書評『奴隷のしつけ方』
奴隷のしつけ方
最近、世界中で経済活動の減速が明らかになり、各国中銀は打開策に追われている。日本ではついにマイナス金利政策が導入されたけれど、市場のボラティリティ上昇に寄与しただけで、経済に好影響かどうかは、まったくわからない。リーマンショック後から、金融機関は、厳しい規制に疲弊している。必要以上の規制は、経済活動を鈍らせるが、まさに最近の欧州市場の混乱は、欧州の金融機関が、新しい規制の枠組みの中で、収益を上げられるか、投資家が疑問を持ったことが大きな要因だ。
グローバル金融機関は、もはや収益を昔のように伸ばすことは不可能だと知って、人員削減などのコストを下げることに注力している。数年前とコストの下げ方が異なるのは、一部の業務をシンガポールや香港といったアジアの拠点に移すことではなくて、その拠点でビジネスを行うにあたり、どれくらいのコストが掛かるのかといった根本に立ち返った分析が始まっている。例えば日本では、日本の顧客は、グローバルの視点で見ると、実に要求過剰だと思われている。1円でも相違があれば、すぐに訂正を求められるし、書類によっては、それぞれの顧客独自の規定のフォーマットがあり、規定にそうように書類の提出を要求されるのだ。仮にそうした要望に応えられなければ、取引停止なんてことは当たり前のように起こりえる。つまり一つ一つの取引を実行するにあたり、それだけコストが掛かるということを意味しているわけだ。規制を準拠するための所定のコストがうなぎ登りで上がるなかで、日本の顧客の厳しい要求に応えるのが難しくなってきている企業は少なくないだろう。ではどうして日本の企業は要求水準が高いのだろう。これは、日本の制度体系に由来していて、日本は年功序列制度を採用し、解雇規制も厳しいから、雇用を守るために、社内の業務を一定以上効率化を行うことはできないのだ。そのために、一見無駄に見える作業に対して、人員が割り当てられ、失業率が低位で推移しているわけだけど、外国資本が日本でビジネスを行う障壁になりえるだろう。
だけど、経済活動が縮小し、コスト意識がはっきりしてくれば、日本でも効率化に対する考え方が変わってくるに違いない。経営層は、労働者の扱い方を意識することになるだろうし、圧力をかけることもあるかもしれない。
本書は、「奴隷のしつけ方」という衝撃的なタイトルになっているが、原題は、「How to manage your slaves」であり、ローマ時代の奴隷を貴族がどのように管理していたかということがテーマになっている。内容は、あくまでもローマ時代の奴隷制度下において、奴隷の扱い方を書いたものであるが、本書における奴隷に対する主人の正しい接し方が、あまりにも経営者と労働者の在り方に似ていて、なんとも悲しいものがあり、スマップの事件があってから売上が伸びているようだ。
奴隷の購入の仕方からはじまり、扱い方、そして罰し方など当時の様子も含めて、細かく書かれている。奴隷を買うときは、若い奴に限り、働かせるときは、目標を持たせて成果報酬を採用した方が作業が効率的に進むのだそうだ。そして奴隷を罰するときは、感情の赴くままに罰してはならず、自分の「資産」として捉えて、公正に扱わないとならないとある。奴隷が年老いたら、子供の面倒を見るような軽い仕事にしてやって面倒をみてやるのがよいのだそうだ。
本書は、作者がローマ時代の貴族に生まれた架空の人物である「マルクス・シドニウス・ファルクス」を語り手として説明しているが、現代の労働市場における環境を考えると、なんとも言えない。大企業にいけば一生安泰といったものが過去になった現代において、転職も昔とは比べものにならないくらいに一般的になってきている。転職市場でも若い人材が有利なのは、もちろん変わらないし、年齢があがってくると、いままで正社員であったひとが、契約社員や派遣社員採用になることだって普通に存在する。社畜なんて言葉が横行して、会社に身を捧げている様が揶揄されているけれど、賃金をもらってあくせく会社のために働いて、上司と部下といった権力ゲームに参加していると、本書の中で紹介されている奴隷に対して気持ちが入りこんでしまう。
資本主義の枠組みが壊れてきているとはいえ、ぼくらはお金を稼がないと生きていけない。資本主義の世界が限界にきてしまっていることは、多くの人が薄々気づき始めている。若い世代まで年金が支払われるかどうかは不透明だし、自分の勤める企業が何十年後も存在するかどうかもわからない。この間まで経営者としてえばりちらしていた人も、いまは一従業員として、上司に頭をこづかれながら働いているかもしれない。本書にもあるが、ローマ時代は戦いの歴史の真っただ中であり、戦争にやぶれ、捕虜となったものが、自由人から奴隷として扱われることも当然のようにあったのだ。
もちろん奴隷制度は憎むべき制度であり、不道徳極まりないものであるけれど、本書はそのようなことに配慮しながらも、丁寧に当時の様子を読み解いていく。思いがけず驚かせられることも少なくない。複雑になった現代の社会組織を意識しながら読んでいくと、色々と学べることも多いかもしれない。ぼくらの生きる時代は、想像以上に残酷なのだから。