茶席に禅語が多いのは、江戸時代、墨蹟や唐画を手に入れられない人々が、家元や大徳寺の僧の書いたものを墨蹟の代わりに掛けるようになったためと言われます。
そして禅語は元々漢詩であったものが多く、それらは季節感を持ち、入手も容易いことから、町人茶で流行しました。
大名茶ではそのようなことはなく、依然として懐紙や消息、唐画などが掛けられていますが、掛けるものにそれほど新旧のこだわりはなく、縁のあるもの、時節の合うもので、由来がしっかりしていて、次第の整っているものが尊ばれたそうです。
利休以前、生きている人の書を掛けた例はなかったそうですが、【生きている人の書を掛けた最初の人物】は「利休であった」そうです。
参禅の師である古溪和尚の軸を掛けたのだとか。
利休は、貧乏人ではなかっとはいえ、唐物を次々と手に入れられるほどの富豪でもなかったと言われます。
長らく「珠光茶垸」一つで茶席を持っており、その前半生においては、侘茶というよりも、武野紹鷗らに代表される行の茶――即ち書院と数寄屋を繋ぐ、中間の茶風の中に居ました。
その世界は、珠光が切り拓いて、宗珠が完成させた「侘数寄」の世界です。
この侘数寄こそが利休の出発点であり、唐物が手に入れられなかったが故に創意工夫をし、自らがプロデュースして道具を生み出し、後に売僧として糾弾されるほど、道具を売り捌いた訳ですね。
その利休が行った前例破りに端を発し、現代では禅僧の一行を使うことが多い訳ですが、本当にそれでよいのでしょうか。
利休がそれを行ったのは「他人を納得させられるだけの物を用意して、他人と違うことをするため」であり、そこは創意工夫な訳ですよね。
ですから、禅僧や家元・脇宗匠だけのものにいつまでも限らなくていいと思うのです。
という私も、一行物ばかり掛けていますけれどもw
特に法華茶である当流は禅語じゃなくて、懐紙や消息や、画賛などを貴びたいところですね。
その辺りも頑張って集めていこうと思いますよ。