こんにちは!笹だんごです。ご覧頂きありがとうございます。
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連載、「まめ太のお産」もやっと終盤を迎えようとしています
(と言いつつ全然終わらない💦)
私の文章能力のなさのせいなのか、体力と時間のなさが原因なのか…予想よりだいぶながーーい話になってしまっているにも関わらず、多くの方から呼んで頂いていて、本当に感謝しています✨
さて、本日はいつもの「まめ太のお産」のストーリーから少し外れ(え?本編早く進めろって??)、その時他の家族たちはどのように生活していたか…ということに触れてみようと思います。
今までの話はコチラ
入院中、一応毎日メールなり電話なりを実家にして、毎日のかつ男の様子を聞いたり、私や赤ちゃんの様子を両親に伝えたりしていました。(この頃まだ私も両親も、スマホではなかったので、勿論Lineもなかったので、奇麗な写真や動画を送ってもらったり見れなかったのが残念でなりませんが…
)
私「かつ男の様子どう?」
新潟母「それが、間違いなく寂しいはずなんだけど、全然泣かないのよ。毎日写真見てはコレはパパ、コレはママって言ってくるから、親と会いたいとは思うんだけどねぇ…。」
実家でかつ男がよくしている習慣があったそうなんですが…
リビングに飾ってある私たち親子三人の写真を持って、隣の仏間の隅に立ち
「パパ…ママ…」
と言っていたそうなんです。(でも泣いてはいなかった)
か…かつ男ぉお(涙)
コレを聞いた時は、本当に切なくなりました。
まだ当時2歳になったばかりのかつ男を、一人で祖父母の家に預けるのは本当に心配でした…。
でも幼い彼なりに寂しさ押し殺して、泣かないで頑張って必死に耐えているんだな…そう思うと、私も、体調が悪かったり、入院生活にストレスを感じたり、不安だったりしましたが、「あんなに小さな子が頑張っているのだから、しっかりしなければ…」と、励まされましたし、それは一人で頑張っているパパも同じだったと思います。
また、実家の両親や弟も、働きながら、特に両親は老体に鞭うって必死にかつ男を守ってくれ、目一杯愛情(と多すぎる栄養も…
)を注いでくれたので本当に心から感謝しています。
彼らの犠牲と助けがあった御陰で、かつ男も私たちも、
あの時を乗り越えることが出来たのは、間違いありません。
それは、パパ方の実家に対しても同じ気持ちです![]()
いやーっ、家族ってありがたいものですね
✨
今更ながらだけど、あの時かつ男はよく頑張ってくれた!!
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