大物崩れの前の戦いを現在書いていますが、池田城の戦い、記述のある場所によって表現が違います。

 

 池田城の戦いは享禄四年三月六日に落城ということは分かっていますが、

 

池田城(Wikipedia)は

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%9F%8E_(%E6%91%82%E6%B4%A5%E5%9B%BD)

 

享禄4年(1531年)の大物崩れでも高国の攻撃を受け、この戦いの後に城の復興で主郭の堀を広げ周りに土塁を設け、南側にも連郭状の曲輪を設け防御陣地を広げていった。

 

とかなりあっさり。

池田信正(Wikipedia)は

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E4%BF%A1%E6%AD%A3

 

享禄4年(1531年)に高国と連合を組んだ浦上村宗に池田城を攻め落とされたり

 

こちらは浦上村宗に攻め落とされてます。

中嶋の戦い(Wikipedia)では

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B6%8B%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

 

3月6日には勝軍地蔵山城から出撃してきた内藤彦七らによって、摂津の要所であった池田城を落城させた。

 

とこちらでは内藤彦七が落城させています。

 

見方によって、いろいろ書いていることが違うの困るんですよねぇ(笑)

 

・高国陣営が池田城を攻めた

・浦上村宗が池田城を攻めた

・内藤彦七が池田城を攻めた

 

 これらは全部事実であったと考えると、細川高国が同陣していない可能性が高く、本陣として後方にいた。浦上村宗は高国の指示で攻めた。内藤彦七が将軍地蔵山城から援軍に駆けつけて落城した。

 

 となる訳ですよね。

 

 そして3/10に中嶋の戦いに突入。

 

 いやはや、急展開!という感じ。一先ず、大物崩れまで書いていきます。

 濃茶席の正伝庵を辞しまして、次は薄茶席の十方庵。

 

 こちらは書院。そこにデデーン!と宗徧流正伝庵さんの立礼卓。

 

 これは表千家の末広棚に似ていますが、膝丈までしかない独自の棚物で、私の大好きな棚です。御家元のお姉様が席主です。

 

 真塗りの末広の立礼卓に華やかさを添えるのは、砂金袋水指。松喰鶴の図案で、袋の襞には唐草文。

 

 はてさてどういう趣向かな?と思っていると、群鶴の高坏に鶴と松の干菓子。

 

 え? 鶴に鶴に鶴?!

 

 目を凝らしてみれば、蓋置は南鐐の鶴の丸(二羽の鶴が互い違いになっているもの、向き合っているのは対鶴)。

 

 やられたーーーーw

 

 棗は盛り蒔絵の海老。形は「碁笥」とのことなのですが、形としては「尻張」にしか見えないのが不思議でした。

 

 茶杓は宗徧(使ったのは違う茶杓)。

 時代のいい色をしているんですが、筒が特に面白く、口が曲がっているんですよw しかも胡麻筒。珍しすぎます。

 

 床は例年の飾りで軸が……覚えきれないほど長い禅語w(ぉぃ

 

 建水の鈴(りん/仏具の鳴り物の一。鐘)が面白かったです。これは砂張で、物凄く上品。うっとりするほど滑らかな砂張ですが、あれ、口のところ指をすべらせたら切れそうですwww

 

 

 

 主茶盌も鶴。立鶴の「古曽部」。

 時代のもので、まぁ、軽い軽い。薄造りなため、熱がダイレクトに手に感じられるのが困り物で「裂をお使いください」とのことなので、古帛紗を使わせていただきました。

 

 本当に見事な古曽部で、私も古曽部が欲しくなりました!

 

 飽きがこないように、連客の茶盌も全て違うもの。やっぱり私も6月の茶会、お題持っていくかなぁ……ああいうのいいよな、やっぱり。

 

 帰りに、王仁ちゃんのリクエストでジェラートを食べて、帰りました。

 令和8年1月17日(土)は、宗徧流正伝庵の岩田宗匠よりお招きいただきまして、初釜に伺いました。

 

 母と二人で行く予定だったのですが、正月の緊急入院でTwi友の王仁ちゃんに代役?をお願いして、祐天寺駅前で待ち合わせ。

 

 ちょっと約束の時間が早すぎましたねw

 

 公園で時間を潰して、受付に。

 

 やはり、「お母様は?」となりますよね。宗和先生(WAさん)や宗歌先生だと「奥様?」という顔をされてしまうので、王仁ちゃんを誘ったのですが、こちらは「お弟子さん?」という顔。まぁ、目論見通りですがw

 

 私は薄茶の正客に、とのこと。

 

 待合では、いつものように賑やかに(やかましく?)おしゃべりをして、和気藹々といった様子に。

 

 こちらには「丙午」の正月飾り(神鈴)と時計の香合。正午を差しているので「午」の趣向。こういう遊びが、岩田宗匠のウマさですよね。

 

 しかも、この香合は和尚が抹香を持ち運んで、いつでも時計を見れるようにしていたものではないか?とのこと。師走には相応しい一品ですw(旧暦でもまだ師走ではなかったですが)

 

 露地を初めて通していただきまして、正伝庵に躙口から上がります。

 

 掛物は「不二」。字そのものが景色になっているというもので、一富士。

 

 花入がなんと「茄子」。正伝庵は昏いので手燭が灯して有り、その光を頼りに目を凝らすと、口のどころか「ヘタ」になってました。非常に珍しい古銅の花入でした。かすかにヘタが膨らむ前の首のところに書いてあるんですね。茄子の振出とか香合はあっても、花入は初めて見た!とお正客さま(表千家の先生)や連客さまも頷く。

 

 入れてあった曙橋はそれは見事な蕾で、たっぷり栄養をもらって大事に育てられたんだろうなぁ〜という感じでしたよ。

 

 香盒は時代の赤楽。獅子ですので、正月の獅子舞でしょうか。

 

 釜は鬼霰で、毬栗にしか見えない(笑)

 正伝庵さんにしては新し目の釜で、前に伊勢丹でみた異形の鬼霰とは違い、調和するのがすごいな~と思いましたが、鬼に金棒を連想してしまうトゲトゲに、「寅年にもいけそう」と思っていました(虎に翼 ⇒ 鬼に金棒)。

 

 炉椽は古材でまるで毬栗が当たって虫喰になったんじゃないの?!という所に付いていたのが面白かったです。

 

 水指は打出の小槌で、鼠が摘み。午年ですから、子が守護干支。俵づくりになっているそうで、箱には小槌が福槌となっているとか(笑)こちらは「萩」か「志野」かでしょうか。白釉がたっぷりと掛かった見事な品でした。透明感的には長石釉ではないと思うので、おそらく大道土の白ではないかと。

 

 蓋置は駅鈴。最初は仕付棚に柄杓とともに飾り置きされていて、水指の鼠と対にしてありましたよ(子午)。

 

 そしてでてきたのは、菓子器。

 

 総螺鈿の椽高……というか重箱? 

 

 これがまた、手燭の光が揺れるたびにぬらぬらと光り方が変わるんですよ。思わず一同「ほおぅ……」とため息。その光方に目を奪われます。

 

 主茶盌は瀬戸黒。形はやや下膨っぽい感じで、口作りが段になっていて腰蓑風。桃山風の作りですが、江戸前期〜中期といった頃合いでしょうか。

 

 そして、仕覆に収まった茶入がある訳ですが、こちらはなんの仕覆か分からないほどかすれてしまっていますが、江戸前期頃のものでしょうか。

 

 そして、そこからでてきたのは、高取の鮟鱇。小振りで、胴が縦にやや長めという感じで、鮟鱇を回してお茶を入れられるのが新鮮でした(ウチは鮟鱇茶入は回さず大海などと同じに扱うので)。

 

 この高取が「たか」で「トリ(最後)」というのがまたニクいですねぇ。

 

 建水は曲げでした。

 

 茶杓は節が前後に歪んでいて、有楽の「玉ぶりぶり」を彷彿とさせる形に深い薬研樋で、深過ぎて割れた跡があり、朱漆で継いでありました。正月にはもってこいの一振りですよねぇ〜。 

 

 岩田宗匠らしい素敵な物語が副えられた道具組みに「茶の湯はやはりこうでなくちゃ!」と思いを新たにしました。

 旧暦十二月二日は細川三斎の命日です。

 細川三斎は茶名を宗立、諱を忠興といいます。

 細川幽斎(藤孝)の息子で、豊前小倉藩初代藩主、のちの肥後細川氏の祖となった人物で、利休の高弟でもあり、三斎流の祖とされる人物です。利休の忠実な弟子であったといわれ、ものまねにならぬよう師から窘められたとも言われます。

 利休が堺に蟄居を命じられたとき、古田織部とともに見送った人物でもあります。

 このとき利休が三斎に贈ったのが名杓「ゆがみ」。
 へうげものとして名を成した織部に贈ったのが名杓「泪」。

 普通に考えると逆に贈るのが正しいようにも思えますが、そこは利休、教えを忠実に守りすぎる三斎に対しては「破」を、奔放に自分の茶を具現化する織部には「守」を贈っています。愛すべき弟子に足りないものを見つめ直させるために贈ったのでしょうか。

 三斎忌には熊本の立田自然公園内の茶室「仰松軒」で三斎流の茶会が開かれます。

 細川家の永青文庫には

・黒楽 長次郎作 銘「乙御前」 利休贈
・唐物茶入 利休尻膨 秀忠下賜
・瓢花入 千利休作 銘「顔回」
・茶杓 千利休作 銘「ゆがみ」
・南蛮芋頭水指
・井戸茶碗 銘「細川」

 などがあり、やはり三斎忌にはこれらの写を取り揃えた道具組をしたいものです。

 本日は大寒。二十四節気最後の節気です。

 大寒は、一年で最も寒い時期になります。


 寒稽古や寒気を利用した食べ物(凍り豆腐、寒天、酒、味噌など)を仕込む時期でもあります。

 『暦便覧』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」とされ、節分までのこの期間は一年で最も寒くなります。

 茶道では、暁の茶事の時期で、厳寒の朝の夜明けを愉しむという趣向を行う頃でもあります。大晦日と元日にかけて行う「年越の茶事」の前触れともいう茶事ですね♪(暁の茶事は2月ごろまで行います)

 また、小寒から大寒にかけての寒中は、筒茶盌で暖かい抹茶で体を温めるのが趣向の一つでもあります。

 この時期の御軸としては、旧暦合の歳末ですので「寒儘不知年」「寒松一色千年別」「歳月不待人」などもこの時期のものとして相応しいかと存じます。

 今年の大晦日は2月16日。節分や立春を過ぎてからとなります。また歳末のご挨拶はその頃にいたしとう存じます♪