結局、このドラマのことを書きたいがために1コーナーつくってしまいました。このドラマがなかったら私の大賞は『ゲゲゲの女房』です。その2作品の差は、作品が終了してからYAHOOの質問箱で検索して細かいディテールを知りたくなるほど引きずったか、最終回終了と同時にマイブームがなぜか終わってしまったかの差です。暗い穴なのにずっと隠れていたい気分、これが数日続きました。
最終回の結末は賛否両論というより、ドラマを愛する人がそれぞれの結末とふたりの未来をそだてた、そんな重い想像が質問箱の答えによせられていました。 わたしのなかで、『ハゲタカ』の鷲津政彦が足を引きずって働いていて、『結婚できない男』の桑野信介が早坂夏美と皮肉を投げ合う、そんなシーンをいまでも心の鳥かごに飼っています。おなじように『Mother』の私の中では、鈴原奈緒(松雪泰子)は今でも償いを続け、継美(芦田愛菜)は道木怜南として暮らしている。気味のわるいことですが、そんな擬似現実感をこのドラマに持ちました。ふたりはどこかに今でもいそうな気がする……。
『Mother』が放映された今年の4月から6月も、今と変わらず、幼児虐待のニュースが流れました。さらに放映当時、NHKの番組で、漫画週刊誌モーニングに掲載されている『特上カバチ』で幼児虐待を扱ったシリーズが取り上げられました。社会情勢の悪化と重なったこともあり、登場人物を見守るような気持ちでいた人は多かったのでは。このドラマは6月末に終了したのに、ホームページではコメントの受付をを9月末まで延長していたようです。たしか『怪物くん』より長期間のはず。コメントはどれも切実で真剣でした。
このドラマを見てまず連想したのは、むかし日本テレビで放映された『池中玄太80キロ』のこと。西田敏行演じる玄太は、人間を被写体にするのは苦手だが野鳥を撮らせると天下一品のカメラマンという設定。その彼が妻を亡くしたあとの子育てをえがいたヒューマンドラマと『Mother』のどちらにも野鳥があらわれる。チーフディレクターの水田伸生は若い頃“玄太”の第2シリーズでサブ演出をしていたそうだ。日本テレビのドラマのDNAがこんなかたちで出てきたのでしょうか。うがった考えですが、放送局ごとに培われた伝統があるとしたら、それが最良のかたちで出現したように感じた。
私はどうしても1話が見たかったのでアマゾンでBOXセットを購入しました。初回はまるでショートムービーのような手触りでドラマ離れしたつくり。さらに全11話の雛形のような、各場面がリンクした複雑な構成でした。ざっといくつか挙げてみます。
1、奈緒と怜南が喫茶店で遅い夕食をとるシーン(これはフランス映画かと思わせるレトロなところ)
→ ふたりが向かい合って座る位置が最終話のラストカットとおなじ位置。
2、「怜南も連れてってえ~」の砂浜のシーン
→ 初回は白銀の世界、最終回は緑が萌えている。
3、北斗星に乗りお弁当をひざの上に置く
→ 手を重ねあう場面が、これも最終話のラストとリンクしている。
初回のカットが未来を暗示しているシーンがおおい。おそらく私よりもっとはまった人が見ればまだまだ出てくるはずだ。こうしたワンカットを忍び込ませる撮影と編集、これを見つけるのは視聴者側としてのドラマ冥利につきる。またこんな映像をまぶすところが実に映画的なのだ。台詞をつなげるだけが作品の魅力ではない。
と映像のことを取り上げてばかりで、もう一方の大事な構成要素の台詞はどうかといえば、これもとても意外性に富んでいて興味深い。
「クリームソーダは食べ物ですよ」
なんてこれは思いつきでは書けない。この発想、坂元裕二氏はどこでみつけたのだろうか。もしや愛菜ちゃんが普段はなしていることから着想したのでしょうか。つくりものめいて現実には交わさない言葉を盛り込んでいるのに、はっと胸をつかれることばのかずかず。置手紙のシーン、温泉街での悲痛な別れ、そこに加わるなにげないしぐさ、台詞と演技の相乗効果で美しいドラマができている。ひとりの力が突出していることがなく、組み合わさった積み重ねをここに見る。台詞は多すぎてあげきれない。
「うすのろ」 「ロボット体操」 「裏街道」 「運動会体操」
こんなしりとり、日本の誰も思いつかない。きっと坂元氏は、墓場で鬼太郎にこれを教わったにちがいない。
俳優陣では、話題をさらった芦田愛菜ちゃんのこと。彼女でひとつ驚いたのが、一ヶ月に本を何十冊もよむと発言したこと。彼女の年齢からいって絵本とかひらがな文のかんたんなものを読むのでしょうが、おそらく音読した言葉を耳にいれ、さらに他人や社会生活できく言葉をまた聴いておぼえる。読書で身についた力と、もうひとつ実体験が結びついてできた感性、それが一番長持ちしていつまでも使える能力だとおもう。寡聞にして、若手女優で読書を役作りの基礎にしているのは井上真央だけ、宮崎あおいもそこはしっかりやっているかもしれない。 おそらく東宝所属のNさんや、先輩で子役あがりのSさんとは違う気がする。愛菜ちゃんが女優を続けるかは神のみぞしるところですが、今のままなら引っ張りだこじゃないかな。ドラマの収録時より背が伸びた愛菜ちゃんをみるのがこれからも楽しみです。ロボット体操は特許をとって永久保存したほうがいい。あれぞ、生涯であのときにだけできる芸術でしょう。
この作品とおなじ幼児誘拐がテーマの『八日目の蝉』、このブログで書評をしてますが、そちらの人物は結局自分が何を求めているのかが最後までわからない。まるでこちらは雲をつかむような心持で読みました。
おなじテーマを扱いながらも、『Mother』は衝動的に誘拐し悪事をかさねながらも、他人が無理やり環形を築いていく。なかば確信犯的に。その過程について、演出の水田はザ・テレビジョン誌のドラマアカデミー賞受賞時にこんなコメントをよせている。
“母性”という曖昧模糊としたものを描くのに最初迷いがありましたが、第2話のラスト、歩道橋の上で奈緒と葉菜(望月葉菜、田中裕子)が擦れ違うシーンを撮った後に“愛する人をおもう気持ち”とシンプルにとらえて向かえばいいんだと、進む道が決まりました。
誘拐を扱った作品という構成をとりながら、じつは誰もがDNAに組み込まれた愛情を扱った作品というのが、じつはこの作品の正体。『Mother』は、雲のようにとらえがたく育てるのが難しい“愛する人をおもう気持ち”を、産んで育てつくっていく過程を見せることが感動をよび、奈緒と継美を生きているように錯覚し続けた。
まるで、わたしの心のなかで熾火のようにくすぶり、やせきった愛情をつついて起こす作品です。子どもがいなくても、なぜか胸が疼き漣がひろがる、やさしくてこわい感動をおぼえます。