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2013年84冊目に読んだ本「不格好経営」

2013年、84冊目に読んだ本はこちらです。

不格好経営/日本経済新聞出版社


kindle版がようやく出たので、すかさず購入しました。今ちまたで話題の本です。

ベンチャー企業に勤めている身分としては、読む前は「どんな不格好が書かれているのかな?」とワクワクしていましたが、何のことは無い、豆乳を沸騰させてできた表面の膜をすくって「不格好でしょ?てへ」と言っているに過ぎないように感じました。

底辺のドロドロした部分を見せずに、上辺の奇麗なところだけを救い上げていると思う。もし、本当に真実がこのままの内容なら、南場さんは人に恵まれすぎている。奇跡だと思う。

だから、この本を読んで「ベンチャーに行きたい!」「ド派手に挑戦したい!」と思っているようなら、もう少し現実を見た方が良い。これが全てでは無い。

いや、むしろ、これは奇跡の1社であり、他はおしなべて、まず違う



僕が抱いた違和感は、例えば、仕事におけるスピードに対して、ブレーキに関する記述が見当たらないことです。

好不況の波に対して、不況であればストッパーが必要だし、逆に好況ならアクセルが必要。それが無ければ、イケイケドンドン昔の日本軍、残された道はバンザイ突撃だけになってしまう。

実際、ちょっと前に発表されたGREEの決算資料は酷いものだった。数年前、「1社ぐらい高度経済成長を味わう会社があってもいい」と豪語していた会社が、いま、オイルショックにやられている。

しかも、まっすぐにしか進んだことが無い会社は、曲がることを嫌うように感じる。それが、あたかも邪道であるかのように(本当はそんなことないのに)。

しかし、DeNAは、GREEと比較して傷が浅い。これは、間違いなくストッパーが効いている証だと思うのだ。それこそ経営の秘訣というか、強みになると思う。

だが、その肝心の秘訣が無い。イケイケ描写しかない。これは、いったいどういうことだ?としか思えんのです。



この本は、DeNAの表面しか語っていない。間違いない。

人に任せる、委任するといって、全てを放り任せる、これは丸投げだと思うのです。責任は持ちつつ作業を依頼する。そうした、任せて任せずといった姿勢も、どのように貫いたのか、さっぱり解らない。

モバゲータウンは2007年頃にやっていましたけど、ある天才プログラマが好き勝手やってくれまして出来ましたテヘペロ☆じゃ、奇跡の成長の意味が解らない。

僕らが知りたいのは、こういう話じゃ無かったはずなんです。結局は、ドラマのような、リチプアに書かれているような奇麗事しか無いのが非常に残念でした。

何が辛かったのか、何が苦しかったのか、何から逃げ出したかったのか。
そんな人間味のある描写が、殆ど無いと思ったのです。巻末の元リクルートさんの話だけ生々しかったです。

成功は、苦境から立ち直る際の姿勢から生まれる。ならば、せめてどんな苦境に社長は、役員は、社長は遭遇したか、もっと生々しい感情を吐露して欲しかったですね。



さて、今回はこの本を読んで得た気付きを1つ。

それは「歴史は事実を見る史観から生まれる」ということです。

「今」は、この今を生きる人間によって創られます。しかし「歴史」は、この今を生きる人間が過去を振り返って創られます。

だからこそ、歴史家には、自分の良心に基づき、事実を積み重ねることから過去を明らかにしていくことが求められると僕は思うのです。

どんな黒歴史も、事実を語る人間がいなくなれば、過去にすらならんのです。


今度は、違う人間から見たDeNAというのを知りたいですね。

2013年82、83冊目に読んだ本「親鸞 激動編」

2013年、82冊目、83冊目に読んだ本はこちらです。

親鸞 激動篇(上) (講談社文庫)/講談社


親鸞 激動篇(下) (講談社文庫)/講談社


端的に要約すると、師匠と離れ、新潟に辿り着いた親鸞は、腐り難さって、何とか宗教って雨乞いのためにやるんじゃないよと言っても理解してもらえず、このままじゃいかんと一念発起して関東に向かうも、師匠の訃報が届く—で終わってしまう。

なんだか、鳴かず飛ばすの状態が続くから転職でもしよっか、声も掛けて貰ってるし。そんな状態に近い親鸞なのでありました。



しかし、この頃の苦しみこそ、親鸞の血となり肉となっているのだろうな、とも思うのです。

悩まない人は、これでいいのだと思うから悩まないし、考えることを止めます。しかし悩む人は、このままではいけないと思うから悩み、どうすればいいのかと考え続けます

悩んだ分、考えは深まり、苦しんだ分、視野は広がります。


例えば、なぜ念仏を唱えなければならないのか、それで病気は治るのか、貧乏から抜け出せるのかと農民に問われて、親鸞は次のように答えます。


念仏をしても、決して背負った荷の重さが軽くなるわけではない。行き先までの道のりが縮まるわけでもない。だが、自分がこの場所にいる、この道をゆけばよい、そしてむこうに行き先の灯が見える、その心強さだけで弱虫のわたしは立ち上がり、歩き出すことができた。念仏とは、私にとってそういうものだった。


実際には五木寛之の言葉なのでしょうが、それでも、念仏を唱えれば今背負っているものから抜け出せると固く信じている農民に対して、次のように言える親鸞は、大人になったんだなぁ、と思ってしまいます。

時代も動く。人も動く。歴史は動く。つまり、自分自身もまた動かなければ、過去に取り残されてしまう。今までこうだったから、昔からこうだったから。こんな理由で、<strong>変わることを恐れていては親鸞のように、腐り続けていた頃から変わることなんて到底できやしません



さて、今回はこの本を読んで得た気付きを1つ。

それは「信仰心は時代を超越する」ということです。

時代がいくら変わっても、絶対に変わらないものがあります。例えば、人間の感情。技術は進化しても、人間は愛別離苦のカルマから離れられていません。そもそも人間は進化しない生き物なのだと考えさせられます。

それは信仰心、何かを信じたいと願う気持ちも同様です。

人間は何も信じず、一人で生きられるほど強くはありません。大切な人が手術を受けるとなれば、手を合わせ何かに祈らずにはいられません。大切な人がこの世から去ったとすれば、行ったことも無いあの世の存在を信じてはいないけど感じずにはいられません。


では、何かを信じる人は「弱い人」なのでしょうか。

それも違うと感じました。信じるとは、立派な感情の1つだと思うのです。愛することは弱いですか?泣くことは弱いですか?それと一緒だと思うのです。


鎌倉時代にできた新仏教が、約1000年の時代を超越して、我々の心に未だ残っている。それが、どれほどまでに凄いことか。

これこそ、時代が変わったとしても残り続けるものの1つだと思います。



この移り変わりの激しい世の中にあって、何を守らなければならないのか、何が普遍的な価値を持っているのかを考えるにあたり、この事実は大きいな、と思っています

2013年81冊目に読んだ本「金融再編の深層 高橋温の証言」

2013年、81冊目に読んだ本はこちらです。

金融再編の深層 高橋温の証言/朝日新聞出版


この本の肝は、2001年~2005年の長期にわたって日本経済を苦しめてきた不良債権問題と銀行を取り巻く壮絶な仕事ぶり—ではありません。

それよりも少し前、まだ「日本の銀行は潰れない」という不敗神話が渾然と輝くさなか、北海道拓殖銀行が崩壊し、山一証券が崩壊し、会社は潰れるし金融とて例外ではないという「当たり前」のことに気付いた頃。

それが、この話の中心です。
そして、主人公は高橋温。この本の著書であり、住友信託銀行元社長です。



話題は、長銀(日本長期信用銀行)の合併先として、名乗りをあげてほしいという政府の要請が中心になります。

当時、銀行が潰れることで、どれほどの影響が出るか解らない中にあって、長銀はその規模の大きさから「なんとかして救わなければならない」と政府が躍起になっていたのです。

もちん、その政府中枢の一人が、長銀と関係の深い宮澤蔵相であることも影響しているのでしょうが。



当時、住友信託銀行側は「合併拒否」の姿勢、それを何とか口説き落とそうとする政府、しかし頭の固い民間のせいで長銀はあえなく破綻し、ハゲタカファンドにさらわれた—そんなエピソードが、真しやかに語られました。

しかし、それは事実と違うと高橋氏は言います。
本によれば、氏は次のような条件を設けて、そのすべてを満たせば合併は可能であると言っていたというのです。

①正常債権のみの承継であること
②吸収合併であること
③金融監督庁による長銀の資産査定が済むこと

②はともかく、残り2つは、なかなか政府含め役所が飲み込もうとしません。

合併するにあたって、不良債権まで一緒に受け継ぐつもりは無いし、もちろん長銀の資産は金融庁が査定をして下さい。

たった、それだけのことなのに、なぜ、できないか。それは、③をしてしまうと長銀が債務超過であることが解ってしまうから。なぜ、解ると駄目なのか。それは、これより少し前、銀行にウン千億とという公的資金が投入されており、それが焼け石に水であることが発覚してしまうから。

つまり、政府は自身の失政を認めたくないから資産査定はできないと言うし、だからすべての債権を引き取ってくれと言う。しかし銀行側としては、それをすると、利益に実害が出てしまうので、株主代表訴訟を起こされる可能性がある。

最初から、当たり前のことができないと住友信託銀行側は解っていて、それでも合併する可能性を少しでも諦めずに検討し続けた。どちらかと言えば、その姿勢に僕は感動を覚えます。


当時、日銀総裁やら蔵相から、とにかく合併しろというさざ波(という名の圧力)が送られている最中で、氏はその主張を絶対に負けず、最後まで「3条件をクリアしない限りノー」と言い続けていました。

その経営者としての姿勢は、経営者でなくても見習うべきでしょう。すなわち、筋が通っていないことには、必ず後で論理が破綻するのだから、誰かが「違う!」と言わなければならない

半沢直樹のように。



さて、今回はこの本を読んで得た気付きを1つ。

それは「後世に語れる仕事をしよう」ということです。

何も氏のように自伝を書きなさいと言っているのではありません。自分の子供でもいい、孫でもいいと思うのです。人に語り、相手から尊敬される仕事をしましょう、と感じました。

誇りは金では買えません。1億円の資産運用も、テナントのゴミ掃除も、どちらも仕事です。ゴミ掃除を「格好悪い」と貶めているのは、自分自身の心ではないでしょうか

大切なことは、自分の今している仕事に誇りを持てているか否か。高橋氏のように間違っていることを「違う!」と言えるのは、自分の中に仕事に対する誇りがあるからだと僕は思います。

それがなければ、政府の干渉を受けて直に靡いているでしょう。



自分の仕事に誇りを持つのは、自分の心の持ち次第。後世に語れるほど、仕事に自信と誇りを持ちたいですよね
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