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リーンのガラパゴスサロン~趣味や娯楽の広場

「リーンのガラパゴス批評」の兄弟ブログです。趣味に関する記事はこちらでどうぞ。

 

 卓球というゲームはあっという間に終わる。めまぐるしくラリーが交わされ、1ゲームが瞬く間に終わる。ネット時代というのはスポーツ観戦に多様な楽しみを与えてくれる。ロンドン五輪の中継を、テレビでは卓球の女子シングル3位決定戦を観戦、パソコンのライブストリーミングではテニスの男子シングル3回戦をちらりとみやる。軽やかなタッチでストロークやボレーを操るロジャーフェデラーのショットですら、卓球のピンポン玉が台上を飛び交うさまを見ると、まるで黄色の砲丸をラケットで叩いているようだ。


 雨天中断に動揺せず、アンフォーストエラーに苦しみながらもストレートでフェデラーが無事にベスト8に進出したのを確認して、テレビの中継に集中すると、石川佳純選手の目がつりあがっていた。サーブからの3球目攻撃が決まらない、自分が打ったショットがすべてオーバーしていく。第1ゲームを取っていたら、これほどあっさりとした決着がつくはずはない。スコアだけを見れば4ゲームを立て続けにとられた完敗だった。相手のシンガポールの選手はポイントが決まるたびに軽い雄叫びを挙げていたが、気丈で芯の強いであろう石川選手がおとなしく見えた。気迫でやり返してしまえればいいのに。


 卓球の世界は中国人が独占している。正確な資料がないのだが、今日石川選手と対戦した選手とコーチは名前と風貌が中華の雰囲気を醸している。アフリカの陸上選手の国籍変更はもはや常習化しているし、日本では猫ひろしさんが国籍を変えてまで五輪出場にこだわった。外国語が離せない私からすれば、国籍変更はアイデンティティを無くす重大問題だと思うのだが、この卓球競技に関して言えば、中国選手ばかりが目につく。中国選手はエリート中のエリートであり、その選手に阻まれて国際大会に出られない選手が世界各地に散らばり国籍を変えて出場している。いわば中国人の1軍と2軍の戦いである。一昔は北欧勢が強い時期もあったと記憶しているが、昨今のように中国が独裁してしまうと、他国が流れを変えるのは容易なことではない。それだけに、今回石川選手には風穴を開けて欲しかったんですけどね……、残念でした。福原愛選手も第1シードの中国選手に負けてしまったし、打倒中国は道半ばですね。でも残る団体戦も、そして4年後も期待しています。今度は勝利の雄叫びを挙げてほしいですね。

 やはり典膳(山本耕史)が千春(柴本幸)を離縁した理由がいまひとつわからない。たしかに千春は長馴染みと心ならずも不義を働いてしまった。丹下家を守る身としては落ち度があった。だが典膳の母・ぬい(檀ふみ)の葬式で“キツネ封じ”の一計を使って千春が心無い噂にさらされることを救ったはずなのに。


 この理由がわからないのは私の不徳の致すところ、とかっこつけたくなる。だが制作側の意図としてどうもここをわざと不透明なものにしている気がしてならない。事実、千春の親許である長尾家の面々は離縁の理由がはっきりわかっていないし、そこで千春の兄が激昂して典膳の左腕を切りつけていまう。


 ここから、典膳の転落が始まる。


 お家の家禄召し上げ。つまり武士の身分をはく奪され浪人になる。


 しかも、刃傷沙汰の理由を上杉家の家老・千坂兵部(草刈正雄)から口外することをきつく止められる。長尾家が千坂家と同じ上杉家の家来であるために、お咎めをうけることを避けるため。典膳にとっては踏んだり蹴ったりだ。現代の人間なら


「バカヤロー!!」


 とか毒づくか、ミステリー仕立てなら復讐を考えるところでしょうか。ここを淡々と受け入れるさまを山本はさわやかに演じている。理不尽な上意を心中ではこらえつつもそこを表情に見せないすがすがしさ、そこをうまく演じられるのが時代劇の良さであり醍醐味である。NHKが山本を使いたくなるのはわかる気がする。

 でも、家禄召し上げはあまりにも理不尽だ。江戸時代ではこうしたことに対し、異議申し立てとか裁判に持ち込めなかったのだろうか?この描いている時代からずっと下って『遠山の金さん』といった勧善懲悪ものの印象が強いだけに、江戸時代だって裁判はできないのでしょうかね。それとも、武士は刃傷沙汰を起こした時点で有無を言わさず沙汰をうけいれることだったのかもしれない。そして不義密通も。つくづく対面が大事にされる時代だ。今の私が江戸にタイムスリップしたらとてもやっていけないだろうが、時代劇を見る上では理不尽さを受け入れてこそ楽しめるってことでしょうか。


 そして、もうじき江戸を揺るがす刃傷沙汰がこの時代劇に登場する。典膳が時代に飲み込まれていく過程がおそらく描かれる。次回は中山安兵衛(高橋昌也)に活躍してもらいましょう。

 株式会社は生まれたときから、すでに滅びる運命にある。



 社長は就任したときから、すでにむなしく退陣する宿命を背負っている。



 

 福島第一原発の事故が起きて以来、会社と社長、そして政治家とは何なのか、そんなことを漠然と考えて過ごしてきた。今も懸命に生きる被災者の方々、身をとして懸命に働くボランティアや自衛隊員、そして福島第一原発で事故を最小限に食い止めようと必死に身を粉にする現場の作業員、名もなき人々が今もわが身を顧みずに目の前の作業に没頭している。



 それに比べて、政府関係者を含む国会議員と東京電力の会長や社長などの役員は、なんと国民と遊離した精神で生きていることか。



 原子力発電というエネルギーが出現して以来、政府と電力経営者が原発や放射線に関して国民に流した情報は、ほとんど偽善といわれてもしかたない。



「放射線量はただちに人体に影響を与えるものではない」



「メルトダウンはおきていない」



「原子力発電は安全だ」



 安全、安心をいい続けてもあとから情報が公開されるたびにすべて否定される。一号機ばかりでなく二号機や三号機もメルトダウンをおこしていたと二ヶ月以上も経ってから発表するとは国民を馬鹿にしている。お偉いさんという人種は、責任逃れと自己保身、権力の維持と利益の確保ばかりを優先するのがお好きらしい。国策によって原発を維持していれば懐は潤うし、天下りだって思うがままで老後の生活も安泰というもの。実においしい話だ。

 原発は国民の喉下に刃を突きつけているようなものだ。その刃は切れ味鋭く、たちが悪いことに姿は見えず、無差別に人の皮膚に確実に突き刺してくる。お偉いさんは刃を国民に向けたまま、自分たちだけはうまみをほしいがままにしている。こんなことが許されていいのか!?





 ようやく重い腰をあげて書くことにした土曜ドラマ『ハゲタカ』は、第4話からひとつの株式会社が登場します。



 その名も、大空電気株式会社。



 カメラ製造の町工場から創業し、戦後の東京五輪の景気にのって冷蔵庫などの白物家電を製造・販売して爆発的に売り上げを伸ばし社業を発展させてきた。創業者にして2004年当時は会長である大木昇三郎(菅原文太)は家族主義をかかげ、「企業は人なり」の精神のもとリストラをしない経営方針がモットーだ。終身雇用の権化といえる。

 しかし創業部門のカメラ・レンズ部門は、一眼レフカメラ全盛の時代が過ぎ去りデジカメが世間に浸透する流れに乗り遅れて新商品の開発がおぼつかなくなる。ついには800億円の赤字を出すほどの経営不振に陥った。そこへ大空電気の技術を軍需産業に利用しようとアメリカのレンダント社が目をつけ、ホライズン社にカメラ・レンズ部門のみの買収を依頼する。そこで、大空電気という死肉をあさる“ハゲタカ”として送り込んだのがこのドラマの主人公・鷲津政彦(大森南朋)であり、大空電気を内から改革して“ハゲタカ”の脅威から守り抜こうと呼ばれたのが、三葉銀行を退社しターンアラウンドマネージャー(企業再生請負人)として独り立ちした芝野健夫(柴田恭兵)というのが今回の流れです。鷲津と芝野の宿命の対決がふたたび幕を開ける。リストラ至上主義の合理化経営が勝つか、それとも終身雇用を基本にしながらも21世紀に生き残る新家族主義が勝つか。



 第4話のみに登場する大木昇三郎は劇中ではカリスマといわれ社業の発展と経営にかなりの手腕を発揮してきた設定のようです。才覚も先見性もあったはず。しかし、齢を重ね会長となり、事なかれ主義の重役が増えて経営が傾いてくると、いささか緩みがあらわれ事なかれ主義的気分に浸っている。鷲津が自宅を訪ねて大空電気の経営刷新を説いたことに答え、カリスマといわれたひととはおもえない謎のことばを返す。



やり直したいのなら、何もやらないことだよ



 私はこの言葉をどう解釈していいのかわかりません。赤字を抑えるために手を打たないといっているような事なかれ主義をカリスマがいうのです。歳をとったら安全策に走るということでしょうか。それとも景気が上がるのを待てば自然に赤字も解消されるということでしょうか。



 事なかれ主義をひけらかす大木の姿と、東京電力の取締役クラスをどうしてもかさねてしまう。現場で働いたころはやる気も希望もありながら、重役や会長になってフカフカの椅子に座るころにはすべて事なかれ主義でなにごとも押し通す。原発事故で放射能を垂れ流す事態になっても安全をいい続け、800億円の赤字を作っても何ら打開策を打たずに芝野の改革案「フェニックス計画」を握りつぶす。偉い人間ばかり増えたらそろそろ会社は斜陽を迎える。日本航空も似たようなものだ。



 鷲津はそうした一部の人間がもたらした事なかれ主義で会社の経営が傾くことが許せない。若いころに世話になった製造業の末端の子会社、三島製作所の社長は“たった200万円”の資金が用意できず(銀行員時代の担当であり、結果的に資金を貸し渋りした)に自殺した。それなのに名のある大企業のお偉いさんは自分の会社の危機にも胡坐をかいているのが理解できない。



東京電力は、もう死に体じゃないですか。あなた(東電経営陣)が死んでも、東電は生き続けなきゃいけないんです



 いま鷲津なら東電にこんな言葉をかけるかもしれない。腐ったこの国の腐った株式会社は経営を改めないのはやはりおかしい。



 倒産寸前、滅び行く株式会社に挑戦状を叩きつけるかのごとく、“ハゲタカ”は株主総会の場で演説をふるうのです。それは彼自身の再生と、過去に世話になった三島製作所の生きる術を心に秘めた孤独な挑戦になるのです。



                                  (まだ続く)

 

 僕は夏からずっとツアーを続けています。それも、もうすぐ終わります。



 今回の自分の今年のツアーで、僕は、僕にとって一番新しい曲であるあるこの歌を、この歌をつくるきっかけを与えてくださった、ナインティナインの岡村隆史さんと、それから今、病気と闘って、まさにそれを克服しつつある僕の友だちの桑田佳祐さんに捧げながら、ずっと歌い続けてきました。



 でも、今夜は、僕はこの歌を、今夜ここにお集まりのすべてのお客様に向けて、それから今日のイベントを脇で支えてるワーナーミュージックのすべてのスタッフひとりひとりに向けて歌いかけたいと思います。



 歌は人を幸せにするためにあります。



 歌というのは人の幸せにつくすためにあります。



 でもときどき、本当につらいとき、本当に悲しいとき、歌は残念ながら、とてもちっぽけな力しか持ちえません。僕はいつもいつも、そのことを思いながら35年間歌い続けてきました。



 ワーナーミュージックの社長だった吉田君は、自ら命を絶つ一週間前に僕のライブに見にきてくれて、この曲を聴いていきました。それが、今の僕にはとても残念でなりません。



 それでも、僕はこうして歌い続けることしかできません。そして、人の幸せにつくしつづけることを願い続けて歌い続けることしか僕にはできません。決して、生きることを放棄してはいけません。いろいろなことがあるでしょうけど、去っていった人の分まで、みんなで助け合って励ましあって、悲しくても苦しくてもつらくても、それでもみんなで生きていきましょう。



 歌の文句にあるように、夢はいつも必ず叶うもんじゃありません。人生はそんなに甘いもんじゃありません。



 それでも、生きていきましょう。



 内輪のいろいろなことにまったくかかわりのない今日のお客様に、ちょっと説教臭い話でごめんなさい。本当は、今日は、僕はひとことも言わずに歌だけうたって帰ろうとおもっておりましたけれども、でもやっぱり、これだけは言わずにはいられませんでした。



 どうも、ありがとう。





 これは『山下達郎のサンデーソングブック』、5月1日放送分の音源から起こしています。2010年10月31日、日本武道館で開催された、ワーナーミュージックのイベント・100年ミュージックで「希望という名の光(および蒼氓)」に乗せて山下達郎が話したMCの全文です。実はこのイベントの数日前、ワーナーミュージック社長の吉田敬氏が自ら天国へ旅立つという悲しい出来事がありました。そのことを踏まえて達郎さんが話をしています。番組の中でも、この音源は世間に出す性格のものではないとおっしゃっていましたが、東日本大震災から2ヶ月弱たった中で、是非聴いていただきたいということで流されました。



 是非、ご一読ください。

 誰かがいった。


 人生の悲劇はふたつしかない。


 ひとつは金のない悲劇。


 そしてもうひとつは、金のある悲劇。



 世の中は金だ。


 金が悲劇を産む。




 玩具メーカー・サンデートイズの再建は、三葉銀行の芝野健夫(柴田恭兵)がホライズンの鷲津政彦(大森南朋)を出し抜く形で収束した。はずだった。


 会社を私物化していた大河内瑞恵(富士真奈美)を解任、息子の伸彰(小林正寛)を新社長に据えた再建案、つまり鷲津が考えたプランを芝野が出し抜いてサンデーの実権を掌握した。普通ならここで三葉銀行が経営を助けて一件落着となりますが、そこは鷲津が黙っちゃいない。



「我々もスポンサーに名乗りを挙げる。われわれは最大債権者だ。正当な権利を奪われたまま黙っているわけにはいかない」



 つまりサンデートイズの財務状況は、


 最大株主                           →三葉銀行(芝野)


 最大債権者 (債務超過した会社に支配権を強める)  →ホライズン(鷲津)


 という構図になり、どちらも正当な発言権をもっている。そこでどちらがサンデーの独占経営権を持つかを決めるために入札を行う、というのが第3話のあらすじ。


 しかし、経営権取得に没頭しているはずの鷲津も芝野も、一方は隠していた人生の傷をあぶりだされ、もう一方は組織の一員であることに絶望を感じ始めている。お金を思うがままに操る魔術師のようなふたりの主人公も、自分の人生まではうまく操ることはなかなか難しい。



 この、ドラマ『ハゲタカ』は、2007年2月17日から3月24日にNHKで放映されたものですが、もともとは2006年9月から10月を予定していたドラマでした。柴田恭兵が肺癌手術・療養のために延期されました。さらに、もともとは中村獅堂が出演予定だったが不祥事のために本人が出演を辞退、松田龍平に変更される出来事もありました。放映にたどりつくまでは難産だった、との印象をもっていますが、得てしてトラブルがあるものは望外に出来がいいもの。密かに気にしていたドラマでした。


 また『ハゲタカ』が流れた2007年1月期は、山崎豊子原作の『華麗なる一族』、『花より男子2(リターンズ)』、『ハケンの品格』と、最終回の平均視聴率が20%をこえたドラマが3本も登場、また『ヒミツの花園』、『拝啓、父上様』、など内容も充実したドラマが放映されたクールでした。これ以後、数字でも内容でもここまで本数が揃ったクールはありません。11年4月期は、この期と似てくるような気がしますがどうなりますか。


『ハゲタカ』は平均視聴率が7.17%、民放なら間違いなく打ち切りがささやかれるものでしたが、いわゆる“録画率”が高い、という特筆すべき傾向をもっていました。つまり、放映時間帯には見れないが、録画して後日たのしむサラリーマンが多いということ。『華麗なる一族』は昭和の関西財閥(都市銀行の合併)を扱う歴史ものでしたが、『ハゲタカ』で平成の金融と企業再生を扱っており、ふたつのドラマを見比べて楽しんだ方も多かったのでしょう。


 わたしは『華麗~』を楽しんだクチですが、こちらが放送終了し、再放送される(今回で8回目)たびに何度でも楽しみたい、はいつくばって生きる男たちに画面で会いたい(DVDを持っているにもかかわらず)、そんな強烈な磁力をもつドラマです。すこしは他人より多めにドラマを見ていますが、再放送のたびに気になり5年たっても見るドラマはこれだけです。息苦しさを覚えるような生き様に感情移入できたことが、その原因ということでしょうか。



 サンデートイズの入札は120億円からスタートし、ホライズンと三葉銀行(投資ファンドアイアン・オックスを含む)が入札額を提示し相手がギブアップするまで続くサドンデス方式。


 121億、126億、127億、……、165億、166億、


 どんどん金額が跳ね上がり、午後5時からはじめた入札は日付が変わるころまで続く。


 

 鷲津は記者会見で三島由香(栗山千明)の上司・野中(小市慢太郎)に「早い話乗っ取りじゃないですか?」

 と詰め寄られたときに苛立ちを見せる。


お金を稼ぐことがいけないことでしょうか? いけないことでしょうか? わたしがやろうとしていることはルールにのっとった企業再生です。 その結果えられる報酬に、なにか問題があるんですか? 日本は資本主義社会でしょう? そこに何か問題があるんですか! 問題があるんですか!!」


 由香に執拗に取材されるうち、銀行時代の心の傷を思い出す。また正当な企業買収と投資が理解されないことに、気がつかないうちに疑問が膨れ上がっていく。これが最終回につながる。



 一方、芝野は社長に担いだ伸彰がサンデーの金を私用に横領している疑いがあることを知らされながら、三葉銀行を守るために不正はないと由香にシラを切りとおす。


仕事? これが俺の仕事なのか!? 」


 会社を守るために純粋な企業再生がままならない。こんなの俺の生きかたじゃない。


「自己嫌悪でひりひりするようなその胸の疼きを、場末の居酒屋のビールで流し込んで忘れたふりするのが仕事ってことじゃないか」


 同僚の沼田(佐戸井けん太)がサラリーマンの生きる極意を話すが、それはむなしい遠吠えにしか聞こえない。後輩の鷲津はこんな世界からとっくに足をあらっている。


「あなたたち、何をやってるんですか? 芝野さん、それでいいんですか? それで、いいんですか?」


 由香の叫びがむなしくビル街に響く。彼女は伸彰の関係者から聴きだそうと取材をするが裏が取れず、夜のニュース原稿差し替えの不手際を起こす。由香、憔悴。


 ところが、入札を繰り広げる芝野の胸にこの言葉がよみがえっていた。


 

 三葉  189億


 ホライズン  190億


 サンデーの再建プランに出せる上限額に届くころ、由香の携帯に連絡が入る。そして、サンデー不正のニュースが流れる。入札はストップ。三葉が降りたことでホライズンの勝ちとなる。


 しかし、由香に連絡をした芝野はもちろん、勝った鷲津にも笑顔はなかった。ふたりの戦いに終わりは見えない。


 

 結局、瑞恵(富士真奈美)と伸彰の親子の戦いは


「親子でも伝わらない愛情がある」


 という鷲津のことばにも気がつかないふたりがともに会社を去る結果になる。そして芝野は入札に負けた責任を取って銀行を辞職する。



 お金の争いは醜い。家族であろうとも会社を経営することは血縁関係より優先される。金を稼ぐことだけに執着すれば、必ずそこには敗者だけが生まれる。どこまでも続く金融地獄、金に踊らされたものが負け。



 そして失意のうちに銀行を去る芝野に鷲津がいい放つ。


あなたは、わたしなんだ


 地獄のむこうにみたふたりだけの真実、それは次章で明かされることになります。



 長々とまとまりがないものになりましたが、今日はこの辺で。