科学的データ

効果は、好き嫌い。
雑誌、CM、口コミで「これを使ったらもう他のが使えなくなりました」「もうすっかりハマってます」「愛用品です」とそんな言葉に騙されて商品を買ってしまう事がある。

口コミが嘘っぽくても科学的に証明されました!なんて事を言われると、じゃそれはホントなんだ!と信じて商品を買ってしまう事がある。

そんなの信じるかと思いつつも大好きな芸能人が「これ、愛用してます!」と知れば、効果どころかとりあえず買ってしまう事がある。

1年後、話題がなくなると買うのをやめてしまう事がある。今で言うと、クエン酸とか、コエンザイムQ10とかオリゴ糖とか。そんな話をするときっと「今でも使ってんの?」「昔流行ったよね?」「いつの時代だよ」と言われ「今はこれでしょ」と新しい商品を薦められる。

そうなると結局、科学的データに基づき「より良い自分」になりたいのでなく商品によって「最先端にいる自分」になりたいでしかないんじゃないか。

大学時代、宮川旅館にお世話になっていた時の頃、パワフルで明るいママはいつも決まったサプリを飲んでいて「もうこれ10年目!」と笑っていた。やっぱ自分に何がいいか分かってんだな。うん。

データ石浜

グラタン

いつ食べたか。幼い事好きだったグラタン。ちょっとタバスコをかけるだけでまた一段と旨くなるグラタン。結局マカロニが6割占めているグラタン。いつからか「グラタン食べたい」なんて耳にしなくなった。

グラタンを耳にしなくなったのはきっとドリアだ。サイゼリヤに行くと誰かしら「ドリア」を頼む。あのライスが入ったドリアのせいで「グラタン」の単語が薄れて来ている。グラタンよ、頑張れyo。

7歳の時、O君というドラクエ好きのゲームマニアがいた。俺は兄から譲り受けたマウンテンバイクにまたがり片道20分かけてO君家に向かった。初めて行ったO君家はやたら猫がいるお家だった。姿が見えないのにあちこちからニャ~ニャ~と聞こえてくる。あれはきっとダンジョンだった。

その日の夜、なぜか我が家にO君の母親とO君の弟がきて「これ、良かったら食べてください」となぜかグラタンを持ってきた。「ほら、渡しなさい」と弟に急かすが袋に入ったグラタンが小さい手で守られている。どうやら弟は我が家にグラタンを渡したくないのだ。

そして泣きだした。「ウチに行けばまだあるから」と母がなだめるも弟の涙は増すばかり。結局、グラタンは貰えず。あげない事が分かると弟は泣くのを辞めた。

そして我が家は、Oさんは何しにウチに来たのか食卓の話題になった。なんだこれ!

データ石浜


ひらがなとカタカナ

ひらがなとカタカナが日本にはある。それに漢字もある。なんてややこしいんだ日本語は。例えば「ハム」を「はむ」とはならないし「カブトムシ」は「かぶとむし」ともなりにくい。「パン」は「ぱん」とはならないし「いす」は「イス」の方がしっくりきて「椅子」だとしっかりする。少しだけど妙にイメージが変わってくる。

「晩春」という映画を観て字幕が印象的だった。
「ははは」が「ハハハ」の表記は分かる。でも「ふうむ」が「ふうム」とか「ふぅん」が「ふゥん」となると違いが難しい。どういう所で「ひらがな」と「カタカナ」を使っているのか、まして合わせているのか。そればっかり気になってしまった。

そうすると官能小説を書いている人たちは「ひながな」と「カタカナ」を扱うプロではないか?俺のイメージだと「あぁん」書く所をきっと官能小説家の人は「あァん」「アァん」「あぁン」どれが一番読者の人が興奮するか知っているんだきっと。

ほんのちょっとの事なんだと思うけど、そんなちょっとに惹きこまれていくもんなんだな~。んでそのちょっとが意外にすんごい重要だったりする。あくまで想像なんですけどね。

データ石浜

ガムテープ

「車を止める場所はあそこです」と言われ、なんとなく「あそこ」らしき場所に車を止めた。しかしどうやら「あそこ」の場所の認識が違っていて全然違う所に車を止めてしまった。田舎だから慌てて車を移動しなくても大丈夫であろうと勝手に安心しきっていたら何やら張り紙が貼られているではないか。

近づいてみてみると後ろのガラスに「無断駐車!!!」「ナンバー控えています」「声をかけてくだい!」などなかなかお怒りのメッセージが。やば・・・罰金とか取っちゃう感じ?怒鳴られる感じ?慌てて事情を説明しに謝りに行くと「あら~そうだったの!じゃ今から剥がすね」と。想像と全然違っていて一気に安心した。

剥がそうとしたが、メッセージの書かれた張り紙はなぜかガムテープで上下右左をがっつり貼ってある。これがまぁ剥がれないこと剥がれないこと。しまいにはなぜか無断で駐車した俺に向かって「なんかすみません、すぐ剥がしますんで・・・」と逆に謝られていまいこれまたなんとも言えない。

10分位経ってやっと剥がれた。なぜかお互い謝って無事解決。よし、帰るかと思い車に乗ったらフロントガラスに全く同じ内容の張り紙が貼ってある・・・・・

なんてこった。

データ石浜


本を買う

本を読む行為に対して、まず本をどう手に入れるか。借りる、買う、貰う。の3択がある。しかし本を貰うというのは頻繁に起こることでないから、借りるか買うのどちらかになる。

よく図書館に行くのだが結局借りる本は、情報本や歴史本になる。小説等を借りると読んで違うなぁと思うと最後まで読むまでにやめてしまう傾向にある。自分だけかもしれないけど。そこにはやっぱり本に対してお金の払っていない事が一番の原因かと。

だから本屋に行くのはとても好きだ。それはそれは本屋のおすすめの本やメディアで取り上げられた本がずらりと並んでいる。それで手に取る。内容を置いといて表紙や本の質感とかそういうもの重要になってくる。悩んで悩んで悩んで買う。お金払うからね。

んで家に帰って本を開いた瞬間に、心の中でこう思うんですよ。「頼むこの本に1400円払ったんだ!楽しませてくれ」と。そう願いながら読み始めてると自然と読む事に対して力が入る。予想以上の楽しさが返ってくると「おいおいおい、ちょっと待ってくれよ!これで1400円か!えぇ!3000円でもいいんじゃないの!?」と。

一方、読み始めて・・・「あれ。。。全然おもしろくない」いやこれは俺の理解力がないだけだ。もう少し読んでいけばスッと物語に入っていけるはず・・「ダメだ分からん、1400円も払ったのに」と、徐々に1400円から面白くないと感じると1000円、700円、500円、300円、と金額に見合った対価を得ようとする俺。そして0円になった時、読むのを読めてしまうのだ。

データ石浜

~のようだ。

小説を読んでいると、~のようだ。という表現がある。これがまた、くぅはぁ!そんな例えする!?と本の内容よりも~のようだ、の内容の方が強烈な印象になって頭に残ってしまう事がある。

朝井リョウさんの「スペードの3」の中にもこんな表現がある。
ぐるんぐるんと回る乾燥機の中で、さきほど余すことなく踏みつぶした布団が楽しそうに踊っている。右向きに三回回転したかと思えば、今度は左向きに三回。安全な大人のてのひらで、たかいたかいをしてもらっている子どもみたいだ。 ※「スペードの3」から抜粋

布団が楽しそうに踊っている。これで終わりとすると、なるほどね~という感想までなんだけど、乾燥機の布団を「子供」にすると、くぅはぁ~!と俺の考えの中になかった表現が頭の中にブチ込まれしばらく脳が「ちょっと待って」と先を読ましてくれない。

脳が興奮している・・・ムンムンとムラムラとコレ以上やめてよ~!と。いやしかしこの興奮を覚えてしまうと更なる興奮と求めてしまうのが人間の性なんだぜぇ~。

データ石浜


奥さん

ある研究結果によると一日に男性が話す単語の数は7000。一方女性が一日に話す単語の数は2万だそうだ。その差1万3000語・・・確かに言われて見ればなんとなくイメージ出来る。

ドラマの食卓のシーンでも父は朝から新聞を読んで口数が少ないのに対して奥さんは、「ほら早く食べて!」「時間は大丈夫なの?」「いつまで寝てるの!」「今日は何時に帰ってくるの?」「晩ご飯はレンジでチンしてね」「今日は久しぶりに同窓会だから帰り遅いからね」「パパ迎え忘れないでね」「ねぇ聞いてるの」

イメージするだけでもたくさん出てくる。こんなに奥さんが話しているのに父ときたら「おー」「聞いてるよ」「行ってきます」と、とにかく話さない。仕事で同僚と話ているかと思えば「いやぁ~やんなっちゃうよ」とそうでもない。喫煙所や屋上でタバコとコーヒーを片手に空を眺めている。

その一方奥さんといえば、近所の仲間たちとイタリアンなランチを頬張りながら「やだぁこのソース美味しい~」「夫にも食べさせたいわぁ」「あらヤダ奥さん、ご冗談を」「おほほホホホ」「おほほホホホ」「そういえば近所の隆君知ってる?引きこもってるんだって?」「旦那さん警察官でしょ」「やぁねぇ~」「パフェも頼んじゃおうかしら」「私も頂こ」「オホホホ」「オホホホ」

一方、仕事終わりの夫は帰りに妻にプレゼントと花を買い幼稚園に子供を迎えに行く。保育士の美人先生に「あら、❍❍君のお父さん!」「あ、どうも」「❍❍く~ん、パパが迎えに来たよ~」「綺麗なお花ですね。奥さんにプレゼントですか?」「たまにこういう事もしないと」「私もいつかこんなプレゼントされてみたいです」「ハハッ・・・ハハ」「ほら、先生に挨拶して帰るぞ❍❍」「うん、先生さよなら~」

こんな口数が少ない父なんだけど、映像で見るとかっこ良く見えるから不思議。

やっとワンス・アポン・ア・タイムが観終わった。個人的に好きだったキャラクター1位は赤ずきんでした。

データ石浜


視力が、えぇっ!

パソコンをやり、映画やドラマを近距離で観るように視力がガクっと落ちる時がある。あれっ?俺こんなに目悪かったっけと思うほど。今の視力が0.7で普段の生活で支障はないものの20m程離れたものを見るとかすんで見える。

疲れている時に運転していると信号の色がやたらかすんで「おいおいおいおいおい」と焦る。小学校の時、じーちゃんが新聞を読む際いつもすんごい近くですんごい目を細めるのを見ていて「何なんだアレは!自分で見にくくしているじゃねーか!」と思っていたがきっと運転している時、俺はあの時のじーちゃんの顔をしていると思う。

先日健康診断に行って来た。そう視力検査。メガネかけるのが面倒だったから裸眼でやった。0.7だし頑張れば大丈夫だろうという意味の分からない気合いで検査した。結果、2.0。
なに・・・そんなはずはないぞ。2.0だと。しまいには看護師の方に「目いいですね~」なんて言われたくらいだ。待てよ看護師よ、俺はそんな目が良くないんだ看護師よ。

「俺もっと出来るんだけど」「いや今日は調子が悪い」というよく聞くセリフでなく、「待ってください!ホントはもっと視力悪いです」と言いそうになったけどそんな事を言ったら看護師に「そうですか」とサッと流されて恥ずかしくなっちゃうよ看護師よ。

こういう検査の看護師はやたら冷たい。慣れているせいか検査が淡々としている。心電図を計測する時に冷たい吸盤が俺の胸を「プチュん」を吸い上げる。くすぐったい感じを必死に耐えている俺を尻目に2つ3つ4つと淡々と吸盤を押し当てる。なぁ看護師よ。俺は久しぶりの検診なんだ。検査をもう少し面白がってくれないか?

はい、次はこっちです。はい、荷物はこの青い籠に入れてください。はい、チクっとしますよ。はい、それでは受付で待っててください、また呼びますんで。

なぁ看護師よ、その深沈とした姿、なんとも悲しいぜ。

データ石浜

訛り

栃木では訛っている人とそうでない人の差が激しい。自分はどっちかと言えば訛りがないほう。そういえば「訛りすごいね」と言われたことがない。

地元にK君という友人がいるのだが、訛りがすごい。訛りが強い県北出身であるわけでもないのに、大学は仙台に行っていたから栃木弁が出るわけでもないのに、なぜかすんごい訛っている。一緒に居て時折、栃木に住んで50年のおっさんと話している感覚になる。

LINEでもここまでかというくらい訛る。先日連絡が来た時なんて「遅くなりそうだからまた今度にらすっぺ」と来た。「今度にすっぺ」なら栃木全開だな!とニヤッとするが「今度にらすっぺ」と来たもんだから、思わず「えっ?」となってしまった。

そんなK君がおっしゃるには、「栃木に居るんだから、栃木弁出していこうぜ!」と言うのだ。しかし、そんなK君の訛りは俺が知っている栃木弁の領域と遥かに超えてしまっている。そんな遠くに行かないでくれK君。俺の知らない栃木弁を発さないでくれK君。「だべ」と連発しているくらいの栃木弁でいてくれないかK君。俺は怖いよK君。今度会ったら俺の知らない言葉が出てきそうで。

いや、もしかしたらそんなK君にツッこみを入れる俺が「おめぇ、どんだげ訛ってんだッペよぉ~」なんてえらい訛ってしまったら。ついでにK君に「おめぇもすんげぇ訛ってんかんね」とツッコまれたら終わりだ。

データ石浜

たばこ

無煙タバコが一時期話題になったけども、一度も使っている人を見かけた事がない以上に持っているという人に会った事がない。人気が出なかったということで間違いないの?

確かに喫煙所で一人だけ煙が出てないとなるとどうも変な奴に見えてしまうのは俺だけか。といっても他人がどんなタバコ吸っているかなんて気にしないのがほとんどだけど。煙が出てこそタバコ。そんな気がする。

タバコに憧れた時って、きっと味とかそんな事じゃなくて吸っている自分や煙を出している自分がカッコいいという想像。となると必然的に煙は不可欠になってくる。そう考えると無煙タバコを開発した人はタバコを吸わない人が考えたモノじゃないかなと思えてくる。

どうだろうJTさん。「私タバコ吸わないんですけど、やっぱりあの煙が嫌いなんですよね」「じゃ、煙のないタバコ作ってみません?」「絶対うれますよ」「味はそのままにします」「煙がなければ吸いたくなる人もいるかも」なんだかタバコの新規顧客を狙うような、はたまた喫煙者撲滅のような。

タバコ=煙の気がするぜっ。

データ石浜