訪問理美容ダイロク -22ページ目

バンクーバーってVから始まるんだー。その3

トラブルの連続!呼び寄せ便(カナダで航空券を往復買って貰って送ってもらう)の到着はギリギリ、機内で申請の用紙を貰っていない(団体の場合、前もって書いているらしい)、お土産の焼酎で止められると、踏んだり蹴ったりで1時間以上遅れてようやくバンクーバーのロビーまで辿り着きました。

「地球の歩き方」に空港ロビーが危ないと書いてあったので、すぐさま周りを見渡します。


すると、明らかに怪しい2人組みがいます。
片方は150キロは有りそうな金髪の白人と片方はエディーマーフィーを日本人にして3分の2フィギアにしたような小男です。

しかも向こうは、チラチラこちらを見ています。


すると後ろから肩をポンと叩かれました。
振り返ると髭をたくわえてスーパーマリオみたいになっていますが、まごうことなきF先輩です。

「元気かー、あんまり遅いからカウンターで問い合わせしとった。」とF先輩「お久しぶりです。」と私、「ところで先輩怪しい奴が・・・。」と切り出した時、後ろから、その2人組みが「お待ちしていました。」と声を掛けてきました。

2人は、先輩の合気道の弟子だったのです。


そういえば、F先輩も交えて3人並ぶと同じ程度の胡散臭さです。

白人は、マイケルと言いトラックの運転手で、エディもどきは石川さんと言いエレキギターの修理販売とスキーのインストラクターをやっているそうです。

大人の私は、怪しんでいたなどおくびにも出さず丁寧にお礼を言い、車に乗り込みます。

「Fさん、タバコを吸って良いですか?」と聞きます。


飛行機に乗って8時間、空港内でも禁煙で何処を見回しても灰皿が無く、車の灰皿らしき物を見つけてそう言いました。


「これレンタカーだから、多分その灰皿開かんぞー。」そして、タバコの心得を聞かされます。
その頃のカナダは、今(現在は、公共の場は全面禁煙)ほどではありませんが、「スモーキング・オア・ノースモーキング?」と聞くのは、「犬ですか?人間ですか?と聞いてると思っておけ。」と言う心得で、後で嫌と言うほど思い知らされます。

「今からダウンタウンの知り合いの家に行くから、そこの喫煙出来る部屋で吸えば良い、そして夜まで寝るな。」と言われます。


昼に着いてすぐ寝ると、時差ぼけが続くそうです。


空港から中心街まで、穏やかでキレイな家並みが続きます。
街中に入り目的地のカミンムラさん(おそらく上村さん)のお宅に着きます。

その家は100年前に建った家で、私が昔絵本で読んだディズニーの「小さな家」そっくりでした。

つづく

バンクーバーってVから始まるんだー。その2

そうそう。

日本からの距離7500キロを越えても会いに行きたいと思わせるカナダのF先輩について説明しておきます。

出会いは、私が入門届けを持って道場に行った時の事です。

「コンニチハー。」の声に現れたのは髪の毛はクセ毛でモジャモジャ、色は浅黒く、無精ひげが黒々としていると言う、誰もが知っている「鬼」を実体化させたような人でした。

無愛想に入門届けを受け取ると、道場への入り方や礼の仕方を指導してくれました。


私が熱心に道場に通うと、亡くなったN先輩達との縁でしたしくなり、F先輩の家に皆で集まり、大声で歌ったり、酒を飲んだり、道場で稽古をつけてもらったりしました。

ある時、道場で親友のI君と少し前に入門した空手高段者の年は上だけれど後輩のSさんと3人でカンフー映画もどきを8mmで撮影している所にF先輩がやってきました。

Sさんは、良い人なんですが、自分の空手に自信が有り、衣の下の甲冑が覗き見えるような人で、その時も雰囲気が段々おかしくなり、最終的にSさんが師範の批判をはじめた瞬間、「では、やるしか無いですね。」とF先輩が立ち上がりました。
Sさんも「そうですね。」と立ち上がります。

私とI君以外人気の無い道場に2人が微妙な距離を置き向かい合います。

止める術の無い私とI君は、声も出せず。くずしていた足を正座にします。

誰かが同じタイミングで2人の背を押したように戦いが始まります。

Sさんの躊躇無い突きや蹴りをスレスレでF先輩が避け、捌きます。


Sさんが高い飛び蹴りを放ち、F先輩が避けると、空中で更にもう1撃、最初の蹴りを追いかけるようなタイミングで蹴りを放ちます。

それもギリギリで避けたF先輩が組み付くと、その背中に肘打ちを2発3発と打ちつけ4発目を打とうとしたその手をSさんは自分で止めました。

「このまま続けると、どちらかが大怪我をする。やめましょう。私も言い過ぎました。」とSさんが言い、戦いは終わりました。


「空中での2段目の蹴りをはずされたのは初めてでしたよ。」と言い残し、Sさんは、何時ものように礼をして道場を出て行き、2度と道場に現れませんでした。

興奮した私は、「勝ってましたよね!あのまま続ければ勝っていましたよね?」と問いかけるとF先輩は、「何を見ていた。あのまま続ければ怪我をしていたのは俺だ。」続けて「でもな田邊。負けると分かっていても逃げてはいけない時が有るんだ。」と言い残しF先輩も帰って行きました。

何時もそうでした。


人が残そうとする物を惜しげもなく捨ててしまう。


残さなければならない物は、世界に一人になっても残す。


確固とした自分を持っている人です。

7500キロの海を越えて会いに行く価値のある男です。

つづく

バンクーバーってVから始まるんだー。その1

今年ののオリンピック開会式を見ていて、「バンクーバーってBじゃなくてVから始まるんだー。」と思った自分にビックリしました。

だって私バンクーバーに行っているんですよ!

かなり前(18年位前)なんですが、行った国のスペルを忘れる程前になるんですねー。

実は、バンクーバーには合気道を指導してくれた先輩が住んでいて、時々電話はしていたのですが、なにせ遠い所なので行くつもりは有りませんでした。

しかし、ちょうどその頃カナダの先輩と私の共通の友人が亡くなったのです。

カナダの先輩の後輩で、私の先輩。

つまり、カナダの先輩→亡くなった先輩→私と言う図式になります。

カナダの先輩は、スケールの大きな人ですが、度外れており、私は、ネジが何本か足りず、それを補い、調整していたのが、中にいたN先輩でした。

N先輩は、大学生の頃に白血病を発病し、病と戦いながら資格を取り、税理士になり、病を乗り越えて結婚し、3人のお子さんを設けていらっしゃいました。

しかし、2度目の発病から平癒して退院してすぐ、ただの風邪から肺炎を併発し、急逝なさいました。

たいして見込みの無い私に白い手(その後の病気を暗示させるような真っ白な手でした)を差し出し「さー、もう少しやってみよう!」と言って指導してくださった事を一生忘れません。

あの差し出された手を握らなければ、もっとろくでもない人間になっていたと思います。

その手は、合気道を離れても、何度も差し出され続けました。
カットの練習台、経営の指導、恥ずかしげも無く人生を語れる数少ない人でした。兄でした。

訃報を聞き、すぐさまカナダに電話しました。

帰っては、来れないと言う返事でした。

哀しい日々が続きました。
北極星を見失ったようでした。

カナダに電話をし愚痴を言うと、「俺は帰れないが、お前が来いよ。気分も変わるし、話もしよう。」と言われ、形見の品を持ってカナダに行くことにしました。

N先輩の奥様(と言っても奥様も先輩で、友人ですが)に「行ってくるから、何か何時も使っていた奴、頂戴」と行くと、「毎日使っていって言うとこれかなー。」と使い古されたヘアードラヤーを渡されました。
「何これ、もっと何か格好良いの無いのー。」の問いに「一緒に燃やしちゃったもん。」の答え、胸が又痛みました。

使い古されたドライヤー片手に、バンクーバー珍道中が始まります。 つづく。