N0.331 国鉄特急車両との最後の別れ | D菩薩の仕事いろいろ趣味いろいろ

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昨日 6月15日、またひとつ、昭和の鉄道車両が引退しました。1982年のデビューから42年間、特急「やくも」として岡山~出雲市を走り続けた381系です。

(2023年1月8日 伯備線・方谷)

 

この引退で、国鉄特急車両の歴史にも終止符が打たれました。これをもって、日本を走る特急列車は全て1987年のJR発足後に生まれた車両に置き換わることになります。

 

 

この日はテレビのニュースでも話題になりました。

 

 

昭和世代には馴染みの深いこの車体の色はクリーム4号と赤2号と呼ばれ、1958年にデビューした「こだま」以来、全国の特急に使われました。この66年も続いた伝統的な色分けも今回の381系を最後に姿を消します。

 

 

私が中1で撮り鉄を始めたころ、国鉄特急といえばこの色でした。

(1974年5月 大阪駅)

 

 

1975年3月9日、新幹線の博多開業で大量に廃止になる九州特急の最終日。大阪駅のホームは別れを惜しむ撮り鉄たちで溢れかえりました。

 

 

京都や大阪から九州各地へ特急がほぼ1日かけて走っていた時代。飛行機がまだ贅沢品だったのかなぁ?

 

 

同じころ、上信越・東北方面へ大量の特急列車が上野から発車していました。

(1976年1月3日 上野駅)

 

 

「踊り子」の前身・特急「あまぎ」も、クリームと赤の塗分け。

(1976年1月2日 東京駅)

 

 

北海道から九州まで全国を駆け巡ったディーゼル特急も。

(1977年5月3日 播但線・長谷-生野)

 

 

1960年に「はつかり」で上野~青森でデビューした初のディーゼル特急は、東北本線の電化後、関西へ配転。

(1978年5月28日 紀勢本線・伊勢柏崎)

 

 

高3の夏、八ヶ岳の合宿に向かうとき乗った普通列車を追い越す特急「あさま」。

(1979年7月26日 信越本線・上田)

 

 

1958年に「こだま」でデビューした元祖クリームと赤の181系が上野~新潟の「とき」で引退する直前の姿です。

(1980年3月27日 上野駅)

 

 

最近の車両はステンレスむき出しの無機質なデザインが主流だけど、伝統的な昭和の国鉄特急色は暖かい気品で写真にも良く"映え"ました。

(1981年11月3日 山陰本線・餘部橋梁)

 

昔は「あずさ」もこうだった。現行形式より3世代も先輩になります。

(1986年5月10日 新宿駅)

 

 

昭和の末期、名古屋駅に並ぶ「しなの」と「ひだ」。

(1988年5月14日)

 

 

平成になっても、伝統の特急色は各地で残っていました。

(2005年12月5日 総武本線・飯岡-倉橋)

 

 

新幹線がまだ長野止まりだったころ、北陸本線の主力だった特急「雷鳥」。

(2011年1月2日 北陸本線・今庄-南今庄)

 

写真の2ヶ月後にこの「雷鳥」から撤退したあと、唯一残った国鉄型特急が、伯備線の「やくも」でした。

 

その「やくも」が 2024年に新型車両に置き換えられて、この世から国鉄型特急が消滅すると発表されたのが 2022年の春。

 

それから足かけ2年の間に伯備線を計5回訪問して、最後の姿を追ってきました。ときにはレンタカーの機動力で撮れ高を稼いだり、あるときは青春18でコスパと旅気分を味わったり、60を過ぎた自身の撮り鉄ライフの集大成のような気持ちも多分にあったようです。

 

 

60過ぎて、こんな一眼レフ機材を担いで歩き回るのはもうそろそろ無理です。笑

このとき向かって右の超望遠の縦位置カメラで撮ったのが…

 

 

…この写真です。

(2022年7月31日 伯備線・根雨-黒板)

 

 

山岳路線の伯備線はほとんど単線です。夜を徹して東京からやってきた寝台特急「サンライズ出雲」(左) と行き違い。

(2022年7月31日 江尾)

 

 

(2024年1月3日 生山)

 

 

秋は高梁川の渓谷美。

(2022年11月26日 方谷-備中川面)

 

 

冬は雪を冠した大山とコラボ。

(2024年1月2日 伯耆大山-岸本)

 

 

引退まで1ヶ月を切った381系「やくも」が爽やかな新緑を疾走。

(2024年5月25日 井倉-方谷)

 

 

この日は未明の天空の備中松山城が雲海に浮かぶ姿を撮影のあと、まだ霧がかすかに残る早朝を行く「やくも」をゲット。

(2022年11月27日 方谷-備中川面)

 

 

2時間後に岡山から折り返してきた出雲市行きを別アングルで。

(2022年11月27日 方谷-備中川面)

 

 

この2年で、ここ方谷駅へはよく足を運びました。

 

 

 

伯備線の中央部は渓谷美が人気ですが、終点の鳥取県米子に近い平野部には名峰・大山がそびえます。

 

 

ここも撮り鉄の定番スポットです。

(2024年1月2日 伯耆大山-岸本)

 

 

「山と鉄道」をテーマにする私にまたひとつ”名作”が生まれました。(← 自分で言うか!)

(2024年1月2日 伯耆大山-岸本)

 

 

私にとって最後の「やくも」を追った今回は、同じ場所で許可を得てドローンを飛ばしました。

(2024年5月24日 伯耆大山-岸本)

 

 

岡山から折返しの出雲市行きは、かつてSL三重連で人気が過熱した布原信号場でドローン撮影。

(2024年5月24日 布原)

 

 

新緑の山里は模型ジオラマのようです。

(2024年5月24日 布原)

 

 

せっかくの絶滅危惧種も毎回あんまりたくさん撮り過ぎると、お腹いっぱい気味になり、ちょっと遊んでみたくなります。

 

 

この地域に特徴的な石州瓦をバックに貴重な「やくも」をスローシャッターで流してみたり…

(2022年7月31日 上石見-生山)

 

 

一部分をどアップで迫ってみたり…

(2022年7月31日 上石見-生山)

 

 

今回引退する381系は、かつて名古屋発着の特急「しなの」で長野方面に運行し、高校、大学時代の山の行き帰りによく使ったものです。それが「やくも」としてあと21日で運転終了するのを前に最後にもう一度乗っておきたくなりました。

 

そこで旅行最終日の5月25日、レンタカーを新見駅前のパーキングに預け、隣りの備中高梁まで国鉄色の「やくも8号」に一駅、27分乗車します。

 

 

ちょっとレトロな車内では、乗車から下車までの30分間、GoPro録画を回しっ放し。

とても貴重な記録になりました。

 

 

6月15日以降、特急「やくも」を全面切り替えする新型車両は273系。4月6日から一部の「やくも」で先行導入されました。

 

 

岡山から出雲まで、沿線は「新型やくも」で賑わいの様子。

 

 

これは新見駅の特設コーナー。

 

 

ホームのゴミ箱まで「新型やくも」仕様。笑

なかなか良き良き。

 

 

「新型やくも」のデザインは、金属むき出しでない落着きとちょっと和風で良い感じ。スサノヲ、オホクニヌシ、ヤマタノオロチ、etc. 日本有数のパワースポットに相応しい雰囲気だと思います。

(2024年5月25日 布原-備中神代)

 

 

一方、残りわずかの381系の引退告知も沿線のそこここに。

 

 

米子駅のコンコースには、引退ビラと残り日数のカウントダウン告知。

 

 

新見駅には、15往復中5往復の「国鉄型やくも」の時刻表ポスター。

 

 

ちなみに今回引退する381系には、JR化後のオリジナル色のデザインもあります。これは「ゆったりやくも」。

(2024年5月24日 方谷-備中川面)

 

 

こっちは「緑やくも」。う~ん、個人的に微妙なデザイン。

(2024年5月24日 方谷-備中川面)

 

 

やっぱりやっぱ、381系「やくも」といえば、国鉄伝統のこれでしょ!

(2024年5月24日 井倉-方谷)

 

 

昭和のオールドタイマーにとって、昨日引退した381系に代わる魅力的な被写体はもうないし、一眼レフにレンズに三脚にPCに、GoProにドローンに各種バッテリーにと、とてもじゃないが、じじいが一人で担いで歩ける撮影機材ではなくなってきてるし、線路立入りや私有地荒らしなど最近メディアで批判される異常なほど非常識な撮り鉄たちといっしょにされたくはないし…。

 

これを機会に本格的な卒業モードを模索しようと思えるほど、ある意味やり切った感を持てるラスト2年間の国鉄型やくもの追跡だったようです。

 

いつまでも続けられない趣味の棚卸しも重要な年頃になったのだと思います。(おわり)