『とある公園』
小説家とは人々の心を文章の力で震わせる仕事につくものだと思う。
物語りはその一文一文によって読むものに情景を想い描かせ、出てくる人物の描写や台詞などで情に訴えたりあるいは同調させたりと。
だからプロットはその作品で取り上げられるモチーフが要となる。
ありきたりであってもいい。もしかしたら読者達が見落としている何かがそこに隠れているかもしれないからだ。
普段では気づかないものが、それを拾い上げくれる筆者の視覚で綴られてく。
たとえば、魚のうまいところは腹の周りという概念を覆す他の部位のうまさ。
漁師しか知らない、あるいは魚をさばく人しか知らない部位を一般のものが見たとする。
なんとか紹介出来まいかと思案し、写真や映像を駆使して世に出す。するとたちま有名になる。ウマイと認め発見した筆者が紹介したからに他ならない。
小説もその中でドラマティックに紹介していくことで書く側の意図が誠実かつ的確に読み手に伝えられるというわけである。
昔男は自転車で旅行をした。とても長い旅であるが、リュックに簡易鍋やコンロ、ちょっとした調味料と修理工具、そして着替えを詰め込んだだけである。それ以外は郵便局のカードと小銭しか持ち合わせていない。
深夜2時頃、東京は下町風情を残す葛飾のとある橋の袂からペダルをこぎ出した。
行き先は定かではない。アバウトに西を目指す。ただそれだけである。
いきあたりばったりの、ほとんど頼りない考えで車輪は回された。
空が開けてくる午前4時ごろには南西の下町で男の知る町並みとは大分違う辺りを通り過ぎた。
なんとも油くさい場所である。金属の削られたようなものが、多く地面に見えた。信号で立ち止まるとそうした物が埃に混じって側溝に溜まっているのが見えた。
注意深く見ると先のとがったその一部がタイヤにこびりついている。
しばらく進むと、案の定ガタガタと何かを拾う感触がハンドルから腕に伝わった。タイヤが小さな段差や小石に過敏に反応する。パンクである。
まだ一日も始まっていない時間に男は戸惑うばかりである。
水がある場所を探し公園に来た。リュックから取り出すパンク用の工具はよく使われているようで、大分汚れている。男は慣れた様子でタイヤのチューブを抜き取り自転車につけられた小型の空気入れを外し膨らませた。
何匹も何匹も蚊がやってきて男の肉質のよい頬や筋の際立ったふくらはぎに止まり勝手な朝食を取っていた。
まもなく完了という頃には既に朝日が公園の桜の葉の隙間から差し込んでいた。
気がつかなかったが、男が修理していた公園には多数のホームレスが木陰やツツジの木の中に隠れるように住んでいた。
自分が陣取ってしまっていた、水道のところに当たり前のような顔つきでコップを片手にやってきたのである。
男はすみませんと頭を下げてその場から少しどいた。車輪をつけるまではこの場からは離れることは出来ない。
成るべく彼等を見ないようにしようと不思議に思った。それが彼等に対する礼かと勝手に思ったからである。それでも気になる彼はタイヤを固定する際に力を入れている振りをして少し遠目を見る態度をつくり彼等を垣間見た。
器用に小さなコップで米を研いでいる者や水の場にあるコンクリートの足場のザラつきを利用して包丁を研いでいる者を見た。
賢くもありまた、それが彼等に科せられた生き抜く知恵でもあるとその時は思った。
そして男は自分と彼等を比較した。これからの旅で何が待つか分からない。出発する時は興奮していて分からなかったことも、いざ冷静に考えれば怖いことだらけである。そんな自分と彼等とを隔てるものはなんであろうか。彼等は怖さを忘れるように日々を過ごし冷静さを押し殺して世捨て人になった。だが、彼等の顔は苦悶もなければ恥じらいもない。かえって堂々としている。この公共の場を当然のごとく占拠し、水を使うだけ使う。
だが、その姿に侮辱や軽蔑めいた目では男は見なかった。理由や事情は様々だろう。ただそれだけであり、たくましく見えたのである。
公園を少し見渡して、男はよしとペダルを踏んだ。出発した頃とは違った心持である。
それから夜になって男はあえて公園を探した。名古屋の都会の喧騒の中に浮きだった公園である。誰も現れる気配のないそこで眠る。
初めての野宿。眠いから眠る。ただそれだけの行為を平然とやってのけた自分が意外であった。平らなベンチが背中の疲労を刺激する。それでもかまわずじっとしていた。車のクラクションやバイクのけたたましいマフラー音がする中で深い眠りについた。
その思い出が彼をまた成長させた。
野宿はだから今でもやめられない。