以前から気になっていた、東武野田線・通称アーバンパークラインで運行している8000系の8111型6両編成は、昭和38 (1963) 年11月生まれの満62歳
今までの長い車歴の中で2回の大きな塗装デザイン変更を経て、数年前に登場時オリジナルの明るいオレンジと暗いベージュの色分けに戻されました
(2025年12月 川間-南桜井間の江戸川橋梁)
最近のJRを含む鉄道会社の傾向として、古い車両をデビュー当時の塗装やデザインに戻すのは、その車両の引退が近いというシグナルです
この8111編成も引退まであと数年でしょうか?
大阪で生まれて2歳で東京へ移り、そこで物心がついて比較的早い段階で鉄道に興味を持った私は、特にその車体の塗装(色)にたぶん常人の想像を超えたとても強いノスタルジーを感じるのです
そんな私にとって東武鉄道といえば、幼稚園のころ家族で日光へ行ったときロマンスカーの車窓から見た、そして動物公園へ行くのに実際に乗った、この独特の色分けに、それこそ悶えるほど萌えるのです
(2025年10月 春日部駅)
昨年前半までの数年間「私の昭和鉄道」のテーマは、伯備線で引退した国鉄型特急でした
その後しばらく中断のあと再開した昭和鉄道の探訪は、今年の夏から先週末までこの東武鉄道 8111編成
自宅から春日部エリアまで片道1,000円ほどで行ける手軽さが気に入りました
(2025年7月 運河駅)
真夏の平日の田舎の折返し駅に停車中
車内は貸切り状態で写真を撮り放題です
低めのロングシート、上下分割2枚窓のサッシ、直立パイプが林立する手すりなど、萌え感まぁまぁのレトロな空間でした
東武鉄道は(その沿線に住んでいない) よそ者の目には、列車の塗装やデザインがけっこう統一感に欠ける印象です
レトロ塗装に復活する前の 8111編成もまとっていた現在の東武標準色はこれ
(2025年12月 川間-南桜井)
ご多聞に漏れず東武でも最新型にはステンレス車両が導入される中、どうやらアーバンパークラインの新しいCIカラーはグリーンとブルーのようです
(2025年7月 江戸川橋梁)
こんな感じで、路線名までプリント
この路線の専用車として配備されています
(2025年12月 春日部駅)
一方、浅草起点の伊勢崎線(スカイツリーライン)や池袋始発の東上線ではこんなデザインが主流
(2020年3月 東武動物公園)
さらに少し前の世代の車両にはこんな色も
(2020年3月 小菅駅)
とても同じ一つの会社とは思えないほど、製造年次によってバラバラなアイデンティティーです
だから何なんだ?って話ではあるけれど、私鉄にもブランドってとても重要で、それを体現する大事な媒体が車体色だと私は思います…
そんなこんなで、この色以外、東武にはほぼ興味無しというのが本音です
(2025年7月 運河駅)
独特な塗色が真夏の緑によく映えていました
(2025年7月 江戸川橋梁)
まだ暑かった10月半ばには、飛行禁止区域の境界線にあたる江戸川河川敷でドローン撮を試みました
(2025年10月 江戸川橋梁)
遠くに望むのは筑波山 編集していて気づきました
夏から秋の単線区間で写真もドローンもスマホ動画も堪能したので、8111編成は私的にしばらく放置とします
それにしても不思議な良い色だ 雪に映えるかも
この冬、南岸低気圧のドカ雪でも降ったら、ドローン撮に駆けつけてみよう
物心ついたころ住んでいたのは池上線沿線
最初はまだ黄色と紺色のツートン車両が走っていたけれど、そのうち緑一色になりました
(1976年1月 目黒)
なので、私の心の東急のイメージはとにかく緑色
で、遠足で「こどもの国」へ行くときに旗の台で乗り換えたのが、田園都市線(現・大井町線)のステンレスカー
(この写真とは違うもっと古い形式でした)
(2020年3月 東武動物公園)
既に全廃となったこの形式とは、今年9月に長野電鉄で再会しました
そして東急の今の主流はこの最新型車両
田園都市線ー半蔵門線ー東武線、東横線ー副都心線-東武線/西武線、それぞれのルートの主力です
東京で物心ついたあと、中学ごろからの人格形成は関西でした
祖父母と従弟家族が住んでいた近鉄沿線
当時の近鉄車両は、赤味の強いマルーン一色でした
(1975年5月 枚岡)
それが、1980年ごろから薄いベージュとのツートンになります
このデザイン、なかなかメリハリがあって好きです
(2014年3月 今里)
いま近鉄線は阪神を介して神戸三宮まで乗り入れます
これはその主力車両 このあたりから近鉄にも統一性のないバラバラ感が出てきました
(2025年4月 大和西大寺)
たぶん近鉄がネットワークを張る「かわち(のオッサン?)」のイメージを払拭したかったのかもです
ついでながら、同じ近鉄つながりで1975年の近鉄伊賀線(当時)
戦前生まれの名物車両たちの宝庫で、全車両が当時の標準色の赤に塗られていました
(1975年4月 上野市駅)
45年後に訪れた同じ場所
このときは、第3セクター伊賀鉄道に変貌しており、東横線からの中古車に忍者(くのいち)顔のラッピングが施されていました(これじゃ、まるでテーマパークのライドじゃん ><)
(2020年3月 上野市駅)
関東の私鉄をもうひとつ
実は西武鉄道にも私の萌え色があって、それがこれです(多摩川線の復刻ラッピング)
(2018年5月 白糸台)
小学生のころ叔父が住んでいた、黄色が主流になる前の西武線の標準色がこの色だったと、いま西武沿線に住む友人たちに話しても誰も信じてくれません
それくらい昔のことなんですね
新宿線や国分寺線にはまだ「黄色い西武線」は残っているけれど、廃車や近江鉄道への譲渡も加速しているようです
秩父市の横瀬駅構内に留置される黄色い電車は解体待ち?(後ろは武甲山)
(2025年12月 横瀬)
そんな西武鉄道も東武に負けないくらい多彩でバラバラなデザインの車両たちが続々とデビューしています
(2020年2月 和光市)
メトロ副都心線やJR埼京線、東急新横浜線、関西だと阪神と近鉄など、複数の鉄道会社が新しく相互乗り入れを開始する際にそれぞれが競い合うように「それまでのイメージを刷新」するために、非連続の車両デザインがどんどん生まれてくるのでしょうか
こちらは地方の私鉄、かつて準大手などと呼ばれた神戸と姫路を結ぶ山陽電鉄です
日本初のアルミ製という野心的な技術の車両を左右に従える神戸行きと姫路行きの特急たち
(1974年7月 須磨)
そして47年後の同じ場所
かつての特急車両は、塗色を変えて右端の各停運用で退避し、平成生まれの新型特急車両がそれを追い抜いていきます
(2021年2月 須磨)
50年近くを経て、CIカラーは刷新されているけれど、現在の車両に統一感は感じ取れます
阪神電鉄もかつては特急が「赤胴車」、各停が「青胴車」と区別して、利用者にはとてもわかりやすかったけれど…
(1974年7月 今津)
阪神大震災の被災や近鉄線との相互乗り入れを経て、わちゃわちゃと賑やかなデザインの編成ラインナップとなりました
(2025年4月 大和西大寺)
やっぱ「競っちゃった」んですかね、笑
そして、ラストは阪急電鉄
そっか、ここがオチだったのかと自分で言っては身も蓋もないですが、鉄道会社のCIカラーの一貫性という意味で、阪急電鉄はすごいです
明治43 (1910) 年の開業以来、守り続けるマルーン一色の車体
(1977年4月 仁川)
さらに 1960年代初頭にデビューした新型車両から採用された銀色のアルミサッシがマルーン単色の車体に秀逸なアクセントをもたらし、阪急スタイルともいえる伝統のデザインが確立されました
(1974年6月 神戸三宮)
その後、平成、令和に至るまで、形状デザインがいかに斬新になっても伝統のマルーンとアルミサッシは守られ続けています
(2018年4月 梅田)
そんな阪急もバブル期に一度、車体色の変更を検討したことがあるらしく、それを地元紙がスクープすると(そんなことがスクープになるのがスゴイ!)、沿線住民を中心に反対の投書が殺到し、阪急をして断念せしめたとか
いやぁ、変更しなくて本当に良かったと思いますよ
おかげで私も中高大の10年間を過ごした阪急沿線に帰ると、40年以上経った今でも何とも言い得ない「地元感」に包まれ、幸せな気分にしてくれます
日常使いの電車ですが、阪急ってなんか特別なんです
この歳になって、とてもラッキーなことだと阪急さんには感謝です
(おわり)














































































































































