1976年2月21日放送のテレビ番組から。

巧みな「合成技術」で、「歌っている」のもアズナヴールなら、ピアノを弾きながら、「合いの手」を入れてるのもアズナヴールと、「少し不思議」ながら、「楽しい」映像となっています。

 

これで「80歳」の頃(「パレ・デ・コングレ2004」)ですね。

やっぱり「驚き」です。

 

 

こちらは、2016年の来日公演(6月)に先立つ、2015年のライヴ映像ですが、アルメニアの首都、エレヴァンで歌った、「11月11日」の公演の模様だと思われます。

 

アルメニアは、「母方」の祖国。

アズナヴールは、当時「91歳」でした。

 

 

「掛け合い」の楽しいこの曲、「mes emmerdes "想い出をみつめて"」ですが、以下の2つの映像では、実際に、「ゲスト」を招いてそれをやっています。

 

こちらは、「俳優」で「歌手」のギイ・マルシャン(1937-)とのひとコマ。

「1976年」の映像だということです。

 

こちらは、翌1977年10月5日、スイスのテレビ番組の映像です。

この時の「相方」はパトリック・ジュヴェ(1950-)ですが、やはり「楽しそう」ですね。

 

こちらは「オリジナル録音」です(1976年)。

 

 

 

これまでの記事

 

 

*(今回は、一部予定を「変更」してお送りいたします)

 

 

「10月1日」は、一昨年、「突然の訃報」に驚いた、フランス・シャンソン界の「伝説的大歌手」、シャルル・アズナヴール(1924-2018)の「命日」です。

 

アズナヴール逝去の記事

 

 

「10月」と言えば、まずジャック・ブレル(1929-78)が「9日」、エディット・ピアフ(1915-63)が「10日(11日)」、ジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)が「29日」と、「シャンソン史」に名を残す、「伝説的大歌手」たちの「命日」が「続く」月でもあります。

 

一昨年は、本当に、「シャンソン/フレンチポップ」の「大スター」たちの「訃報」を、次々と聞いた年でもありました。

 

そして、「前回記事」にも書いているように、「今年」は、つい先日、ジュリエット・グレコ(1927.2.7-2020.9.23)までもが「この世」を去ることとなり、「1920年代生まれ」の歌手は、ほぼ全員、「いなくなってしまった」かのような印象を受けました...(シャルル・デュモンは「ご存命」ですね。「1929年」のお生まれです)。

 

前回の記事

 

 

グレコにしても、アズナヴールにしても、本当に「老い」を知らない、「若々しい」感覚の持ち主で、「2016年」にして「初めて」、アズナヴールの「日本公演」を目の当たりにしたとき、「100歳」でも「出来る」のではないかと思わせてくれたほどの「バイタリティー」を感じました。

 

 

今回は、アズナヴールの「そうした一面」を、「端的」に表している曲を紹介してみたいと思います。

 

 

今回の曲は、1976年に「シングル」として発売され、同年のアルバム、「voila que tu reviens "君が帰って来た"」にも収録された、「mes emmerdes "想い出をみつめて(やっかいごと)"」という作品です。

 

 

私がこの曲を知った「きっかけ」というのが、「NHK-BS」で放送されたシャンソンの「特集番組」で、「テーマ曲」として使われていたことがまずあります(「録画」は、現在も残ってはいますが、すぐには出て来ません...)。

 

 

その後、「日本向け」の企画アルバム、「グレイテスト・ヒッツ・フォー・ジャパン」(2001年12月19日発売。ただし、私が購入したのは、もっと「後」のことです)で「この曲」だと「確認」が出来たことで、アズナヴールの曲の中では割りあい「早く」、「好き」になったのだとも言うことが出来ます。

 

 

 

タイトルにもなっているこの単語「emmerde」はもともとは「emmerder」という動詞ですが、あまり「品の良い」言葉ではありません。

 

「便宜上」、「やっかいごと」としてありますが、「(人を)うんざりさせる」というのが、動詞の「原義」です。

 

 

「emmerder」と聞いて、私がまず思い出すのは「この歌」...。

 

ジョルジュ・ブラッサンスが、「ボビノ劇場公演」でも歌った、「misogynie a part "女ぎらいじゃないけれど"」(1969)。

 

歌詞を載せるのはちょっとはばかられますが、「あまりの詞の内容」に、書いた「本人」ですら「噴き出して」しまって、「歌にならなくなってしまった」という、何とも「微笑ましい」アクシデントです。

 

(参考)「ジョルジュ・ブラッサンス」がテーマの記事一覧

 

 

何はともあれ、アズナヴールの今回の曲は、「昔のやっかいごと」も、「現在」からすれば、「懐かしく」も思えてしまうという、そうした「想い」を歌ったものです。

 

「ジャズ的」な雰囲気も心地よく、「ゲスト」を招いての「掛け合い」も、本当に「楽しそう」ですね(「上掲動画」参照)。

 

 

また、この曲からヒントを得て、テレビドラマ、「mes amis, mes amours, mes emmerdes」(2009~2015年 TF1。タイトルは、「歌詞」に由来。下記参照)も作られました。

 

 

 

さて、せっかくですので、ここで、先日亡くなったジュリエット・グレコが歌った「アズナヴール作品」を、いくつかご紹介しておきましょう。

 

 

「新人時代」に詞を書いた「je hais les dimanches "日曜日は嫌い"」(1950-51)は、もともと、エディット・ピアフ(1915-63)のために作られた作品ですが、ピアフに歌うことを断られてしまったため、グレコが歌ったところ、「大ヒット」となったものです。

 

このことにより、ピアフは「大いに機嫌を損ねてしまった」ということですが、程なく、ピアフも歌って「成功」を収め、アズナヴールの名が世に知られる「きっかけ」となりました。

 

「Olga "オルガ"」(1964)は、「la boheme "ラ・ボエーム"」(1965)同様、ジャック・プラント(1920-2003)が詞を書き、アズナヴールが曲を書いた作品です。

 

そして、その「la boheme "ラ・ボエーム"」(1965)です。

 

この曲の記事

 

 

この、ジュリエット・グレコの「訃報」を聞いてからわずか数日、日曜早朝に、「まさか」の報せを見聞きしました。

 

一体、「何」が、彼女を「そのような方向」へと向かわせたのでしょう...。

 

「7月」の三浦春馬さん(1990.4.5-2020.7.18)以降、本当に「不可解な死」が、立て続けに起こっているような印象を受けます。

 

 

「こんなもんじゃない」でしょう、「私たち」は...。

 

「涙の数だけの輝きを抱きしめて」

 

 

「笑顔」の素敵な、本当に、「美しい方」でした。

 

 

この場をお借りして、ご冥福をお祈りしたいと思います。

 

 

合掌...。

 

 

竹内結子(1980.4.1-2020.9.27)

 

 

 

今こそ、これらの曲を聴くべきでしょう...。

 

 

 

 

「辛く」なったときは、「いのちの電話」へ...。

 

 

0570-783-556

 

 

そう、生きなくては...。

 

 

それではまた...。

 

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mes emmerdes  想い出をみつめて(やっかいごと)

 

j'ai travaille

des annees

sans repit,

jour et nuit

pour reussir,

pour gravir

les sommets

en oubliant

souvent dans

ma course contre le temps

mes amis, mes amours, mes emmerdes

 

働いた

何年も

休むことなく

昼も夜も

成功するために

頂上へと

登りつめるために

時間との闘いの中で

しばしば

忘れた

友だちや、恋人や、やっかいごとを

 

a corps perdu

j'ai couru

assoiffe

obstine

vers l'horizon

l'illusion

vers l'abstrait

en sacrifiant

c'est navrant

je m'en accuse a present

mes amis, mes amours, mes emmerdes

 

がむしゃらに

僕は走った

貪欲に

粘り強く

地平線を目指し

幻想に向かって

抽象的なものへと

今思えば

とても悲しいことだと

自分を責める

友だちや、恋人や、やっかいごとを

犠牲にしてまで

 

mes amis c'etait tout en partage

mes amours faisaient tres bien l'amour

mes emmerdes etaient ceux de mon age

qu'l'argent, c'est dommage

eperonnait nos jours

 

友だちとは、何でも分かち合っていた

恋人たちとはよく愛し合っていた

やっかいごととは、あの当時

残念なことに

お金に振り回されていたことだった

 

pour etre fier

je suis fier

entre nous

je l'avoue

j'ai fait ma vie

mais il y

a un mais...

je donnerai

ce que j'ai

pour retrouver, je l'admets

mes amis, mes amours, mes emmerdes

 

誇らしくあるために

誇らしくある

ここだけの話で

言ってしまえば

僕はやりたいようにやってきたけど

それでも

しかし...

僕の持っているものをあげようじゃないか

再会するために、そうさ

友だちと、恋人と、やっかいごとと

 

mes relations

vraiment, sont

haut placees

decorees

tres influent's

bedonnants

des gens bien

ils sont serieux

mais pres d'eux

j'ai souvent le regret de

mais amis, mes amours, mes emmerdes

 

僕の知り合いたちは

本当に

良いご身分の人たちばかりだ

勲章だらけで

影響力もあって

まるまる太った

立派な人たち

真面目な人たちだ

でも僕は

彼らのそばで、しばしば懐かしむ

友だちや、恋人や、やっかいごとを

 

mes amis etaient plein d'insouciance

mes amours avaient le corps brulant

mes emmerdes aujourd'hui quand j'y pense

avaient peu d'importance

et c'etait le bon temps

 

僕の友だちは、本当にのんきで

恋人たちの身体は、本当に熱いばかりだった

やっかいごとは、いま考えてみても

そんなに大したことではなかった

まったく良い時代だった

 

le temps des canulars

des petards

des folies

des orgies

les jours du bac

le cognac

les refrains

tout ce qui fait

je le sais

que je n'oublierai jamais

mes amis, mes amours, mes emmerdes

 

悪ふざけや

バカ騒ぎ

狂気の時代

大乱行

受験の日々

コニャック

ルフラン(歌の繰り返し文句=サビ)

それらすべて

僕には分かっている

決して、忘れることはないだろうと

友だちや、恋人や、やっかいごとを

 

(daniel-b=フランス専門)