訪問理美容ダイロク -28ページ目

介護

介護は、きれい事ではなく、毎日とがった現実に向き合わなければなりません。

わが身から削った子供でさえも手放す人がいるのに、本当の親でさえ重荷に感じるのが本音かもしれません。

しかし、たまにはそうでない場合も・・・。

私の家内の叔母は、大変聡明な方で、仲人をしていただいた関係もあり、田舎に帰った際には、子供連れでご挨拶にお伺いしたりすると、近くに孫のいない叔母は我が家の子供達を可愛がってくださいました。

しかし、突然病に倒れ半身が不自由になり、それが原因で心の病に陥り、それから叔父の介護が始まりました。

仕事を退いていた叔父は、毎朝病院に向かい食事の世話をしたり、体をマッサージをしたりして1日中面倒を見て夜に心が弱くなっている叔母が「帰らないで」と泣くと、背中をさすり「又、明日来るから、明日来るから」と慰めて家に帰っていました。

毎日、毎日、何年も続いた後に叔母は亡くなりました。

家内の父の葬儀の時には、先頭に立って取り仕切り、私の見えないベルトのバックルが光っているのまで注意し、滞りなく式が進むよう細心に指揮を執っていた叔父が、叔母の葬儀の時には、抜け殻のようになっていました。

親戚一同、上記のような叔父の看病を知っていましたので、口には出すものはいないものの、叔父もこれで楽になると思っていました。

しかし、葬儀の最後に叔父が語ったのは、血を吐くような悲しみでした。

叔父は、悲しみと共に、介護していた喜びを話し始めました。
そして、「自分は明日から、何をしたら良いのだ」と嘆きました。


私には、「何を愛したら良いのだ」と聞こえました。

介護している方が、介護されている者に生かされていたのです。

叔父は、息子にうながされるまで叔母の頬を撫でてお別れをしていました。

苦労と幸せは、同居できるみたいです。

映画館

納涼怪奇三本立てで昔の映画館について思い出した事を書きます。

最近は、シネコンとかの50名程度の小スクリーン全盛ですが、昔は、4~500席以上の大スクリーンで、最前列に座ると、首がこわる程の角度で見上げなければならず。


更に、パノラマサイズだと上げた状態のまま首を左右に振らなくてはならなくて、首に負担をかけっぱなしになりますが、怪獣映画などは、連れて行った祖母(両親が日曜日も仕事なので、日曜日のお出かけは、もっぱら祖母でした)がいくら止めても最前列でした。

怪獣映画やまんが映画(昔は特撮やアニメでは有りません)は、子供天国で、会場中を、しつけの悪い子供が走りまくっていました。


もちろん私も、その一人で、やたらするとスクリーンの裏まで入ろうとしていました。


東宝は、赤絨毯が敷き詰められ、両脇に幅の広い階段が有り下の方に少しカーブが付いていました。

そこを全力で走りぬけようとして、カーブで滑りこける子供がかなりいました。



東映の売りは、まんが映画で、宮崎駿がスタッフとして色々な作品を作っていました。


しかし、東映は日頃、任侠路線などをやっていて漫画映画の次はヤクザ映画なので、ポスターなども刺青のもろ肌脱いだ健さんなど、およそ子供への配慮のカケラも無い映画館でしたし、観客のマナーも悪く(高校生の頃に後ろから乗せられたエナメルの靴で頭をはさまれました)、ガムや倒れたビンからこぼれた飲み物で、床は何時も粘着力が有りました。

しかし、どの映画館でも共通していたのは売店です。


飲み物も食べ物も近所の店で売っている物と少し変っていて、おそらく映画館プライスとも言うべき高値のため、比較しにくい独自の流通の物を使っていたのかも知れません。

油まみれのドーナッツがお気に入りで、3個100~200円ほどでしたが、お腹には溜まるが胸焼けがする物で、兄弟二人で1袋でした。

しかし、昔、映画館は、夢の場所でした。


開演のブザーを待つ5分間が、永遠に思えたほどでした。

納涼怪奇3本立て

うさんくさい物大好きの私が、小さい時気になった物それは、夏場の怪奇映画でした。


さて、私が小さい頃は、納涼怪奇3本立て、もしくは、納涼怪談3本立てとかが場末の映画館での定番でした。
臆病者のくせに怖いもの好きの私は、そう言う映画館の前を通る度に「連れてってよー、連れっててよー」とねだった物ですが、叶う事はありませんでした。

それもそのはず、その頃の怪談3本立ては大蔵映画や新東宝など傾いた映画会社が低予算で、しかもピンクがかった物でしたので、親が子供を喜んで連れていくものではありませんでした。

なにせ米国怪談、中国怪談、沖縄怪談と3本立てのように見えても、1本は劇中劇なので、水増しなのです。
怪奇かと思ったら、猟奇だったり、本当に純粋に怖がりたい少年には暗黒の時代でした。

しかし、ジェイソンも最初は裸が付き物でしたものね、


どうやら日本もアメリカも興行主は、恐怖映画好きはスケベと決め付けているようですね、しかし、私は、いや私もスケベですが、スケベはスケベ、恐怖は恐怖と分けて欲しいですね。

少年期一番怖かったとのは東宝の「マタンゴ」でした。


流されて孤島にたどり着いた若者達が島の幻覚キノコに魅せられ・・・ってお話です。


3月ほど夜中に一人でオシッコに行けませんでしたが、ドロドロの恐怖映画の原作者が、あの透明感溢れる星新一さんだったと知った時は本当に驚きました。