風呂掃除、洗濯、皿洗いなど世の男たちと比べて家事をする方だと自負している僕ですが、ほとんどやらない家事もあります。それは、料理です。


料理が一番大変な家事であることは重々分かっていて、それができないくせに「育児オトコ」だなんて虫が良すぎるのですが、なぜか料理だけは気が進みませんでした。


その理由の一つは、あまりできないという単純なもの。僕は学生時代から結婚するまでずっと一人暮らしだったのですが、なぜか料理だけはほとんどせず、ご飯を炊くくらいでオカズはほとんどスーパーの惣菜か冷凍食品でした。


もう一つは、結婚した奥さんが料理がとても得意だったという理由です。

料理好きのお母さんに鍛えられた彼女の料理はとても美味しく、どんなリクエストにでも答えてくれます。それゆえに、わざわざ僕がまずい料理を作る必要は全くないのでした。


しかし、このたびの妊娠。


奥さんは比較的つわりが軽く、仕事も相変らずバリバリやっていたのですが、ここに来て調子が悪くなり、医者から絶対安静を言い渡され、僕が料理等を作らなければいけない状態になってしまったのです。


ご存知の通り、僕は奥さんと二人暮しでそれぞれの実家は遠く離れています。親戚も近くにはいません。こういう日がいつかは来るのは分かっていましたが、ぎりぎりにならないとやらないのが僕の悪い癖です。


しかし、そうは言って入られません。一念発起して、僕が料理を作ることにしました。そこで、昨夜奥さんに


「何が食べたい?」


って聞くと、


「鍋」


と即答されました。そうです。別に食欲がないわけではないです。いきなり大きく出られましたが、考えてみれば鍋は材料を切ってただ煮るだけです。調子が悪くても、奥さんはあくまで優しいのでした。まあ、下手なもの作られて、まずいものを食べる羽目だけにはなりたくなかったのでしょうけど(笑)。


ちなみに今日は「豚キムチ」を作りました。辛いものが食べたいとのことでしたので。これは、僕が学生時代にやっていたお好み焼き屋のバイトで教えてもらったまかない食で、僕が作れる数少ない料理の一つだったのです。


しかし、僕が知っていたのは単純に豚肉とキムチを塩コショウで炒めるというものでしたが、奥さんの要求は厳しく、ニンニクと白菜とねぎを入れて、料理酒で味付けをしなければならないのでした・・・さらに食後には梨をむかなければならなく・・・


掃除や皿洗いや洗濯だけでは、家事をやっているとは全く言えないなあ、とあらためて思った連休でした。これからもがんばる。生まれ来る子のためにも。





驚きました・・・


奥さんが会社のHPを登録するために苦労していたのを知っていたので、

こんな片手間でやっているようなブログが登録されるなんて夢にも思いませんでした。


以前藤田さんに質問に答えていただいたとき 以来の感激です・・・


それにしても少し更新が滞っていたのに加えて、最後の更新が「僕が独裁者になったら」(笑)

せっかくの機会ですから、これからよりいっそうマメに更新して以降と思います。


とりあえず、報告まで。



久しぶりにトラックバックステーションへの投稿です。


最初に結論を書きますと、

「あなたの思うとおりにやってくれていいですよ。ただし、思うようにならなくても殴らないでね。」

そのことを守ってくれるような先生がいいです。つまり、ほとんどの先生はおっけいかな。


皆さんもご存じの通り、そもそも先生というのはかなり特殊な人たちです。何せ、ほとんどの先生は社会経験がなく(先生社会以外の)、学生からテストを経ていきなり「先生」なんて呼ばれる立場になります。

そんな人が、子供の人格形成に一番必要な時期にえらそうに「社会の常識」などをほざきます。一番常識がないと思われる人たちに。ほとんどの子供たちは社会に出てはじめてその違いに気づきます。そして、耐えられた人は遅いスタートを切り、耐えられなかった人はニートになります。


もちろん、最近は学校制度もかなり変わってきて、社会経験を積んだ後に学校の先生になったり、学校を経営するというケースもあるようです。有名な例としては、元リクルートの藤原さんやワタミの渡邉さんなどがあげられます。探せばそんな先生方もいるのでしょう。出会えた子供は幸運ですね。


僕は、こう考えます。先生や学校生活というものは、子供を取り巻く環境の一つに過ぎません。不必要だとは思いません。経験としては必要です。世の中にはそういう特殊な環境もあります。学校を知らないと、もしくははまり過ぎると、ある種の宗教や組織活動にはまる危険性もあります。


しかし、それは全てではありません。決して全面的に「先生に我が子を託し」てはいけないと思います。学校に行かせるのも必要ですが、同時に親は学校以外でもいろんな価値観に触れさせたり、経験を積ませることをしなければいけないと思います。「先生」や「学校」は、世の中にある価値観の一つに過ぎないのです。


その意味では、「お受験」なんてもってのほかです。なぜ、あの親たちは好んで一つの価値観のみをあの時期の子供に植え付けるのでしょう。親の生きてきた時代と子供の生きる時代は違うのです。この先学歴なんて関係ない世の中が来るかも知れないじゃないですか。(来ないかも知れませんが)しかし、確実に言えることは将来は分からないということ。そうなれば親にできることは、なるべく多くの価値観を見せておくことだと思うのですが、どうでしょうか。まあ、これについては今回の主題ではないのでまたの機会に。


いろいろ否定的なことばかり書きましたが、最後に「先生」というもののメリットを一つだけ言うと、子供にとって先生という人たちとつきあうことは、「公務員(もしくはそれっぽい人)とのつきあい方」を学ばせる絶好の機会となります。言い換えれば、「明らかに能力のなさそうなのに権力がある人に頭を下げる」という日本社会においてすごく重要な大人のエッセンスを学べるということです。日本で生活していくには大事なことです。


ゆえに、先生は尊敬すべきですし、同時に問題のない範囲で反抗すべきなのです。

前回の「好きな言葉」に続き、今回は「嫌いな言葉」です。


まずは、「旅の恥はかき捨て」


よくこういう行動する人いますよね。旅だけでなく、飲み会とかでも。

羽目を外すことも時には必要でしょうけど、それとって別に人に迷惑かけなくてもできるのではないかと思います。外す方はいいかもしれませんが、羽目を外された人はすごいストレスがたまります。

僕はいかなる席でも自分をコントロールできない人は嫌いです。幼く、甘えん坊な気がするからです。


次に、「今夜は無礼講」


まあ、そう言われて本当にそうする人もまれだと思いますが、たまにいますよね、そういう人。そして、羽目を外しすぎた人に対して一番怒るのは「今夜は無礼講」って言った本人です(笑)。世の中には言葉を言葉通りに受け取ってしまうような人もいるのだから、だったら言うなというカンジです。


と、嫌いな言葉を並べていくと一つの不安が生じます。子供ってまさに僕の嫌いな言葉通りの人じゃないかと。だって、年中羽目を外してますし、毎晩無礼講なんですよね(笑)。


うーむ。心配です。どうしよう。子供だったら許せるようになるのだろうか。


追伸 前回の記事で「省事」という言葉が存在しない、と記しましたが、手元の広辞苑に載っていなかっただけで中国の故事から来た言葉としてあるようです。意味もだいたい僕が思っていた通り。きっと、昔どっかで聞きかじったか読みかじったんですね。失礼、失礼。

突然ですが、好きな言葉ってありますか?

簡単で、なおかつ深みがあって、一言で自分の好みや理想を表し、ここぞというときは勇気を与えてくれて、困難なときには励ましてくれるような言葉。


僕にもそれはいろいろありますが、あえて一つだけあげるとしたら、

それは「省事」という言葉です。

意味は「(無駄な)事を省くこと」、かいつまんで言えば「合理的に生きる」ということです。


「合理的に生きること」を旨にしている、と聞くと、冷たいやっちゃなあ、とか、人間味がない、とか言われそうですが、この言葉には「事を省く」という意味と同時に、「事を省(かえり)みる」という意味もあります。

一般に常識とされていることや当たり前だと思われていることを疑ってみる、ということです。そして、無駄な物があればそぎ落として本当に必要な価値のある物だけをつかんでいくシンプルな人生・・・そんなことができたら、素晴らしい人生じゃないですか。


で、ここまで書いていて正確な意味はなんだろうと思って広辞苑を引いてみたら、そんな言葉自体存在しないことが判明(おいおい)。僕が勝手に言葉を作っていたのでした。道理で一発で変換されないわけだ。ははは。


まあ、いいでしょう。「生きるということは言葉を創っていくこと、決して途切らせず繋いでいくこと」です・・・これは僕の言葉だ。かっこいいなあ、僕。

いくら仲良くても、所詮は他人同士。うちもしょっちゅう喧嘩します。


多いのは日曜日の夜、週末の疲れと(僕の)月曜日の憂鬱さが重なっている時です。


ネタはその時それぞれで、いつもこれというものはありません。思い返してみれば、本当にくだらないことばかりです。二人で車に乗っていて、目的地に着くのはどの道が一番早かったか、とか。(笑)


昨夜は、奥さんの会社のことについてでした。と言ってもそんなに深いものではなく、僕がどこかで聞きかじってきた経営者の格言みたいなものをえらそうに奥さんに話したのが原因です。

会社については、奥さんが責任を持ってやっているのに、僕はおせっかいな割に考えが浅はかなので、よくそのような過ちを犯します。


それでも普段は温厚で心の広い奥さんが、「はいはいそうだね」とよく聞いてくれるのですが、さすがに今は妊婦ですし、昨夜のように疲れているような時間帯だとうまく処理してくれません。(いや僕が悪いのですが・・・)それで、喧嘩になります。(なりました。)


だけど、二人とも飽きっぽいので、喧嘩は長く続きません。せいぜい30分くらいです。もちろん皿も投げませんし、家出もしません。(笑)なので、溜め込んで大きく爆発するよりも、適度なストレス解消になっていいのではないかと思っています。たまには。僕が思っているだけのかも知れませんが。


実は僕たち夫婦は学生時代に一度喧嘩別れをして、その後10年弱一度も顔を合わせなかったという経験を持っているので、そういう術を身につけているのかも知れません。それで、決定的な喧嘩をしないで済んでいるのでしょうね。特に僕は割と口が悪い上に子供っぽいので、気をつけなければなりません。


結婚する前に、一度別れておいてよかったな、と思う今日この頃です。なんじゃそりゃ。

我が家には中古の軽自動車が1台あります。

名前は「ジョボビッチ」。車種がダイハツ「ミラ」だからです。


北海道は超車社会なので、一家に一台どころか一人一台が当たり前です。

我が家も、僕が単身赴任する前まではもう一台持っていました。


平日は僕が車に乗らないで済む職場にいるので、奥さんが独占的にジョボビッチ号を使っているのですが、週末となると奥さんが会社に行きたい時間と僕が趣味などで車を使いたい時間が重なるとちょっと困ることもあります。そんなときは、「もう一台買おうかなあ・・・」とちょっと思ったりします。


しかし、車は金食い虫です。どんなに安い中古車を買ったとしても、ガソリン代(高い!)や税金その他、車検や冬タイヤなどあたかもわがままな恋人のように金を食います。うちのジョボビッチ号はその点なかなかできた女なのですが、それでも年間10万以上はかかっていることでしょう。好きな人なら、そのほかにも様々なカーアクセサリーや洗車など、お金をかけだしたらきりがありませんね。


それにしても車って不思議な存在ですよね。第一義的には、「人や物を遠くまで運ぶ物」に過ぎないのに、今日ではその乗っている人のステータスや財力、センスを表現するための道具としての意味の方が大きなものとなっています。


値段の大小で乗り心地や広さに違いがあるのは分かりますが、同じようなクラスの物でも、例えば素人目にも国産のシビックの方が性能良さそうなのに、外車のルノーやフォルクスワーゲンのコンパクトカーの方が倍くらいの値段がすることを見てもそれは明白です。医者の奥さんは、見た目がほとんど同じなのにミツビシコルトでなくベンツのAクラスに乗りたがりますしね。偏見ですか。(笑)


また、休日ニヤニヤしながら愛おしそうにワックスを掛けている人をみるとまるで恋人を愛撫しているかのようで、愛情の対象としての存在でもあるようです。確かに子供や恋人と同じくらいお金をかけている人も多そうです。


夫婦そろって、車それ自体に興味がないことも理由ですが、僕たちの車に関しての戦略はこうです。


「普段使いには中古の軽自動車をつぶれるまで乗り、遠出をするときはレンタカーを借りる。」


先日、知床の方まで行って来たときも、乗用車を借りていきました。普段よりもちょっと大きめの車で1週間で5万くらいかかりましたが、とても快適なドライブをすることができました。いろんな車種があって選び放題。あきても1週間たてば返すだけです。


町中では持て余す大きめの車も、長距離ではその性能を十分に発揮します。燃費も良かったし、なによりぶつけてもぶつけられても自分の車ではないというのがいい。自分で買った新車をぶつけた日には、きっと1ヶ月くらい立ち直れません。所有にはただそれだけでお金もかかるし、僕にとっては心理的負担も相当な物です。それが、逆に心理的高揚につながる人が多いのはよく分かっていますが。それはまあ人それぞれ。


こう書いていくと、僕がどうしようもない「ケチ」だと皆さん思うかも知れません。しかし、自分では「ケチ」ではなく、お金を使うことで奪われる自分にとって最も価値のある物を守っている、と考えています。

その価値とは、「自由」です。

それについては、過去の記事でもいくつか書いてありますので、参考までにどうぞ。


※育児オトコの「人生戦略」についての過去記事

家は買わない。

家は買わない。~その2

終身保険には入らない。

共働きをやめない。

新しい月になりました。


気分を変えてブログのスキンも変えました!


一瞬、違うスキンにしていたのですが(見た方もいらっしゃることでしょうが)、

見にくいのでやめました。


さわやかな9月ですが、北海道はもう冬の入り口です。早っ!

単身赴任になってから、よく映画をみるようになりました。週末に1週間分レンタルして毎晩1枚ずつみます。この1年半でおそらく100枚以上はみたのではないでしょうか。


こうなってくると、そろそろみたいと思うものが少なくなってきます。それで以前みたことのある作品をまた見たりするのですが、今は、故伊丹十三監督の作品を連続してみています。


先週は、「タンポポ」と「ミンボーの女」をみました。特に「タンポポ」は僕の好きな映画で、何度みても素晴らしいと思います。役所広司や渡辺謙など今をときめく俳優の若かかりし姿をみることができます。

伊丹映画には欠かせない山崎努や宮本信子もいい感じです。


で、今週みたのが「あげまん」と「お葬式」。「お葬式」は、何となくみた記憶があったのですが、「あげまん」は公開時わりと話題になったにもかかわらず、まだみていませんでした。そのあと、何度もレンタルする機会があったろうになぜだろう?と思っていましたが、昨夜みてみてなんとなくその理由が分かりました。


その理由とは・・・

「いくらなんでも宮本信子が18歳の役をするのは無理があるだろう」

というものでした。


きっと、公開時そういうことも含めて話題になっていて、怖がりの僕はきっと観る勇気がなかったのでしょう。ちなみに僕はホラーのたぐいは一切観ません。「エイリアン」が限界です。


そうした思いを乗り越えて、今回やっとみた「あげまん」でしたが、作品自体はまあまあといったところでした。まあ、監督自身も「現代のおとぎ話」と言っているので、他のリアルな作品群のイメージがある僕にはもう一つ物足りなかったのでしょう。まあそれは好き好きのレベルです。


しかし、改めて18歳の宮本信子をみると、やはり何とも言えない違和感がありました。

芸者の格好で白粉塗りまくりの光飛ばしまくりでしたが、それでもねえ。

撮影現場はどんなカンジだったのでしょう。

旦那でもある監督が「結構いけるじゃん。違和感ないよね」なんてことを言って、周りは同意せざるを得ないような状況だったのでしょう。監督自身の目には確かに18歳に見えたのに違いありません。


しかし、見終わった後、改めて思いました。愛ってこういうことだ、と。


親子愛でも夫婦愛でもコンビニの前でいちゃいちゃしているクソガキの愛(!)でも、周りから見ると滑稽で時には醜ささえ感じることがあります。だけど、本人たちにはまぎれもなく「愛」です。

宗教的な「愛」も、異教徒から見ればある種の異様さや滑稽さを感じるときがありますよね。


博愛、なんて言葉もありますが、実はちまたにある愛って結構排他的で閉鎖的です。


しかし、僕は思います。愛って言うのは、ただ、そこに有りさえすればいいのです。

自分の望むところに。望む人との間に。比べる物でもなく、価値に違いはありません。

他人から見たら滑稽で醜いけれど、確かに愛は世界を救います。あなたの世界だけですけど。


・・・なんて、思わず語ってしまいました。愛を語る姿も滑稽ですね(笑)。

それだけ衝撃が大きかったのです。18歳の宮本信子。


そういえば、映画「エビータ」ではマドンナも17歳くらいの役をやっていましたね。誰か止める人はいなかったのでしょうか。

北海道もまだまだ暑いですが、夜は随分涼しくなってきました。

うっかり窓を開けたまま眠ってしまうと風邪を引いてしまうくらい涼しいです。へっくしょん!


さて、連載「どこで産むか?どうやって産むか?」の最後の章、③どうやって産むか?についての記事です。


「どうやって産むか?」って言っても、当然僕が産むわけではないのですが、僕の責任(?)でもあるので、一緒に考えています。


突然ですが、出産って痛いらしいですね。

男だったらその痛みに耐えきれず、死んでしまうとも言います。だって、赤ちゃんとは言え、人間の形をしたスイカよりも大きい物が・・・から出てくるわけでしょう?考えただけでも痛いです。

奥さんが集めてきたそれ系の雑誌や本を見ていると、「えいんせっかい」なんていう、恐ろしそうな言葉もあります。


ところで、素朴な疑問なんですが、なんで麻酔しないんですか?


技術が発展していない昔ならいざ知らず、今なら大丈夫な気もするんですが。

事実「無痛分娩」なんてやつもあるらしいですし。

でも、一般的じゃないんですよね。調べてみたんですが、「部分」ならいざ知らず、「完全無痛」は全国でも数えるほどしかありません。


それともう1つ、出産にはなんで保険が効かないんですか?

今でも、出産が理由で死んじゃう人もいるわけで、女性にとっては、生死に関わる一大事ですよね。

年寄りの無駄(とも思える)延命治療には保険が効いて、産まれてくる命に対してはだめだなんて、そりゃあ、少子高齢化にもなりますよねえ。

そればかりか、先に書いた「完全無痛」なんて、普通の出産費用が30~40万くらいであることに対し、100万くらいします。出産一時金なんていうのも出るらしいですが、30万くらいでしょ?

痛いのを我慢しない事ってそんなに罪なんですか(笑)。


男もかかる病気や虫歯は、どんどん無痛化が進んでいて、もちろん保険も効くのに、なんで出産はこんなに遅れているのでしょう。


僕は、2つの理由があると思います。


1つは、医者や役人は男が多い、という単純な理由。自分のなる(なった)病気に関しては、その痛みや苦しみについて何とかしようという意識が働きますが、自分に関係ない出産には、なぜか精神論で片づけられてきたようです。曰く、「お産は病気じゃない」。いやいや、痛いんだって。すごく。


そして、もう1つは世間の目です。世間っていうのには、親や親戚も入ります。曰く、「おなかを痛めて産んだ子には愛情がわく、云々」ってやつです。この種の発言は、テレビなどでもわりと良く聞きます。

不思議なことに、この種の意見は女性からのものである事が多いです。しかも出産経験のあるような人からのものが。

じゃあ、そんなこと言うからには、無痛で産んだ子供の方がおなかを痛めて産んだ子よりも虐待にあう確率が高いとかいうデータがあるのか、と調べてみてもそれらしいものもどうやらない。デマというか噂みたいなレベルで語られるケースはあるみたいですけど。


やっぱり、僕は「産みの苦しみよりも育ての苦しみ」だと思うのです。それは父親にも関係することですし、本当の意味での親子の愛情を生み出すものではないのでしょうか。「産みの苦しみ」なんて、育児を女性のみに押しつけている言葉の根源ですよね。

あと、親子の絆を「産みの苦しみ」だけに頼って、「育ての苦しみ」を避けるために子供を言わば温室に入れて育てている人がいますが、そっちの方がよっぽど問題があると思うのは僕だけでしょうか。


同性にも関わらず、そんなことを言う女性の方々は、きっと心の中ではこう思っているのでしょう。


「私はあんなに痛い思いをしたのに、おまえだけそんな楽をするのは許せない」


ちょっと、乱暴な意見ですか?(笑)ごめんなさい。

それでもその種の意見を聞いたり見たりしていると、どうもそう思えてなりません。「負け犬の遠吠え」を書いた酒井順子の名著「少子」という本にも同じようなことが書いてあり、なるほどと思った次第です。


で、結論を書きますと、僕たちは「無痛分娩」を選択したいと思います。たとえ100万かかっても。

もちろん、前述したようにまだまだその施設は少ないようなので、その希望通りにはならないかもしれませんが、よく調べてよりよい環境を探すつもりです。


産むときの苦しみは避けれるものはなるべく避けて、やがて来る「育ての苦しみ」に真正面からぶつかるためにエネルギーを取っておこうと思っています。