D菩薩の仕事いろいろ趣味いろいろ

D菩薩の仕事いろいろ趣味いろいろ

仕事 海外生活 登山 スキー ゴルフ 鉄道 飛行機 模型 映画 etc. 時空を超えてビジネスと趣味の軌跡を写真でたどる半世紀

以前から気になっていた、東武野田線・通称アーバンパークラインで運行している8000系の8111型6両編成は、昭和38 (1963) 年11月生まれの満62歳

 

今までの長い車歴の中で2回の大きな塗装デザイン変更を経て、数年前に登場時オリジナルの明るいオレンジと暗いベージュの色分けに戻されました

(2025年12月 川間-南桜井間の江戸川橋梁)

 

最近のJRを含む鉄道会社の傾向として、古い車両をデビュー当時の塗装やデザインに戻すのは、その車両の引退が近いというシグナルです

 

この8111編成も引退まであと数年でしょうか?

 

大阪で生まれて2歳で東京へ移り、そこで物心がついて比較的早い段階で鉄道に興味を持った私は、特にその車体の塗装(色)にたぶん常人の想像を超えたとても強いノスタルジーを感じるのです

 

 

そんな私にとって東武鉄道といえば、幼稚園のころ家族で日光へ行ったときロマンスカーの車窓から見た、そして動物公園へ行くのに実際に乗った、この独特の色分けに、それこそ悶えるほど萌えるのです 

(2025年10月 春日部駅)

 

昨年前半までの数年間「私の昭和鉄道」のテーマは、伯備線で引退した国鉄型特急でした

その後しばらく中断のあと再開した昭和鉄道の探訪は、今年の夏から先週末までこの東武鉄道 8111編成

 

 

自宅から春日部エリアまで片道1,000円ほどで行ける手軽さが気に入りました

(2025年7月 運河駅)

 

 

真夏の平日の田舎の折返し駅に停車中

 

 

車内は貸切り状態で写真を撮り放題です

低めのロングシート、上下分割2枚窓のサッシ、直立パイプが林立する手すりなど、萌え感まぁまぁのレトロな空間でした

 

東武鉄道は(その沿線に住んでいない) よそ者の目には、列車の塗装やデザインがけっこう統一感に欠ける印象です

 

レトロ塗装に復活する前の 8111編成もまとっていた現在の東武標準色はこれ

(2025年12月 川間-南桜井)

 

ご多聞に漏れず東武でも最新型にはステンレス車両が導入される中、どうやらアーバンパークラインの新しいCIカラーはグリーンとブルーのようです

(2025年7月 江戸川橋梁)

 

こんな感じで、路線名までプリント

この路線の専用車として配備されています

(2025年12月 春日部駅)

 

 

一方、浅草起点の伊勢崎線(スカイツリーライン)や池袋始発の東上線ではこんなデザインが主流

(2020年3月 東武動物公園)

 

 

さらに少し前の世代の車両にはこんな色も

 (2020年3月 小菅駅)


とても同じ一つの会社とは思えないほど、製造年次によってバラバラなアイデンティティーです

だから何なんだ?って話ではあるけれど、私鉄にもブランドってとても重要で、それを体現する大事な媒体が車体色だと私は思います…

 

 

そんなこんなで、この色以外、東武にはほぼ興味無しというのが本音です

(2025年7月 運河駅)

 

 

独特な塗色が真夏の緑によく映えていました

(2025年7月 江戸川橋梁)

 

 

まだ暑かった10月半ばには、飛行禁止区域の境界線にあたる江戸川河川敷でドローン撮を試みました

(2025年10月 江戸川橋梁)

 

 

遠くに望むのは筑波山 編集していて気づきました

 

 

夏から秋の単線区間で写真もドローンもスマホ動画も堪能したので、8111編成は私的にしばらく放置とします

それにしても不思議な良い色だ 雪に映えるかも

この冬、南岸低気圧のドカ雪でも降ったら、ドローン撮に駆けつけてみよう

 

 

物心ついたころ住んでいたのは池上線沿線

最初はまだ黄色と紺色のツートン車両が走っていたけれど、そのうち緑一色になりました

(1976年1月 目黒)

 

なので、私の心の東急のイメージはとにかく緑色

 

 

で、遠足で「こどもの国」へ行くときに旗の台で乗り換えたのが、田園都市線(現・大井町線)のステンレスカー

(この写真とは違うもっと古い形式でした)

(2020年3月 東武動物公園)

既に全廃となったこの形式とは、今年9月に長野電鉄で再会しました

 

 

そして東急の今の主流はこの最新型車両

田園都市線ー半蔵門線ー東武線、東横線ー副都心線-東武線/西武線、それぞれのルートの主力です

 

 

東京で物心ついたあと、中学ごろからの人格形成は関西でした

 

 

祖父母と従弟家族が住んでいた近鉄沿線

当時の近鉄車両は、赤味の強いマルーン一色でした

(1975年5月 枚岡)

 

 

それが、1980年ごろから薄いベージュとのツートンになります

このデザイン、なかなかメリハリがあって好きです

(2014年3月 今里)

 

 

いま近鉄線は阪神を介して神戸三宮まで乗り入れます

これはその主力車両 このあたりから近鉄にも統一性のないバラバラ感が出てきました

(2025年4月 大和西大寺)

たぶん近鉄がネットワークを張る「かわち(のオッサン?)」のイメージを払拭したかったのかもです

 

 

ついでながら、同じ近鉄つながりで1975年の近鉄伊賀線(当時)

戦前生まれの名物車両たちの宝庫で、全車両が当時の標準色の赤に塗られていました

(1975年4月 上野市駅)

 

 

45年後に訪れた同じ場所

このときは、第3セクター伊賀鉄道に変貌しており、東横線からの中古車に忍者(くのいち)顔のラッピングが施されていました(これじゃ、まるでテーマパークのライドじゃん  ><)

(2020年3月 上野市駅)

 

 

関東の私鉄をもうひとつ

実は西武鉄道にも私の萌え色があって、それがこれです(多摩川線の復刻ラッピング)

(2018年5月 白糸台)

 

小学生のころ叔父が住んでいた、黄色が主流になる前の西武線の標準色がこの色だったと、いま西武沿線に住む友人たちに話しても誰も信じてくれません

それくらい昔のことなんですね

 

 

新宿線や国分寺線にはまだ「黄色い西武線」は残っているけれど、廃車や近江鉄道への譲渡も加速しているようです

秩父市の横瀬駅構内に留置される黄色い電車は解体待ち?(後ろは武甲山)

(2025年12月 横瀬)

 

 

そんな西武鉄道も東武に負けないくらい多彩でバラバラなデザインの車両たちが続々とデビューしています

(2020年2月 和光市)

 

メトロ副都心線やJR埼京線、東急新横浜線、関西だと阪神と近鉄など、複数の鉄道会社が新しく相互乗り入れを開始する際にそれぞれが競い合うように「それまでのイメージを刷新」するために、非連続の車両デザインがどんどん生まれてくるのでしょうか

 

 

こちらは地方の私鉄、かつて準大手などと呼ばれた神戸と姫路を結ぶ山陽電鉄です

日本初のアルミ製という野心的な技術の車両を左右に従える神戸行きと姫路行きの特急たち

(1974年7月 須磨)

 

 

そして47年後の同じ場所

かつての特急車両は、塗色を変えて右端の各停運用で退避し、平成生まれの新型特急車両がそれを追い抜いていきます

(2021年2月 須磨)

50年近くを経て、CIカラーは刷新されているけれど、現在の車両に統一感は感じ取れます

 

 

阪神電鉄もかつては特急が「赤胴車」、各停が「青胴車」と区別して、利用者にはとてもわかりやすかったけれど…

(1974年7月 今津)

 

 

阪神大震災の被災や近鉄線との相互乗り入れを経て、わちゃわちゃと賑やかなデザインの編成ラインナップとなりました

(2025年4月 大和西大寺)

やっぱ「競っちゃった」んですかね、笑

 

そして、ラストは阪急電鉄

 

そっか、ここがオチだったのかと自分で言っては身も蓋もないですが、鉄道会社のCIカラーの一貫性という意味で、阪急電鉄はすごいです

 

明治43 (1910) 年の開業以来、守り続けるマルーン一色の車体

(1977年4月 仁川)

 

 

さらに 1960年代初頭にデビューした新型車両から採用された銀色のアルミサッシがマルーン単色の車体に秀逸なアクセントをもたらし、阪急スタイルともいえる伝統のデザインが確立されました

(1974年6月 神戸三宮)

 

 

その後、平成、令和に至るまで、形状デザインがいかに斬新になっても伝統のマルーンとアルミサッシは守られ続けています

(2018年4月 梅田)

 

そんな阪急もバブル期に一度、車体色の変更を検討したことがあるらしく、それを地元紙がスクープすると(そんなことがスクープになるのがスゴイ!)、沿線住民を中心に反対の投書が殺到し、阪急をして断念せしめたとか

 

いやぁ、変更しなくて本当に良かったと思いますよ

 

おかげで私も中高大の10年間を過ごした阪急沿線に帰ると、40年以上経った今でも何とも言い得ない「地元感」に包まれ、幸せな気分にしてくれます

 

日常使いの電車ですが、阪急ってなんか特別なんです

この歳になって、とてもラッキーなことだと阪急さんには感謝です

(おわり)

 

 

世間はすっかり涼しくも寒くもなり、空気も澄んできて、お出かけ日和が続きます

 

久々に羽田空港へ飛行機撮に出かけました

狙いは今回も、羽田にわずか1便となったジャンボジェット 

フランクフルトから来るLH716便と折返しの717便です

 

 

朝ちょっと用事があって出撃が遅れ、羽田空港駅に着いた時点で716便は既に木更津の上空まで来ていました

あと数分で着陸です

あわてて第3ターミナルの国際線展望デッキへ向かいました

 

 

よかった 間に合った!

 

 

スマホ・アプリ Flight Radar 24でリアルタイムの追跡はしていたけれど、4本ある滑走路のどれに着陸するかはいつも最後は当てずっぽうです

この日は北風に向かってA滑走路へ南から進入

 

本当のマニアなら航空管制無線を傍受するラジオで刻々と変わる進入経路を追いますが、私の趣味はそこまでではない

 

 

久々に見るB747ジャンボは、変わらぬ流麗なボディデザインでドキドキさせてくれます

 

後部ギア16輪の接地摩擦で吹き上がる白煙とまだ宙に浮いている前輪は私の大好きな瞬間

左後ろに駐機中のJAL機とギリギリ被ることもなく、自分では大満足なカットになりました

LH716便は、以前はフランクフルトから偏西風の追い風もあって10時間ちょっとで飛んできましたが、今はウクライナ戦争でロシア上空を飛べず南回りで13時間超かかります

 

 

エンジンの側面に見える黒い切れ目が逆噴射のサイン

 

 

滑走路の末端でUターンして第3ターミナルに向かってきます

 

 

Flight Radar 24にも注記があったけど、この個体は1970年から製造が始まったジャンボジェットの1500番目の機体だとか

 

 

上の写真の機体後部を拡大してみると、確かに「1500th」の数字

航空ファンのサイトによると、機体番号 D-ABYPは 2014年6月生まれです

 

 

ジャンボジェットの独特のデザインは、このアングルが映えMaxだと思います

 

 

こうして10,000km・13時間の旅が終了

約2時間後に今度は LH717便として、フランクフルトへ戻ります

 

前回羽田は来たときは、風向きの影響で2時間の間に着陸と離陸の方向が変わったけれど、この日は着陸も離陸も北向きが濃厚でした

帰りの離陸は経験則でANA国内線の展望デッキから海に向かって見えるC滑走路と予想

 

 

で、連絡バスで行ってみると、なんともタイミングよくANAの Star Wars ラッピング機が着陸したばかりでした

 

 

この機体には、2019年の正月に大阪へ行ったとき一度乗ったことがあります

 

 

このときは、機内の紙コップまで Star Warsでした

 

 

今も自室のインテリアです(下に青いのはキューバのタバコの空き箱)

 

 

コロナ禍を挟んでもうすぐ7年なのに、まだ Star Wars 仕様でやってるんだ

 

 

 

 

ちょうど昼時だったので、この ANAの Star Wars機とルフトハンザの717便の離陸までにサクッとランチを済ませることに

 

 

そして食後…

さてお目当ての2機をどんなふうに写真にしようか?と思案します

方角的にはスカイツリーを絡めても良いんだけど、今日は空気が霞んでる

かつ、離陸の滑走距離は飛行機の機種によって全然違うので、図体がでかくて滑走が長いジャンボ機がスカイツリーとうまく絡んだ構図になるか全く不明です

 

ならば今日は流し撮りにチャレンジしようと決め、本命が来るまで練習をします

今どきフィルムカメラとの比較は無いけれど、こういう時にバシャバシャ何度でも連写して練習できるのがデジカメのすごさ

 

速度が一定の列車と違って段々加速する飛行機の流し撮りは、慣れないとけっこう難しいです

 

こんなふうに画面から逃げそうになったり…

 

 

流してる途中で邪魔なものが入ったり…

 

 

微妙にピントが甘かったり

 

 

そんなこんなしているうちに、まずは Star Wars機がゲートを離れました

 

 

どこ行きの何便だろう?

 

 

そしてお目当て第一号の流し撮り!

最初の方は絶望的にブレブレだったけど…

 

 

連写後半の何カットかは一応ピントが合ったけれど、流し撮りらしく流れてくれる背景が何も写っていません

さらに構図もひどい…

 

 

結局、流し撮りより離陸後の上昇の方がしっかり絵になった感じです

 

 

黄色い機体がいつまでも青空に映えていました

 

 

そんなこんなするうちに、本当の本命、LH717便ジャンボ機がノッソリといった感じでゲートから出てきました

 

 

この瞬間の Flight Radar 24は、LH717便の位置を正確に表示しています

 

 

誘導路を右折して、離陸のためC滑走路の南端へ向かいます

 

 

その様子がこちら

 

 

末端でUターンして、いよいよ離陸を開始!

でも、ん? なんだ? この画面の真ん中を横に走る帯は?

これはなんと予期せず映り込んでしまった、目の前に張られた展望デッキのフェンスの金属線

 

全部撮り終えてから見直し再生するまで全然気づかなかったです

 

 

うゎ~! こっちにも入ってる! しかも完璧な流し撮りなのにぃ~!

これは、しばらく立ち直れないショックでした

 

 

結局、画面からフェンスが外れたこのカットが流し撮りのベストショットかな…

 

 

そしてゆったり優雅な飛び立ち

 

 

辛うじて絡めたスカイツリー

でもここにもフェンスのワイヤーの陰が

 

 

こうしてLH717便は、またも13時間の旅路へ

 

 

このときの現在地はここでした

 

フランクフルトへの帰路は偏西風が向かい風になる南回りでなく、北極経由で飛んでいきました

(おわり)

夫婦で行く秋の遠足は、久々の熱海

 

 

バスで行く昼食コースと温泉の旅です ♫

 

 

湯河原の海岸線には、遠く伊豆大島、手前に初島をバックに夏の名残りのサーファーの群れ

 

 

まもなく車窓に熱海市街が見えてきました

 

 

温泉街から離れた静かな港です

 

 

この辺りまで来ると、ヤシの樹が元気よく生えてきます

 

 

格安ツアー(買い物付きで実はタダ)にしては、とても豪華なホテルの昼食コースです

 

 

至福、至福

 

 

お昼ご飯のあとは、同じホテルでゆっくり温泉

風呂からは撮れなかったけど、6階の露天風呂からこの海を見下ろしました

登山の帰りに山のお風呂はよく入るけど、こんな青い海が一望なのは初めてでとても新鮮

ぽかぽか晴天でずっと入っていたかった…

 

 

熱海では平均的なホテルの日帰り利用だったけど、とってもゆっくりくつろげました

このあと熱海駅へ移動して、商店街の自由散策です

 

 

途中、寛一とお宮にバスからご挨拶

寛一、今日も怒ってます、笑

ハラスメントやらコンプライアンスやらが叫ばれる昨今、女性虐待ともとれるこの像はいつまでここに居られるでしょうか? 文学に罪はなく、個人的には芸術の範疇だと思うけど…

 

 

熱海駅前で自由時間となれば、私たちが向かうのは絶対あそこ!

駅前商店街の入り口に黄色い看板が後付け感いっぱいで誇らしげな…

 

 

熱海プリンです!

 

 

この日の行列は平日でも20分待ちで、自宅用と孫のRoyBoy用をしっかりゲット!

 

 

人気はやはり伝統のキャラメル味

瓶がかわいいと、家でいろいろ再利用します

 

 

1歳を過ぎて最近は離乳食を嫌がるようになってきたRoyBoyも、このプリンは一人で一個バクバク行っちゃったとか

 

 

熱海でもう一軒、スイーツ女子の定番はジェラートだそうです

 

 

こっちは持ち帰れないので、バニラとイチゴをすぐにいただきます

 

 

商店街のベンチで至福

 

 

熱海はスイーツのマーケティングも手伝って? 令和にしっかりと生き残っていく温泉街のようです

隣りの湯河原は猿害でたいへんだと、この前TVでやってたけど

 

 

日没に映える熱海城と海に突き出すホテル・ニューアカオを帰路のバスから望みます

 

 

ニューアカオには、4年前のコロナ禍最盛期に家族旅行を決行したのが今は思い出

 

 

熱海から伊豆エリアはヤシの並木が異国情緒を醸します

最近、亜熱帯化している日本は、もっとたくさんヤシを植えて国を挙げてのリゾート感の演出をしていっても良いように思うけど、どうでしょうか

 

 

この日のベストショットは、バスの窓から無造作に撮った海と太陽

スマホの凄さをまたも感じたカットです(おわり)

金曜日に名古屋で学会が終わった翌日、ずっと前から行きたかったリニア・鉄道館へ足を運びました

 

名古屋駅から「あおなみ線」で終点の金城ふ頭まで24分

 

 

この日は終日の雨で博物館でのインドアに絶好の日和

 

 

いきなりSLと試作新幹線が並ぶ入り口にプロデュースのセンスが光ります

 

 

SLの足回りも室内も良く見える独特のライティングが秀逸

 

 

ボイラーのバルブがズラリと並ぶSLの運転室は究極のアナログメカの粋を感じさせます

いったいどうやって運転するんだろ? 一度そばで見てみたい

 

 

入り口のトンネルを抜けると、広大な実物車両の展示ホールになります

JR東の大宮・鉄博のようなターンテーブルの仕掛けや音響の演出はなく、わりとアッサリした展示です

 

 

車両構造の説明コーナーや…

 

 

模型ジオラマなどお約束の展示もあるけれど…

 

 

私のお目当ては、いちばん奥のスペースで肩を寄せ合うように並ぶ車両たちのひとつ…

 

 

私と同じ1961年に生まれ、1992年に引退したキハ82系ディーゼル特急です

正面の貫通扉の下の方(連結時の渡り板)に「キハ82 73」と書かれた記号は、全部で110両製造されたキハ82型のうち73番目に造られたことを表す個体番号です

 

 

この「キハ82 73」の現役時代を私は何度か撮影しています(1988年3月 名古屋駅)

 

 

 

1988年のこの日は名古屋10:01発の南紀3号で紀伊勝浦へ向かう13番線で待機中

 

 

発車間際の「キハ82 73」の車内は、座席にリクライニングは無しでも全席に灰皿は有りの ザ・昭和仕様

 

 

2011年に開館したリニア・鉄道館の車両は、引退してから展示されるまでの長い間 JR東海のいろいろな場所で保管されていました

 

そのひとつ、岐阜県美濃太田にあった旧機関区跡には、シートを掛けた車両や雨曝しの車両が合わせて20両ほど留置されていました

 

 

2007年5月、ここに「キハ82 73」も居るという風の噂に立ち寄ってみると、引退して15年以上 風雨に晒されて、塗装は色褪せ錆びついた痛々しい姿になっていました

 

 

それが今、ピッカピカに塗り直されて磨かれて、空調完備の屋内で安住の地を得ています

 

 

めでたし、めでたし

 

 

個体としてその現役時代の最後を撮影したもう一つの車両が、昭和11(1936)年に京阪神の急行としてデビューし、昭和53(1978)年に飯田線で引退したモハ52004です

現在の展示は昭和11年の登場時を忠実に復元しているので、私にとって「47年ぶりの再会」なのに初めて見るような違和感

 

私が高1のとき、この形式を追いかけた晩年の姿はこれです(1978年1月 飯田線・豊川駅)

できれば、こっちの姿を見たかった…

 

 

でも車内は見覚えのある昭和レトロな作り

ピカピカに磨き上げられて、これはもうアートの領域です

 

 

なんにしても、この子もこうして安住の地を得たことは喜ばしい限り

 

 

高校、大学で関西から信州へ登山に行くときよく乗った特急しなのは、1972年デビューの日本初の振り子式車両381系

この形式は、伯備線の特急やくもで最後の国鉄型特急として昨年引退しました

 

 

リニア・鉄道館には、そのトップナンバー「クハ381-1」が収蔵されています

 

 

 

この車両も長い間、「キハ82 73」といっしょに美濃太田に留置されていました

 

 

現役時代の名古屋駅で撮影した右手前「クハ381-1」と左奥「キハ82 73」の貴重な並びです

(1989年5月)

 

 

展示車両の中で現役時代を全く知らないけれど、その武骨な重厚感に魅かれたのが、大正11(1923)年にアメリカから輸入されたED11型電気機関車

戦前、戦中、戦後と50年以上、東海道本線や横須賀線で働き、最後は昭和51(1976)年に浜松工場の入換機として一生を終えたそうです

 

鎧戸で覆われた車体側面の銘版に今も輝く文字は、

ELECTRIC LOCOMOTIVE

GENERAL ELECTRIC CO.

SCHENECTADY, N.Y., U.S.A.

DATEのところには、OCTOBER 1922の刻印があります

 

この機関車の生まれ故郷・ニューヨーク州 SCHENECTADY (スケネクタディ) 市をネット検索してみると、この街とGEとのつながりは、「1887年にトーマス・エジソンが自身のエジソン・マシン・ワークス社をスケネクタディへと移し、1892年にゼネラル・エレクトリックの本部になった」そうです

 

へぇ~おもしろい!

 

 

車両の他にも個人的にテンションの上がった展示物、それは SLやディーゼル機関車、電気機関車の正面や側面を飾ったエンブレムたちです

ネットオークションなどで今も取引きされる相場は、1個 30万円からモノによっては100万円超なので、このケースの中身は軽く2000万円を超えています

 

 

そんな中で目が釘付けになったのが、この「EF10 14」です

 

これは、昭和9(1934)年に生まれた日本初の国産貨物電気機関車 EF10型の14番目に製造された車両

東海道本線の国府津機関区でデビューのあと、長岡、高崎、沼津、八王子と渡って最後は飯田線の豊橋機関区で1979年に廃車になりました

 

私は一度だけ、「EF10 14」の引退直前の姿を撮影しています(1978年12月 飯田線・上市場-出馬)

戦前型の旧型電機が走る姿を撮ったのは、これが最初で最後でした

 

今まで何度か足を運んだ大宮の鉄道博物館は、展示の演出としては名古屋より上だと思いますが、個人的な「個体車両との再会」が一つもなかったのに対し、名古屋ではおよそ50年ぶりの再会もあってなかなかの感動モノでした

 

大宮、名古屋と来ればもう一か所、是非行きたいのが京都鉄道博物館

そこでは私の懐かしい車両が2両、待っています

 

DD54 33と…    (1977年5月 播但線・長谷-生野)

 

 

キハ81 3です   (1978年5月 紀勢本線・伊勢柏崎)

 

(おわり)

秋の学会シーズン到来

 

春の横浜•耳鼻咽喉科学会に続き、この秋もスタートアップ企業の仕事で名古屋の胆道学会へ

胆道とは肝臓と十二指腸をつなぐ管のこと

そんな管だけでひとつの学会ができてしまうという、なんともニッチでマニアックな領域です

 

名古屋の街は何年ぶりだろう? 超久しぶりに降り立ってみると、駅前にそびえるマリオットホテルに圧倒されます

昔は松坂屋しか無かった印象だけど…

 

 

学会場は、駅から徒歩8分の「ウインクあいち」

 

 

800席の大ホールもある会議場です

 

 

8階建ての6階に総合受付とメーカー展示、ポスター会場

 

 

名古屋駅前だけあって、パシフィコ横浜より小振りなハコです

 

 

肝臓が含まれる分野なので、外科手術の発表も多数

 

 

一方、胆道の「管」の領域は、内科中心の内視鏡が伝統的な本流です

 

 

小振りな学会の小振りなメーカー展示では、普段なら絶対にこんな近くならない競合同士のブースがピッタリくっ付いて並びます

アテンドやりにくそう~!(こんな至近距離では企業秘密がダダ洩れじゃん、笑)

 

 

メーカー勤務の時代ならこんな状況など絶対に我慢できず、主催者に大クレームをつけて場所を変えさせるところですが、今は気楽なフリーランス、登録料13,000円をしっかり払った「Y先生」(D菩薩の本名)です

 

そんなY先生のいちばんのお目当ては、メーカー主催のランチョンセミナーで配られるお弁当~♫

さすが名古屋! 本場みそかつ矢場とんじゃん!

 

 

めっちゃ美味しそう!

学会ランチョンのお弁当は、主催する企業がメンツにかけて厳選します

ちょっと血の気のある臨床ビデオを見せられながらだったけど、ボストンさん、ご馳走さまでした!

 

 

翌日のランチョンは、ボストンの競合•オリンパスへ

 

 

こちらは今半の和食弁当

前日の味噌カツと対照的だけど、これもまたあっさりすっきり美味でした!

オリンパスさん、ありがとう!

 

 

夕方のメーカー主催の別セッションでは、おやつに「Chez KOBE」のクッキーをいただきました

なんかおシャレなので、開けずに家に持って帰ったら神戸出身の奥さんが「Chez KOBEなんて聞いたことない」

 

で、ネットで調べてみたら、パテスリ Chez KOBEは神戸とは関係ない地元・名古屋のお店でした笑

でもとても美味しいクッキーだった

 

 

これは、メーカー展示会場に併設のポスター会場

どの学会でも、ポスター発表は若手ドクターの登竜門です

 

まずポスターでデビューし、その後 オーラル (口頭) 発表の採用が増えていき、さらにキャリアを積んで教授にもなると今度はセッションの司会を任され、最後に重鎮の域に達すると会長を務めるようになり、同じ発表でも基調講演とか xxxx記念講演とか呼ばれるようになって、ありがた味を増していくのが医者の学者としてのキャリアステップです

 

その過程で書かなければならない論文の数は生半可ではありません

今まで業界40年超で何百人という医者(勤務医)と付き合ってきましたが、彼らは臨床、教育、研究の3分野で究極の頭脳労働と肉体労働に従事する人たちだと実感します

 

 

学会の夜には名古屋駅のマリオットアソシアで全員参加の懇親会がありました

かつては昼間の展示アテンドから解放されて社員で楽しく飲みに行く時間でしたが、今回はかつてお世話になった(ホントはこっちもお世話した…)先生方との旧交を実に15年ぶりに温めるため懇親会に参加することにしました

 

むかし海外の学会に参加して、ともにいろいろ楽しく過ごした方々が軒並み「重鎮」になっている中、思ったより多くの人から懐かしく声がけいただき、今回の目的であったスタートアップを売り込んでいく足がかりを久方ぶりに確立できたと思います

 

 

そんな中、思いがけず再会したのが、海外招聘ドクターの一人だったソウル大のイ•ドンリ教授

 

 

以前は英語しかできなかったのに、いまは日本語も上手になっていてビックリ

訳を聞くと、なんと息子さんが日本人と結婚して東京に住んでいるのだとか

 

私は逆のパターンで息子が韓国人と結婚したことを伝え、お互いハグして素敵な偶然を喜び合いました

 

スタートアップの縁で15年ぶりに本格復帰した消化器の世界

幸先は良さそうです(おわり)