小説そのうちでます-渓流


『渓流』

いつごろからだろうか。川の流れとその音に魅了された。

したこともない渓流釣りやテンカラ釣りをさも詳しい態度をつくり、ノートに書き込んだ。

小学校の夏の課題であった。

それから、奥入瀬などの修学旅行の時は見聞きしたイメージをもって実際の渓流をたどった。瀬、平瀬、ザラ瀬、トロ場、淵、落ち込み、アワなどの専門用語をいちいち確かめたものである。それから数年後、初めて渓流釣りをしたのであった。川の感触。流れや冷たさ、そして音ににおい。すべてが彼の五感を満足させた。


時に荒れ狂い、時に枯渇する渓流の劇的な変貌。なんともいえぬ、自然界の摩訶不思議。

それでも彼は懲りずに水に入る。

夏だからこそ、気分がいい。そればかりか、まるで自分が魚にでもなった気がしてならない。


毎日釣竿と毛ばりをみては、今年もいけないなと悔しがった。飲めない発泡酒をのどに流し込み子供達と戯れた。


小説そのうちでます-高い位置


『高台からの眺め』


彼はプロという言葉が嫌いである。仕事、趣味なんでもそうであるが、携わる者全てを集約したなんとも不便な意味合いがそこに含蓄されるからである。

極みという言葉がある。それでもその先を目指そうという、もう一つ高い位置に向かわせるのである。


プロといえばそうした奥行きを失わせた感じがしてならない。完結。いや、そうではない。完結などありえないはずである。死んでもなお、その作品や手がけてきた者の意思とは別に無限に形を変えていくのであるから、終わりはないのである。


丁度自然界の景色のようなものである。地球が作り上げた、生命の美は形を成形して更に成長し続ける。地球ですらプロなるものを言い当ててはいないのである。


便利だからこそ使う。男は逆に言い訳がましい形態語としてしか理解していない。

堂々と言ってのける者は完結者として自負しているとでもいうのか?

その世界に明るいという意味で使っていて、その世界では誰にも負けたくないあるいは、責任ある展開を繰り広げていくという意思表示として使っているのであろう。便利だから使えば良い。


男はそれでも決して使わない。匠でよいではないかと思うだけである。

今日も暑い。夕日が早く落ちてくる。間違いなく秋が来る。高台にはツクツクホウシが鳴いていた。


小説そのうちでます-かぶとむし


『カブトムシ』

ようやく見つけた。会社の帰り道。

道路に無惨にも轢かれて潰されたものがあった。カブトムシかクワガタのそれである。いくつもあることから、蜜の吸える木から落ちてやられたのであろうと容易に推測できた。

案の定、クヌギの木が一本伸びていた。かなりの良樹で幹も太い。

車や人が来ないかよくよく確かめて、片足の裏を力強くぶつけてみた。

ブルースリー張りの蹴りが幹に振動を起こし広がる枝を揺さぶった。

一匹の黒いものがすぐに落とされて、落とされながらも羽音を立てつつ男の肩をかすめて飛んだ。

やはりと思い後を追いかけた。

十歩ほど追いかけるとそれは低空飛行から着地の態勢を作り羽を織り込んでしまった。

カブトムシである。

角が反り返って上を向き、頑丈でトゲが立つ足を延ばし地面に浮いている。

驚いたのか、興奮しているのかべっとりと平らにいるのではなく、浮き上がっているようである。背中の光沢は紛れもなく夏の日差しで磨かれた輝きを持っていた。



男はすぐにその体を掴んだ。

掌に刺さる爪やトゲが、忘れていた彼の持方を思い出させた。鞄から空き箱を取り出し押し込んだ。



ちょっとだけ、我が家まで拉致させてもらう。かわいそうだが、ご馳走すると勝手な言い分を持ち出して、家路を急いだ。



帰ると、家では昨日逃がしたコクワガタがまた舞い戻ってきたようで、子供達が興奮して教えてくれた。その目の耀きの前に、別のお客を差し出した。

おおきい、見たことのないおおきさ。



図鑑やテレビでしかまだ見たことのない子供等は、歓喜の声をあげていた。



そしてすぐに、蜂蜜と砂糖でこしらえたジュースをティッシュに含ませ2匹を置いた。



カブトムシは何も言わず舌をだした。器用に吸うその素振りを男も子供も見守った。下の子は自分のベロをだして真似をする。上の子は鼻の上に腕を持ってきて手を電話のジェスチャーのように作っている。角をこしらえたというのであろう。

男は彼の背中をつついてみた。もはや無意味である。自然界にはありえない豪華料理に舌鼓をうっているからである。



子供達もカブトムシも夢中だ。



男はその下で埋もれるようにご相伴に預かるコクワガタをみて笑った。



1時間もすると、子供達と一緒にそれらを逃がしてあげた。

夏の夜はこうして過ぎていくのである。



小説そのうちでます-影


『影』

昨日、とある番組を見ていた。食事をしながら。

建築家の卵としてその専門の学校が紹介されていた。何でも公共生活空間をテーマにした模型作製のコンテストをしていたようである。


そしていつの間にか話はとある建築家に移っていった。

コンテストであこがれていた生徒が一位になったご褒美にその人に会わせてあげるというのである。そして昔から好きでその人がきっかけで建築家を目指すというもう一人の生徒も一緒に行った。


興味本位で見ていた男は、その建築家の話し振りに自然と箸が止まったのである。

その人の名は手塚貴晴。


なんとも前向きな人である。自分がその場所にいることをラッキーと思わなければ・・・そうした言葉をかける彼の目は学生のように耀いていた。

様々な建築を手がける彼は世界でも認められるほど独創的な空間を作る。

建築であるのに壁の窮屈さを取り去った感がある。時に屋根の上で時間を過ごし、時に風通しのよいアミューズメントで楽しむ。どれもが、空を仰ぐことのすばらしさと、空に映る世界の羨望をテーマにしているような気がした。


建築家と小説家は似ている。男は直感でそう感じた。

作ったものの中で生活する。それは、空間を楽しむということと、その中で生きていくということである。

文章は生活の中に隠れる独特の空間を頭の中に今一度復元させ、その中で一時的に過ごすということである。

時間の経過の差こそあれ、当事者を喜ばせ驚かせることには違いがない。


男は、自分が到達していないでいる今の位置とその先を行く建築家の差を縮めたいと思った。到底適わないにしても、謙虚にそう思った。


もう一人の自分がそこにいる。理想とする若さが、パワーが、そこに見出せた気がしたのである。影を映し出して・・・


小説そのうちでます-ひまわり


『ひまわり』

理由は分からないがここには多くのひまわりが作られている。咲いているとしないのは、見ての通り何かを意図したように均等に並んで植えられているからである。普通のひまわりよりも、小ぶりな顔つきである。


別のブログで文章を視点を変えて書いてみる試みをしたことがある。

三通りの書き方で主体をどこに置くかということである。


たとえば、このひまわりを例にとって言うならば、


「私はひまわりを見に行く。前に通ったその道で、行列を作っていたひまわりのことを思い出したからだ。皆同じ背丈で、同じ顔をして、しかも同じ方向を向いているのが面白かった。今日はゆっくり眺めようと思い、とにかくその場所を目指して歩いた。汗をぬぐうのすら忘れて。」

という自分がしてきたように書いてみる。

そして次である。


「君はひまわりを見に行ったね。いつも通っていた道に、綺麗に並べられたひまわりを、今度はそのためだけに行たんですね。どんな風に映ったでしょうか?大きかったですか?鮮やかでしたか?個性的でしたか?ゆっくりとした時間を過ごしたことでしょう。今日は暑いと言っていた君は、いつも以上にシャツの背中をぬらしていたことでしょう。」

手紙のような書きかた。もう少し叙情的にして、体言で止めれば詞になるところです。


最後はこうである。

「彼はひまわりを見に行った。通いなれた道を行くと決まって目に入ってくるひまわり。いつもは気に留めていなかったそれを、今日は急に見たくなったのである。朝礼を聞く生徒のようにきちんと整列したそれが、注目して同じ方向に頭を上げるその恰好が、なんとも面白いと感じていた。蝉時雨の中をひたすら進む。はやる気持ちは汗を余計に吹きださせた。」

第三者的にとらえたものである。


いかがだろうか。書くという楽しさを同じ伝えたいと思うだけではなく、様々な視点で考えてみる趣向。


男は今日も筆をとっていた。


小説そのうちでます-EROHON


『エロ本』


この場合は得ろ本ということになるだろうか。

男である彼は、紛れもなくスケベェである。

小学生の頃は、秘密基地と称して、その掘っ立て小屋の中で同じ年頃の仲間達とこぞって、そうした本を眺めていた。

その中に閉ざされた大人の世界を、あろう事か小さな興味と危険な刺激だけのために覗いていた。

何をどうしていたのかははっきりとは覚えていない。

ただ、裸体がやたらに綺麗に映し出されていた事と、自分たちにはない不可解な部位に大きな墨がかかれていた点だけが思い出に残っていた。


また、よく野原を歩くと、草むらの中にそうした本が無造作に投げ捨てられている場面に出くわす。

大概、雨でしわくちゃになったり、破れていたりといった具合である。

おそらく、先客がまだ健全であった体裁の時に、失敬して眺めた後、満足して再び放置したのであろう。だからか、そうした物に遭遇する時は決まって見開いた状態であるのだ。

開いた部分が一体どんなシーンなのかは、流石にえぐいので説明は出来ない。ただいえるのは、あの時の思い出が甦ってくるということである。


男はとにかく好きである。大好きである。

願わくは、否、許されるなら、一日中そうした中で戯れていたいとさえ思う。飽きもせず肉林の渦の中を彷徨い、探険家としての異名を持ち得たいとさえ思う。


ただ、それだけではない。彼は男である。それゆえにそうした部分もあるだけで、それだけでしかないのではない。ALLではなくSOMETIMESである。

飽きないのは元気な大人であの頃の刺激が忘れられないからである。


ゆっくりと歩く男の前にまた、よからぬ本が落ちていた。

だが、今日はほとんど見向きもせず、ちらりと視線を下に落としただけで素通りしてしまった。


夏を過ごす、自分の今を進む。彼なりの思考が風景の一部として電車や車で移動するがごとく足取りを速めさせたのである。

楽しみは、今は物語りの中にあるといわんばかりの目をしていた。


小説そのうちでます-とまと


『未完熟トマト』

男のどうしようもない悪い癖がある。

自信がなくなると、過去に戻ってしまうのだ。

急に仲間の声が聞きたくなったり、自分の携わったものを読み漁ったりと動き回る。


ダンスをしていた頃の後輩にまで連絡を取ったことさえある。名目は懐かしくって、今どうしているか知りたいという。

本音は、弱った自分をさらけ出して助けてもらおうというのか?それとも、自分よりもうまく行っていないことを期待し安心する、あるいは自分と同じように苦しんでいることで同情を求める。どちらも当てはまらない。元来意地悪なたちではないので、そうした悪意のある行動はとらない。


男にとっては単純なこと。今の自分を見たくないのである。他の人の生きている姿だけを見ていたいのである。知らない人はその歴史を追うのが面倒である。知っていても、一般的な有名人などは現実味がない。先輩や同僚はといえば、やたらとこっちが気をまわさなければならない。それでは疲れてしまう。

そこで、もっとも害のない後輩に行くというのである。なんとも頼りのない行動ではあるまいか。


後輩はその後姿をみて、先輩であれば既に完熟しているだろうという思いを持っている。しかし、みれば痛々しい、または、弱り果てた姿をしる。かつての栄光はどこへやらである。愚痴ることもなくただ、言葉の端々に現れてしまう呟きを後輩は読み取ってしまうのである。そして、そんな男の思いを打ち消すように、自分がどれほどがんばっているか語り出すのである。


男は満足がいくと連絡を切って、自分と向かい合った。常に耀いていたいと思っていた過去の自分は、毎年で良いから何か実になるものを落とし続けたいという風に変わっていった。

真っ赤になる前のトマトはまだ食べられない。食べてもうまくはない。自分は食べられるものではない。ならば、次の実を育ててくれる種を残そうと。


不器用でもいいからこの種は変わったものを見せてくれそうだぞと思えるような、そんな期待を抱かせるような。



いよいよ、新作がスタートしそうである。男の心を駆り立てる何かが沸々と湧き上がり、作品をこしらえるだけの理由を十分に用意した。もう始まっているのである。


小説そのうちでます-怪我


『脳神経外科』


脳外科で有名な医師がいる。

千葉ではあるいは全国でもその名をとどろかせている。

福島先生。

神の手といわれる手術の達人にどれほど多くの人が命を救われたであろう。


男は昨年大きな事故にあった。八月四日である。

脳に損傷を負う事故は自分のせいではあるが、周りの者も含めその時は生きた心地がしなかったものである。

幸い外科的な処置だけで命も後遺症もなく退院した。


福島先生は外科でも腫瘍摘出に長けた名医である。

その彼がテレビの中でいった。

「だから、失敗は許されない。(手術は)一度しかない」

強調して伝えていた言葉はその先生ゆえに説得力が自然に付加されている。 重々しくもあり、緊張する一言であった。


人生は一度きりしかない。

だが人生を送る生活はいつでも変えられる。

必然であっても、選択であっても何度でも変えられる。


命は一度きりしかない。

だが、その命を無残にも奪う者たちがいる。

幼子や他人、自分。

名医がどんなに腕をふるい、寝る間も惜しんで、あるいは技術を身につけるための訓練や、自分の分身になるであろう弟子を育成をしてもこれでは、ただただむなしいだけである。


確かに、彼らのために患者がいるわけではない。彼らを生かすために命があるわけでもない。


しかし、生きたいという命がある限り、どうかその生を、一度きりしかない命を現世につなぎとめて欲しいという願いがある限り彼らはがんばるのである。

それを使命として自らを過酷な世界に置いたといえる。


男は自分の命をつなぎとめてくれた家族の絆と医師の力に対して感謝を決して忘れることはない。


一度きりという安易には使えなくなった言葉を、今度は文字に託して一生を通して綴っていこうと思った次第である。


まもなく一周記。自業自得を戒めるための記念日がやってくる。


小説そのうちでます-公園


『とある公園』


小説家とは人々の心を文章の力で震わせる仕事につくものだと思う。

物語りはその一文一文によって読むものに情景を想い描かせ、出てくる人物の描写や台詞などで情に訴えたりあるいは同調させたりと。


だからプロットはその作品で取り上げられるモチーフが要となる。

ありきたりであってもいい。もしかしたら読者達が見落としている何かがそこに隠れているかもしれないからだ。

普段では気づかないものが、それを拾い上げくれる筆者の視覚で綴られてく。


たとえば、魚のうまいところは腹の周りという概念を覆す他の部位のうまさ。

漁師しか知らない、あるいは魚をさばく人しか知らない部位を一般のものが見たとする。

なんとか紹介出来まいかと思案し、写真や映像を駆使して世に出す。するとたちま有名になる。ウマイと認め発見した筆者が紹介したからに他ならない。


小説もその中でドラマティックに紹介していくことで書く側の意図が誠実かつ的確に読み手に伝えられるというわけである。


昔男は自転車で旅行をした。とても長い旅であるが、リュックに簡易鍋やコンロ、ちょっとした調味料と修理工具、そして着替えを詰め込んだだけである。それ以外は郵便局のカードと小銭しか持ち合わせていない。


深夜2時頃、東京は下町風情を残す葛飾のとある橋の袂からペダルをこぎ出した。

行き先は定かではない。アバウトに西を目指す。ただそれだけである。

いきあたりばったりの、ほとんど頼りない考えで車輪は回された。

空が開けてくる午前4時ごろには南西の下町で男の知る町並みとは大分違う辺りを通り過ぎた。

なんとも油くさい場所である。金属の削られたようなものが、多く地面に見えた。信号で立ち止まるとそうした物が埃に混じって側溝に溜まっているのが見えた。


注意深く見ると先のとがったその一部がタイヤにこびりついている。

しばらく進むと、案の定ガタガタと何かを拾う感触がハンドルから腕に伝わった。タイヤが小さな段差や小石に過敏に反応する。パンクである。

まだ一日も始まっていない時間に男は戸惑うばかりである。


水がある場所を探し公園に来た。リュックから取り出すパンク用の工具はよく使われているようで、大分汚れている。男は慣れた様子でタイヤのチューブを抜き取り自転車につけられた小型の空気入れを外し膨らませた。


何匹も何匹も蚊がやってきて男の肉質のよい頬や筋の際立ったふくらはぎに止まり勝手な朝食を取っていた。


まもなく完了という頃には既に朝日が公園の桜の葉の隙間から差し込んでいた。

気がつかなかったが、男が修理していた公園には多数のホームレスが木陰やツツジの木の中に隠れるように住んでいた。


自分が陣取ってしまっていた、水道のところに当たり前のような顔つきでコップを片手にやってきたのである。


男はすみませんと頭を下げてその場から少しどいた。車輪をつけるまではこの場からは離れることは出来ない。

成るべく彼等を見ないようにしようと不思議に思った。それが彼等に対する礼かと勝手に思ったからである。それでも気になる彼はタイヤを固定する際に力を入れている振りをして少し遠目を見る態度をつくり彼等を垣間見た。


器用に小さなコップで米を研いでいる者や水の場にあるコンクリートの足場のザラつきを利用して包丁を研いでいる者を見た。


賢くもありまた、それが彼等に科せられた生き抜く知恵でもあるとその時は思った。

そして男は自分と彼等を比較した。これからの旅で何が待つか分からない。出発する時は興奮していて分からなかったことも、いざ冷静に考えれば怖いことだらけである。そんな自分と彼等とを隔てるものはなんであろうか。彼等は怖さを忘れるように日々を過ごし冷静さを押し殺して世捨て人になった。だが、彼等の顔は苦悶もなければ恥じらいもない。かえって堂々としている。この公共の場を当然のごとく占拠し、水を使うだけ使う。

だが、その姿に侮辱や軽蔑めいた目では男は見なかった。理由や事情は様々だろう。ただそれだけであり、たくましく見えたのである。


公園を少し見渡して、男はよしとペダルを踏んだ。出発した頃とは違った心持である。


それから夜になって男はあえて公園を探した。名古屋の都会の喧騒の中に浮きだった公園である。誰も現れる気配のないそこで眠る。

初めての野宿。眠いから眠る。ただそれだけの行為を平然とやってのけた自分が意外であった。平らなベンチが背中の疲労を刺激する。それでもかまわずじっとしていた。車のクラクションやバイクのけたたましいマフラー音がする中で深い眠りについた。


その思い出が彼をまた成長させた。

野宿はだから今でもやめられない。





小説そのうちでます-虹


『虹』


虹がどうしてアーチを作っているのかを問われれば、

素直に地球の外円と太陽の外円が共鳴しているからと答えよう。


虹がどうしてこのような色合いを見せているのかと問うならば

すかさずそれを見ているものの願望をあらわしていると言おう。

見るものの感覚だ。

赤は欲、挑戦を促す

橙は穏和、人間との深い関わりを求める

黄は楽しみ、開放的になり次の生の瞬間を期待しようと思う

緑は静、充足した気分を作るために目を閉じる

青は鎮静、緊張感を解く

藍は神秘、スピリチュアルなより深い探求心

紫は直感、ひらめきは感受性が優れいているからで独創を広げる


虹がどうして切れ切れの長さになっているのかの問いには

人間の視野の狭さがそう映させてしまっていると言い切ろう。


虹がどうして現れるのかと言われたならば

生命のはかなさを称えてくれているからと答えを用意しよう。



男は数年ぶりに見た虹をいつまでもいつまでも眺め、前に進んだ。

途中で消えてしまってはいまいか後ろを振り返った。

何度も振り返る男の顔はすがすがしいほど良い表情を作っていた。