『ひまわり』
理由は分からないがここには多くのひまわりが作られている。咲いているとしないのは、見ての通り何かを意図したように均等に並んで植えられているからである。普通のひまわりよりも、小ぶりな顔つきである。
別のブログで文章を視点を変えて書いてみる試みをしたことがある。
三通りの書き方で主体をどこに置くかということである。
たとえば、このひまわりを例にとって言うならば、
「私はひまわりを見に行く。前に通ったその道で、行列を作っていたひまわりのことを思い出したからだ。皆同じ背丈で、同じ顔をして、しかも同じ方向を向いているのが面白かった。今日はゆっくり眺めようと思い、とにかくその場所を目指して歩いた。汗をぬぐうのすら忘れて。」
という自分がしてきたように書いてみる。
そして次である。
「君はひまわりを見に行ったね。いつも通っていた道に、綺麗に並べられたひまわりを、今度はそのためだけに行たんですね。どんな風に映ったでしょうか?大きかったですか?鮮やかでしたか?個性的でしたか?ゆっくりとした時間を過ごしたことでしょう。今日は暑いと言っていた君は、いつも以上にシャツの背中をぬらしていたことでしょう。」
手紙のような書きかた。もう少し叙情的にして、体言で止めれば詞になるところです。
最後はこうである。
「彼はひまわりを見に行った。通いなれた道を行くと決まって目に入ってくるひまわり。いつもは気に留めていなかったそれを、今日は急に見たくなったのである。朝礼を聞く生徒のようにきちんと整列したそれが、注目して同じ方向に頭を上げるその恰好が、なんとも面白いと感じていた。蝉時雨の中をひたすら進む。はやる気持ちは汗を余計に吹きださせた。」
第三者的にとらえたものである。
いかがだろうか。書くという楽しさを同じ伝えたいと思うだけではなく、様々な視点で考えてみる趣向。
男は今日も筆をとっていた。
