再起 | 道標を探して

道標を探して

 ただ、そこに進んでみたい道がある。
 仰いで見たい空がある。
 踏んでみたい土がある。
 嗅いで見たい風がある。
 会ってみたい、人がいる。


また、ここでブログを書く事にしました。

理由は、少々現実がマンネリ化してきて、もう一度、自分の生活や、周囲の変化に敏感になってみようと思ったからです。

確かに生きている中で、むしろマンネリなほうが多いに決まっています。でも、僕はそれを是としたくは無い。

生きているなら、徒然とした日々の中から、道端を歩いていたらちいさな青空色の花を見つけられるようになりたいのです。

それは決して傲慢ではなく、生きているならば、誰しもが毎日を過ごす中でぼんやりと思うことの一つのはず。

僕はそれを受動的にではなく、能動的にやっていきたい。

たしかに、18年間生きてきた僕の人生はまだまだうすっぺらく、何かを語るのには到底及ばない。それでも、18年生きてきたなりに思うこと、辛いこと、面倒に感じることは山のようにあるのです。

 あるときは裏切られて停学になった。

 あるときは友達選びを間違った。

 あるときはやるべき事を忘れ、逃避に走った。

 あるときは・・・・・・

僕は、自信を持ちたい。自分にも何かができるんだという、何かを日常の泥の中から特別に光る砂金をとり出してみたい。

僕は非常に鈍感で、言われたことを覚えきれず、勉強だって中の下で、何かに長けていると言うことは何ひとつとしてない、そこらへんに転がってる高校3年生です。

ならば、何も出来ないならば、出来ないなりに転がって傷つくしかない。この先何も見出せずにいれば、僕は弱いからストレスに負けてすぐに首を吊って死ぬでしょう。

そうはなりたくない。生きる術が、他のみんなと同様に、僕にも欲しい。ホームレスでも野人でもなんでもいい。生きる術がほしい。

だから、まずは凍らせていたこのブログを再開して、何かを見つけるとっかかり装置その1にしようと思う。

頭の中では常に自分ではない自分が「能無しは死ね死ね」と連呼し続けています。それはいやだ、せめて転んだら立ちあがれるくらいの力を僕は手に入れる。そうしてどこかの人間社会へと滑り込む。

今はそれだけが目標。

大学受験は近いけど、それよりも大切な何かを僕はずっと前から見失い続けている。
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