気持ち”とシンプルにとらえて向かえばいいんだと、進む道が決まりました。


 誘拐を扱った作品という構成をとりながら、じつは誰もがDNAに組み込まれた愛情を扱った作品というのが、じつはこの作品の正体。『Mother』は、雲のようにとらえがたく育てるのが難しい“愛する人をおもう気持ち”を、産んで育てつくっていく過程を見せることが感動をよび、奈緒と継美を生きているように錯覚し続けた。

 まるで、わたしの心のなかで熾火のようにくすぶり、やせきった愛情をつついて起こす作品です。子どもがいなくても、なぜか胸が疼き漣がひろがる、やさしくてこわい感動をおぼえます。

 いよいよ佳境にはいったドラマ『坂の上の雲』……、と書きたいところですが、旅順港閉塞作戦で終わってまた来年とは待たされすぎです。大河ドラマを経て1年後は長すぎ、なんとかなりませんかNHK様。


 今回、日本帝国海軍が行う作戦は先に書いたように旅順港閉塞作戦。ロシア艦隊を黄海におびき寄せようとして失敗したため、逆に穴の中に閉じ込めようとするもの。しかし、港の近くにはコンクリートで固めた大要塞がそびえ、湾を囲むように火砲も待ち構えている。入り口に船を沈めて口封じ作戦はどう考えても無理な話。仮に旅順艦隊を封鎖できても、ロシア本国にはバルチック艦隊が出撃を待っている状況では、日本が絶対に勝ち目が無い。日本近海で挟み撃ちに合うのを待っている状況とは、日本の海軍は生きた心地がしない、よくこんな戦争を仕掛けたものだ。


 唯一、日本にとって救いなのが、ロシア皇帝以下、一部の軍人にやや弛緩した空気が流れていること。しかし相手が転ぶことを待っている日本の状況では引き分け狙いがいいところ。今の日本政府と国民なら、帝国ロシアに屈服してもおかしくない。


 秋山真之(本木雅弘)が


全員生還を期するのが作戦の大事


 とことあるごとにいい続ける。この言葉が、二次大戦での神風特攻隊に象徴されるように、玉砕精神で敵に突っ込む後世の日本帝国陸軍への皮肉に聞こえる。日本は昔から精神主義で、「心頭滅却すれば火もまた涼し」のごとく(この言葉を残した快川和尚は精神主義者ではないでしょうが)生きていたのでしょうか。この作品をみていけば、やはり明治の人間は合理主義なのかと思わせる。


 秋山とは対照的に広瀬武夫(藤本隆宏)はアリアズナ宛の手紙を真之に託すなど、どこか死を覚悟した身辺整理に似たことをはじめる。広瀬は後の日本軍人とおなじ精神主義者とはおもえないが、真之と対照的に、


全員生還する作戦などありゃあせん


 といって軽く抵抗する。あたりまえのことをいっているだけで間違っていないが、こんな呟きも今回のドラマの最後におこる悲劇を予感させる。さりげないけれど上手につくっている。

 2度目の閉塞作戦のとき、広瀬は沈める船の甲板で部下を探す行動をおこす。上官として合格点の男が海上で一発の銃弾で海の藻屑ときえる皮肉、運命とは残酷なものです。それはロシアにいるアリアズナにとっても……。


 この第2部は藤本隆宏さんが主役といってもいい。彼はもと五輪代表の水泳選手だったのですね。どおりで立ち姿が堂々としていて、声もふとくていらっしゃる。ほかのドラマでぜひお会いしたいものです。

そして来年こそ好古(阿部 寛)に大陸でがんばってもらいましょう。


 戦争が始まり人間が単なる銃弾一発とおなじ駒のひとつでしかなくなる、いよいよ血で血を洗う苛烈な状況が待ち構えている、ドラマとはいえやり切れません。


 筆者にとって歌番組は、


 山下達郎が出演しない番組


 という、やや遠めから見る感覚を持ちます。


 1999年2月4日にNHKホールではじめて山下達郎の歌声と演奏を聞いて以来、年を重ねるごとに歌番組を視聴する頻度が減ってきた筆者にとっても唯一気にかけてみる番組がこれです。なんだか、冬なのに七夕のような気分がします。


 小田和正といえば、オフ・コース、「ラブストーリーは突然に」、『クリスマスの約束』のほかに


 「クリスマス・イブ」をつくるきっかけになった人


 やや斜にかまえたイメージを持ちます。それは、達郎のベストアルバム『トレジャーズ』にも、


 これは当時一世を風靡していたオフ・コースへの対抗意識から出たアイデアです。


 とあるように、筆者にとってはこの時期に日本中に流れる名曲を生み出すきっかけに間接的に寄与したというものです。小田のファンにとって迷惑なはなしで申し訳ないです。


 山下達郎と小田和正は、達郎が自分の会社・スマイルカンパニーを青山のアパートの作ったとき、その一階にオフコース・カンパニーが入居していたが、当のオフ・コースはツアーに出ていてお互い出あったことがなく、その頃からふたりはすれ違い続けている。


 それが、この番組がはじまったとき、小田が著名ミュージシャンに直筆の手紙を出したことで、ふたりは一瞬の交錯をみせます。小田にこたえて、達郎が丁重な断りの手紙をおくり、それを小田が読み上げる、もう10年前になるのですね。



 拝啓 小田和正さま


 オレだ!!


 といって観客の笑いを誘い


 小田さんの趣旨はよくわかるのですが、いかんせんこちらはCMで一回、レコード大賞で2回テレビ出演しただけです。キャリアが重なった今ではいかんともしがたいです(要約)


 達郎の手紙をよみあげて


 これも、実質、テレビ出演だよな


 といってしめくくり小田節でうたわれた「クリスマス・イブ」、不思議な気分でした。


 10年前はひとりでカバーをうたっていた頃からすると、とくに前回と今年、多数のミュージシャンが一同に会するライブに成長したことは、小田がおそらく望んだであろう音楽家同士のリスペクトする番組になっているようで感慨深い。放送局のお仕着せになっておらず、小田の力と情熱をかんじる。


 今回『クリスマスの約束2010』で筆者が聞きほれたのは、山本潤子の「冷たい雨」です。 



 つめたいあめにうたれて まちをさまよったの

 もうゆるしてくれたって いいころだと思った

 部屋にもどってドアを開けたら

 あなたのくつと誰かの赤いくつ

 あなたはべつの人と ここでくらすというの

 こんな気持のままじゃ どこへもいけやしない


 この奥ゆかしい歌詞、いまのJ-POPではなかなか聞けない、四畳半のアパートのイメージがそこはかとなく漂ってくる。こんなしっとりした曲を小田のコーラスアレンジをかぶせて聴くのは、声の厚みが感じられて気分がいい。このライブには、日本のフォークの匂いがあふれている。

 あとはKiroro・ 玉城千春の告白。彼女が出演するまでに抱えた苦悩、子育ての最中に歌を聴きたくないとまで追い込まれた絶望。そこから昨年のこの番組をみて「そこのなかにいたい」と思うまでのこころの軌跡を玉城が笑いをさそいながらも切々とかたる。実にこの番組らしいシーンだ。音楽家が立ち直り集い、そして歌声を響かせる絶好の機会。小田和正が孤独に奏でた音に、やがて他のミュージシャンが合流して音を加え伴奏する。音楽が成しえる温かなつながりがここにある。

 この番組は筆者にとっては、山下達郎以外のミュージシャンをきいて脳内補完をするいい機会です。スキマスイッチもなかなか聴かないですから。


 でも、山下達郎は作詞、作曲、編曲、演奏、歌唱、コーラス、全部ひとりでやっているんだぞ、とこちらは呟いてしまう。この番組を見て、ほかのミュージシャンを聞いておぼえても、結局、ひとり多重録音の世界にかえってしまう。

 達郎がテレビに出ることなく、今年も39本のコンサートツアーをファンに届けてくれた。彼がひとり多重録音で作る「日本語で歌う洋楽」の世界に、結局筆者はもどってしまう。この番組を視聴したあとはいつも「いいものを聴いた」とおもいながら複雑な気分に浸るのです。


                              文中、敬称略