月桑茶道教室では、随時お弟子さんを募集しております。
 
■月桑庵の特徴
点前偏重はしない
 月桑庵のモットーは「主客を大事にする」です。
 主客というのは「亭主=点前をする人」と「正客=連客の中で一番上座に座る人」のことです。
 
 点前偏重というのは、お茶を点てることばかり教えて、お客さんとしての振る舞いとか、道具の由来や掛軸の意味、お菓子の種類と食べ方などを教えないということです。
 
 慣れてくれば正客の稽古もできますし、さらには御詰め(末席のお客さん)の稽古もできます♪
 
 月桑庵はそういうところを大事にしています。
 多くの教室は、免状や許状などをとることを主眼にしていますが、月桑庵はそういう点を重視しません(急がれる方は特訓しますけど)。しかし、自分で恥を掻いて覚えるものよ!という言い方もしません。
 
 

先生の点前が毎月見られる
 そして、毎月「お茶会へ行こう」を開いておりますので、私の点前を見ることができます。
 普通の教室ではだいたい年に1~2回見せていただければ多い方などという話を聞きますが、下手をすると、先生の点前など見せてもらえないなんてお教室の方が多いらしいです。
 
 ですが、月桑庵では毎月薄茶と濃茶の点前を私がさせていただいております。
 自分と何が違うのか、よーく見ていてください。
 
 

お茶の雑学が学べる
 私がいろんな流派に関心があって、歴史が好きで、道具の由来が大好きなので、いろんなお話をいたします。道具組みのお話もいっぱいいたしますよ。

 
 
■都流って?

 当流は「表千家都流茶道」が正式な名前です。
 でも、表千家と名乗りながらも、表千家さんからの分流ではありません。
 家元先生は「荒木宗仙」とおっしゃいまして、信長に叛旗を翻した戦国武将として有名な「荒木村重」の子孫にあたります。直系ではないそうですが(荒木村重の三男の家系のようです)、家伝として茶道が伝わってきたとか(お寺に)。

 荒木村重は、信長に仕えていたころから「数寄者」でありましたが、信長の死後、大阪に戻って利休に師事して千家の茶を学びました。利休十哲にも数えられるほどの数寄者でした。茶名は「道薫」といいます。

 大正時代になって、『広く大衆に弘めたい』と発起され、上京し、流派を興したそうです。



■稽古日
 土曜日教室/内田宗地
  第二土曜日、第三土曜日、第四土曜日
  第一日曜日、第二日曜日、第三日曜日、第四日曜日

  祝日から2回
  お茶会へ行こう・お茶事へ行こうの日はお稽古なし

  お茶会へ行こうの前日は準備を手伝う人だけ稽古あり

  お茶事へ行こうの前日は稽古なし

 その他平日・祝日についてはご相談ください。
 

■料金
 月謝制
 入会金/一カ月
 5,000円+

「お茶会へ行こう」または「お茶事へ行こう」の参加費は別途頂きます。

・その他
 水屋料 1000円/回または2000円/月

 ※水屋料は奥伝以上より頂きます。

 ※水屋料とは道具の片付け方やメンテナンス方法の教授と水屋道具、消耗品の使用料です。


 薪料   1000円/都度

 ※薪料は炭点前をするときだけです。


 中元・歳暮 年二回(1ヵ月分の月謝と同額)
 初釜   別途
 流茶会(年一回) 別途
 教授会(年一回) 別途

 点前料 5000円(お茶会の際に点前をする際にいただきます)
 ※演奏会などのエントリーフィーみたいなものです。

 ※学生は割引があります。




■内容
 点前は、三千家と似ているようで違い、武家茶とも異なる茶道は、古流に近い流れを持ちます。丁度、古流から利休を経たのち、古田織部が武家茶を確立させる前の手であることが解ります(荒木道薫は利休十哲の一人。直伝されているとされます)。

 特徴としては、裏千家と同じようなふっくらとした泡立ちの薄茶と、棚物に飾り残しをしないこと、宗旦以後の棚物については使ってもいいことになっていますが、原則として邪道とすることです(邪道とは数寄であって本道ではないということです)。

 月桑茶道教室は内田宗靜(母)と内田宗地(私・男)の二人で教えております。男の点前と女の点前とが教われます。

 茶道を習われる方には着付けを無料でお教えします。

お問い合わせ先
03-3554-4345(自宅)
darkpent■gmail.com(■を@に替えて送信してください)

 

 平凡社から1990年に発刊された利休四百年遠忌記念特集号。

 

 茶会が一覧になっているというので資料として購入してみました。

 

 小説を書くときの参考になるといいですねー♪

 本日は二十四節気第三の「啓蟄(けいちつ)」です。

 啓は「ひらく」、蟄は「土に潜った虫」という意味で、春の気が地に満ちて冬眠していたものたちが蠢きはじめるという意味になります。

 この虫は「動物以外の小さな陸上生物」の意味です(厳密には蟲が昆虫で、虫は爬虫類を意味します)。もともとは龍を意味した漢字だそうです!

 蛇や蜥蜴などが冬眠から目覚めて動き始めるころ……ということですね。

 啓蟄は仲春の始め、啓蟄が終わるころまでには春一番が吹いて春分を迎えます。

 今の時期は、卒業式や卒園式の時期。
 晴れやかな人々の行き交う様が人の心をさらに明るくしてくれるでしょうね^^

  旧暦ではまだまだ二月。暑さ寒さも彼岸まで。3月21日を過ぎれば、暖かい日々が訪れます。


 この季節に相応しい御軸といえば「一花開天下春」「百花春至為誰開」「花開蝶自来」など啓と開を掛けてみるとかがいいかもしれません♪

 

 

 

 

 

 

外壁工事が完了した模様。増築部分と既存部分の接続部が綺麗になっていました。
 

水屋部分の底上げ。地面から床まで上がりました。本席と同じ高さになります。
 

玄関部分も同じ床の高さです。
 

ここが今まで下駄箱だったところ。今度は収納へと生まれ変わります。
 

新しい部分と古い部分の接続部。

一見広くなったように感じますが、これから下駄箱を設置したり、収納がついてくると多分狭く感じます。

 

この他に電気工事で、洗面所のスイッチの移設や廊下のスイッチの移動をしてもらいました。

 

 

 本日は旧暦正月十五日。
 

 古くは松の内の終わりでした。大正月は人日まで竈を休ませるはずの松の内に、来客などがあって忙しくはたらいた主婦をねぎらう意味で女正月といって、地域によっては男性が女性の代わりに料理を行うなおの家事を行う日(期間ではなくこの日だけ)という地域もあるほど。


 この日には小豆粥を食べる習慣があり、元日から小正月の期間中は小豆を食べない習慣の残る地域もあります。

 年神や祖霊を迎える行事の多い大正月に対して、小正月は豊作祈願などの農事に関する行事や家庭的な行事が多く、元服の儀なども小正月に行われていたため、成人の日が新暦1月15日に行われていました。

 元服の儀は男子のみで、女子は裳着の儀を行います。
 元服は、前髪を切るか後ろ髪にまとめていましたが、江戸時代には月代(さかやき)を剃ることをいいました。烏帽子親(一族の長老か母親の父が一般的。後ろ盾になる)に加冠をしてもらい、烏帽子親から一字拝領して初名を名乗ります。たとえば、徳川家康は烏帽子親が今川義元なので最初「松平元信」と名乗っています。大名家は将軍から拝領することが多く、家臣は主君から拝領することが多かったようです。

 裳着は安土桃山時代ごろまで行われた女性の成人式で、初めて裳を着せるものでした。これは娘を結婚させる意思がありますという親の意思表示であり、年齢は一定していません。裳の腰紐を結び、髪上げをして、お歯黒をして、眉を剃り、引き眉をします。これ以降は小袖は白、袴は緋色(江戸時代は結婚まで濃紫)に変わりました。江戸時代には女性も元服というようになり、裳着は明治時代の皇族や貴族の儀礼として復活するまで姿を消してしまいました。

※裳というのは十二単を構成するプリーツスカートのような後ろに引きずる日本の引き腰のついた袴です。