訪問理美容ダイロク -18ページ目

甲子園2!!!


高校3年になった頃、クラスにいる不思議な同級生に気が付きました。


気が付いたと言うのは、中々学校に出て来ないからで、新学期が始まって2週間ほどして、初めて見かけたからです。


顔立ちは、ゴツメのジェームス・ディーンのようで、街で夕方見かけるとそれを意識してか、スイングトップか革ジャン姿が多かったようです。


変わっているのは、姿だけではなく態度もです。


意外と明るい性格で、話の輪の中心にいて、相手が強かろうと弱かろうと同じ様に接していますが、相手が先生となると態度が豹変し、強面の体育教師などには、飛びつかんばかりに反抗します。


そこで、みょーなのが私達には一切融通を利かせない体育教師が、彼にだけ及び腰なのです。


ある時、彼と1,2年から一緒の友達から訳を聞きました。


彼は、スーパー野球少年だったのです。

顔立ちからも分かるように、ハーフかクオーター(本人は、気にしているようなので聞きませんでした)で、中学生のころから段違いの体格と筋力を持っていて、各高校が狙いを付けていたのですが、その時期甲子園出場の可能性№1のうちの高校に特待生でやってきたのです。


しかし・・・、凄すぎたのです。


1年生に入ってすぐ、レギュラーになってしまったのです。

しかも3年生のキャプテンのレギュラーポジションを奪って・・・。


その日から、寮などで陰湿なイジメが繰り返されました。


彼は耐え切れず実家に戻りましたが、その度に監督や体育教師が家を訪れ、自分達が2度と同じ事をさせないと言い、彼を連れ戻しましたが、結局同じ事の繰り返しで、残ったのは高校野球と教師への不信感だけでした。


一人だけ甲子園出場の興奮を避けるように夏を過ごした彼が冬を迎えた頃、「昨日な・・。」と彼が話し始めました。

真夜中に何回か街角で会う女の娘と、街の大通りの6階建てのビル全部がおもちゃ屋のビルの前に座り込み話したそうです。


「なんで何時もここにいるんだ?」と聞くとなんと自分と歳が変わらない少女は、娼婦だったそうで「仕事でここにいる。」と言うことでした。


何となく彼も自分の現在の境遇などを何故か素直に話す事が出来たそうです。

最後に彼女は、「あたしのヒモにならない?」と聞いてきたそうです。

話を聞いていた私は、困るだろうなとか羨ましいとか、多感な高校生私は、煩悩全開でしたが、彼は、それより彼女が言った何気ない「あんたは、何でここにいるの?」の一言が胸にこたえたそうです。


クリスマスも近い頃、小さい頃からずべて費やしてしてきた物を奪われた少年とクリスマスに誰からもプレゼントを貰う予定の無い少女がクリスマスのディスプレイで飾られた真夜中のおもちゃ屋の前に肩を寄り添い佇む姿は、痛々しさと共に一服の絵画のように高校野球の時期に思い出します。


あー、彼は普通のおっさんになりました。


訪問理美容ダイロク-二人


甲子園!!!


高校野球が始まりました。

我が母校も出場し今日、快勝しました。


私の在学中にも甲子園に出場しましたのですが、私は、高校球児を全肯定できません。


妬みで潰された者や切捨てられる者を見てきているからです。


しかし、それでも尚、いやそれだからこそ高校野球は胸を打つのかもしれません。

万年控え投手の友人がいました。


暑苦しいほどの野球好きですが、才能は有りませんでした。


甲子園の予選で格下の高校に6点差の9回、応援にいっていた同じクラスの悪友何人かとその友人の名前を連呼し、「出せ、出せ」と叫んでいると、友人がベンチから出て来ました。


私たちは歓声をあげましたが、出てきた友人は泣きそうな顔で「やめてくれ俺が監督から怒られる」と言いました。

その友人と2年の秋廊下を歩いていると担任に呼び止められ、友人だけ少し離れた所に連れていかれ何事か言われていましたが、突然大声で「監督は知っているのですか!」と叫びました。


野球は才能が無い友人でしたが、勉強だけに集中すれば国立の有名校に合格出来る実力の持ち主で、野球部の監督と担任が相談し、担任が引導を渡しに来たのでした。

友人はやめませんでした。


かと言ってマンガのように上手く行く事も無く、ベンチに入る事も出来なくなり、甲子園はスタンドでユニホームで応援していました。

私は現在の仕事に就くことが決まり、受験勉強とは縁が無くなり学校はサボリがちになった時、その友人は人目も気にせず私の肩を掴み「何で学校に来ない!お前はそんな奴じゃないだろう!」と大声で言いました。


私は何て暑苦しい奴だと思いながらも余りのストレートさに感動しました。

そう、もう忘れていたそう言うモロモロを思い出させてくれる母校のユニホーム姿でした。
杉野

バンクーバーってVから始まるんだー。その11

恥をかいた次の日が最後のビクトリアでした。

お土産は、なるべくメイドイン・カナダでと思っていたので、目を付けていたお店を回ります。

ファーいっぱいのスリッパとか、アンティークのスプーン、子供達には、手作りチョコレート。

チョコレート屋さんで、「何になさいます?」とご主人「子供用なので甘いものを。」と私、箱につめてもらい、「何時帰られます?」との問いに「次の月曜日です。」と私、ここまですべて英語です。

「次の月曜日です。」に店の人が固まります。
ん?発音が悪かったのか?あ!Theが抜けていたからかー。
「The next Monday」通じません。

よけいな物を抜いてシンプルに「Monday!」・・・通じません。
今まで通じていたじゃないかー!
とうとうカレンダーを持ち出して来ました。う、う、う。

マクドナルドは、マクダーナルだし、マイケルは、マイコーだし、日本英語がまったく通じないのはわかっていましたが、ま行で始まる曜日ってマンデー以外に無いじゃないかー。

泣く泣く月曜日を指差しました。

最後にクリスマス用品専門店に行きました。

小学校の体育館半分ほどもある建物で、昔の図書館を思わせる贅沢に木を使った内装で、商品はクリスマス用品オンリーです。

そう一年中クリスマス用品を売っているのです。

2月ですから、オフシーズンもオフシーズン、客は私一人しかいません。
ゆっくり品物を見て回りますが、メイドイン・タイワンかメイドイン・チャイナしか有りません。

同じアジア圏のせいか天使の人形も日本的な顔立ちをしています。

その中の一体に目が止まりました。亡くなったN先輩そっくりの人形を見つけました。

あー、ここにいらっしゃいましたか、一緒に日本に帰りましょう。と、その人形を奥様へのオミヤゲに買い求め、ビクトリアをあとにしました。