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2013年71冊目に読んだ本「僕は明日もお客さまに会いに行く。」

2013年、71冊目に読んだ本はこちらです。

僕は明日もお客さまに会いに行く。/ダイヤモンド社


僕が参加している、LMNという勉強会にて、尊敬する大先輩がお薦めしていた1冊です。

川田修さんという「伝説の営業パーソン」と評される営業マンが「本当に大切だと思っていることを伝えたい!」と思ったことが、ストーリー形式で描かれています。

初志を忘れてしまった新卒X年目の営業マンが、山野井という伝説の営業マン兼メンターの下で(これが川田氏なんでしょうね)、下らない殻を破り、ビジネスマンとして成長していくストーリーです。


スーっと2時間弱ぐらいで読みきることができました。スーっと読めるものは、暫くしたらパーっと消えてしまうものですが、この本に限っては2つの単語が脳裏から離れないので、スーパー本とならずに、また再び読み返そうとするでしょう。


ちなみに、その2つの単語とは「感謝」と「愛情」です。

こうしたビジネス書の類は、あれをしなさい、これをしなさいと命令口調で何か行動を変えることを促す論調が多い中で、この本では「1つ1つの行動が大切なのではなく、お客さまに対して感謝と愛情を持って接することができるかが大切」と説きます


つまり、いくら行動を変えても、本質の部分が変わっていなければ、何も変わっていないのと一緒であり、かつ、その本質とは「顧客が自分のために時間を取ってくれている。何とありがたいことなのだ」という感謝と愛情である、と著書は言います。

考えてみればそうなのですが、ビジネスをする過程でいつの間にか、して貰って当たり前、お金を払っているのだから当たり前となっているものです。

あなたも、そうではありませんか?お金を払っている、おれは客だぞ、そうした傲慢さが、自分から謙虚さという感謝と愛情を消し去っていませんか?



さて、今回はこの本を読んで得た気付きを1つ。

著書は、「本気になって仕事をすること」を説きます。実績を上げる、トップを目指す。そうした目標が、自分から一生懸命さを引き出させるとして、そうした積み重ねを楽しめる心境に立つことを説きます

そうしたことを冷やかな目で見ている人には、そうした「自分も本気になって取り組むことをバカらしいと思っているのではなく、自分も本気になった時に、ダメでしたとなるのが怖いから、そうした本気になることを避けているのではないか?」と説きます。


努力は裏切りません。裏切るのはいつだって過去の自分であり、後悔するのはいつだって未来の自分であり、それを決めるのは現在の自分です。

しかし、「頑張っても仕方が無いよ」「これ以上は無理だよ」という負け癖は、過去の積み重ねです。横浜DeNAがなかなか勝てないのも、積み重ねられた過去があるからですよね。

現在は、決して今だけで成り立っているのではなく、積み重ねられた過去があってこその今日なのです。だから努力を怠ってはならない―そう思っています。


つまり、真剣にならない限り、人生から得られるものなんて何一つない。それが僕がこの本から得られた気付きです。


2013年70冊目に読んだ本「クリティカルチェーン」

2013年、70冊目に読んだ本はこちらです。

クリティカルチェーン―なぜ、プロジェクトは予定どおりに進まないのか?/ダイヤモンド社


正直言って、めちゃくちゃ難しく感じました。

氏の著作は「ゴール」から順番に読んでいるのですが、回を重ねるごとに難易度が上がっている気がするのです。それは作中に登場する人物に感情移入できないからか、或いは登場人物の置かれた環境が想像もつかないからでしょうか。

ビジネス小説と銘打っていながらも、感情移入できないビジネス小説なんて、それはもはやSF小説でしかないですよね。



さて、それはさておき、今回の「クリティカルチェーン」でも、ゴールドラット節は炸裂していて、考えさせられる点が幾つかありました。

氏が物理学者であり、ガリレオの湯川学よろしく「結果には必ず原因がある」という信念のもとで「何故そうなったのか?」ということを徹底的に究明しようとしているからだと思います。

この本の中で言われているのは、現状のプロジェクト管理自体の弊害であり、それを取り除くことの勇気であると僕は受け止めました。

不確定要素を管理することを目的としたプロジェクトが、いつの間にか臭いものに蓋をするためのものになっていることにルドラット氏が嘆いているように思えましたし、僕も同様です。


本来、プロジェクトとは「組織」であり、それを納期までに担保された品質でリリースするということは、まさにマネジメントの世界でした。

しかし、その世界は「サイエンス」で実現されなければいけないのに、殆どが「アート」のみに化していることを僕は疑問に感じていました。

言うならば、コーディング作業や新しいアプリケーションを用いた開発などは「サイエンス」なのですが、プロジェクトを管理する、或いは体制を管理するというその手法が「アート」に依存していることに不満を抱いていたのです。

# リベラルアーツという言葉があるように、僕自身はアートなマネジメントを否定はしません。
# それだけに依存したソフトウェア開発の現状を嘆いているのです。

しかし、この本に描かれていたのは、まさに「サイエンス」(しかも極めて物理学的な)であり、さらには深く納得できるものでした。さっそく、会社で実践しようと思います。


さて、今回はこの本を読んで得た気付きを2つ。



①作業にどれくらいの時間が掛かるか申告してくる数字は信じるな
例えばAという作業に10営業日掛かるとして、期日までに終わらなければどうしようという「心理的に安全を確保する生存本能」が働いて、上長に報告する時は13日と言ってしまう。
その作業工程が通ったとして、3日間の余裕があると解った作業者は、最初の頃は「夏休みの宿題は後半で全て終える症候群」に掛かって、13日間たっぷり使いきってしまう。
仮に、これを7営業日以内に終えることができればボーナスが出るとなれば、後半に傾けていたリソースの比重を前に移すに違いない。したがって、プロジェクトマネージャは、作業工数を算出する際に、10日を鵜呑みにするのではなく、7日だと考えるべきである。
そして、残りの3日~5日を「プロジェクトバッファ」として、多少の遅れが発生したとしても、そこで解消できると考えれば良い。遅れが発生しなければ、そのまま進めば良い。


②全体最適を考えろ、部分最適に陥るな
プロジェクトの目標は、期日までに製品を出荷することであり、そのためにWBSなどを用いて作業を細かいタスクに分けて、遅延を明らかにしようとする。つまり、細かいタスクの期日を守ることの積み重ねが、納期を死守することに繋がるという発想である。
しかし、これでは50日掛かるものを50日掛けて実現しているに過ぎず、工数の短縮には到底繋がらない。作業者のレベルがあがれば、45日ぐらいに短縮できるかもしれないが、例えばさらにあと5日削るとなると、プロジェクトマネージャが血相を変えて「それは無理だ」「徹夜が必要になって来る」と悲鳴をあげる。しかし、部分と部分の総和は決して全体にはならない。どれほど部分を積み上げても、だ。部分の積み重ねと全体、プロジェクトマネージャはその何れも見なければならないだろう。
言うまでも無く、部分の積み重ねとは品質であり、全体とは納期である



ゴールドラット氏の言っていることはトヨタ生産方式に近く、同時にリーン生産方式にも近しいものがあります。

インターネットサービスが勃興し、「リーン」が持て囃されている今だからこそ、氏に現在各地で巻き起こっているプロジェクト管理と納期に纏わる争いについて語って欲しいな、なんて思いました。

2013年69冊目に読んだ本「ホンダ神話(下)教祖のなき後で」

2013年、69冊目に読んだ本はこちらです。

ホンダ神話(下)教祖のなき後で/文藝春秋


前回紹介した本の下巻です。

下巻では、いよいよ創業者である本田と藤沢無き後のホンダが、狂気に満ちた企業から普通の企業になり、やがてはサラリーマンの集団に成り下がる過程が丹念に描かれていきます。

松下電器しかり、ソニーしかり、シャープしかり、ホンダしかり、創業者無き後はどうしてこうも同じような道を辿るのでしょうか。

例外として「トヨタ」があるぐらいでしょうか。結局、創業者として創業家という威光を拒否し、企業は公器であるとした組織ほど普通に会社に成り下がり、創業家の威光を「都合良く」借りている組織ほど元気のようです。


引退を決断した藤沢と本田ですが、その実際は「抱き合い心中」のようなもので、無理やりに本田を奥に引っ込めたことは前回のブログで書きました。

そして、「本田神話」という永遠に無くならない経営者の虚像を振りまきながら、組織としての団結力を高めていく―それが藤沢の狙いであり、氏の言葉を借りれば「万物流転の法則」を防ぐ、つまり平家物語のような栄える者滅ぶことを防ぐ活動を行いました。


しかし、実際にはそれが組織の首を絞めるわけです。

例えば経営者は技術系でなければいけない、という教え。実際にはホンダという会社が本田系(技術)と藤沢系(事務)という2つのグループで成り立っているのですが、藤沢系は一歩下がって社長を支えるという不文律を守るために、その器には思えない人間を社長に据える。

藤沢は創業者の教えという「神話」を創ったために、破るには勇気のいる行動を経営者にしいる結果となったわけです。


実際には、4代目の川本氏が、そうした不文律を破っていくのですが、どうしても後ろから川本氏のズボンの裾を引っ張るOBが出てしまう。

歴史を守るか、組織を守るか、神話を守るか、未来を守るか―ホンダという組織が急速に官僚化していくなかで苦悩する経営者の姿が、またここにも在りました。



さて、今回はこの本を読んで得た気付きを1つ。

それは「組織の狂気を保つには常識はいらない」ということです。

創業者とは、ある意味で「狂気」のような存在です。他の人とは違うことを、他の人とは違うアプローチで取り組んで成功するからこそ、起業家と呼ばれるのです。

その違いこそ、「狂気」です。

しかし、そんな「狂気」を全員が持っていません。むしろ、シンドイと思っている人が大多数でしょう。なんせ、皆の持っている「常識」と照らし合わせてこその「狂気」が浮き彫りになるのですから

例えば、孫さんとか、柳井さんとか。


やがて、創業者が退く時、後に座るのは「狂気を体験した一般人」です。そして、その人が退く時、後に座るのは「狂気があったらしいと知る一般人」です。そして、その人が退く時、後に座るのは「狂気を聞いたことがある一般人」です。


4代目社長の川本氏は、そのことを相当な脅威に感じていて、「ホンダはこのままではダメになってしまう。なぜ、みんなそれに気付かないのか」と取材で吐露しています。

では、その川本氏は経営で狂気を発揮できたか?―それは、いいえ、である。と僕は思いました。


常識なんて、経営にはいらんのです。

例えば、経営を「人の困ったことを見つけそれを解決する手段である」と定義するなら「狂気」とは問題解決力であり、経営を「顧客の創造」と定義するなら「狂気」とは未来創造力だと思うのです。


いずれも、常識が邪魔すると思いませんか。

当たり前こそ、問題解決と未来創造を阻む「当たり前」だと僕は思いました―普通の企業に成り下がっていったホンダという組織を、本を通じて知って。