道標を探して -6ページ目

道標を探して

 ただ、そこに進んでみたい道がある。
 仰いで見たい空がある。
 踏んでみたい土がある。
 嗅いで見たい風がある。
 会ってみたい、人がいる。

花は 花は 花は咲く

 いつこの話題を書こうかと悩んでいましたが、ようやく震災の真の復興が始まったように肌で感じるようになりましたので、これを書くことにしました

今まで、3月11日の震災は様々な被害をもたらせました。
食品、流通、身体衛生、精神衛生etc

 ニュースを見る限りでは、やっと日本は苦難の種から希望の・・・・・・これでは消えてしまいそうで恐いですね。まるで赤子が普通に歩けるようになったような、少々の不安も混じる中で、周りの誰もが応援したくなるような、ひたむきな生への決意が見えるようになってきたように感じます。

 あくまで赤子でたとえるならば、あの震災当初の、あるときのトランペットをふく少女は、「早く芽を出せ、がんばれ」と呼びかけていたのでしょう。思い返してそう考えるあたり、逆にあのトランペットの音色は、さながら赤子の産声のようなものだったのかも知れないとも考えています。

 赤子は立った。もうハイハイは許されない。そして、立つことに慣れたときが一番転ばぬようにすることに鈍感になる。

 今、日本の人々は復興に慣れはじめた。しかも転んでも、手は借りられない。私たちは今こそ、勇気を出し、しかも慎重にならなければならない。

 正直、政府は信用できない。先日も東電の虚偽申告がまた新たに発表された。

 赤子は、私たちは立ち上がるために手を借りられない。そして、自分で歩かなくてはならない。右足と左足を同時に出すことは出来ない。

 そんな立ち上がり初期のもどかしさを、私はニュースを見て感じた。そして、赤子のような爆発寸前のようなエネルギーを持った状態をを見て、国民の大半は震災当時を忘れ始めていることも直感した。

 だから今、私は私なりの方法で、「花は咲く」という歌を通して震災を思い出してもらいたい。また、それぞれの見方で今の日本を見てもらいたい。

 いつか、過去を原点にした復興や被災地といった文字が消え、発展、繁栄の未来を誰もが描けるようになるためにも


 














p.s
なんだか何が言いたいのかわからない文になってしまったような気もしますが、悪しからず


今日、春一番の強風が吹く中で、何を思ったのかサイクリングに出かけ、梅の花を見つけたのでついでに載せておきます


春は、どうやら花を咲かせてくれたようです



 国士舘大学の入学試験を終えてきました。

 まあ、ひと段落というか初陣をおさめたというか、そんなところでしょうか。

 所感としては結構楽だったように感じます。二科目受験で、出席は09:00、試験終了も13:00と、半日で終わってくれました。面白かったことと言えば、英語の最後の問題で

A「ねえ、俺ができることって何かな?」
B「あん? 手を組んで神にでも祈ってろよ」

 ってな感じのが出て、「なんだこれ俺のことかよ。ハハッ、ワロエンジョーク跳ばしてくれるぜ」って思ったことくらいですかね。



 今晩、テレビを見てたら体罰に関して様々な考え方を持たせてくれるような、いい特集を組んでる番組がありました。

 体罰は許されるのか、許されないのか。許される場合はどのような境界線を引けばいいのか等等。
 そこで目をひいたのが、江戸時代には体罰が無かった。少なくとも寺子屋や私塾で指導者が手を上げるようなことはなかったということです。ほんの数十年前には体罰なんていうのは当たり前だったのに、決してそれが日本の文化や伝統などと深くつながりを持っていなかったことに個人的には大きな衝撃を受けました。

 一人の年配のコメンテーターが番組内で「自分の高校の部活(柔道部)では、決して体罰は行われていなかったが、いい成績をちゃんと積み上げていた。おそらく体罰というのは戦争の養育の影響なのではないか」と言っていたのも、正直驚きでした。

 個人的にも、この人の主張には共感を覚えます。実際体罰がある部活と言うのは、言ってみれば自分のチームの中に明確な敵がいるのと同じような感覚があります。それに小学、中学、高校で受けた体罰は、教師に対して虐められているような、抵抗しようの無い恐怖感も大いにありました。

 まだ高校は卒業していませんが、今ではすでにそれが精神的トラウマなのでしょう、教師に対してはどれだけ大きな声で話せと言われても、気管からもれるようなシューシューとした発音でしか会話をすることはできません。

一人の親友はあるときこのようなことを言っていました。一字一句覚えています。彼女はこんなことを、真面目な口調で語っていました。
「体罰なんてものはな、結局指導者が自分の指導力が無いことを自白してるようなものなんだよ。教師は生徒を将棋の駒に育て上げるんじゃない。人間として育てなきゃいけないんだ」
 ・・・・・・まあ、口調が男らしいのは、彼女のアイデンティティですし、サバサバとしたところは結構好感が持てるんですが。

 ともかく、当時の僕にこの論はちょっと残酷にも感じました。指導力の無い教師は当然いる。いやむしろ指導力のある教師のほうが珍しいのだから、そんなことを言っては大半の教師が解雇されることになってしまう。有能な人間がみな教師なら、ひいては教育者なら、この国は寺子屋のなくなった明治時代以降の人間が世を動かすようになっても反映は続くはずだと。

 ならば、今後はどうするべきなのか?
 最近になってうすぼんやりと考えていたことがやっと発露したような気がします。

 指導力の向上を目指すなら、一度大衆教育の原点にたちかえってみてはどうなのでしょうか?
 寺子屋・私塾は何故体罰の必要が無かったのか? それでいて何故明治期の爆発的なまでの繁栄を支えられる人材が教育させられたのか?
 
 そこで固まった考えというのが、以下のことです。たかが高校生の愚論です。読んだらすぐ忘れていただいて結構です。

 指導力とは、もしかしなくても、指導者の思想や教育哲学が、どれだけ高次元なものに至っているのか? ということの代名詞のような存在なのではないか? そして江戸時代の指導者はその志を多くの人々の広めるため、指導力に関して日々熟考していたのではないか?

 そしてそれはきっと、世代が違い、思考力も決して十分ではない、感受性が豊かな生徒達に向かって、強制的に押し付けるような、時に彼らの心や体を殺してしまうようなことは絶対にはずだ。

 ならば、いまこそ今日の指導者は原点に立ち返り、どのような指導をするのが生徒の発展に最大限の貢献ができるのかということを内省していただきたいと、強く思う。



 僕もすでに、高校では落ちこぼれの烙印を押されました。飲酒・喫煙・酒の密造で停学を2度経験しています。すでに首の皮一枚です。
 そういった人間は、おそらく気付かないうちに多くの心を殺してきたことでしょう。人は「冷静沈着」と僕のことを評します。ちがうのです。僕は刺激を与えられても反応が出来なくなっただけなのです。教師という生物の一部に潜む悪魔が(おそらく)好き好んで僕をむさぼったことで、僕はこういう人間になってしまいました。


 だから、もう僕のような半分死んだような人間を作らないためにも、指導者の方々にはもう一度と言わず何度も何度も内省して生徒のことを考えてください。親友の言葉を借りますが、教室にいる子供達はあなた方の駒ではありません。一人の人間になろうとしている幼虫またはさなぎです。

 世間的に悪いことをしたからといって、事実だけを見ず、その背景をちゃんと理解してあげてください。死んだ目を持つ子供をこれ以上増やさないでください。



言いたいことは山ほど、それこそ一冊の本になりそうなほどありますが、そうすると伝えたいことが伝わらなくなり、ただの罵詈雑言の羅列になること請け合いですので、このあたりで切り上げることとします。ただ、わがままを言わせてもらって一言付け加えるなら



 いつだったか It それと呼ばれた子 という作品が一世を風靡しましたが、私から言わせれば、教師はいつだって学び舎の生徒達を It としてしか見ていません。一人一人に注意を払えとは言いませんが、せめて非常にもろい乾燥したスポンジのような存在が子供なのだということは、肝に銘じていただきたく存じます。

 長々を書き連ねて、時間を取らせてしまいました。申し訳ありませんでした。


 ふと、小学校のときの記憶を思い出した。
 僕の小学校にはオニグルミの大きな木(木に名前の札がついていた)が裏庭にある山に生えていて、僕を虐めるというか、からかう人間は決まってこのオニグルミの実か、その実が落ちてこない季節には石や銀杏や泥ダンゴといったものを投げつけられたという記憶を。

 当時の僕は(今でも十分にその素質を持っていると思うが)、非情に根の暗く、また変に大人びて色んなものを皮肉に感じたり、体育祭など何かの行事があれば、その裏にあるわけの分からない仕組みやありもしない陰謀に敏感になりすぎていた。

 当然、そんな子供が周りの同年代の子供に受け入れられないのはある種当たり前と言うもので、その日の昼休みもいつものように硬く、無数のオニグルミの実を投げつけられていた。果皮のついたオニグルミは梅の実のようだったが、時間がたってその果皮が取れたそれは、丸く荒削りしたような木材に似ていた。

 休みが終わってもその仕打ちにべそをかいて、そのくせ誰にも見られたくないという変な意地を張って、そのオニグルミの大木に寄り添うようにしてうずくまっていた。そんな自分の足元に、果皮の取れた、いつも投げられるオニグルミの実が落ちていた。
 べつに「この実さえなければ」などといった、木の実に責任を擦り付けるような心はもっていなかった。

 ただ、この実の中には一体何が入っているのかという興味が沸いてきていた。
 オニグルミというのだからクルミの仲間なのだろう。だが、給食に学校のクルミでつくったなんとかという料理は一度も見た事が無い。気になる、気になる、気になる・・・・・・。

 結局、どこからもってきたのか分からない、漬物石のようなアスファルトの欠片を振り上げ、叩き割ってみることにした。するとどうだろう、綺麗に割れたクルミの殻の中には自分の見た事のある、あのクルミが入っていたのだ。

 正直、初めて見たときは自分の眼を疑った。あんな茶色い丸い殻の中から、白くて形のいびつなクルミの実が出てきたのだ。当時小学生だった僕は、そんな小さなことからまだ見ぬ世界の大きさをまざまざと実感した。
 そして、またそのすぐあとに世界の広さにまた驚嘆する。

 その、割れた殻の中からのぞいている白いクルミの実を食べようと思って、小口じゃ分からない、全部丸ごと口に入れてしまえと、ためらいも無く殻からほじくり出した実を食べてしまったのだ。今思うと、なんだか幼少のルフィの感覚が分かるような気もする。

 結果からいうと、自分の知っているクルミよりも水分を多く含み、味気なく風味だけが強いその実をとてつもなくおいしいと感じてしまった。味付けも何もされていないクルミから、今まで足りなかった何かを一気に満たされたような気がしたのだ。
 そんな一連の体験をしている中で僕の虐めに対する憎悪や昼休みが終わっていることなどはきれいさっぱり忘れてしまって、結局帰りのホームルームが始まるチャイムに気付くまでずっとオニグルミを探して割って食べるという動作を続けていた。

その日以来、僕はオニグルミを当てられることだけに関しては全く痛みを感じなくなった。知ることによって、むしろこのいじめっ子たちは決して自分のような体験は出来ないのだと知って、無上の優越感さえ感じてしまったりもしていた。
またそれを機にして、これは何だこれは一体どういったものなのかというような、強い好奇心とさらに深い思索の奥地へといざなわれることになった。
 その結果として、今では自分の精神年齢がどこからどこまでになり、どんな種類の人間に分類されるのかさっぱりわからなくなってしまった。



 僕は、あの日が懐かしい。
 教師にはこっぴどく叱られらたが、あの時間のことを僕は決して忘れない。おそらくあれがきっと僕が僕になった瞬間だと、今になって思うから。








一言
最近自分でドリップしたコーヒー飲んでないなぁ


 相変わらず、いつもいつも自堕落で何も達成をしない日々を送っている。ただ、最近は小説を書こうとしているために色々と構成を練ったりしているから、少々は以前よりまともになったのかもしれないが。

 せめて思うのは、――僕が落伍者であることを踏まえて――昨日より今日を、1,01倍、人間らしく生きることが出来れば、それは少しずつ成長が出来ていることかもしれない。だからなんとかして何か身の回りの仕事を一つ、こなしてみようと思うのだが、これがなかなかうまくいかない。

 とりあえずセンター試験が近い。今日はいくらか勉強ができただろうか? 気休め程度でもいいから、どこかの大学に引っかかる程度には、学力を伸ばせているといいが。正直国語と英語はなんとかなっても、日本史がずるずると足を引きずっている今、本命大学には引っかかりそうにはない。
 確かに受験準備の初期には、一生懸命勉強しようと思うこともあった。あったが、もうそれは見る影もない。気力は停学で落ち、つい最近土の味を知ったと見える。そう、どん底だ。

 以前にも書いた気がするが、もう学校教育や学習と言ったものに魅力を感じなくなってきている。ついでをいえば、コミュニケーションにも、就職にも、人生にも。

 別に死にたいと言うわけではない。ただ、明日の可能性も見えず、かといって前に進まないことを許さない昨今は、正直生きる意味なんてものを考える気にはさせてくれない。楽しみなことなんていえば、なおさら。

 意欲が大してわかない。本当にどんな種類の意欲も浮かび上がってこない。これはついに人間としての存在さえ自分自身に否定されてしまったのかね。

 

 そんな意欲のない自分であっても、精神が機械化するのはとにかく避けたいようだ、ひたすらに誰かと話しているときはぎこちなく笑い、声にも抑揚をつけている。かといって、逃げられないものは多くあるわけで、それを嫌がる自分を無理やり縛り付けて、作業にあたらせている。
 どっちにしたいのやら。


 とにかく、今日は生きようとする欲求が極端に薄く、なんとも言いがたい種類の絶望に取り込まれた日だった。明日は、この無気力が治るのか悪化するのか。
 ……まあ、前者はありえないか。それでも何かの可能性を信じて、生きる場所の確保はしたい俺だ。なんとか無い力を振り絞って、学生の義務にあたってほしいものだ。





一言
信じられるものがある人間が、ここのところ酷くうらやましく見えて困る


 ついにセンター目前となってきた。

 勉強は、手につかない。何をしたらいいのか、何をすべきなのかは分かっていても、体がその動きに準じない。堕落さもここまで頑固なものになると、少しは見上げてやりたくもなる。

 正直、キャンパスライフや、黄金の青春期と言ったようなものに、あまり俺は心惹かれる性質ではないようだ。それもそのはず、期待の高校生活だったはずの3年間を見る影も無くいろんな意味で、色んな箇所の闇へ葬り去ってきた今、
「新しい生活が目前に迫ってきている!」
 なんていわれても、全然キラキラした期待はしませんし、出来ませんよね、普通。
 すごく旨そうな、大量の餌を目前にちらつかされて、食ってよしと言われて食べてみた。そしたら味気ないくせに、不味い部分はやたらと不味いものをたらふく食わされた。そして十二分にまで腹が膨らんでいるところに、また似たような餌を見せびらかされる。
 おそらく、誰でもこう思うんじゃないか?
「ふざけんな! そのふざけた皿を今すぐ俺の見えないところにぶちまけろ!」
 似たようなもんだ。俺は青春とかそういったものには、もう何のプラス的感情も抱けない。俺の生活と、俺の周りの環境がそうさせたんだ。

 それでもおかまいなしに、再び俺の前には大学4年間という、高校3年間よりも重くて大盛りな餌入り皿が置かれる。食わなきゃ追い出される。食うと決めた後のことは、誰にも分からない。ただ、この現実からは、決して逃げられない。

 つくづく、生きづらい世の中に生まれてきたもんだと、自分自身を哀れに思う。
 ご愁傷様、俺。





一言

今日は雪が積もった。千葉県では珍しい。
そこで思ったのは、どうやら自分は白く一面に積もった雪よりも、ちょっと泥をかぶって茶色くなった名残雪のほうが、好きだと言うことだ。