道標を探して -7ページ目

道標を探して

 ただ、そこに進んでみたい道がある。
 仰いで見たい空がある。
 踏んでみたい土がある。
 嗅いで見たい風がある。
 会ってみたい、人がいる。

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 塾の冬期講習、今日の9~12時で最終日の予定だったんだけど、何故かその扉の前でかれこれ二時間待ちぼうけ。忘れられたのかなぁ……

 聞こえるのは車のエンジンと人の足音だけ。ずいぶんと静かな騒がしさもあったもんだよ。着いた8時45分頃にはまだ傾いてた日差しも、今じゃあ昼のそれになってるし。

そういえばさっきすれ違った可愛いハニワ女子はどこ行ったのかな?

ていうか、月謝返ってくるのかな……、かなり家計がきつい中で出してもらった金なのに、

「今日はどうだった?」

なんて聞かれて

「凄くよかったよ」

 なんて答えるのは罪悪感が残るよなぁ、かといって本当の事は言うに堪えないし。



とりあえず、塾の室長がきたら話してみる、いやはなす必要がある。この長時間待機、価値が薄いとは考えたくない。







一言
 何がどうなると、幸せになるの? 何が本物で、何が偽物で、何がその中間なんだろう?

 今日も、学校があった。

 正直、あの高校は好きではない。ただ、停学になったあと、母親が残れとうるさく、そして、自分自身将来に不安が残ると思い、なんとなくあの場所に残っている。

 最近、本をまた読むようになった。いや、読めるようになったというほうが正しいのかもしれない。今までは現実の不遇さを嘆き、そればかりを考えていたから本を読む心の余裕など無かったのだ。

 今日は、死のうとは思わなかった。脳内の自分はまだぶつぶつと「死ね死ね」と連呼しているが、当分はこの声も聞かずにすむくらいには、心の強さを保っていられそうだ。





 センター試験まであと10日を切った。全く勉強をしていない、というよりも勉強に耐えられない自分の弱さには閉口する。

 今日は、自転車に乗っているときの冷やされた寒気が心地よかった。多少肺には辛いものがあったが、無視して風に強く当たり続けた。風の中にいるとき、脳内で大人びた子供のような笑い声があった。あの風は僕に何か言ったのだろうか?だとしたら何を?

 風の便り、という言葉は、これに関しては誤用かもしれないが、どちらかと言うといい印象を感じる。

 それにしても今日は妙に体が軽かった。明日は、どうだろうか。何かが起こるのであれば、隣人に幸あらんことを。どうも僕には幸せのとりまわし方というのがあまり分かっていないようだから。




一言
理由は分からないが、夏のいつかに、近くの高台で朝日を見ようとしたとき、空から綺麗なオレンジ色の輝きを放って落ちてくる人工衛星の光景を思い出した。たしかあのとき、僕は
「ああやって死ねたら、素敵だろうな」
 なんていうことを考えていたと思う。
 何か、明日に関連しているのだろうか。期待したいような、用心したいような。

また、ここでブログを書く事にしました。

理由は、少々現実がマンネリ化してきて、もう一度、自分の生活や、周囲の変化に敏感になってみようと思ったからです。

確かに生きている中で、むしろマンネリなほうが多いに決まっています。でも、僕はそれを是としたくは無い。

生きているなら、徒然とした日々の中から、道端を歩いていたらちいさな青空色の花を見つけられるようになりたいのです。

それは決して傲慢ではなく、生きているならば、誰しもが毎日を過ごす中でぼんやりと思うことの一つのはず。

僕はそれを受動的にではなく、能動的にやっていきたい。

たしかに、18年間生きてきた僕の人生はまだまだうすっぺらく、何かを語るのには到底及ばない。それでも、18年生きてきたなりに思うこと、辛いこと、面倒に感じることは山のようにあるのです。

 あるときは裏切られて停学になった。

 あるときは友達選びを間違った。

 あるときはやるべき事を忘れ、逃避に走った。

 あるときは・・・・・・

僕は、自信を持ちたい。自分にも何かができるんだという、何かを日常の泥の中から特別に光る砂金をとり出してみたい。

僕は非常に鈍感で、言われたことを覚えきれず、勉強だって中の下で、何かに長けていると言うことは何ひとつとしてない、そこらへんに転がってる高校3年生です。

ならば、何も出来ないならば、出来ないなりに転がって傷つくしかない。この先何も見出せずにいれば、僕は弱いからストレスに負けてすぐに首を吊って死ぬでしょう。

そうはなりたくない。生きる術が、他のみんなと同様に、僕にも欲しい。ホームレスでも野人でもなんでもいい。生きる術がほしい。

だから、まずは凍らせていたこのブログを再開して、何かを見つけるとっかかり装置その1にしようと思う。

頭の中では常に自分ではない自分が「能無しは死ね死ね」と連呼し続けています。それはいやだ、せめて転んだら立ちあがれるくらいの力を僕は手に入れる。そうしてどこかの人間社会へと滑り込む。

今はそれだけが目標。

大学受験は近いけど、それよりも大切な何かを僕はずっと前から見失い続けている。
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とある売春を嫌う男が、一人の売春婦にこう聞いた。
「あなたは愛する人としかセックスをしないのかい?」

女性は『この男はなんと馬鹿なことを訊いてくるのか』と辟易したものの、仏頂面で答えてやった。
「……ええ、そうよ」

そこで男は激怒して、彼女に唾を飛ばしそうな勢いで怒鳴りつけた。
「それは嘘だ! 君は金を目当てにして多くの見知らぬ男と毎晩とっかえひっかえ寝ているじゃないか! ふざけるな! 馬鹿にするな!」

当然の反論を受けつつも、彼女は冷静にこう反論した。
「あら? 言ってくれるわね。でもそれが何だって言うの? 私は確かに金目当てでセックスをして、そしてその晩にその男と分かれるわ。でもね、ベッドの上の私はどうしたらこの見知らぬ男と今までにないほどの快楽をお互いに得られるか、ずっと考え続けているの」

男は彼女の話がわからないようだった。
「それがなんだって言うんだ。結局君は商売ででも男と寝ているんじゃないか」

彼女は男を嘲って、つい鼻で笑ってしまった。
「だから、愛しているのよ、少なくともセックスをしている間は」

男は話にならないと思ってその場を早足に立ち去ってしまった。






  さて、あなたはこの話をどう考えますか?


 僕は、作家になりたい。
時折、そうやって叶うのかもわからない夢を人に語ったり、なんとなく想像してみたりしている。

 でも、正直「いっそのことこのまま消えてしまえれば」なんて思うことも当然少ないわけじゃない。いや、むしろ多いとさえ言えるのかもしれない。

 大学だって行かずにはいられないけど、このまま高校と同じような、つまらないテンプレの授業をするようなところなら行きたくない。

 その理由はいくつかある。一つは上に書いたとおり。つまらない、聴いても聞かなくても大して変わりのない子守唄のような授業をしている場所に行くくらいだったら、学費もかからず食事の負担もなくなるように願って死んだほうがましだ。
 二つ目は純粋に自分の未来に希望が持てないからいきたくない。わざわざ親に学費を払ってもらってまで、俺は可能性のない未来に生き続けられるほど神経は太く出来上がってはいない。

 かと言って、作家以外の仕事はしたくないし、できないと思う。毎晩父親は帰宅すると会社の愚痴を言っている。それを聞いていると「生殺しのまま動くだけ動かす。なんて社会は残忍で容赦のない存在なんだろう」と思ってしまう。結果幼少期からそんな親の話を聞いている俺は職業に関しては一つも期待を持つことはできていない。今後もそれだけは不可能だろう。

 でも、NEETになって穀潰しを、なんていうのは恥さらし以外の何者でもない。そんなことするくらいだったら野人になってやろうと思う。

 つまり、俺の今後には、俺の価値観が変わりでもしない限り、光明は決して見えない。

ただ、夜になって布団に入り、朝になって目を覚ますと「今日こそは何かあるんじゃないか」という非常に刹那的な期待をもって体を起こし、必死の思いで惰性で続いている日常生活に顔を向ける。

 そして、なかば習性的になっているような行動だけど、平日は「今日も学校か」と思いながらコンクリートの箱の中ですし詰めになって過ごし、「明日も学校か」と思って帰路につく。
 休日は受験生らしく勉強。少ないながらも空いた自由時間は大抵何をしようかと考えているあいだに終わる。



  「やってらんねーよ」なんて言葉も、発音こそしないものの、そんな言葉を吐き出したくなるときもある。



 だが、それを言うと何だか自分の人生には可能性がないことを認めながらも死んだ魚のような目をして生きていくことを決定されたような気がするから、基本的には考えないようにしているのだけれど。
 本当に生まれ変わりのようなことがあったとしても、やはり記憶として残るのは一回の人生しかないのだ。負けたくはないし、ましてや自分から可能性を投げ出すのはもってのほかだと思う。たとえそれが「もしかしたら」ほどの可能性であっても、最後の記憶がみじめなのは個人的にいただけない。

でも、こういうふうに考えているのは何も自分だけではないはずだと信じたい。

 決して強くなく、決して自分の見ている夢から離れることができず、明日の刹那的な希望にすがって生きて行くことしかできない。そんな弱い人間は俺だけじゃないと信じたい。

 いや、実際はそんな人間は存在してなくてもいいんだ。

 ただ、そう信じていることによって歩みを止めない一つの理由になればいいなって、そんなことの言い訳に使えればと思っているだけだから。

 そうだよな、「消えてしまえれば」なんて常套句、使えてる間はまだマジなのかもしれない。言えるだけ、まだやっていけるのかもしれない。本当に辛くなったらそんな事さえ言ってる余裕はなくなっちゃうだろうしな。

 なら、そんなことを言えてるあいだに神様からの運命のいたずらが来るように待ってますかね。









一言
文章に引力がないよなぁ