医療ビジネスの世界に身を置いて、今年でちょうど40年。
"彼"に初めて会ったのは 34年前の1990年4月。28歳で駐在したドイツ・ハンブルグでした。
当時の"彼"はハンブルグ大学附属エッペンドルフ病院の外科医。
医療機器のマーケティング担当として、月に一度は足を運んでいた外科医局。写真向かって私の右がS主任教授、その隣りの青年が"彼"、KB医師。ファーストネームでKenと呼んでいました。
Kenは、お母さんが日本人、お父さんがドイツ人、本人はアメリカのシカゴ育ちというなかなかの国際派で、私のハンブルグ赴任と同時期にアメリカ・オレゴン大学から転籍してきました。
お互い 年齢が近く、ともにハンブルグは初めて。どちらも日本に所縁があって、私も幼少期をアメリカで過ごしたという共通点の多さもあり、Kenとはすぐに意気投合しドイツ駐在中のヨーロッパ各地の学会やワークショップでいっしょに仕事をするアラサー時代を過ごしました。
Kenは見た目はちょっとジョン・レノンが入っていると勝手に思っていて、ルックスも性格もメチャ爽やかなナイスガイ。付き合えば付き合うほど好きになり、いつしか私にもし男の子が生まれたら「Ken」の名前にもらおうと決めていました。こうして国際センスと爽やかさに思いを込めた「KEN」に日本男児らしさの「TARO」を付けた第一子 KENTAROは、1993年10月にエッペンドルフ病院で生まれました。
Kenが所属する医局とは家族ぐるみの付合いで、私が日本へ帰国する際にはS教授の自宅で送別会を開いてくれました。
そのときKenの膝に乗ったKENTARO。
写真タイトル「Ken on Ken」は、今でも二人の思い出の1枚です。
それから8年経った2001年、私はニューヨークへ2度目の海外勤務、Kenはハンブルグからアメリカのサンディエゴへ移っていました。
サンディエゴは、温暖な南カリフォルニアの楽園のような都市。アメリカの大都市では屈指の治安の良さです。
この街のタクシー運転手は白人ばっかりだった印象が今でも鮮明。
Kenは、ここ カリフォルニア大学サンディエゴ校 (UCSD) で准教になっていました。
豚の臓器を使ったトレーニングモデルで Post-graduate(卒後)セミナーを数多く主催し、ドイツ仕込みの外科治療技術を積極的に普及しました。
2005年の全米学会は、Kenが育った街 シカゴで開催。
学会の正規プログラムの合間に自社メーカーの展示ブースでレクチャーをしてくれました。
さらに実技ハンズオンもブースで披露。
ともに40代も半ば。お互い 貫禄がついてきました。笑
Kenは、2010年を迎えるころにはサンフランシスコの大手メディカルセンターの教授になりました。
初めて会ってから20年。片や教授、片や部長。互いにもうすっかりオッサンです。でも Kenの長髪は昔と変わらない。
その後、私はメーカーを辞め、外資系コンサルに転進。
2014年3月、カリフォルニアの UC Davisに留学した長男KENTAROのもとへ家族で旅行しました。
ついでに近くのサンフランシスコも観光。
このとき、家族みんなで Kenと食事しました。
KENTAROはKenと実質初対面。Kenはかつて生まれたてを膝に乗せたKENTAROが、身長185cmの茶髪に成長した姿にびっくり!
それからさらに10年。
今月初めに東京で開催の学会に来日するから会おうと、Kenから連絡がありました。
去年10年ぶりに参加した学会に今年は行かないつもりでしたが、Kenが来るなら絶対行きます。
来日中、多忙を極めたKenとは、お茶しかできなかったけど、コーヒー3杯、たっぷり2時間、旧交を深めました。
Kenは、今もシカゴで療養生活を送る90代の日本人のお母さんについて今回初めて話してくれました。どうも相当に厳格な良家(華族)の出で、1950年代に留学したいと単身 シカゴに飛び、そこで Kenのドイツ人のお父さんと巡り合ったそうです。日本には親が決めた結婚相手がいたそうですが、お母さんはそのままシカゴでドイツ人と結婚。以来、両親と絶縁し、Kenは母方の日本の親族には会ったことも聞いたこともないんだとか。
でも Kenの言うお母さんの旧姓「東京の〇〇〇家」というとても珍しい姓をググってみると、その華族の家系が英語のサイトでも出てきました。今さら親族を探したりなどする気はないが、この家系図がオレの確かな日本のルーツなんだ、と…。
知り合ったときは 20代だった我々もなんとお互い 60代になってしまいました。思えば、メーカー社員と医師は、業者と取引先の関係。つまり Kenは私にとって「お客さま」です。それが30年以上経っても、仕事を離れ、あらゆる利害を離れて、交友が続いている不思議。
Kenほど長くはないけれど、5年前の出張で再会したアメリカのRH教授もやはり完全に仕事を超えた友人です。
ビジネスマンをやって40年。選んで決めたわけではないけれど、結果的に身を置いた医療業界はある種、究極の B2Bです。不特定多数の顔の見えない消費者を相手にするB2Cビジネスとは対照的に、顧客の名前も属性もあるときはその出自まで互いに共有し合うのがB2B。
ゆえに、顧客たる医師のキャリアのステップアップと同時並行で、自身のビジネスキャリアもアップグレードしていく面白さみたいなものをこの歳になって振り返ると実感します。
だからというわけではないと思うけど、KENTAROを含む我が子3人が、ITインフラというB2B業界に入ったことに何となく共感とちょっとおかしな安堵みたいなものを感じている今日このごろです。(おわり)