非常に遅ればせながら「花は咲く」 | 道標を探して

道標を探して

 ただ、そこに進んでみたい道がある。
 仰いで見たい空がある。
 踏んでみたい土がある。
 嗅いで見たい風がある。
 会ってみたい、人がいる。

花は 花は 花は咲く

 いつこの話題を書こうかと悩んでいましたが、ようやく震災の真の復興が始まったように肌で感じるようになりましたので、これを書くことにしました

今まで、3月11日の震災は様々な被害をもたらせました。
食品、流通、身体衛生、精神衛生etc

 ニュースを見る限りでは、やっと日本は苦難の種から希望の・・・・・・これでは消えてしまいそうで恐いですね。まるで赤子が普通に歩けるようになったような、少々の不安も混じる中で、周りの誰もが応援したくなるような、ひたむきな生への決意が見えるようになってきたように感じます。

 あくまで赤子でたとえるならば、あの震災当初の、あるときのトランペットをふく少女は、「早く芽を出せ、がんばれ」と呼びかけていたのでしょう。思い返してそう考えるあたり、逆にあのトランペットの音色は、さながら赤子の産声のようなものだったのかも知れないとも考えています。

 赤子は立った。もうハイハイは許されない。そして、立つことに慣れたときが一番転ばぬようにすることに鈍感になる。

 今、日本の人々は復興に慣れはじめた。しかも転んでも、手は借りられない。私たちは今こそ、勇気を出し、しかも慎重にならなければならない。

 正直、政府は信用できない。先日も東電の虚偽申告がまた新たに発表された。

 赤子は、私たちは立ち上がるために手を借りられない。そして、自分で歩かなくてはならない。右足と左足を同時に出すことは出来ない。

 そんな立ち上がり初期のもどかしさを、私はニュースを見て感じた。そして、赤子のような爆発寸前のようなエネルギーを持った状態をを見て、国民の大半は震災当時を忘れ始めていることも直感した。

 だから今、私は私なりの方法で、「花は咲く」という歌を通して震災を思い出してもらいたい。また、それぞれの見方で今の日本を見てもらいたい。

 いつか、過去を原点にした復興や被災地といった文字が消え、発展、繁栄の未来を誰もが描けるようになるためにも


 














p.s
なんだか何が言いたいのかわからない文になってしまったような気もしますが、悪しからず


今日、春一番の強風が吹く中で、何を思ったのかサイクリングに出かけ、梅の花を見つけたのでついでに載せておきます


春は、どうやら花を咲かせてくれたようです