本日は旧暦十二月廿四日、癸卯年甲寅月丁酉。節分です。

 

 節分というと「豆まき」というイメージでしょうか。「鬼は外、福は内」と叫びながら、入り大豆(福豆)を撒くと厄が払われるという行事ですね。

 実は、節分とは四立(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことで、「季節を分ける」という意味です。現在では特に立春の前日のことだけを指すようになりました。

 節分が2月3日なのは、現在立春がだいたい2月4日だからであり、2月3日とはかぎりません。2月2日~2月4日の間を行ったり来たりする感じになります。

 ちなみに、節分では、「鬼」という字のつく名字の家や地域では「鬼も内」というそうです。

 また、鬼(酒呑童子)退治で有名な渡辺綱の子孫ということで渡辺の姓の家では豆まきをしないのだとか。鬼が寄り付かないんだそうです♪

 大寒の最終日にあたる節分。
 年の数だけ豆を食べて、元気をつけまっしょい♪

 節分にふさわしい掛軸というと、やはり「竹有上下節」「安分以養福」でしょうかね。そして「不苦者有智. 遠仁者疎道」がベストでしょう!
 
 これは「ふくわうち・おにはそと」と読みながらも「苦しまざる者は智有り・仁に遠き者は道に疎し」とも読むことが出来る言葉です。これは江戸時代に儒学者が考えた語呂合わせだそうです。私はこれが欲しいです!(笑)

 和製漢語とは、

 

 

和製漢語(わせいかんご)とは、日本で日本人によってつくられた漢語。漢訳語彙の一種。中国語(古典中国語および白話)の造語法に基づきつつも、ときには日本語特有の要素(和臭)を交えてつくられた造語。古くから例があるが、特に幕末明治以降、西ヨーロッパ由来の概念を表すために翻訳借用語としてつくられた。

 

 というものです。

 ここから、変体漢文というものがあり、漢文として書かれていても実は日本生まれの漢文の法則からズレているものも有るわけです。

 

 『数寄の長者』で各話副題に使われている四文字の漢文は、まさにこれで、私が漢文風に書いたものです。

 

 この変体漢文の内、日本独自のものを和文体(倭文体)ともいい、日本人が作る漢文は基本的に和文体に属することが多いようです。

 

 これが発達して和漢混淆文と呼ばれる文体が成立し、少しずつ漢字仮名交じり文という文化へと変化していくようです。

 

 これは平安時代に発達し、江戸時代までこの形式で公文書が書かれたため、漢文の教養が必要であった訳ですね。

 

 ここを踏まえて言葉を考えると、とても歴史小説は面白いと思います。

 

 

 現在、私が執筆している『数寄の長者』は千利休を軸とした戦国前期の歴史群像劇です。


 執筆しようと思ったのは、映画『利休にたずねよ』を観て「なんだこりゃ?!」という感想を持ったことがきっかけでした。


 元々、信長以前の戦国歴史小説が、少ないことを嘆いていたことや、戦国時代の通史的な三国志のような作品があればいいのにと思っていので、書いてみようと始めたのです。


 しかし、ハードルはえらく高かったですね。


 まず、資料がほぼない。


 第一話の利休誕生を書いたものの、pixivのルビの煩雑さも相俟って数年放置することになってしまいました。


 ここで、転機が訪れました。


 執筆アプリ「Nola」との出会いです。


 このアプリはパソコンとスマホの同期をしてくれ、かゆいところに手が届く上にユーザーからの要望を聞いてくれるという有り難いアプリだったのです。


 使い勝手がよく、直ぐに課金。執筆を再開しました。


 早速、「pixivのルビに対応してほしい!」と要望すると、様々な投稿サイトのオリジナルルビに変換してくれる機能を搭載してくれたではありませんか!


 そして、第二話以降どう書きすすめるかを少し悩んだのですが、「利休という人格が形成される社会の流れを描かずして、歴史小説といえるだろうか?」ということに考えが至ります。


 大人になったところから書き始める小説もありますし、子供の頃など特筆すべきことはあまりないとも言えます。


 しかし、利休が生まれる前年から、歴史は大きな転換期を迎えていました。


 それは「将軍不在の幕府」です。


 このことが、応仁の乱以後始まった戦国時代を前半と後半に区別する「その時歴史が動いた」だったと言えるでしょう。


 この時代は茶道にとっても重要な時代で、能阿弥から始まった東山流と京都で村田珠光が興した奈良流という二つの全く違う茶道が流行していくからです。


 政治色の濃い書院茶に対し、政治色を排した数寄屋茶が豪商らに受けて侘数寄と唐物数寄が同時に広まっていくという状態だったのです。


 この時代を少しでも描いておきたい……私はそう思い、しかし、それさえも歴史の間にある幽かな光であることを表現するためには、政治と戦争を描かなければ戦国ではないと思うようになります。


 そこで、利休の最初の妻が三好長慶の妹であるという伝承を手菅に三好長慶を竹馬之友と定め、三人の天下人との絡みを比較することにしました。


 その上で、三好長慶の前に【事実上の天下人】と言われた細川高国を軸にすることに。


 それから、全体の大まかなプロットを書き、第一部を三好元長の死まで、第二部を三好長慶の死まで、第三部を本能寺の変まで、第四部を利休切腹までと決め、それぞれを4章立てにすることにしました。


 それと、私の敬愛する歴史小説家の一人である宮城谷昌光先生の手法である「主人公の父や祖父から書く」ことを決め、第一話を書き直し、序章として、子の道安の回顧録という態を取ることにしました。


 時には資料に行き詰まり、時には調べ物が進まず3か月も執筆が止まったこともあります(苦笑)


 そんな状況が好転したのは、昨年の11月頃からでしょうか。


 第二章に入り、思ったよりも筆が進みやすくなってきたのです。


 お陰様で、第二章も現在十五話(話数は通算)が書き終わろうとしています。


 NOVELDAYSでの掲載は順調にPVを伸ばし、現在13,000を超えています。


 途中で各話冒頭に和歌を入れるように変更し、各話副題を和製漢文にして、冒頭に書き下し文を添えて、時代的な雰囲気を醸し出すようにしている訳です。


 知人らに言わせると「それがより難しそうに感じさせる」らしいのですが、ラノベではないし、腹を括ってこの方向でいくことにしました。


 なかなか人気コンテンツ!にはならないでしょうが、気長にお付き合いいただけましたら幸いです。


 もうすぐ『第十五服 誅嵐叛篠』が書き終わり、来週には公開できるかと思います!


 お愉しみに♪


https://novel.daysneo.com/sp/works/c0edca2e78085f662371d344d3b44b1c.html




 茶会があると、私は前日とても忙しくなります。


 何をしているのかというと「予習」です。


 その季節に掛かりそうな禅語を拾ったり、季節の道具を調べたり、故事成語や和歌・節供(せっく)・忌日・逸話といったものをおさらいするのです。


 文様や裂地などもできるだけ見ておきます。


 勿論、普段からやっていることなのですが、前日に見直しておくことは、学生時代のテスト勉強に似ていますね(笑)


 一夜漬けでは駄目で、普段からこうしたものを気にして、データとして集めて居るからこそ活きてきます。


 一番難しいのは作家です。


 作家の名前を物語に使ってくるのはかなり高度ですが、いらっしゃらない訳ではないです。


 干支と合わせてくることもありますから、干支の漢字を使ってる作家さんは要チェックですね!


 節供に因んだ道具も結構豊富なので、これはこういう見立てをすればいついつ使える!なんてことも、自分で調べて考えてメモして置くのがいいのです。


 これを二十四節気ごとにまとめておくと、自分の道具立ての役に立ちますよ!


 道具リストというのは、道具の一覧だけではなく、こうした使い勝手の項目で登録しておくことが大変重要です。


 勿論、持っている道具だけでなく、持っていない道具もリストアップしておけば、何かの際に買う前に道具立てに組み入れられるかどうかを考えて買うことができます。


 皆さんはどのようにリスト作られていますか?

 茶席に禅語が多いのは、江戸時代、墨蹟や唐画を手に入れられない人々が、家元や大徳寺の僧の書いたものを墨蹟の代わりに掛けるようになったためと言われます。

 

 そして禅語は元々漢詩であったものが多く、それらは季節感を持ち、入手も容易いことから、町人茶で流行しました。

 

 大名茶ではそのようなことはなく、依然として懐紙や消息、唐画などが掛けられていますが、掛けるものにそれほど新旧のこだわりはなく、縁のあるもの、時節の合うもので、由来がしっかりしていて、次第の整っているものが尊ばれたそうです。

 

 利休以前、生きている人の書を掛けた例はなかったそうですが、【生きている人の書を掛けた最初の人物】は「利休であった」そうです。

 

 参禅の師である古溪和尚の軸を掛けたのだとか。

 

 利休は、貧乏人ではなかっとはいえ、唐物を次々と手に入れられるほどの富豪でもなかったと言われます。

 

 長らく「珠光茶垸」一つで茶席を持っており、その前半生においては、侘茶というよりも、武野紹鷗らに代表される行の茶――即ち書院と数寄屋を繋ぐ、中間の茶風の中に居ました。

 

 その世界は、珠光が切り拓いて、宗珠が完成させた「侘数寄」の世界です。

 

 この侘数寄こそが利休の出発点であり、唐物が手に入れられなかったが故に創意工夫をし、自らがプロデュースして道具を生み出し、後に売僧として糾弾されるほど、道具を売り捌いた訳ですね。

 

 その利休が行った前例破りに端を発し、現代では禅僧の一行を使うことが多い訳ですが、本当にそれでよいのでしょうか。

 

 利休がそれを行ったのは「他人を納得させられるだけの物を用意して、他人と違うことをするため」であり、そこは創意工夫な訳ですよね。

 

 ですから、禅僧や家元・脇宗匠だけのものにいつまでも限らなくていいと思うのです。

 

 という私も、一行物ばかり掛けていますけれどもw

 

 特に法華茶である当流は禅語じゃなくて、懐紙や消息や、画賛などを貴びたいところですね。


 その辺りも頑張って集めていこうと思いますよ。