今日もブログをお読みいただき
ありがとうございます
昨日は
「自分で選択することで人生が好転してきた」
についてお話ししました。
あなたも
行動したら人生変わった~!!
そんな出来事って
ありますよね?
私がどんな人生を選択したのか
ぜひ
こちらを読んでみてね
↓↓↓
彩月恵実 story4「自分で選択することで人生が好転してきた」
結婚
私の10代の夢が、
「23歳で結婚、30歳までに3人子どもを産む。」
これは自分でも
不思議なくらいに
「潜在意識」に落とし込んでいた。
まったく疑っていなかった。
私の念願は叶ったの
元夫とは
21歳の時に友達の企画した合コンで出会い
その時はお互いにお付き合いしている人がいて
話をして終わった。
その後、
合コンで付き合ったカップルの
結婚が決まり
お互い
結婚式の幹事で再会
それがきっかけで付き合い
半年後にプロポーズ
23歳の時に交際期間
1年で7歳年上の元夫と結婚
24歳長男
25歳長女を出産。
元夫は結婚してから仕事で
毎日午前様。
新婚でも
夕食を一緒にほとんど食べたことがない。
お腹の中に子供がいる時に
1度
「離婚をしたい」
そう伝えた。
「何のために結婚したんだろう」
とにかく寂しかった。
つわりがきつくて
働いていたが、ほとんど会社にけない状態
答えは
「いいよ!めぐみがそんなに離婚したいんだったら
離婚しようか」
驚きとともに
呆気にとられた。
でも、その時は
まだ、元夫のことが好きだったので
離婚をするのをやめたの。
私の中で
「この人のことが嫌になったら
考えよう。」
そう変わっていた。
その後
2人の子どもを育てるのに精一杯。
何度となく
「なぜ結婚したんだろう」と
また考えていた。
友達は楽しそうに遊んでいるのに・・
人と比べては落ち込む。
友達は
まだ結婚している人が少なくて、
育児のことを相談することができず、
私の先生は「育児本」だった。
ノイローゼなのかと思うくらい、
息子の体重や成長を気にして
市の育児相談に行っていたの。
元夫に相談しても
話にならない。
悩みがあっても聞いてくれるより
私が仕事のことを
相談されることの方が多かった。
そんな
家事や育児に奮闘する中で
補正下着の仕事をしていた時に
購入してくれた親友から
「一緒にもう一度お店に
行ってみよう」と
お誘いがあった。
お店に行くと
「私の夢」を書くことになり
書き出してみた。
今までの私なら
いくらでも夢を書けたのに
まったく夢が書けない自分がいた。
「私の中で、
結婚したら夢を持ってはいけない。」
そう決めている自分がいた。
驚きと
自分が自分じゃない気がして
愕然とした。
「もう一度、私も夢を持ちたい!」
「結婚しても、主婦でも
夢を持っていいんだ!」
そう気づいて
再度
下着の仕事をはじめた。
それから
長女が3歳のときに
衝撃的なことが起きた
父親が57歳
脳溢血で倒れた。
叔父から電話があり
病院にすぐに駆け付けた。
母と妹が泣いている姿を見て
「私は長女、
お姉ちゃんだから泣いちゃいけない」
そんな気持ちが出てきて
泣くことができなかった。
本当は一番悲しくて
悔しいはずなのに・・
父は手術をしたが
右半身にまひが残り
大好きだった仕事ができなくなり
言葉もうまく話せない状態になった。
脳の関係で
私のことも覚えていない時もあった。
あまりのショックで
私は、父が大好きだったので
依然と変わってしまった父の姿を受け入れるのに
3年の月日がかかった。
追い打ちをかけるように
今度は
3歳の娘にご飯をあげている時に
子どもの背の高い椅子から
落ちる事件が起きた
団地に住んでいて
床はコンクリート状態
その床に強打
耳から血が流れていた
慌てて救急車を呼び
息子を下の階のご夫婦に預けた。
入院をしたベッドの上の
娘の姿を見て
「どうか、命をお助け下さい。
私の命はどうでも良いです。
どうか、
娘の命だけは持って行かないでください」
そう祈りながら
山場を乗り越えていた。
幸い脳には異常がなかった。
だた、
高音が少し聞きずらくなるかも知れないと
医師から伝えられた。
病院から帰宅後
義父が突然訪問してきた
娘がケガをしたのは
「仕事のことを考えていたからじゃないのか!」
と怒鳴られた。
父が倒れてから
ショックのあまり仕事は出来なかった
正直、何も考えられず
ぼーっとしていたのが事実だった。
怒られて当然だし
とは思いながらも、見当違いのことを言われ
悔しさでいっぱいだった。
今度は
長男が保育園に行くと
担任のベテラン保育士さんから、
「○○くんみたいな子は今まで見たことがない」
そんなことを言われ、
私は相談先がなく困っていた。
そんな時に
義母から、息子に対して
「あの子は他の子と違うから
普通の小学校には行かせない方が
良いんじゃない。
恥かくわよ。」
そんなことを言われた。
私としては、
なぜそんなことを
義母に言われなきゃいけないんだろう
と思い悲しかった。
結婚してから
義母と義父の風当たりが強く、
いつも自分責めをするように。
守ってくれる人は誰もいない。
元夫は頼りにならない。
いつも、私が義父と義母の
問題解決をして
元夫には事後報告をするだけだった。
私さえ我慢すれば
子供たちを守れる
その事だけを常に考えていたの。
子どもたちの前で
過呼吸になったり
子どもたちが寝てから
一人でリビングで大泣きして
何とか自分を奮い立たせていた。
「私さえ我慢すれば、家庭は平和になる。
あの子たちをとにかく守らなきゃ。
私のこんなところがいけない。」
どんどん、自分を責めて
心がボロボロになるまで。
とことん落とし込むことでしか
自分を這い上がらせることができなかった。
這い上がることができるのは
とことん落とし込むことでしか
方法はないと
思っていたからだった。
こんな事を7年間していた。
こんなことをしていたら
ある時、
突然腰と足に激痛が走り動けなくなっていた。
何日も寝込むようになり、
ただただ、
自分を責める毎日が続き
病院に行っても原因がわからず
やっとの思いで
原因がわかり治療を始めた時に
「自分の人生をもう一度見直そう」
という
思いが出てきた。
冷めきっていた夫婦関係を
修復しようと話し合ったりしたが
元夫からは
「めぐみ頑張って」
この一言のみ
いくら
私が無理をして
仮面夫婦を続けていても
誰も幸せにならない。
この時から
離婚をしようと考え始めた。
この先
離婚をするのに
6年の月日がかかろうとは知らずに・・
続きは次回に・・
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ありがとうございました