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リーンのガラパゴスサロン~趣味や娯楽の広場

「リーンのガラパゴス批評」の兄弟ブログです。趣味に関する記事はこちらでどうぞ。

 

 もしも、空からお金が、札束が降ってきたらどうしますか?


 拾い集めて、銀行に預けますか?それとも、会社を起こしますか?はたまた、今、厳しい生活をしている地域に、せめて仮設住宅の資金にしますか?



 このドラマのラストに流れるキャスト紹介の場面は、東京のビル街に一万円札が舞い降り人々がそれをつかもうと右手を空に差し出すシーンが登場する。しかし、だれも掴めやしない。幻のようにお札が透明になって消えていく。2007年当時にこの映像を見たときはかなりの衝撃でした。日本にお金が余っているかのように思われた時代、そして“ハゲタカ”のように日本の会社を食い物にする外資系ファンドに脅威を感じた時代でもあった。2008年9月15日、リーマン・ブラザーズが連邦破産法第11章を適用するまでは……。



 あ、そうそう。もしお金が降ってきたら、いい案があります。T電力の社長を解任し、その息子を新社長にして新しい電力会社をつくり、クリーンエネルギーの開発を推し進めますか。そして、社員は社長宅の庭掃除、ではなく被災地に出向いて汗を流してもらいましょうか。





 ちょっと想像が行き過ぎました。

 

 今回、鷲津政彦(大森南朋)率いるホライズンの標的は玩具メーカー・サンデートイズ。社長の大河内瑞恵(富士真奈美)がエステやテーマパークなど事業を展開するが、その不振により親会社の業績をも圧迫している。さらに自身の遊興費は会社の経費として計上するありさまで特別背任で告訴もありえる状況。さらに、社員を



サンデーの社訓を体でおぼえてもらうため。奉仕の精神を身につけてもらうため



 と勝手な理屈をつけて社長宅として利用している豪勢な社宅の庭を、草むしりなどでこき使う。会社を私物化した大河内に芝野健夫(柴田恭兵)は、毎度おなじみの苦虫をつぶした表情をさらして



「まずは経営に携わるみなさんがあらためていただかないと」



 とやわらかく再建を進める。しかし鷲津はそれをあざ笑うかのように“ゴールデン・パラシュート”、いわゆる多額の退職金を渡すかわりに瑞恵の解任をねらう。





 1980年代に今の中国のように海外資本を買い漁っていた日本経済が、土地の価格暴落によるいわゆるバブル崩壊を迎える。銀行が金を貸した取引先は経営不振におちいり不良債権化、業績好調の勢いに乗って多角経営を行った会社は軒並み存続の危機を迎える。さらに、1995年、オウム真理教事件に代表される人心の荒廃、他人は信用できない引きこもりの精神がはびこる不安定な状況が10年以上たってもあとを引いている。今から思えば阪神・淡路大震災の影響も少なからず尾を引いていたのでしょうか。



 土曜ドラマ『ハゲタカ』は、そんな物心両面に不安定で先が見えない日本の縮図を描くドラマとして、2007年の冬にひっそりと放映されました。時代の不安を映すように、鷲津も悩みを抱えている。



あなた(芝野)のいう資本の論理ってなんですか?」



三島製作所は親会社から技術革新のため新しい機械を買うために200万円で工作機械を買うようにいわれた。しかしその金が返せず、オヤジさん(栗山千明演じる、三島由香の父)は自殺した



なんとか助けようと僕は奔走しました。しかしダメだった。僕が甘かったんだ



 結局はお金がなくては、資本主義社会でははなしにならない。鷲津はそのことを痛感し、他人のためにつくす人情家であることをやめ(傍からはそうみえる)、業績を傾ける経営者を憎むように会社を安く買って高く売ることに執念を燃やす。



 芝野はバッティングセンターで鷲津に詰め寄られて、答えに窮している。俺は人間の心を大事にしたい。しかしサンデートイズで行ったことは、息子を裏切らせて瑞恵を解任するホライズンの案を採用して出し抜く。血みどろの買収戦争に手を染めていくことになる。



世の中は金だ。金が悲劇を生む



 ナレーションをかりて鷲津が資本主義の容赦ない実体を明らかにしている。



 金がない奴は生きていけない。



 いま、未曾有の国難がこの国を覆っている現状では、それすらも甘い感覚とすら思える。とにかく生きていかなくてはならない。この国のどこかで歯を食いしばって生きている人がいる。財産を失っても生きなければならない。鷲津が抱えたこころの傷を隠して買収に奔走する映像をみるたび、たとえば東京電力でいま必死に働いている無名のひとびととどうしても重ねてしまう。



札束で引っぱたくのがお前のやりかたか



 芝野になじられても、そのやり方が悪いとわかっていても、鷲津がやらざるを得ないように、無名の人々も必死にならざるをえず危機とたたかっている。資本主義も原発も、終わりなき地獄にむかって走ることを余儀なくされるものかもしれません。


 “ハゲタカ”が、なるで獲物を嗅ぎ分けるように、縁なしの眼鏡の奥からビル街を見つめている。東京。幾千、幾万の会社がたち、そこにごみのような人間が働き、欲望をたぎらせ、それとおなじ数の失望をまた撒き散らしている街。ヘリコプターのプロペラが鳴り響く金属の乗り物のなかでおとこが思うものは、億単位の大金を扱う優越感か、日本を救うことへの高ぶりか、それとも胸にしまっていた苦い記憶を呼び覚ましたか……。

 

 目標はただひとつ。腐ったこの国を、買い叩く!!」


 野望を胸にこれから降り立つ戦場が眼下に広がっている。


 1998年の東京は、バブルの落とし前がついていない、家族経営と終身雇用を旨とする日本的経営が行き詰った会社が死に体をさらしているところ。そこには、かつての上司が待ち構えていることも、この時点ではまだ知らない。そして、たたかいの果てに、男は銃弾を身にうけ、瀕死の重傷を負う……。

 

 もし、“ハゲタカ”が今現在の東北をヘリコプターからみたらなんと思うだろうか。


「鷲津ファンドの力で東北をよみがえらせてやる!」


 と意気込むか?


「東京電力の経営陣を即刻解雇する」


 そして新しい経営陣をよびよせて原発問題に切り込むか?


 それとも、居場所が無いと太平洋のリゾートで酒をのむとしゃれ込むか。



ハゲタカ DVD-BOX/大森南朋,柴田恭兵,松田龍平

¥11,970
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 日本の会社を、まるで死肉をあさるがごとく“安く買ってた高く売る”鷲津政彦(大森南朋)と、そのもと上司で三葉銀行のバルクセール(不良債権の一括大売出し)に力をそそぐ芝野健夫(柴田恭兵)の葛藤と対立を軸に、いわゆるバブル崩壊後、経営に行き詰まり生き残りをかける会社とそれに群がる外資系ファンドの争いを描いた経済ドラマを6回にわたって取り上げます。過去に放映されたドラマを今ごろ取り上げるのは、ドラマ批評としては異例ですが、3月26日にBS-hiで再放送されたのを機に、あえてとりあげ批評をこころみます。放映当時の背景などは次回以降にゆずり、まずは登場人物にせまります。


 コテコテの日本人でありながら外資系ファンド『ホライズン・インベストメントワーク・ジャパン』の代表として企業買収に辣腕をふるうのが主人公の鷲津、彼はかつて三葉銀行の法人営業を担当していた。取引先である三島製作所に出入りしていた。しかし銀行がいわゆる貸し渋りをおこない、融資をしなかったため三島製作所は倒産、社長の健一(渡辺哲)は自殺してしまう。その葬式で


人殺し!!」


 と鷲津に罵声を浴びせたのが娘の由香(栗山千明)。その光景をだまってみるだけの芝野は鷲津に


これが資本主義だ。借りた物は返してもらわなきゃならない


 と金融の当たり前の論理を説く。しかし、鷲津は銀行が融資しなかったことが自分の力不足だと痛感、世話になった人を死なせた罪悪感と無力感から銀行を退社する。その胸には、日本経済への言い難い反発と疑念が宿っていた。


 やがて三葉銀行のバルクセールを機に対決した鷲津と芝野は、旅館・西野屋をめぐって対立する。旅館を売り飛ばし、昭吾(宇崎竜童)をも死に追いやる(これは昭吾の結果責任といえるが)原因を作った鷲津を、芝野は怒りをぶつけなじる。


二億円て、どういうことだ! 鷲津、おまえは昔はいい奴だったじゃないか。なんで待てなかった(西野屋の債権を売ること)んだ!」


芝野さん、あなたが変えたんだ。あなたがわたしを変えたんだ!」


 自らに非情の刃を容赦なくむける鷲津に、芝野は困惑するしかなかった。


 俺がお前のように非情なやつなのか? そんなはずはない。


 そんな二人の前に、西野屋の跡取り息子・治(松田龍平)がやがてIT企業の社長として立ちはだかり、由香は東洋テレビの記者・のちにキャスターとして深くかかわることになる……。


 ドラマの最初に、鷲津がヘリコプターから東京の街を見るシーンが出てきます。ビル街が四方八方に延びる無機質な風景、それを今の被災地の焼け野原を重ねてみました。いまから13年前の鷲津は恩人を死なせてしまった心の傷をかかえて生きている。しかし、今の東北にはもっとつらい記憶を積み上げ、プライバシーのない生活に耐えている人たちがいる。その人たちを支えるボランティア、自衛隊、原発にかかわる社員がうごめく平野……。


 金融界の寵児・鷲津政彦が、被災した街をヘリから見つめている。


 どうしても、そうした想像がわたしの中に湧き上がってくることを抑え切れませんでした。人口的な金融の世界と、自然界の猛威はまったく重なりあうものではない。けれど、胸のうちに隠した血がふきでそうなこころの痛みを抱えながら、それでも生きていく人が今、現実に日本にいて、それがわたしがもっともすきなテレビドラマの中にもいる。飛躍しすぎな想像ですし、このドラマが今の事象とかさなるわけでもありませんが、わたしにとって、いまこのドラマをとりあげて批評するのがこのブログにふさわしいと思っています。取るに足らないブログですが、新生「リーンのガラパゴス批評」の手始めとして書くことにいたします。

 

 ROAD TO REBIRTH、“再生への道”。これは、このドラマの副題です。東北再生、日本再生のおもいを込めて。


 あと5回、おつきあいくださいませ。


 「Let Me Be The One」 by Paul Williams(1971)



 「Though You Are Far Away」 by Colin Blunstone(1971)



 「人生の扉」 by竹内まりや



 春がまた来るたび

  ひとつ年を重ね

  目に映る景色も

  少しづつ変わるよ



 リーン 奥様の芸能生活30周年を記念してホームページ上でファンが選ぶ好きな曲の第2位に選ばれた曲。ちなみに1位は「駅」。

「50歳をこえたいつのころからか、時や移ろいをいとしく思い、あと何回みる(桜の開花)だろうと考える」(『Epressions』ライナーノーツより。()内、文責、リーン。)

ことに気づいて作られた曲。



 

 「CLOSE YOUR EYES」 by 山下達郎



 「蒼氓(そうぼう)」 by 山下達郎



 遠く翳る空から

  たそがれが舞い降りる

  ちっぽけな街に生まれ

  人混みの中を生きる

  数知れぬ人々の

  魂に届く様に



 リーン 蒼氓とは無名の民という意味。石川達三の小説の題名からとったそうです。

「私個人の思想信条を最も表わしている曲」(『TREASURES』ライナーノーツより)

 と語る深い味わいと余韻が残る曲。途中の「ラ・ラ・ラ……」のコーラスは、桑田佳祐・原由子夫妻と山下家で歌っています。




 今日、おかけした曲をご紹介しておきます。



 まずは、わたくしの昨年2010年のシングル「希望という名の光」、

 たくさんの方からリクエストいただいております。



 それから、フランク・シナトラの1957年のアルバムのタイトルソング「Close To You」、

 僕は君のそばにいる、という歌でございます。



♪ どんなに遠く離れていても、僕は君のそばにいる



 ……歌でございます。



 続きまして、わたくしの2008年のシングル「ずっと一緒さ」、

 これもおなじみの一曲でございます。



 続きましては、もともとはIsley-Jasper-Isleyの1985年のヒットソングを、イギリスの4人組の白人グループHousemartinsがカバーしまして、全英No.1になりました。1986年の「Caravan Of Love」



 そして、こういうときにはゴスペルというものの音楽の力が、すごく強いのでゴスペルを一曲引っ張ってきました。Walter Hawkinsの1998年のライブアルバム『Love Alive 5』から「Marvelous」、

 彼の代表作の一曲でございます。



 そして、Paul Williams。1971年のアルバム『Just an Old Fashioned Love Song』から「Let Me Be The One」、


 さびしいときは、僕をよんでくれ



 という、そういう歌でございますね。



 それから、Colin Blunstone。The Zombiesのリードボーカルでございますが、Colin Blunstoneのソロアルバム、1971年のファーストソロアルバム『One Year』から「Though You Are Far Away」



 どんなに遠く離れていても、僕は君と一緒だ



 という歌であります。



 そして、竹内まりや2007年の『Denim』に収録されております、おなじみ「人生の扉」



 それから、わたくし、1980年、アカペラの『オン・ザ・ストリート・コーナー1』に収められておりますドゥーアップの曲でございます「CLOSE YOUR EYES」



 目を閉じて大きく息を吸って



 という……。



 そして最後は、みなさまおなじみ「蒼氓」、

 わたくしの1988年の曲でございました。



 以上、お聴きをいただきました。



 お送りいたしてきました、「山下達郎 サンデーソングブック」。「震災特別プログラム」、わたくしは「鎮魂プログラム」と名付けましたが、どれだけみなさまのこころに届いたか。ええ……わかりませんが。気持ちだけ汲んでやってください。



 こうした事態となりますと、いろいろなところでいろいろな意見が噴出してまいります。神戸女学院大学の大学教授の内田樹さんのブログ



未曾有の災害のときに(2011.03.13) ←こちらをどうぞ


を拝見しますとですね、こういう場合の重要要素は“寛容”と“臨機応変”と、それから“専門家の委託”だとおっしゃっております。正確な情報といったところで千年に一度の大災害というこういう状況はですね、おのずから限度があることも事実でしょうけれども、それでも私たちが知りたいのは、メディアの評論家ごっこではなくて、隠蔽されていない正確な情報であります。専門家にゲタをあずける以外にない事柄は、彼らを信頼するしかないとおもわざるをえません。


 従いまして、わたくし、これまでどおり、わたくしのプロフェッションで音楽芸能とこのラジオをとおして、少しでも世の中のお役に立てればと考えております。生の音楽が必要とされているときが来たら、それが許される時期が来たら、わたくしもわたくしなりの活動をはじめようとおもっております。幸いなことに、電気などなくても、ノーマイク、ノーPAでもわたくしの音楽は、ある程度の表現は可能ですので。


 今はなによりも被災地で懸命に救援復旧活動をされている消防、警察、救急、自衛隊、そして世界各国の救援活動隊のみなさまに心からのエールを贈りつつ、あわせて業務の安全をこころよりお祈り申し上げております。


 ほんとうに、ありがとうございます。


 とりわけ、この瞬間、死を賭して原発事故と懸命に戦っておられるみなさまに心から感謝し、成功をこころよりお祈りしております。


 真の英雄は、彼らであります。


 来週は情勢しだいです。今日の延長戦となるかもしれません。来週は、また普通のプログラムに戻れるかもしれませんが、一刻も早く普通のプログラムが復帰できることを願って、全国のみなさん、ここが頑張りどころですので、この先、みんなでこの国、立て直すために、力を合わせてまいりましょう。


 それでは、来週もセイムタイム、セイムチャンネルでお目にかかれることを祈りつつ。


 山下達郎でした。



 リーン いかがでしたか。

 達郎さんは昨年のコンサートツアーでもこんなことをおっしゃっています。

「わたくしのツアーに来て下さるかたは40代、50代の方が中心です。今の状況はまったくよくありません。政治屋どものケツを叩いてやって、そして、これからの未来のためにお互いがんばっていきましょう。僕もがんばります!!」

  かなり激しいものでした。今回の「鎮魂プログラム」ではおさえた口調でしたが、その向こうに“蒼氓”へのおもいがにじみ出ています。どうか、お汲み取りください。


 それでは、わたくしもセイムタイム、とはいきませんがお会いいたしましょう。



 「希望という名の光」 by山下達郎(2010)

 

 この世でたったひとつの

  命を削りながら

  歩き続けるあなたは

  自由という名の風 



 リーン 2010年のコンサートツアーで今回のプログラムの10曲目とともに歌われ、岡村隆史、桑田佳祐両氏の体調を気遣い「この曲をささげます」といって歌われた曲。ワーナーミュージックのイベントでは吉田敬氏にもささげられましたね……。





 「Close To You」 by Frank Sinatra(1957)



 「ずっと一緒さ」 by山下達郎(2008)



 抱きしめて

  しじまの中で

  あなたの声を聞かせて



 リーン ドラマ『薔薇のない花屋』の主題歌。これを2009年1月27日、岩手県民会館で聞いたことを思い出します。着席して身じろぎもせず聞き入るお客様、語りかけるようにギターをかき鳴らしながら歌う達郎さん、2階席から下を眺めて感動したことが忘れられません。岩手、盛岡、……みなさま大丈夫でしょうか?





 「Caravan Of Love」 by The Housemartins(1986)



 「Marvelous」 by Walter Hawkins(1998 live)





 山下達郎がお送りしております、ジャックスカード・サンデーソングブック。



 本日は「震災特別鎮魂プログラム」、自分では名付けましたが、はたして鎮魂に叶うような内容か、というのは……わかりません。でも、精一杯。





 こんな状況下ですのに、仙台から超常連……さん、お便りくださいました。



「この葉書きが届くころには、ライフラインが復旧していることを願いながら書いています。



 地震発生から5日目、3月15日です。



 14日のお昼ごろ、やっと電気が復旧しました。水とガスはまだです。水は東京都の給水車が2日目には仙台に入って、水を給水してくださっていました。3時間ほど並びましたが。食料は、スーパー、コンビニ、長蛇の列です。並んでも、買えればいいほうです。



 小生は、おかげさまで両親と3人、避難所に行くことなく、自分の家でなんとか3食たべられて寝られています。小生は恵まれています。もっと、もっと、大変な状況の方々がたくさんいらっしゃいます。



 小生の生まれ育った石巻は津波で壊滅的な状況です。いまだに親戚と連絡がとれないので心配です。



 そんななか、たくさんの、達郎さん、まりやさんの音楽をとおして知り合った友人から安否を確認、心配するメールをいただいていました。やっと電気が通じ“大丈夫”とメールを送ったときに友人のひとりは運転中で、ラジオから「希望という名の光」が流れていて、おもわず涙が流れてきたそうです。きっと達郎さんの“がんばれ”というおもいが届いたのだとおもいます。みなさんのエールが力を与えてくださって、たくさんの勇気を分けてもらっています。



 ありがとうございます。



 希望を持って、上をむいて立ち上がれば、必ず大好きな仙台が復活できると信じています。まずは



『生きています。勇気をありがとう』



 を伝えたかったので」。





 現場の声が聞こえます。



 しかし、この葉書きを書いて送る……さんもすごいですけど、この葉書きがちゃんと番組の前までに届くという、この郵便局の機動力もすごいですね。



 こういうのも、ほんとに……あの……グッときてしまいます。



 山下達郎サンデーソングブック、それでは引き続き、どうぞ。  

 リーン では簡単に、歌神様・山下達郎のご紹介を。



 〔山下達郎〕



 1953年2月4日生まれ。東京都豊島区池袋出身。



 1973年、大貫妙子、村松邦男らとともに“シュガーベイブ”を結成。

 1975年、大瀧詠一のレーベル“ナイアガラ・レーベル”よりシングル「DOWN TOWN」、アルバム『Songs』でデビュー。当時の周囲の状況や社会的流行と合致しなかったこともあり、シュガーベイブはアルバム1枚をリリースしたのみで解散。ちなみに昨年、『レコードコレクター』誌で70年代に影響をあたえたアルバムのランキングで『Songs』が3位に選ばれる。


「もうちょっと、早くそれを言ってよ!!」


 昨年のコンサートツアーで、達郎さんが冗談めかしていましたが、アルバムの評価に反しバンド生活は苦渋をなめる結果に終わる。


 1976年、『Circus Town』でソロデビュー。

 1980年、苦節のときを経て発表した「Ride On Time」がオリコンチャートで3位を記録してブレーク。


あおいーっ すーいへいせんをーおっ いまかーけぬーけてーくーっ


 達郎さんが唯一出演したCMでこれを聴いたときに、「かっこいい曲があるなあ」としびれました。山口百恵の引退、松田聖子や田原俊彦がデビューという芸能界の転換期に生まれた珠玉の名曲、今でもコンサートの定番リストにはいっています。この曲は後年TBS系ドラマ『Good Luck!』の主題歌に使われたので記憶されている方も多いのでは。


 1983年、『Melodies』を発表。この中に収められた「クリスマス イブ」が1989年にオリコンチャート1位を記録しする。


あめはよふけすぎーにー ゆきへとかわるだーろっ お、おーう 


 この曲は20年以上連続チャートインする偉業を達成するが、また発売から1位獲得までの最長期間記録を持つ世にも希な名(迷?)曲。


 1984年以降は妻である竹内まりやのプロデュース(主に編曲)を全面に負い、プロデューサーとしての才能も発揮。


「妻のおかげで世の中とつながりを持つことができた。これがなかったらもっと音楽を孤独にやっていかなければならなかった」


 達郎さんはコンサートでこういって、妻にむけての感謝のことばを述べている。聖母をつかさどる司祭といったところか。

 ところで週刊誌に“竹内まりや夫妻”との表現が使われているのを目にします。たしかに奥様のほうがファン層も広いので仕方がないかとおもいますが、わたしとしてはこの表現は解せない。絶対に。ぜひ、奥様の音楽をお好きな方にこそ、達郎さんの歌声とサウンドを生で聴いてほしい。やわらかなメロディーに激しいビート、きっと驚きますよ。そして席に座ったままゆっくり楽しめますので、どんな年齢層の方にもごらんいただけます。ぜひともコンサート開催の折には足をお運びいただきたく。


 CM楽曲や他アーティストへの楽曲提供も行っており、もっとも有名なのは松本隆と組んで発表したKinki Kidsの「硝子の少年」。テレビ出演をまったく行わず、スタジオワークを中心に活動している。


 2008年、音楽業界の変化、ツアーのレギュラーメンバー交代、といった身辺の激動を乗り越えて6年ぶりにコンサートツアーを開催、翌年まで50本の長期ツアーをおこなう。最新シングル「愛してるって言えなくたって」のカップリング曲「高気圧ガール」は、このときの音源(09年4月25日、ニトリ文化ホール)ですのでぜひともお聴き及びを。


 2010年、20数年ぶりに野外フェスティバルに出演(ライジングサン・ロックフェスティバル in EZO)。


「ほんとにいた!!」


 このとき達郎さんを生で見たファンが、そういったとかいわなかったとか。


「おれはツチノコか!!」


 それを伝え聴いた歌神様はコンサートでこういって笑いを取っています。なんともしぶとい。落語を聴くのが趣味という達郎さんの軽妙なしゃべり、みなさま想像できますかね。抱腹絶倒しますよ、ホントに。


 また39本のホールツアーも平行しておこなう。千穐楽は11月8日、青森・八戸……。



 音楽を紹介するDJとしてのキャリアも長く、18年続けているのが今回紹介する『山下達郎のサンデーソングブック』。すべて達郎さんが個人所有するレコード・CDをかけて番組を進行しています。わたしの記憶ではビートルズが流れた記憶がなく、ビーチボーイズ、ラスカルズ、カーティス・メイフィールド……ついていけません。今回は、山下達郎というおとこが紡いだ鎮魂のことばを知っていただきたく連作ブログを書いています。オールディーズファンのご期待には添えませんがご承知おきくださいませ。


 簡単に、といいながらこの長さ、やはりリーンは食えない奴。いやはや……。


 次回はオンエアリストの紹介から、リスナーのお手紙へと続きます。しばし、お待ちのほどを。