今回は連載はいったんお休みして、今話題になっている駒大苫小牧の暴力事件についての記事です。


甲子園で夏2連覇という快挙を成し遂げた駒大苫小牧高校でしたが、皆さんもご存じの通り、野球部長の生徒に対する暴力行為と学校側の隠蔽工作が明るみに出て、最悪の場合、優勝旗返還か?という事態に発展しています。新聞やネットの海でもいろいろ意見が出ていて、どれもこれもなるほどなと思います。


僕もいずれにしても学校側が起こした問題ですから、優勝した選手に罪はないと言うことで優勝取り消しという事態にはならないで欲しいですが、まあ、もしそうなったとしてもその価値には変わりはないと思います。選手たちは胸を張って堂々と生きて行 って欲しいものです。


さて、ここで取り上げたいのは行為そのものについてです。

顎のかみ合わせが悪くなったということで、それが「傷害事件である」という法律的な立場からすれば、問答無用ですが、「教育である」という立場からすれば、道理的に一概には言えないところもあります。

世の中の意見はおおざっぱに言って、以下の2つに分類されるのでしょうか?


1 暴力はどんな理由があってもいけない。

2 制裁を受けた生徒側の問題はないのか。時には、愛のムチも必要だ。俺も(私も)昔良く殴られたが、今では感謝している。


1の意見は至極まっとうで、新聞に載るのは、だいたいこれです。まあ、無難な大人の意見と言ったところでしょうか。ちょっと思考停止気味です。

2の意見は、ネットで多いですね。きっと多くの人にとっては本音なのでしょう。僕もよく殴られました。感謝はしていませんが(笑)、ある時期までの子供は頭じゃなくて体でなければ分からないことがあるというのも分かる気もします。


僕の意見はこうです。


気づいた方もいらっしゃるかも知れませんが、僕は上の2つの分類でも意図的に言葉を分けています。つまり、頭をスリッパで殴ったのは「暴力」か「制裁」か、という分け方です。


仕方ないことですが、こういう場合我々素人は自分の意見を自分の経験からのみ形成します。

その行為を「暴力」と判断した人は、昔嫌な目にあったか、もしくはそういう目に全くあったことのない人であり、「制裁」と判断した人は、最近の子供の無軌道ぶりに腹を立てている人か、一部の元体育教師(笑)でしょう。スクールウォーズの「俺は今からおまえたちを殴る!」ってシーンを見て涙を流す人たちです。


この違いはどう判断したらいいのでしょう?


実はこれって、ある同じような構図を持った事象に似ています。

そうです。セクハラです。つまり、スキンシップかセクハラかという境界は、受け手側がどう感じているか、ということにつきます。やった側じゃなくて。周りがじゃなくて。

この視点でこの問題を改めて見てみると、今回の事件はどうなんでしょう?


今回の場合、テレビなどを見ていると親が全面に出ていて、当の生徒自身はあまり出てきません。これが小学生なら仕方ないと思いますが、高校生というのが微妙ですね。まあ子供と言えばそうなんですけど、あと半年で下手したら社会に出なければならないと思うと、ちょっと幼すぎやしないか?とも思います。


その辺がよく分からないですが、それでも生徒自身が訴えているのなら、やっぱり「暴力」となります。客観的にこの生徒の素行に問題があったとしても。

野球部長の問題もありますね。ただキレただけなのか。それとも教育的指導(のつもり)だったのか。


いずれにしても言えることは、相手との間の信頼関係に自信がないなら殴ったり、お尻を触ったりしてはいけない、ということです。(当たり前)

昔はどうか知りませんが、現在の世の中では、体でしか分からない子供には、もはや学校において教育をするのは難しいのです。学校に信頼がおけないのなら、子供に善悪が頭で判断できるように教育しておくということが親の責任の一つになります。


傷つけられないためにも傷つけないためにも。

まだ子供もいないのに「育児生活」もないと思って、テーマを「育児前夜」に変えました。「生活」は産まれてから、ということで。


前回に引き続きまして、今回は②奥さんの会社をどうするか、についての検証です。


まあ、どうするかもこうするかも、奥さんが社長なので社員ですらない僕は奥さんの選択を支持するしかありません。おそらくぎりぎりまで仕事をし、出産した後も復活するなり仕事を始めることでしょう。


もちろん初めての出産なので、経験者やお医者さんの意見や経過(人によって全く違うみたいですから)を参考にしながら、無理をすることなくやっていこうとは思っています。


とは言え、タイミングが良いのか悪いのか、奥さんの会社が現在、商売繁盛で忙しい。

1年前までは3名ほどだった社員もここに来て8名まで増えました。来月にはさらに増員する予定だそうです。会社としては、ありがたいことなのですが、なかなかゆっくりできないというのが現状です。


幸いスタッフのみんなも協力的らしく、前回の記事のように実家で出産となると、最大半年ほどになる社長の不在をカバーするべく、仕事の分担を進めているところです。

社員によっては、仕事的にステップアップするというか、かなり高度な仕事をすることになるのですが(零細企業とは言え、社長業も一部あるわけですから)、チャンスととらえて、前向きにやってもらっているようです。


今回の出来事は大変ではあるけれども、奥さんは会社にとってはステップアップのいい機会だと考えているようです。つまり社長の個人的力量だけに頼る会社から、組織で仕事をするビジネスへと脱皮するための。

これがうまくいった暁には(うまくいかせなければならないのですが)、会社にも新しい道が開けてきます。

新規事業参入、さらなる増員、株式会社化、などなどチャレンジングな事ばかりです。


僕も「育児オトコ」として、子供の面倒を見つつ、育児休暇によってできた時間で陰ながら応援できるようにがんばりたいと思います。そのこともまたチャレンジング。

将来に夢と希望とチャレンジングなことがあるとき、人生は本当に楽しいです。そして、こんなより楽しい人生をプレゼントしてくれた奥さんに改めて感謝したいと思います。あと、もちろんおなかの中の人にも。

少し間が空いてしましました。前回の記事へのコメントありがとうございます。


さて、改めまして①番「どこで産むか」の検証です。

えーと、いろいろ考えて、次のようにすることにしました。(今のところ)


・2ヶ月前くらいまで北海道で仕事をがんばる。

・2ヶ月前に僕が帯同して、奥さんを(奥さんの)実家まで送り届ける。

・実家近くの病院で産む。僕は何とかタイミングを合わせて立ち会えるようにする。

・4月になったら、育児休暇をとって奥さんを実家に迎えに行く。

・5月くらいから新たな生活(僕=育児休暇、奥さん=仕事、子供=泣く)を始める。


これが一番現実的かなと思いました。もちろん仕事と病院の調整はありますが。

前回の記事には書きませんでしたが、奥さんの実家には奥さんの妹がいて、現在育児休暇中です。

つまり身近な先輩がいます。聞けばすごく協力的らしい。自分も大変でしょうに。

あとは、僕がうまくタイミングを合わせて会社を休めるようにがんばるしかないですね。(ほとんど運ですが)

子供ができて、ひととおりの感動やざわめきが過ぎると、現実的なことを人は考え始めます。


僕たちの場合は、まず、①どこで産むか、そして、産む場所によっては、②奥さんの会社をどうするか、さらに、①どうやって産むか、という現実について考えなければなりません。


まず、①どこで産むか。


このブログの古い読者ならご存じかも知れませんが、


・僕たちは現在北海道に住んでいて、奥さんと僕は別居中です。(僕の単身赴任のため)

・二人とも本州の出身ですが、僕は関西、奥さんは関東と、実家はそれぞれ離れたところにあります。

・奥さんは母親を亡くしていて、僕の母親も足が不自由です。

・親身に助けてくれそうな親戚が東京にあります。


選択肢としては、(1)北海道、(2)奥さんの実家、(3)僕の実家、(4)東京、となりますね。


次に、②奥さんの会社をどうするか。


普通、こういうケースだと奥さんが雪のないうちに実家に帰って産むというのがセオリーなんでしょうけど、奥さんは現在10人弱の従業員を抱える小企業の社長です。吹けば飛ぶような。

出産予定は3月なので、雪のないうちに帰るとなると、半年近く、会社を遠隔操作することになります。

東京や僕の実家でもそうなりますね。


最後に、③どうやって産むか。


どうやってもこうやってもないかも知れませんが、僕たちはどうせなら痛くない方がいいと考えて「無痛分娩」という選択をしようと思っています。産みの苦しみより育ての苦しみ。

いろいろ調べましたが、対応する病院は思ったより少ない。(なんで?)お金も通常の3倍くらいかかるみたい。



どれもこれも大きな問題なのでしっかり検討しなければ行けません。

次回から、3回に分けて記事にしていきます。経験者の方、アドバイスがあればいただければ嬉しいです。

特に③について。

昨夜は、サッカーの日本代表を見ながら、「トリビアの泉」を見ていました。

普段、テレビはあんまり見ないんですが、見るときはよくザッピング(チャンネルをころころ変えること)をして奥さんに怒られます。


「トリビアの泉」は好きで割とよく見る番組なんですが(ほとんど緒川たまきの「ウソツキ。」を見るためだけと言っても過言ではありませんが・・・)、昨日は、「トリビアの種」というコーナーで興味深い実験をやっていたので、思わず見入ってしまいました。(おかげで大黒のゴールを見逃しました)


その実験とは、まだ自分の子供と対面していない父親が、3人の新生児の中から自分の子供を見つけられるか、というものでした。皆さん、どのくらいの確率だったと思います?ボクはせいぜい50%くらいかな、と思っていたのですが、ところがどっこい、思ったよりも確率が高くて、なんと81%の父親が自分の子供を当てられたのです。


僕も何回か新生児というものを見たことがあるのですが、はっきり言ってみんな同じで、その親に「可愛いでしょ?」「お父さんに似てるでしょ」?と言われても、「宇宙人にしか見えない」とは言えず、答えに困っていました。でも、親にとっては明確に他の子供とは違うのです。なんせ81%が違いが分かる男だったわけですから。


これは本能なんでしょうか。動物はおそらく匂いで自分の子供を確認していると言いますが、人間である私たちにはそんな能力はありそうにありません。それに本能だったらもっと高い確率でもいい気もします。

だったらなぜ?

ここで、素直に感心していればいいのでしょうが、僕は相当意地が悪いので、その理由を別の角度から推理したい思います。


推理1 父親が子供が分からないことが多いと奥さんに嫌みを言い続けられたり、子供が成長したときにショックを受ける可能性があったりと、何かと問題が生じそうなので、放送に際して両親の同意を得られた人のみ、つまり正解したサンプルが中心に選ばれた。

テレビならやりかねん。


推理2 父親は子供と初対面だと言っても、前もって何gの子供だとかいう何らかの情報を持っており、選択肢が絞られていた。

事実、VTRでそういう視点で選んでいる人がいました。


推理3 逆に新生児とはいえ、耳の形や髪の毛のカンジでほぼ分かるはずなのに、残りの19%の人が分からなかったのは、本当の父親でないから。

こわい~


母親は確実に自分の子といえますが、父親はどこかで不安なところがあります。

ひょっとしたら、そういう不安が男女を縛る慣習や法律や科学を作る一つの力なのかも知れませんね。



昨日は終戦記念日。それも60年という節目の年でした。

憲法改正論議や北朝鮮問題、自衛隊のイラクへの駐留など、日本は新たな時代へと突入しています。


昨夜、報道ステーションで古館が誰かの言葉を例によって考えもなしに引用して、『日本は戦後「後」に入った』というようなことを言っていましたが、武道館の戦没者慰霊に初めて戦死者の父母の参加がなくなったとか、中国や韓国に対するかなり右がかった有識者の発言が堂々となされるのを耳にするたびに、確かにそういうものなのかとも思います。


戦争の悲劇を自分で体験したり、身近な人から体感として感じられる人が少なくなってきているのでしょう。戦後60年、無理もないですが。討論番組とかで子供が「正義、正義」なんて言っているのを見るとちょっと背筋が寒くなります。


僕の立場はこうです。個人的なもの以外の「正義」は絶対に信じません。あと「国の誇り」なんてものも。投票に行ってもその言葉だけは気をつけて嗅ぎ分けるつもりです。

だけど、個人でできることの限界を超えて、もし日本全体が変な「正義」を振りかざして戦争への道を進むようになったら、僕は家族と一緒に南極にでも逃げます。どんなに「不正義」だと言われても。

いろんな意見があるでしょうが、僕は個人の自由に勝る正義はないと思っています。(「自由」を掲げて戦争する国もありますが)誇りも個人が自分自身に対して持つものです。自分の入れ物にではなく。


戦争と原爆を扱った「黒い雨」という映画で、「正義の戦争よりも不正義の平和の方がよっぽどいい」という台詞がありましたが、僕も全くそう思います。

正義・不正義なんて立場や時代によってころころ変わる不確実なものです。

個人のそれなんて、それこそ与えられた情報を鵜呑みにしていたら気がついたらとんでもないところにいるなんて可能性が大きいです。


昔は情報源も限られていて、しかも権力に独占されていましたから、ああいう風に突っ走ってしまったのも同情できる部分もありますが、今は、このインターネットを初めとして個人として手に入れられるいろんな情報源があります。それがまた新たな問題を生みだしているのも事実ですが。


戦後「後」なんてごまかしだ。このまま永久に「戦後」が続いて欲しい。生まれてくる子供のためにも。その子供の子供のためにも。

毎日暑いですね。


1年の中でももっとも外で活動するのがつらいと思われるこの季節(北海道は冬ですが)、

そんな中、厚着をして炎天下の中走り回っている人たちが居ます。

そうです、高校球児たちです。


いろいろ批判もありますが、僕は高校野球が大好きです。サイレンの音を聞くと「夏が来た!」って気持ちになり、決勝戦が近づいてくると、同時に夏が終わってしまうような、何となく切なくなります。


甲子園っていいですよね。とくに地元の高校が勝ち進んでいると格別です。本当は母校が出場すればもっと盛り上がるのでしょうけど、残念ながら我が母校は弱小高校なのでしばらく望むべくもありません。

奥さんの母校は何回か出場したことがあるらしく、ちょっとうらやましいです。

いつかは母校対決!なんてあれば盛り上がるんですがね。


今はもっぱら駒大苫小牧ですね。今日はどうなることやら。


毎日暑いですね。僕の住む北海道ももちろん本州ほどではないものの、結構暑いです。それでも朝夕は涼しいので寝苦しいとかはないんですけどね。毎日快眠です。


前回に引き続き、子供が生まれるまでの暇つぶしについての記事です。


子供ができると周りの人だけではなく、芸能界などの同級生が気になります。(僕だけ?)その都度、この人の子供も同級生になるのか~なんて思っているのですが、今思い出せる人でもっとも強力なライバル(!)になるのは、なんといっても谷夫妻の子供でしょう。


あちらは、野球界と柔道界のスターがくっついて製作したある意味史上最高のスポーツ遺伝子をもつ子供です。男だったら柔道家か野球選手、女だったらプロレスラーとして活躍するに違いありません。まあ、一茂の例もあるから優秀なそれになるとは限らないですが。


こんなこと比べる物ではないことは分かっていますが、まあ暇つぶしのネタとしては面白い。


あと元木と大神いずみの子供も同級生だとか。うっとうしいですね。

今朝の新聞にも こんな人 とか、 こんな人 が載っていました。それにしても沖縄の人はできちゃった婚率が高い気がしますが気のせいでしょうか。



子供が生まれる前は、いざ気合いを入れてみても、本人が居ないため(当たり前)、手持ち無沙汰といえばそうですね。


加えて、子供のものはほとんど周りからのお下がりで済ませようと画策しているケチな我々夫婦にとって、今の時期は実感があるようなないような、そして来るべき日のために何をして良いやら、そわそわしてしてしまいます。


つわりがある奥さんはまだ身をもって子供の存在を感じられていいものの(笑)、僕は全く実感がわきません。つわりはかわいそうですが。


それで、具体的にやることがないのと、つわりの気を紛らわせるために最近はもっぱら奥さんと子供の名前を考えています。

と言っても、女の子の場合は、奥さんが小学校のころから将来子供ができたらつけたいと考えていた名前があり、僕も特段意見はないのでそれでいいとし、もっぱら考えるのは男の子の名前となります。


それにしても名前を考えるのって楽しいですが、難しいですね。いろいろ考えてみるのですが普通の名前は周りに必ず同じ名前がいるのでその人のイメージが浮かんできてしまい、ほとんどの場合ボツとなります。

かといって、朝刊の地方版に載っているヤンキーみたいな当て字名前はイヤだし、本当に難しいです。


イメージのいい有名人の名前をつける、というのもよくあるパターンですが、今イメージがいいからって将来もいいとは限りません。全国にいる角栄さんはある時期さぞかし困ったことでしょう。純一郎や拓哉はどうなることやら。


ちなみに僕の名前も奥さんの名前もおそらく日本でも10本の指に入るくらいよくある名前です。そして二人とも自分の名前をとても気に入っています。


うーん。難しい。本当は以前書いたこの記事 のように途中で改名でもできれば親としては気楽でいいんですけどね。

今年度は止むに止まれぬ理由で(子供ができない(笑))、断念した「育児休暇」。来年こそは、必ず取るぞ~!ということでいろいろ調べています。


ところで、育児休「暇」と言う言葉には、違和感を持つ方もいるかも知れません。休「業」じゃないのか、と。


簡単に言えば、休「業」は、子供が1歳もしくは1歳半までの様々な恩恵が関係する法律上の言葉(手当とか、住民税免除とか、解雇等の禁止とか)で、休「暇」とは、子供の育児のために「休める」という一般的な権利を表している言葉、のようです。今まで勉強したところによると。(違っていたらご指摘下さい。)


つまり、正確には、育児休「業」、と育児休「暇」は、ちょっと意味が違いますが、ここではわかりやすく「暇」に統一します。休「暇」のの方が響きもいいし。(笑)


先日新聞で女性の育児休暇取得率が70%を越えたという記事がありました。一方、男性は0.数%だったとか・・・

周りを見ても、それはうなずけますね。えっと・・・一人も居ません(笑)。うちの職場は制度としてはかなり充実している方だと思われるのですが。取らない男が悪いのか、それとも会社が悪いのか。このまままだと名誉ある(!)第1号になりそうです。


いくら法律的に不利益な扱いを受けない、とか言われていても感覚としては「もう出世はできないだろうなあ」というのは、あります。「変わり者」みたいな視線を浴びることになるんでしょうね、きっと。うむむ。


でも、もう決めたことです。子供もできたし。取ります。変わり者?・・・上等上等。どうせならうちの会社で認められている最大限の期間である3年とってやる。そして、間髪入れず2人めを仕込んで、また3年。10人作ったら、定年まで働かなくていいですね、僕。奥さんには50代でも出産して貰わなければ行けませんが。(笑)まあ、それは冗談としても、経済的な理由が許すなら、そういう制度は最大限活用したいものです。


どうでしょう?皆さんの周りにはそういう経験がある方はいらっしゃいませんか?その光と陰を教えて欲しいものです。