調べれば分かることなんだが、マスコミや西側諸国が伝える事の無いウクライナ建国以降2014までの大まかな歴史的な流れ・出来事
ソ連崩壊後のウクライナ国内の30年間の歴史を知ロシアが動かざるを得なかったかがよく分かる。
ツイッターにちょこちょこと呟いてもまともな反応が返ってこないのは分かっていたんで、ブログにエントリーしようと長々と書いていたんだがあまりにも冗長になったんで箇条書きに変更。
それでもロシアや西側諸国の動き、反政府側(新政府側)の細かい動きを書くと冗長になるし面倒くさいので相当に簡略化。
ウクライナ国から一方的に発信され西側各国で尾ひれをつけて拡散されている情報を信じ切り、その一方的な情報に洗脳されている輩への警告も含めている。
当方は保守派ではあるが今回の件に関しては他の保守派と違いウクライナに対して怒りを覚えているほど。開戦当初から中立な立場で建国以降の歴史や出来事、戦況を見てきたが、真実を報道しない西側には憤慨している。
そして、一方的な情報を信じ切りファシズムに蔓延されたウクライナを支持する我が国の大多数の保守派は売国左翼と同等で地に落ちたと感じている。
最早、形だけの民主主義。
更なる詳細を知りたければ各自で真実のみをググるべし。
当ブログエントリーの拡散はご自由に。
1991 ソビエト連邦(ソ連)から独立し「ウクライナ」として建国。中立国を宣言するも承認した国は少数(ロシアは承認)だったが事実上の国是となる。
欧州では貧国だったためロシアの支援を多大に受ける。
この間、CISからの脱退やEUとの貿易、NATOとの軍事提携はあったが中立国及び親露派政権だったためロシアからは特別な圧力も無く、民主化資本主義化に向かい出す。
転換点その1
200411以降 オレンジ革命
同年同月の大統領選挙で親露派のヤヌコービチが当選したのだが親EU派のユシチェンコ側が「選挙に不正があった」と訴えた事で欧米が介入。再選挙を行なった結果、ユシチェンコが当選することに。
ここからロシアのウクライナに対する警戒感が強くなる。
2010 大統領選挙で親露派ヤヌコービチが当選。
親露派に回帰しようとするも…
転換点その2
2014 今回のウクライナ・ロシア紛争の発端となった激動の年。
20140218 ここが全ての始まり。
ウクライナ政府と反政府デモの国民が衝突。米国が反政府側の支持を表明。この衝突により親ロシア派(親露派)のヤヌコービチ大統領が失脚しロシアへ亡命。事実上の無政府状態となる。これ以降、反政府側による親露派への嫌がらせ、暴力的攻撃などが頻発するようになり同族の親露派ウクライナ人でさえ「迫害」され、以降の親露派は東部や南部へ追いやられることとなる。
20140223 ウクライナ紛争(ウクライナ内戦)の始まり
クリミア自治国(クリミア)内で反政府派国民(事実上の過激派)が集結し大統領代行による新政権(新政権派または親欧米派)を支持する集会を開く。親露派の多いクリミア国民はこれに反発。無政府状態であるウクライナの保護下から脱し独自政権の樹立を目指すこととなる。
20140306 クリミアは議会においてウクライナからの離脱を宣言。「ウクライナに留まるかロシアへ編入するか」の可否を国民投票へ委ねることとなる。
20140316 投票の結果、ロシア編入が圧倒的多数となりウクライナ離脱ロシア編入が決定的となる。
20140318 ロシアがクリミアの併合を締結
この国民投票と併合締結の結果に対し西側諸国が反発。確かに投票準備期間の短さはあったがクリミア国民自身が民主主義的な解決方法を取っており、またウクライナが無政府状態であり新政権派(過激派)の暴力的デモが発生していたため、ウクライナ人、ロシア人を含むクリミア国民の生命財産を守るという観点からもロシアの介入を受け入れざるを得ない状況でであったが、むしろ、クリミア国民はロシアの介入を歓迎し、介入以降は暴力的デモがほぼ皆無となった。
私感1…
ウクライナは中立国であると同時に元CIS加盟国であり、ヤヌコービチ政権まではロシアとも密接な繋がりがあり、他、ウクライナ国内の問題であることから西側諸国には到底対処しきれず、内戦を収めるには元ソ連だったロシアしか動けなかったというのが実状。
私感2…
西側諸国が投票結果に不満を漏らしているが、そう言うのであればウクライナの無政府状態解消後に所定の手続きを踏み、ロシア・ウクライナと共に選挙監視団を置くなどして再投票を行なえば良かっただけのこと。選挙には介入したのに、この問題には介入しなかった。
201403 クリミア併合後に東部にあるドンバス地方のドネツク州とルガンスク州において、クリミア併合に反対する新政権派と親露派の激しい衝突が発生。クリミアと同様な嫌がらせ、暴力的攻撃、略奪放火が発生。新政権派には両州以外から過激派が加わっており、数に劣る親露派は武装蜂起するしかなく新政権派に対抗。その後は過激派との衝突からウクライナ軍との衝突へと変わった。
(政府主導での国民虐殺と捉えられても致し方ない)
ゼレンスキー政権の20191209にドイツとフランスの仲介により一応の停戦とはなったが、政府側国民による親露派への迫害は継続され両州は独立を考慮せざるを得ない状況まで追い込まれることとなる。これが202202のロシア侵攻まで続く。
なお、この紛争(内戦)で、ウクライナ側は「ロシアから武器供与、派兵などの介入があった」と訴えたが、201704に国際司法裁判所はその訴えを退けた。
20140525 ウクライナ大統領選挙。クリミア併合反対を唱えたポロシェンコが当選
20140607 ポロシェンコが正式に大統領へ就任し無政府状態が解消される。
ここから欧米の介入と懐柔が顕著になり、それに伴いロシアの警戒感が強まりEU・NATOへの加盟問題に対し敏感になる。
親欧米政権の誕生でウクライナ国内の反露過激派が増長し、親露派国民への迫害や武力攻撃が激しさを増すもウクライナ政府は抜本的な対策を取らずこれを半ば放置、上述した201403の状態となり、この状態が、ゼレンスキー政権まで継続される。
そのゼレンスキーも欧米に懐柔されNATO加盟を匂わせロシアを煽り、停戦合意したはずのドンバス地方の混乱(迫害)さえも放置し続ければ、業を煮やしたロシアが「ウクライナ国内の親露派国民を保護する」という大義をもってウクライナへ侵攻するのも当然のこと。
そもそもの発端がウクライナ国民が開始したウクライナ内戦であるにも関わらず、そうした事実さえ念頭に無く、ただただ「ロシア憎し、プーチン憎し、侵略反対、戦争反対」を唱え脊髄反射している輩が如何に多いことか…
日頃から「日本のマスゴミは嘘を書くから嫌いだ」「CNNやBBCも嫌いだ」と言っておきながら、何故か戦時の外信となると途端に信じてしまう輩が多いのは何故なんだ?
主権国家でありながらバチカンに対して調停の懇願をするなんて停戦交渉に応じているロシアに対して無礼も甚だしい。こんな国家としての体を成してないウクライナに対してロシアが怒って当然。
そして、我が国の国民は日頃から「民主主義国家だから」と言いながらウクライナ側の主張(演説)しか聞かないのは何故なんだ?
ウクライナ30年の歴史を調べ振り返れば今回の侵攻の理由の答えは出ているのに、それさえ確認しようともしない。
何度も書くが親露派の中にはロシア人だけでなく親露派ウクライナ人や他の人種が居ることを念頭に置かなければならない。
そして、ウクライナ(ゼレンスキー)は女性さえ徴兵出来るように急遽法改正し、徴兵事務所での登録をさせている事実も知っておくべき。
志願ならまだしも徴兵。例え帰る国土を取り戻せて、種となる男が生き残っても畑となる女が居なければ今後の子孫繁栄をどうするんだよ。
されてろ
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これら記述した歴史的事実さえ念頭に置かず「絶対にロシアが悪い、プーチンが悪い」と言うのであれば最早何も言えん。
ずっと洗脳されてろ。