さて、今回のお勉強は、漫画・北斗の拳からは少し遠い内容となりますよ、皆さん。
いいですか?
北斗神拳が日本へ渡った理由
以前にも説明したように、北斗宗家とは天帝の盾であり、宗家の拳とは天帝守護の拳とされている。
その前に、天帝とは中国の三大宗教のうちの、仏教においての天帝。(北斗宗家が仏教徒)
ちなみに織姫の親がその天帝にあたるのだが、このように物語に登場する天帝とは、神のような存在であり、北斗で存在する天帝とは別物だと思われる。
宗家のシュケンが北斗神拳を編み出したのは中国でのこと。
なので、発祥の地は中国。
その後、三斗(北斗・南斗・元斗)が、およそ二千年前から中国の天帝の守護拳だった訳であり、全ての伝承は中国で行われていたという事になる。
では、どのようにこの三斗が日本で継承されるようになったのかというのが、今回のテーマである。
先述したように、元々は、時代の英雄となるべく天帝を守護する為、伝承は中国で行われていた。
しかし、『蒼天の拳』によると、”空海”が帰国の際に持ち帰ったものの中に北斗神拳があったとある。正確には、ラオウ、トキ、ケンシロウに似せた三人の北斗の子が同行しているのだ。
空海とは歴史上に実在する人物で、私は正直名前以外記憶になかったのだが、色々なものを日本へ持ち帰った人物ともされている。唐の時代、国力を疲弊させる原因である「安史の乱」が起きた。
この時代の皇帝は道教を尊重していたが、この時期丁度、密教が道教のライバルとして勢力を伸ばしていたそう。
これを北斗に繋げると、道教の北斗に対し、南斗が密教と結びついた為、南斗を盾とした密教が勢力を強めたのだ。
そして、天帝を守護する皇帝の座を巡り、乱を起こしたという訳である。
やがて、北斗が乱世を鎮めるも、史上空前の虐殺者を出した闘争を経て、国は衰退しつつあった。
また、南斗の後ろ盾を失くした密教も道教に押され、衰退することとなったのだ。
それから役40年後に空海帰国とあるのだが、北斗神拳を持ち帰ったのは、密教布教最期の望みを日本に求めた恵果和尚が、北斗の子らを三人、帰国に同行させたからである。
これは、道教に押された密教が北斗信仰を取り入れた事と、天帝を巡る覇権争いが再び起きる事を避ける為に、北斗宗家が北斗神拳を隣国へ隠す事に決めた為。
その後、中国では恵果和尚の死と共に密教は衰退するが、実質は日本へ受け継がれたという訳なのだ。
つまり、宗教の事はよくわからないが、空海の帰国に合わせ、北斗が日本へ渡った理由は二つ。
天帝を巡る争いを避ける為と、北斗信仰を取り入れた密教を日本へ伝来する為である。
北斗宗家は、北斗神拳を本来の陰の拳とする事にし、天帝守護の拳を隣国に遠ざけることで天帝自体の姿も表から眩ませようと考えた。
そして実際、
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やっとログインが出来て記事の編集をしようと見ていたら、こんな中途半端な所で終わっていた。
恐らく、北斗神拳について調べ始め、アドレナリン出まくっていた頃だろう。
私は一つの事にハマるととことん探求してしまう癖があり、気が済むと全部忘れてしまう癖もある。
だからこうしてその時思ったことをそのまま、ブログに残しているのだが、このタイトルに関してはもうわからない。空海が持ち帰ったことだけしか覚えていない。
「そして実際」…なんなんだろうか。
実際なんなんだろうか!!
ここから天帝の村に話が繋がるのか、それともそこに至るまでの何かがまだあるのか。
ちょっとわかんないんでこのまま公開します。
とりあえず日本に伝来した理由はわかってるんで。