20世紀を代表する大歌手、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925-2012)と、シューベルト解釈の「第一人者」、アルフレート・ブレンデル(1931-)のピアノでどうぞ(音量は「大きめ」です)。
ヘルマン・プライ(1929-98)にも歌唱映像があります。こちらは「Part1」(第11曲「春の夢」まで)です(音量は「小さめ」です)。
こちらは「Part2」(第12曲「孤独」から、終曲「辻音楽師」まで)です。音量が「小さめ」なのが本当に「残念」です。
(追加)偉大な「ワーグナー歌い」、ハンス・ホッター(1909-2003)による「冬の旅」です。ホッターは「バス・バリトン」の歌手。ピアノは、フィッシャー=ディースカウの伴奏でもおなじみのジェラルド・ムーア(1899-1987)が弾いています。1954年の録音です。
(追加)「テノール」では、スイスの出身、エルンスト・ヘフリガー(1919-2007)の1980年の録音を挙げましょう。伴奏は、イェルク・エヴァルト・デーラー(1933-2018)ですが、彼が弾いているのは、自身が所有する、1820年頃のウィーンの「ハンマーフリューゲル」(フランツ・ブロートマン製作)だということです。
「冬」ということで、歌曲集の「最高傑作」とも呼ばれる、シューベルト(1797-1828)の「Winterreise "冬の旅"」(1827)を特集しています。
これまでの記事です。
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12433319582.html(「冬の旅」その1)
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12433366537.html(「冬の旅」その2)
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12433512356.html(「冬の旅」その3)
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12433531085.html(前回の記事 「冬の旅」その4)
シューベルトの「3大歌曲集」の記事はこちら。
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12365504789.html?frm=theme(「美しき水車小屋の娘」の記事)
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12360433372.html?frm=theme(「白鳥の歌」その1)
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12362126092.html?frm=theme(「白鳥の歌」その2)
前回まで、「6曲」ずつ、計「4回」にわたって、「全曲」を紹介して来ました、シューベルトの「連作歌曲」(歌曲集)、「Winterreise "冬の旅" op.89, D.911」(1827)。今回は、いよいよ、その「まとめ」です。
この歌曲集「冬の旅」の詩は、1823年に、同じくシューベルトが作曲した、「Die schone Mullerin "美しき水車小屋の娘" op.25, D.795」(「原詩」は、1820年の発表)の作者、ヴィルヘルム・ミュラー(1794-1827)の手によります。
シューベルトとまったく「同時代」に生き、そして、まったく同じように「早逝」してしまったミュラーですが、残念なことに、2人は、直接会ったことは、ついに一度もなかったということです。
「公務員」でもあったミュラーは、「多忙」な中にあっても「旅」を愛し、そのことが、「寿命を縮める」結果ともなってしまったようですが、その「旅好き」な面が、これら2つの歌曲集、「美しき水車小屋の娘」、「冬の旅」によく表れていると思います。また、「恋に破れた青年(遍歴職人)」という設定も「共通」しています。しかし、その「描かれ方」には、「天と地の開き」があると思います。
では、シューベルトは、と言えば、この「冬の旅」を作曲した「1827年」というのは、あのベートーヴェン(1770-1827)の「葬儀」(3月)に参列した年でもありました。その後、友人たちと向かった酒場で、
「この中で、最も早く死ぬ奴に乾杯!」
と「音頭」を取ったことは、とても「有名」な話です。友人たちは、一様に「不吉」な感じを覚えたということですが、実際に「翌年」、亡くなってしまったのが、その「シューベルト自身」だったのです。
シューベルトは、ベートーヴェンという、「偉大な先人」の後を継ぎ、その作品を「さらに先へと進める歴史的な義務を感じたかのようである」(音楽学者アルフレート・アインシュタイン)ということでしたが、1823年以降、体調が優れなかったこともあって、次第に「死」を意識するようにもなっていたということです。
シューベルトが、ミュラーのこの詩集に出合ったのが、1826年の暮れから、1827年の初め頃のことだと言われています。「親友」の1人である、フランツ・フォン・ショーバー(1796-1882)の家で、まず、「最初」に発表された「12編」の詩(1823年)を知り、1827年2月に、「数週間」で、作曲を「完成」させたということです。
最も古くからの友人のシュパウン(1788-1865)は、シューベルト自身が、親しい友人たちを呼び集めて、この「冬の旅」を披露した日のことを、次のように回想しています(前田昭雄著「カラー版 作曲家の生涯 シューベルト」より)。
「彼に近しく、親しかった我々には、これらの作品が、彼の心をどんなにか労し、どんな苦しみの中から生まれたものだったかを悟ることが出来た。あの朝、彼が、どんなに顔を、瞳を輝かせて、普段と違った調子で話したかを見た者なら、決してそれを忘れまい。私は思うのだが、シューベルトの素晴らしい歌曲、特に "冬の旅" の作曲に要した激しい心労が、その生命を縮めたのではないだろうか」
シューベルトは、次のように話していました。
「僕は、君たちに、一組の恐ろしい歌を歌って聴かせたいんだ。君たちが、それについて何と言うか、非常に興味があるのだ。
これらの歌には、他のどんな歌の場合よりも、苦労させられたんだ。僕は、これらの歌曲を、他のどの歌にもまして気に入っているし、君たちもいずれは気に入ってくれるだろう」
演奏を聴いて、一同は、そのあまりの「内容の暗さ」に「驚愕」し、「戦慄」をも覚えました。
「(第5曲)"菩提樹"は気に入った...」と、ショーバーが口にしたのが「精一杯」だったということです。
その後、シューベルトは、ミュラーの詩に「続編」(1824年。詩の順序を入れ替え、最終的に「24編」として出版されています)があることを知り、10月から、それらの「作曲」に取りかかりました。
最初に作曲された12曲は、翌1828年1月、そのまま、「冬の旅 第1部」として出版されました。後半「第2部」については、この年の11月、「病床」に就きながらも、その「校正」に励んでいたということです。その後、「危篤状態」に陥り、亡くなったのが、「11月19日午後3時頃」のことでした。言ってみれば、これが、シューベルトの「生前最後の作業」でもあるわけなのです。この「第2部」は、その翌月、「12月30日」に出版されました。
この歌曲集では、「恋に破れた青年(遍歴職人)」が、その家を「後にする」ところから始まります。その家は「裕福」であり、「身分相応の求婚者」が現われたために「振られた」ということのようです(第1曲「おやすみ」、第2曲「風見の旗」より)。
その「傷心」ゆえに「さすらう」この旅人は、道中、「人間」には出会うことなく、「破滅への道」をひたすら進んで行きます。時折り、「郵便馬車」を見かけたり、村を眺めたりする以外は、人目を「避ける」ように進み、「険しい道」へも入って行くのです。そのため、最終曲「辻音楽師」以外は、基本的に「モノローグ」となっています。
各曲の、「おさらい」をしておきましょう(演奏時間「約75分」)。
「第1部」
1.Gute Nacht おやすみ
恋に破れた青年(遍歴職人)が、恋人の家を、「そっと」立ち去る様子を描いています。ピアノ伴奏も、青年の、いかにも「重い足どり」を表現しているかのようです。
2.Die Wetterfahne 風見の旗
その家の「風見の旗(風見鶏)」に風が戯れる様子が、旅立つ自分を嘲笑っているかのように感じます。彼女はたぶん、「富豪の花嫁」となるのでしょう。
3.Gefrorne Tranen 凍れる涙
今さらながらに、自分が「泣いていた」ことに、旅人は気付きます。
4.Erstarrung 氷結
旅人は、雪の中、かつて恋人とともに歩いた、花咲く緑の野を回想します。しかし、それも空しく、「心は凍りついた(死んだ)よう」だと歌われます。各節は、「繰り返し」の中で「融合」し、次第に「クライマックス」へと向かっていきます。
(「最終節」に関しては、以下の記事もご参照ください)
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S1767.htm(最終節についての参考記事。再掲)
5.Der Lindenbaum 菩提樹
その木蔭で、いつも「物思い」にふけっていた、「懐かしい」菩提樹。その枝の「ざわめき」は、「ここにこそ、お前の安らぎがあるのに」と言っているかのよう...。
「冬の旅」の中では最も「有名」な曲です。「唯一の安らぎ」とも言えるかも知れません。
6(7).Wasserflut あふれる涙(増水)
雪は「熱い歎きの涙」をも飲みほしてしまいますが、その旅人の涙ととともに「小川」を旅し、やがて「町」にたどり着いた時に、「涙」が熱くたぎるのを感じたら、その場所こそが、「恋しい人の家」だと歌われています。
伴奏右手の「三連符」に比べ、左手の「付点音符」のリズムがやや「遅れがち」なのは、「旅人の重い足どり」を表現しているためだとされ、「無理に合わせる必要はない」という見解が「大多数」なようです。
各節の終わりで「クレッシェンド」していくこの曲は、「ピアノソナタ第15番 ハ長調 D.840 "レリーク"」(1825)の「第2楽章」をも思わせます。
「11分ちょうど頃」から、その「第2楽章」です。
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12251131344.html?frm=theme(参考:この曲の記事)
7(8).Auf dem Flusse 川の上にて
凍った小川に、「恋人の名前」や、「初めて会った日」、「別れた日」、そして、「指環」を刻み込むのですが、その「環」が「つながっていない」ところからも、「壊れてしまった」と表現しているようです。
8(9).Ruckblick 回想
旅人は「逃げる」ように町を後にします。その「急き立てられる」様子、「焦る」様子が、曲にも表れています。町は「よそよそしくなってしまった」と歌われています。
9(18).Irrlicht 鬼火
人間のどんな「喜び」も、「悩み」も、すべては一すじの「鬼火の戯れ」に過ぎないと歌われます。
10(19).Rast 憩い
ここでも旅人は、「疲労している」ことに「初めて」気付き、「休息したい」と思うようになります。しかし、「身体」は休息を欲しません。「嵐」の中では、あれほどまでに「勇ましかった」のに、「静けさ」の中では、「真っ先」に、「激しい痛み」にさいなまれてしまうのです。
11(21).Fruhlingstraum 春の夢
旅人は、束の間の「休息」で、「春の夢」を見ますが、突然鶏が啼いて、「現実」に引き戻されてしまいます。窓に描かれた「木の葉」を見て、それを描いた者は、「真冬に"春の夢"を見た私を"笑う"ことだろう」、と歌われています。
12(22).Einsamkeit 孤独
嵐が落ち着いて、「光あふれる世界」が戻って来ますが、「傷心」の旅人にとっては、「嵐」が荒れ狂っている時にはかえって、「こんなにも"みじめ"ではなかった」と歌われています。
「第2部」
13(6).Die Post 郵便(馬車)
通りから聴こえて来る「郵便馬車」の音に、「淡い期待」を抱いてしまう旅人。しかし彼は、結局、郵便馬車に近付くこともなく旅を続けます。
14(10).Der greise Kopf 霜おく髪
頭に降りかかった「真っ白な霜」を見て、「白髪の老人になった」と喜びますが、それはすぐに融けてしまい、もとの「黒髪」に戻ってしまいました。「日暮れから夜明けまでの間」に、「頭髪が真っ白になってしまった」という話を、旅人は「信じられるものか!」と一蹴します。
15(11).Die Krahe からす
いたって「不思議な鳥」、それが「からす」。町を出る時から追って来たその「からす」は、私を「見捨てない」つもりなのだろうか。それならばいっそ、「墓」にまで連れ添ってくれる「忠実さ」を示してほしい、と歌われます。
16(12).Letzte Hoffnung 最後の希望
枝に残る木の葉に、「わずかな望み」をかける旅人。しかし、祈りも空しく、「最後の木の葉」が落ちてしまい、「私の希望」も地に落ちてしまったと歎きます。
17(13).Im Dorfe 村にて
夜の村では、人々は眠りに就き、「夢」を見ていることだろう。しかし私は、もう「眠り」の中に求めるものは何もない。犬どもよ、もっと吠えたてて、私を追い、「眠らないように」しておくれと歌われます。
18(14).Der sturmische Morgen 嵐の朝
「嵐の朝」こそ、「私の心」にはうってつけ。天の中に、自分自身の姿を認める。それは、まさに、「冷たく」、「荒れた」、「冬」以外の何物でもない!!
19(15).Tauschung まぼろし
何とも「みじめ」な私。もはや、この「まぼろし」だけが「安らぎ」であると歌われます。
20(16).Der Wegweiser 道しるべ
何故、私は、人目につかぬ道を求めるのか。どんな愚かな望みが、「荒野」へと私を駆り立てるのか。そして旅人は、「憩い」もなく、それを「求め」もせず、「誰一人戻って来たことのない道」へと歩みを進めます。
21(17).Das Wirtshaus 旅籠屋
旅人がたどり着いたのは、とある「墓場」でした。「ここに宿りたい」と旅人は願いますが、その願いは、「墓場」からも「拒否」され、再び旅を続ける「決心」をします。
この曲集の中でも「象徴的」な1曲であると言え、前曲「道しるべ」、次曲「勇気」とともに、「一番の聴きどころ」とも言えるかと思います。
この曲の旋律は、ギリシャの伝統的な「復活祭」の歌に「似ている」という指摘もあり、確かに、「宗教音楽的」な「敬虔さ」も感じられます。
22(23).Mut 勇気
「勇気」と言うよりは「から元気」でしょう。自らを「鼓舞」してみせますが、何とも「痛々しく」感じられます。
23(20).Die Nebensonnen 幻の太陽
「幻日」と呼ばれる現象で、旅人には「3つの太陽」が見えています。そして、自分も「3つの太陽」を持っていたが、その「素晴らしい2つ」は、もはや「沈んで」しまった、と歌われています。
24.Der Leiermann 辻音楽師
これまで、「誰一人」、出会うことなく旅をして来た旅人も、ここでついに、ある「人物」と出会います。それが、「辻音楽師(「竪琴弾き」/「ライアー回し」)」でした。
「旅人」同様、「ワケあり」と思われる、その「不思議な老人」に「共感」を覚えた旅人は、ここで「初めて」、彼に「話しかける」のでした...。
「お前と一緒に従って行ってよいだろうか?
私の歌にお前の竪琴のしらべを合わせてはくれないだろうか...?」
()内の数字は、1824年に出版された、ミュラーの「詩集」での順番です。最初に発表されていた「12編」(そのまま「第1部」です)にまず曲を付け、友人たちに歌って聴かせました。その後、「詩集」として出版されていることを知ったシューベルトは、残りの12曲にも曲を付けましたが、その順番が「変更」されていたこともあり、「バランス」を考えた結果、「現在の曲順」に、「再び」並べ替えることになったというものです。
「中盤」から「後半」にかけては、「破滅的」な詩が続きますが、それを超えて「伝わってくるもの」が「ある」と思います。
私は、1997年12月6日、この歌曲集の「オーケストラ編曲版(伴奏)」を、地元「ハーモニーホールふくい」で聴く機会に恵まれました。
その年10月の「世界初演」(ドイツ・ミュンヘン)に引き続き、「同じ顔ぶれ」による演奏だったのですが、そのオケが、岩城宏之(1932-2006)率いる「オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)」、「バリトン独唱」が、何を隠そう、今回もその歌唱を紹介している、「ヘルマン・プライ」(1929-98)だったのです。
終演後、「サイン会」もありましたので、2人にサインをいただき、率直な感想も伝えました。
「世界的大歌手」を目の前に、大変「緊張」したことを憶えています。
しかし、それからわずか「7ヶ月後」となる、1998年7月22日深夜、そのヘルマン・プライが「心筋梗塞」により「急死」したというニュースが飛び込んできました(24日付け朝日新聞)。彼は、12日にも、ミュンヘンで公演したばかりだったといい、私は、本当に驚いたものです...。
もとより、大変「思い入れ」のあったこの歌曲集「冬の旅」でしたが、このような「経験」もあったことから、よりいっそう、思い入れが「増した」と言っても、「過言」ではないわけです。ですから、この作品は必ず、「全曲紹介」をしたいとも思ったのです(「訳詞」は、「翻訳者」により、若干の「違い」は認められはしますが、その点はご了承ください。あくまでも、「第一印象」を「尊重」いたしました)。
「詩と音楽の見事な融合」により、歌曲集の「最高傑作」とも呼ばれる、このシューベルトの「冬の旅」(ヴィルヘルム・ミュラー詩)。
「恐ろしい」までの「不気味さ」を秘めつつも、その「徹底」した「描写」の素晴らしさによって、「200年」近く経った今でも、人々に「愛されている」、「珠玉の作品」です。
この歌曲集での「経験」が、「最晩年の作品」にももちろん生かされていますし、その「世界」は、さらなる「高み」へと登りつめていく様子がよく分かります。
「5回」にわたってお送りして来ました、「特集」、シューベルト「冬の旅」。
ひとまず、これで「終了」です。
お付き合い、本当にどうもありがとうございました。
それではまた...。
![]() |
シューベルト:歌曲集「冬の旅」
820円
Amazon |
![]() |
シューベルト:冬の旅
1,234円
Amazon |
![]() |
Great Recordings Of The Century - Schubert: Win...
3,480円
Amazon |
![]() |
シューベルト:歌曲集「冬の旅」
972円
Amazon |
(daniel-b=フランス専門)



