ちょっと新社会人生活に疑問を感じはじめてしまった人たちへ
製造業では工場・研究開発機能を海外に移転するケースが増えてきているし、金融機関でも日本人の顧客とのリレーションシップを密に築く必要がない業務に関しては、香港やシンガポールにアウトソーシングして人件費削減を進めている。いわゆる最近流行りの「オフショアリング」というやつだ。
こうした厳しい景気状況を反映してか、大学を卒業したものの就職できず、契約やアルバイトの仕事をしながら、ネットカフェでその日暮らしを続ける人もいれば、モラトリアム期間を延長するために大学院へ進学をする人たちもいる。
だけど就職活動戦線という恐ろしい戦場に赴き、弾丸のように飛んでくる面接官の質問をほふく前進をしながらきり抜けてきた若者たちは、なんとか4月から社会人になることができたはずだ。入社式には前日に学生最後の日を満喫するとばかりに、親しい友人と朝まで飲み明かし、そのまま出社した人もいるかもしれないし、大学の入学式に参加する時と同じように、社会人になることを夢見すぎるあまりに布団のなかで妙に興奮して眠れなかった人もいるかもしれない。
でもきっとこの2週間で色々な夢や希望が失われてボロボロになっているはずだ。厳しい受験戦争を潜り抜けて晴れて大学1年生になったときは、新入生を歓迎する先輩たちに温かく迎えられ、男は多くの女性に囲まれて訳もわからず新入生歓迎コンパに連れて行かれ、お金と童貞を失ったかもしれないし、女はホストのような先輩からの手厚い待遇を受けて、ついついお酒がすすみ過ぎ、朝を迎えたら隣に知らない男性が寝ていたなんてことがあったかもしれない。
だけど社会人生活の1年目なんて、たいていはろくなもんじゃないから、数日経つとどんなにフレッシュでガッツがある若者でもだんだんと静かになって表情がなくなってくる。入社前はとってもエライ人が笑顔で高級レストランに招待してくれて、最後に『これはタクシー代だよ。キミは将来のスターなんだから事故にあわないように気をつけて帰ってくれたまえ。』なんて握手を交わしたのがウソのように、同じ人から『おまえマジで使えねーな。やる気ないなら頼むからやめてくれよ。』なんて怒鳴られたり、電話の受話器を投げつけられたりするかもしれない。
世の中の現実なんてそんなもんで、深夜にコンビニ弁当をほおばりながら、「やめたい」なんてポツリとつぶやいていることだろう。そもそも企業は最小のコストで利益を生み出すことを目標に掲げているわけだから、新卒の1年目なんていうのは、研修費用も掛かるわ、システム代も掛かるわ、給料もドブに捨てるようなもんだわで価値はゼロどころかマイナスなのだ。
また会社というコミュニュティに組みこまれてしまうことも1年目の社会人生活を残酷なものにさせている原因だ。人類はチンパンジーほどではないけれど、緩やかな階層社会で生活している。階層社会では、弱い者を叩いて自分の能力を誇示したり、能力の高い者を仲間に引き入れて権力ゲームの材料にするインセンティブがはたらく。
チンパンジーも人間と同じく高度に社会的な動物で、ボスはライバルたちとの力関係と、群れのサルたちの暗黙の支持の下、かろうじてその地位を保っている。だましあったり、党派を組んでボスに対抗したり、ボスの地位を脅かす挑戦者に立ち向かう際に自分の支持者を集めるような権謀術数を繰り広げている。チンパンジー社会では階層順位を図る信頼できる指標がある。それはオスの場合、一連の速くて短い、あえぐような「オフォ・オフォ」という「パントグラント」と呼ばれる音声を発して、優位のオスに対し見上げるように「あいさつ」をすることだ。メスの場合は優位のオスに対して性器を差し出し(プレゼンティングと呼ばれる)、それをオスはにおいを嗅いだり、検査を行なう。
競争の激しい社会ほど厳しい階層構造を形成するのもので、外資系投資銀行の序列はなかなかのものだ。階層構造の仕組みを十分に理解している頭のいい上司は、社員の技能があがっていない間は罵声とプレッシャーを与えて、いかに自分が優れているかということを誇示すると同時に、周りの社員に対して反逆させないように見せつける。でも何年か経過して高い技能を身につけ、解雇されることなく競争に生き残った戦士には、それまでとは考えられないような手厚い待遇をする。
チンパンジー社会もなかなか熾烈な権力闘争が繰り広げられている。アルファオス(ボス猿)はいつもメス猿や食べ物を独占できるけれど、あぐらをかいていると人間社会よりも厳しい制裁が待ち受けている。人間社会では権力闘争に負けたとしても地位から失脚する程度だろうけれど、チンパンジー社会では命を落とすことだってある。だからライバルになりそうな若くて勇猛なオスに対して早い段階で餌を分け与えたり、アルファオスでさえ相手に毛づくろいなどのサービスを提供するのだ。
さて学生生活という争いごとのない草食動物で溢れた世界から、社会人生活というサファリパークのような世界に足を踏み入れてしまった人はこれからどのように行動すればいいのだろう。たぶん学生のときは高い目標をもってやりたい仕事をバリバリとこなす自分を夢見ていたのだろうけれど、それはひとまず胸の奥にしまいこんで、1日、1日を無事消化していくことを考えた方がいい。1年目で大切なことは将来有望な先輩をいち早く見つけて、思考やプロセスを学ぶことだ。そんな社員の見つけ方はいたって単純だ。優秀な社員というのは誰がみても仕事ができるから、どんなに嫌な奴でも周りに人が集まっている。上司は笑顔で話しかけるし、女性社員からはモテるし、タバコ部屋にいけば円の中心にいて火をつけてもらっている。まあちょっとおおげさかもしれないけれど、会社では「能力と結果」という基準がすべてなので、人が集まっていて、態度の少々デカイ奴が有能な社員だと思って間違いない。
どんなに怒鳴られようが、殴られようが必死にくらいついていけば、あとは時間が経てば仕事なんて勝手にできるようになっている。最近の若者は空気を読まないし、上から目線で「いえ、ぼくは(私)はこう思います(キリッ」なんていうもんだからぶち壊しになってしまうんだけど、とにかく修行僧のように念仏を唱えながら乗りきれば、そこそこの道が用意されているはずだ。
さらに社内で先輩や上司と積極的に関わることは大切なことだ。こういったご時勢だから、1つの会社で一生を終えるなんて幸福な人生を送れることはまずないだろう。優秀な社員であれば、どんな不況だろうが、企業が「ヘッドカウントがない」とかのたまっていようが、転職することができてしまうものだ。転職市場というのは、一般的には能力や実力が重視されると思われているけれど、学生の就職活動よりもずっとコネやしがらみの世界だ。同じ業界であれば、ちょっと友人に電話してその人の働きぶりをチェックするのは簡単だし、同じ業界の知り合いを引っ張ってくるなんてことも日常茶飯事だ。
ぼくのある友人はとっても頭がよくて、大きな会社のヘッドになるまで出世したけれど、ちょっと社内で敵を多く作りすぎてしまったからたぶん将来も転職するのは難しいだろう。だから新社会人にアドバイスしておくと、世の中は自己啓発だとか、能力改造とかうたっているけれど、能力形成なんていうのは一定レベル以上あげる必要なんてなくて、あとはどれだけ人間関係を築いて信頼を構築してきたかが物を言うわけだ。ロールプレイングゲームでレベルをマックスまで上げてラスボスと戦い、余裕勝ちする快感を味わいたいのはわかるけれど、現実世界ではパーティの信頼を蓄積して、背中を刺されないように警戒したり(ゲームにそんな機能はないけど)、どんどんレベルをあげているパーティの戦術を学んだりすることの方が重要なのだ。
たぶん今は先輩や上司と関わるなんてクソくらえで、やってられない気持ちで一杯だろうけれど、残念ながら一匹狼でやっていけるほど会社は単純にできていない。とびきり優秀で、輝かしい結果を会社にもたらせた人でさえも上司と争い続ければ解雇されるなんてことは、不合理なことかもしれないけれど現実に起こりえる。企業の目標をないがしろにして「世界1位になる理由はあるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」なんて悪態をつくのもご法度だ。そう会社ってめんどくさいものなのだ。
参考文献
「権力」を握る人の法則
あなたも不合理な世界の恩恵を受けている1人かもしれない リベラル日誌
影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか