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人吉鉄映会

熊本県人吉市・球磨郡を走る肥薩線・湯前線・くま川鉄道の今と昔を発信していきます。

人吉鉄映会です。

 

今回も前回に引き続き肥薩線山線(人吉-吉松)を走る、かっこいいD51の写真です。

 

まずは1963年(昭和38年)1月 肥薩線 人吉-大畑間 56.1km地点

871レ 人吉発吉松行混合列車 先頭D51 170 築堤での連続写真です。

「お!170号機か!!」とすぐピンと思われた方・・・さすがです。

 

 

 

 

 

続いてもう1つ。

1963年(昭和38年)2月 肥薩線 大畑-矢岳間 63.2km地点

871レ 人吉発吉松行混合列車 先頭D51 1058 大畑ループの交点(この下が横平トンネルとなる)。

 

 

 

 

ループを上ってきたばかりなのに煙があまり出てないですね。運転士さんが上手だったんでしょう。さすが~

ってか、もっと煙出してくださいよ~、って感じですか。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナもなかなか収束しない状況です。皆さんお体ご自愛ください。

 

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・八代 

祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回の懐かしシリーズは昔の肥薩線といえばD51.。それも約60年前の1961年(昭和36年)、大野の千人築堤S字カーブを滑走するD51です。

 

肥薩線の人吉-吉松間の矢岳越えのいわゆる「山線」と言われる区間の名所と言えば大畑のスイッチバック+ループ線というイメージの方も多い思いますが、蒸気機関車時代は補機を引き連れたD51の長編成をしっかり捉えられる「大野のS字カーブ」と言われるポイントでの撮影が「熱いポイント」でありました。

 

大野の築堤(千人築堤)のS字カーブは下り方向でいうと大畑ループ線の先になります。地図やGoogleMapなどで見てもらうと大畑駅の先から肥薩線がぐるっと回って(ループ線)そこから南下するとそれこそ路線がSの字になっているのが見て取れると思いますが、今回はそこのポイントでの撮影風景です。八代起点で約66㎞地点になります。

 

ご紹介するのは肥薩線上り混合列車 862レ (吉松-人吉)。

先頭車両はD51 1151 補機はD51 687。 定点からの連続写真です。

 

 

 

 

 

この後は大野第1トンネルをくぐることになります。やっぱりデゴイチはかっこいいなぁ。

この時期はこういった長編成の混合列車や、えびの号などのディーゼル気動車の優等列車も含め、門司港-宮崎、都城、西鹿児島などの長距離移動列車も肥薩線で活躍してました。大雨による災害での被災を復旧すんのかい、せんのかい、という議論も必要ないほど九州の鉄道にとって重要な大動脈でありました。

 

今後も肥薩線、くま川鉄道の復旧状況を注視しつつ、いい時代の懐かしい写真も引き続きご紹介していきたいと思います。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

くま川鉄道の復旧応援のいすみ鉄道の「急行くまがわ」ヘッドマーク掲出は第2弾の「球磨川に肥後椿」の意匠に変更になったそうです。

 

その第2弾HMのいすみ鉄道の写真はTwitterなどで皆様で確認していただきたいと思いますが、今ブログではそのHMを付けて運行している現役時代の「くまがわ号」の写真です。

 

急行「くまがわ」 湯前線乗り入れ 320Dレ 人吉-東人吉

平成元年4月

キハ58九州色+急行色+サウンドエクスプレスひのくに編成

 

青色キハ65+キハ58編成

肥薩線 西人吉付近 桜と鉄道の写真の名所です。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナもなかなか収束しない状況です。皆さんお体ご自愛ください。

 

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・八代 

祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

本日、松岡人吉市長ら肥薩線沿線首長さんたちが、JR九州熊本支店赤木支社長に肥薩線復旧の嘆願書を届けに行きました。その後の松岡市長が地元TV局のインタビューで「水害で落ち込んでいるところに鉄道も通らなければ・・・」と発言されていましたが、だったらそれまでに市が肥薩線を観光資源としてどこまで重用してましたか?と聞きたいぐらいです。SL人吉、いさぶろう・しんぺい号、やませみ・かわせみのお客様を人吉球磨郡市内に呼び込む努力をどれだけなさっていたのでしょうか。球磨川の治水方法も盛んに議論が始まりましたが、JR九州の青柳社長も仮に肥薩線を復旧させたあとの沿線自治体が鉄道をどれだけ活用しますか、ということを重視されている発言をされてます。「自治体」としてどういう「効果」のビジョンを示せるかが、本当に復旧に乗り出してもらえる「動機」になるのではないかと思います。

ちなみに「球磨川第三橋梁」の瓦礫はすっかりきれいに除去されていました。よかった、よかった。

 

ということで、肥薩線を本気で復活させてもらいたいがゆえに「敢えて」地元をディスったところで本題です。

 

くま川鉄道の被害状況をご紹介していっていますが、以前のブログでもお伝えしているように被害が大きかったのは「川村駅」と「球磨川第四橋梁」の球磨川沿いのところで、それ以外は多くが難を免れています。(車両水没も大きな被害ですが)

それが前回のブログでも取り上げた永江社長の「肥後西村駅から湯前駅までをまず開通させたい」という発言に繋がっています。

 

では・・・

 

 

おかどめ幸福駅 2020年10月

 

この駅に来られた方もいらっしゃると思いますが、見ての通り「無傷」です。黄色いポストも健在・・だけど、あれ?名誉駅長さんは・・

駅舎内に貼られている、球磨焼酎メーカー「繊月酒造」さんが寄贈したくまモン名誉駅長の写真より

 

心配しないでね、・・・だそうです。早い復帰を祈るばかりです。

 

雑草も茂ってますが線路は大丈夫です。

 

 

ちなみに・・「幸福」が付けられているのはなぜか?過去にブームになった北海道の「幸福駅」にあやかっただけなの?どこに幸福感があるのか?

その答えの名前の由来になったのは駅の駐車場から上っていける「岡留熊野座神社」にあります。

現在の岡留熊野座神社本殿

 

この神社の由来は鎌倉時代のいわゆる「元寇」襲来の前年、日本に戦乱が起こるかもしれないという気運の中、「国家安寧」を祈って建立されたといわれています。御祭神は古事記の神代7代の最後の男女神「イザナミの命」と「イザナギの命」です。

神社名の「岡留」から「難を留めて幸せを祈る社」ということで別名「幸福神社」と呼ばれるようになったそうです。ん~ここら辺が強引かな、と思われる方もいらっしゃるでしょうが、少なくともこれから「幸福」を駅名にとったので、そもそも神社名ファーストだったのです。「岡留」という名は人名では宮崎県の地区が由来みたいですが、地名も同じでしょうか?そこはよく分かりませんでした。

 

こちらがおかどめ幸福駅側の鳥居で「幸福神社」の扁額があります。列車で来られた方が見るのはこちらの方でしょう。きれいですね。いかにも後から作りました感が・・(笑)

 

 

実は上の写真の方向は神社の本殿の「裏側」に当たり、本来の正面側の鳥居には

 

写真では分かりにくいですがちゃんと本名の「岡留熊野座神社」となっています。

 

いずれにせよ、今の人吉球磨に必要なのは「幸福」。少しでも神のご加護があることを祈りましょう。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナもなかなか収束しない状況です。皆さんお体ご自愛ください。

 

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・八代 

祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

台風14号が上陸しそうな進路になってきました。大きな被害が出ないことを祈って止みません。皆様お気をつけください。

 

前回は蒸気機関車で「賑わう」61年前の吉松機関区の様子をご覧いただきました。

今回は水害による機能停止で「閑散とした」現在の人吉駅の情報をお届けします。

力強いスローガンが貼られた人吉駅入り口。頑張るばい!!

 

まずは肥薩線から。水害直後、キハ140-2039とキハ220-1102が駅に取り残されていました。

肥薩線1番3番ホーム 7月10日

キハ140-2039はエンジンがかかり自走可能でしたが、キハ220-1102はエンジンが水没し、自走不能で陸送でないと移動できないということでした。(人吉駅前後が不通なのでキハ140も移動できない状況は同じではありますが)

 

現在は・・

車両がいなくなってます。陸送されていれば大きなニュースになってたかもしれませんが、実はここにいました。

 

 

機関区にいました。140が牽引してきたようです。ここなら雨風しのげるので大丈夫でしょう。

 

次はくま川鉄道。当初は全機エンジン水没で走行不能ということでした。

 

水害後 くま川鉄道 KT-500系 7月10日

 

水害直後は水没した状況で検修庫前で5機とも停車してました。しかしKT-503のエンジンがかかってこれを牽引車として検修庫に移動し、修理を行う予定だそうです、とお伝えしました。

 

現在はKT-501(茶色)・KT-502(赤)・KT-503(クリーム色)はまだ庫の外。ん・・?3輌?ほかの2輌は?

 

 

KT-504(青)とKT-505(白)は検修庫の中でメンテナンスを行ってました。(庫は関係者以外立ち入り禁止のため、中途半端な映り方になりました)

KT-504

 

KT-505

 

ともかく、水害直後よりは何かしら「進展」はしています。「安心しました」まではまだ言えませんが・・・

 

あと周辺の状況も・・

 

駅前のお土産屋さん、「青柳(あおやぎ)」さん、「天守閣」さんともにまだ開いていません。水害被害もそうですが、鉄道利用客がいないなら経営も厳しいかも。ちなみに今日は近くの青井(神社)さんのおくんちの神事が行われていました。おくんち祭りはパレードなども出る人吉の一大イベントです。小生も小学生の頃、鼓笛隊で参加しました。今年はそういった行事もないようで寂しい限りです。ここに人が来る理由すらない状態です。

人吉駅前お土産屋「青柳」さん・「通天閣」さん

 

次は、SL人吉で人吉に来られて、転車台を見られた方は立ち寄られたかと思いますが、JR九州メンテナンスの建屋に間借りしている「SL館」

ここも床下までですが浸水しました。幸い保管・展示してあるものは水没しませんでしたが、結局SLが来なくなったのであの日以来開けらずじまいです。いらっしゃった方に楽しんで頂こうと鉄道ジャーナル、ピクトリアル、ファンなどの雑誌などを会として寄贈させて頂いたばかりなんですが、残念です。

 

SL館。鉄道観光案内人の方も活躍の場を失いました。

 

この撮影を終えて帰ろうとしたしたとき、くま川鉄道の永江社長とばったり遭遇。少し立ち話をしたあと、「あ、ちょっと来て」ということでくま鉄の事務所で今度は企画営業課長さんも交え、湯前線開業100年イベントをやりたいから協力してもらいたいという趣旨を伺い、当会も喜んで全面的に協力させて頂くようになりました。湯前線、くま川鉄道にはずっとお世話になりました。これは「施されたら施し返す。恩返しだ!」です。

開業100年は2024年3月30日になります。当会が所有している貴重な写真や色々な当会活動者のイベントツールで、微力ながらでも盛り上げていければ、と思います。その時期には全線開通していることを願って・・・

 

 

永江社長によると、くま川鉄道は肥後西村(ひごにしのむら)駅から湯前駅までは線路の被害が少なかったので、まずそこを走らせたいとの意向でした。肥後西村駅は人吉温泉駅から、相良藩願成寺駅(被害なし)、そして川村駅(被害は以前のブログに)-球磨川第四橋梁(崩落、これも以前のブログで)の次の駅になります。被害が少なかった路線だけでも復旧させて運行すれば、それは学生を始めとした地元民にとっては力になります。他の地方からもくま鉄応援がてら乗りに来てくれるかもしれません。

「そこまで車両、どうやって運ぶんですか?」と聞いたら、「陸送しようと思ってる。でもヘリで運んでくれないかなぁ」・・いやいや空輸は無理でしょう(笑)。とにかくいつもの満面の笑みで話していただいた永江社長、そして課長さん。くま鉄の復活はそう遠くないな、そう思った瞬間でした。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナもなかなか収束しない状況です。皆さんお体ご自愛ください。

 

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祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

 

人吉鉄映会です。

 

気になる人吉・球磨の鉄道復旧に関して、球磨川治水対策に関しては、「川辺川ダム」建設の是非が焦点になってきたようです。また先日の国交大臣の国としての前向きな支援の発言などがありました。我々も一喜一憂せず、事の推移を見守っていくしかありませんので注視していきたいところです。

 

さて30回目となった懐かしシリーズですが、以前「はやとの風」が運休になったブログを書いた際、「最近の吉松駅は閑散としている」とディスった手前、以前は人吉機関区と並び、肥薩線の重要な拠点であった吉松機関区の輝きをお伝えしたいと思い、1959年(昭和34年)の様子をご覧いただきます。

 

多くの蒸気機関車が駐機している吉松機関区 1959年12月

 

以下の写真は全て吉松機関区での撮影で、車両は吉松機関区所属のものです。撮影日も1959年12月4日と同一日です。ご紹介するのは一部ですが、多くの蒸気機関車が駐機していた様子がわかります。

 

C5194

 

C51270 標準デフ

 

同上 キャブ

 

C56118

 

C51142

 

C51195

 

C5122

 

こうしてみると、人吉機関区では山登り用のD51や川線、湯前線用の8620型が多いのですが、吉松ではC型が多いのは面白いですね。さらに吉都線ではDF50ディーゼル機関車も活躍してましたので、人吉⇒吉松の撮り鉄旅(今と違い当時それが一般的だっかかは分かりませんが)はたまらなく楽しかったことでしょう。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナもなかなか収束しない状況です。皆さんお体ご自愛ください。

 

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祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

 

人吉鉄映会です。

 

本日10月4日で球磨川水系での大水害発生から3か月経過しました。

 

未だ復旧も半ばで、何より街中が恐ろしいほど閑散としています。住宅地もそうですが、商店や宿泊施設もまだ開ける状態ではないところが多く、日中でも人の行き来が少ない状態がいつまで続くのか心配でなりません。

 

鉄道の復旧においてはまだその工程表も示されないままですが、肥薩線の復旧(・・の可能性)の要件として挙げられている球磨川の治水対策について、「川辺川ダム」というキーワードが俄然注目されています。

このダムは計画まで進んだものの、当時の民主党政権の脱ダム方針や樺島知事のダムに頼らない治水対策の方針で白紙状態になったのですが、川辺川ダムがあったらこのような被害にはならなかったという報告もされ、治水対策候補の最有力に上がってきました。

 

ただダム建設なんて簡単に出来るものではないことは素人の私でも容易に分かります。当時どこまで環境アセスメントなどの準備がなされて、またそれが現状にあっているものなのかなど分かりませんが、ダム建設が鉄道復旧の一要件(一番は地元自治体の熱量です)になるなら、私は生きて肥薩線復旧を目の当たりにするのは出来ないでしょうか・・・

 

話を本題に戻して、懐かしシリーズです。

今回はちょっと珍しい車両で「気動付随車キサハ」のお話です。

 

キサハ041 人吉機関区 1961(昭和36年)11月

 

気動付随車という名前から気動車に付随する車両というのは分かると思いますが、具体的には運転台がない気動車で通常の気動車の増結用に作られています。(・・というか改造されました)保守が容易な点が利点ですが、操縦機能がない=自走出来ない=入換に他の気動車が必要というデメリットのため僅か11両しか存在しませんでした。レア車両です。・・というか自走出来ない不便さが設計段階で気付かなかったの?国鉄の技術者さん、って感じですか(すみません、言いすぎました)

 

人吉機関区に在籍した(熊ヒト)のはキサハ041という車両です。

 

キサハ041はもともとキハ40004というディーゼル気動車がベースになってます。これを運転台を撤去して付随車化したのちキサハ40800という車番に変更されました。これが1957年(昭和32年)称号規定変更でキサハ041に変わりました。形式的にはキサハ04形で改造は大宮工場になります。(キサハ04形は他に042のみ)

 

改装後は直江津に配属されていますが、その後人吉に転籍しています。

 

運行はこのように通常の気動車(写真はキハ16)に増結して運行していたようですが、残念ながら詳しいデーターがありませんでした。年末年始などの多忙期に活躍したのかもしれません。

 

この当時は気動車、蒸気機関車など色々な車両が数多く機関区にいました。ドラえもんにタイムマシーンで、60・70年前に行かせてもらいたいくらいです。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

また復旧支援をされていらっしゃるボランティアの方に、心から感謝申し上げます。

コロナに配慮しながら復旧頑張っていきましょう。

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・八代 

祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

 

人吉鉄映会です。

 

くま川鉄道が運休になってまもなく3か月です。

地元高校生の足になっていた、くま鉄の運休は通学の不便さが苦慮されており、バス代替運行も鉄道のような利便さはなく、親御さんが送り迎えを行っている学生さんも少なくないようです。

 

そういった中、身動きできないくま鉄に代わり「3セク仲間」がいち早く復旧人員や技術支援などの実務支援から、復興支援切符発売など、金銭的な支援も行って頂き、「オール3セク」での復旧支援が嬉しい限りです。

 

一部の自治体が「鉄道での復旧は時期尚早」と表明したらしいですが、復旧を待ち望む学生、支援されたファンのみなさん、3セク関係者のためにも頑張ってもらいたいものです。

 

今回はすでに皆さんもご存じのいすみ鉄道さんの「くまがわ」ヘッドマーク車両の話です。(写真、記事とも🄫千葉日報より)

 

 

くま川鉄道では以前、いすみ鉄道で運行しているレトロ車両「キハ28」と同型車両で「急行くまがわ」を走らせていた実績があり、復興機運を盛り上げようと同急行を模したヘッドマークを製作。12日から10月25日までの土日曜日(10月3、4日を除く)、午前11時37分に大多喜駅を出発し午後3時7分に大原駅に到着する急行ダイヤのキハ28に取り付ける。  いすみ鉄道の担当者は「くま川鉄道とは交流が深く、復興を後押ししたい。再現した『急行くまがわ』にぜひ乗りに来てもらえれば」と呼び掛けている。

 

 

 

いいですねぇ、下がそのヘッドマークを付けた現役時代のくまがわ号です。

上り急行くまがわ号1810Dレ(博多行き)

肥薩線 人吉-西人吉間 1988年8月

 

この時期はいろいろなヘッドマークが存在してました。このタイプは人吉城址石垣に三日月(繊月=人吉城の別名)と球磨川の意匠タイプです。

肥薩線走ってますね。今はここを走る列車もありません。

 

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また復旧支援をされていらっしゃるボランティアの方に、心から感謝申し上げます。

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祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

人吉鉄映会です。

 

最近のJR九州 青柳社長の肥薩線復旧に関するインタビューなどで肥薩線復旧のハードルが予想以上に高いことが分かりました。

 

青柳社長は令和2年球磨川水系水害による肥薩線川線壊滅直後「鉄道として復旧を検討する」という発言がありました(7/28定例会見より)。この記事は当ブログでも上げさせてもらいましたが、確かに被害全容が把握できない状況の中であったとはいえ、非常に重要で有難い発言でした。

 

それから2か月、被害額が100億円を越える、復旧は新規と同様程度の大工事になる、球磨川第1,2橋梁は現在の法律では2mほどかさ上げが必要で、これならば橋の入り出口で急激な坂が生まれる、など予想を超える問題点が発覚し、肥薩線復旧に赤信号が灯り始めた感じでした。

 

9/23 毎日新聞による青柳社長インタビュー(概要)

・JR九州単独での復旧、運行維持は「非常に厳しい」と難色を示した。

・鉄道軌道整備法の適用、関係機関との協力も模索する。

・復旧方針検討には「球磨川の治水の協議を待つ」

 

これに関して

・国土交通省は「復旧に向けてサポートしたい」 県は「検討状況を注視する」

 

まぁそうでしょう。年間5億もの赤字を生み出している路線を100億円以上かけて安易に復旧に着手するなんて到底考えられられない事です。私は肥薩線をこよなく愛する人間ですから軽々しく「復旧して」なんて言いますが、捻出する側は飛んでもないことです。

県は「検討状況を注視する」なんて悠長なことを言ってるらしいですが、早く国土交通省と治水対策を検討しなきゃいけないんですよ。川辺川ダム建設も視野に入れているそうですが、早速複数の建設反対の団体が役所に請願に行ったニュースが流れてまして、これだけでも長い時間がかかるんでしょうね。やっぱり私が生きている内にまた肥薩線を見ることはできないのでしょうか。

 

次は9月24日の青柳社長の定例記者会見から(熊本日日新聞記事より抜粋)

・被災規模は当社(JR九州)で過去最大級

・整備法を活用しないと鉄道としての復旧はできない

・日田彦線での自治体での運行補助の例を踏まえ「肥薩線も同様」

 

これに対し熊本県交通政策課は

・鉄道軌道整備法の公的支援を活用した復旧スキームは選択肢の一つとして認識

・JRからの要請があれば国、地元自治体との協議を進める

 

人吉市市議会

・肥薩線とくま川鉄道の早期復旧を求める陳情を採択

 

松岡人吉市長

・「早い復旧を望む」

・「(法適用は)JRから聞いておらずコメントできない」

 

問題はどれだけ県や自治体が補助に協力できるかがカギとなるのではないのでしょうか。ただ人吉・球磨に億単位の支援が出来るのでしょうか。企業などでは「費用対効果」で出費したお金以上に儲けがでるかどうかで判断します。この案件も同じことだろうと思います。自治体の出費は血税からのものです(交付金であっても)。地元が鉄道復旧で潤うなら文句もないでしょう。JR、国、県、地元市町村 難しい判断です。

 

この記事に書かれていた名古屋大 加藤博和教授(公共交通政策)の話

・JRや国に任せきりでなく、地域が主体的に関わらないと鉄道は守れない

 

ごもっともです・・・・

 

最後に楽しみな話題を

 

 JR九州は、人気アニメ「鬼滅(きめつ)の刃」の映画「劇場版鬼滅の刃 無限列車編」(10月16日公開)を記念してのコラボ企画の一環として

11月の土日祝日の5日間、映画に登場する蒸気機関車にちなみ、運休中のSL人吉に「無限」のプレートを付け、熊本発博多行きの片道のみ運行させるそうです。

こんな列車だそうです。JR九州より

 

ん~~、何か変な感じだな。 でも、とりあえずまた走る姿が見れるからいいか・・・ワクワク♪

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

また復旧支援をされていらっしゃるボランティアの方に、心から感謝申し上げます。

コロナに配慮しながら復旧頑張っていきましょう。

頑張ろう!  人吉・球磨・芦北・八代   

甦れ!!   肥薩線・くま川鉄道

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回は人吉・球磨地方の話ではなく、鉄道に直接かかわる話でもありませんが、よければお付き合いください。

 

現在、熊本駅周辺は大幅な再開発工事が行われております。

 

熊本駅在来線側 右手にビックカメラのビル

 

 

 

左手にはアミューズメント施設

 

それにお決まりのJR九州 MJRマンション建設中

 

駅周辺の風景が一変する程の大規模開発です。

 

今日はこの熊本駅再開発の商業施設建設前に発掘が行われた、熊本駅周辺の「二本木遺跡」の話です。

 

 

 

新熊本駅駅舎の前で行われていた「二本木遺跡」発掘

 

二本木とはこの一帯の地名で、熊本駅周辺は肥後国府(今でいう県庁)があった場所ではないかと推定されています。8世紀後半から9世紀にかけて繁栄していた地域と考えられています。数多くの陶磁器、土器などは一般の遺跡では見られないもので、ここに政治的中枢があったと推定されています。

 

上記写真は2019年1月に撮影したもので、正にこの発掘調査終了後後、この上にアミューズメント施設の建屋が立てられました。元はJRの駐車場となっていた所です。同じように今ビックカメラのビルが建設されているところ、そして今は高架になって消滅しましたが、少し南側に行った春日踏切周辺とかなり広範囲で同時に発掘が行われていました。二本木遺跡というのは今になって発見されたものではありませんが、再開発に合わせて大規模発掘調査を行ったようです。

二本木遺跡 熊本駅南東 現ビックカメラビル周辺

 

二本木遺跡 旧春日踏切前(現在民間駐車場)

 

まさか熊本駅周辺にこんな8、9世紀の古代の痕跡があったとは予想してもいませんでしたが、今はその上に21世紀の建物が建てられているというのも不思議な話です。

 

熊本駅周辺開発終了したら、是非みなさまも熊本にお越しください(今でも「よかもん市場」というお土産・お食事が楽しめる所もありますよ)。そして古代のお役人もここを闊歩していたのを想像してみるのも一幸かと思います。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

また復旧支援をされていらっしゃるボランティアの方に、心から感謝申し上げます。

コロナに配慮しながら復旧頑張っていきましょう。

 

頑張ろう!人吉・球磨・芦北・八代  

 甦れ!!肥薩線・くま川鉄道