一人に向けて書く
文章は、手紙だろうが、作文だろうが、コピーだろうが、
基本的にはただ一人に向けて書いてください。
言葉は、ただ一人に向けていう方が伝わります。
この人なら、こんなことを気にするだろう、
こう言えば、こう反応するだろう、
このことを言えばわかってくれるかもしれない、喜んでくれるかもしれない。
そう想像をめぐらして文章を書き進めるのがいいですよ。
すると、読み手は、あ、これは自分に向けられている、
と感じて読んでくれますから。
例えば、講演会を想像してください。
講演をする人と目が合ったという経験があると思いますが、
あれは誰か一人を見ていてその周囲や別のところにいる人が、
私を見た、僕を見た、と言っているのです。
でなければ、あれほど大勢の人が同時に「自分と目が合った」
と言うはずがありませんよね。
文章もこれと同じです。
特定の誰か一人に向けて語ったほうが、より多くの人に伝わります。
不思議な話なのですが、本当のことなんですよ。
それと、複数の人、または誰でもない人に向けて書くというのは、
実は非常に難しいんです。
一人に向けて言うほうがよほど簡単だ、ということに気づくでしょう。
なお、誰か一人といっても、
誰を想定していいかわからないということがあるかもしれません。
手紙なら、最初から決まっていますが、作文などはどうするか。
この話をぜひ読んでもらいたい、伝えたい、
と思う人を想定するといいですよ。
パッと思いつかなくても、意外とそういう人は想定しているものなんですよね。
試しに書いてみると、きっとわかると思います。
ミラーニューロンをご存知ですか。
ミラーニューロンとは、脳の前頭葉の少し奥にある神経細胞で、
1996年にイタリアのパルマ大学で発見され、
近年の脳研究では最大の発見と呼ばれていいるものらしいです。
どんな神経細胞かといえば、他人の動作を見たときに同じ部位が反応する
うんたらかんたら・・・要は、相手が転んで痛そうだったら、
自分も同じように「痛い」と感じることを可能にする神経のようです。
言い換えれば、霊長類が「共感」や「思いやり」を持っているのは
この神経細胞があるからで、模倣・真似・言語習得ができるのも、
この神経細胞のおかげだということでした。
逆に、この部分が上手く機能しないと、自閉症になってしまうとか。
まぁ、なんというか、社会生活を営む上で、とっても重要みたいです。
他人の痛みを知る優しさや愛、それから他人と分かり合えるチカラが
人は生まれながらにもっている証明とでもいえるかもしれませんね。
ただ、「海馬」や「進化しすぎた脳」などの本でも有名な
脳科学者の池谷裕二氏によれば、
もっと驚くべきことが最近わかったそうです。
じつは、このミラーニューロンを活性化させる薬物があって、
それを投与したところ、なんと、被験者全員が、
『幽体離脱を経験した』
とのこと。ひぇー。
どうやら、「自分と他人を区別することが不可能になり、むしろ自己が
極限まで客観化され他人になってしまう」のだとか。
宗教の儀式って、もしやミラーニューロンを活性化する目的で
行なわれていたのかも、なんて思ったりもしました。
だけど、今回、個人的にいちばん面白いと感じたのは、
「誰かを傷つけたとき、同時に自分も傷ついてしまう」
「誰かを喜ばせたとき、同時に自分も喜びにあふれる」
そんな「鏡の法則」が科学的に証明されているということでした。
それからもう一つ、次のような仮説も思い浮かびました。
「コミュニケーション能力を高めていくということはすなわち、
自己と他者との境界線をなくしていくことなのかもしれない」
脳科学の分野は、まだまだ目が離せませんね♪
1996年にイタリアのパルマ大学で発見され、
近年の脳研究では最大の発見と呼ばれていいるものらしいです。
どんな神経細胞かといえば、他人の動作を見たときに同じ部位が反応する
うんたらかんたら・・・要は、相手が転んで痛そうだったら、
自分も同じように「痛い」と感じることを可能にする神経のようです。
言い換えれば、霊長類が「共感」や「思いやり」を持っているのは
この神経細胞があるからで、模倣・真似・言語習得ができるのも、
この神経細胞のおかげだということでした。
逆に、この部分が上手く機能しないと、自閉症になってしまうとか。
まぁ、なんというか、社会生活を営む上で、とっても重要みたいです。
他人の痛みを知る優しさや愛、それから他人と分かり合えるチカラが
人は生まれながらにもっている証明とでもいえるかもしれませんね。
ただ、「海馬」や「進化しすぎた脳」などの本でも有名な
脳科学者の池谷裕二氏によれば、
もっと驚くべきことが最近わかったそうです。
じつは、このミラーニューロンを活性化させる薬物があって、
それを投与したところ、なんと、被験者全員が、
『幽体離脱を経験した』
とのこと。ひぇー。
どうやら、「自分と他人を区別することが不可能になり、むしろ自己が
極限まで客観化され他人になってしまう」のだとか。
宗教の儀式って、もしやミラーニューロンを活性化する目的で
行なわれていたのかも、なんて思ったりもしました。
だけど、今回、個人的にいちばん面白いと感じたのは、
「誰かを傷つけたとき、同時に自分も傷ついてしまう」
「誰かを喜ばせたとき、同時に自分も喜びにあふれる」
そんな「鏡の法則」が科学的に証明されているということでした。
それからもう一つ、次のような仮説も思い浮かびました。
「コミュニケーション能力を高めていくということはすなわち、
自己と他者との境界線をなくしていくことなのかもしれない」
脳科学の分野は、まだまだ目が離せませんね♪
大人になるということ
周囲が結婚ラッシュです、出産ラッシュです。
非常におめでたいです。
ところで、母親になった友人が、興味深いことをいっていました。
「母親になって、やっと自分の親の気持ちがわかるようになった。
そして、なんだかこれまでモヤモヤしていたことが無くなり、
スレた昔の自分が消えて、すごく自由になれた気がした」
ほう、と思いました。
要はこういうことなんじゃないか、と感じました。
「彼女は、母親になって、やっと大人になった」と。
大人と子供の違いって、何なのでしょう。
個人的には、こう解釈しています。
守られる側から、守る側へ。
受け取る側から、与える側へ。
つまり、「受動的に生きる意識」から「能動的に生きる意識」へ
スイッチが切り替わることだと思うんですよね。
「すごく自由になれた気がした」という彼女の言葉は、
とてもその素晴らしさを表現しています。
世の中を受動的に見ている限り、
良い出来事も悪い出来事も、それらは自分には解決できない出来事として
その人の目には映っています。
その無力感から生まれるのは、そう、“被害者意識”しかない。
“被害者意識”は、怒り・妬み・嫉み・恨みをどんどん発生させます。
確かに子供(被害者・弱者)を演じることで、得るものはあるかもしれません。
だけど、その心の中には、苦しく重く切ない想いが蓄積されていくでしょう。
(てか、現代は、大人になれていない大人が多い気がします。
自立しづらい環境だからなのでしょうが、うーむ。
モンスターペアレンツなんてその最たるものでしょうね。
今後、福祉国家になれば、さらに増えるのでしょうか・・苦笑)
彼女は、母親になることで、これまで自分の中にあった甘えや被害者意識を
乗り越えられたんだと思います。そして、自由になった。
もしかしたら両親に対して何か深層心理的に言いたいことがあったのかも
しれません。それも同じ立場を経験することで、氷解した。
錦糸町さん的には、子供が生まれたことと同じくらい、
彼女が自由になれたことを祝福したいと思いましたよ。おめでとう!
さて、あなたは、
与えられることが当たり前と思っていませんか?
保護されたり保証されることが当たり前と思っていませんか?
「当たり前のことに感謝する」
最近は、スピリチュアル住民が盛んにそんなことを言っていますが、
それでは正直いって不十分といわざるを得ません。
感謝するのは当たり前。
それよりも、与える側の立場で、これからは生きていきましょう!
かわいい子供に接する親のような気持ちで、
周囲に世界に、与えて、与えて、与え尽くしていきましょう!
すると、本当に世界が変わりますよ♪
幸せだらけの世界へ、ようこそ。・・なんて(笑)
P.S.
これはスピリチュアル的というよりも心理学的なお話です。
科学のお話ですが、信じる信じないはあなた次第~。
非常におめでたいです。
ところで、母親になった友人が、興味深いことをいっていました。
「母親になって、やっと自分の親の気持ちがわかるようになった。
そして、なんだかこれまでモヤモヤしていたことが無くなり、
スレた昔の自分が消えて、すごく自由になれた気がした」
ほう、と思いました。
要はこういうことなんじゃないか、と感じました。
「彼女は、母親になって、やっと大人になった」と。
大人と子供の違いって、何なのでしょう。
個人的には、こう解釈しています。
守られる側から、守る側へ。
受け取る側から、与える側へ。
つまり、「受動的に生きる意識」から「能動的に生きる意識」へ
スイッチが切り替わることだと思うんですよね。
「すごく自由になれた気がした」という彼女の言葉は、
とてもその素晴らしさを表現しています。
世の中を受動的に見ている限り、
良い出来事も悪い出来事も、それらは自分には解決できない出来事として
その人の目には映っています。
その無力感から生まれるのは、そう、“被害者意識”しかない。
“被害者意識”は、怒り・妬み・嫉み・恨みをどんどん発生させます。
確かに子供(被害者・弱者)を演じることで、得るものはあるかもしれません。
だけど、その心の中には、苦しく重く切ない想いが蓄積されていくでしょう。
(てか、現代は、大人になれていない大人が多い気がします。
自立しづらい環境だからなのでしょうが、うーむ。
モンスターペアレンツなんてその最たるものでしょうね。
今後、福祉国家になれば、さらに増えるのでしょうか・・苦笑)
彼女は、母親になることで、これまで自分の中にあった甘えや被害者意識を
乗り越えられたんだと思います。そして、自由になった。
もしかしたら両親に対して何か深層心理的に言いたいことがあったのかも
しれません。それも同じ立場を経験することで、氷解した。
錦糸町さん的には、子供が生まれたことと同じくらい、
彼女が自由になれたことを祝福したいと思いましたよ。おめでとう!
さて、あなたは、
与えられることが当たり前と思っていませんか?
保護されたり保証されることが当たり前と思っていませんか?
「当たり前のことに感謝する」
最近は、スピリチュアル住民が盛んにそんなことを言っていますが、
それでは正直いって不十分といわざるを得ません。
感謝するのは当たり前。
それよりも、与える側の立場で、これからは生きていきましょう!
かわいい子供に接する親のような気持ちで、
周囲に世界に、与えて、与えて、与え尽くしていきましょう!
すると、本当に世界が変わりますよ♪
幸せだらけの世界へ、ようこそ。・・なんて(笑)
P.S.
これはスピリチュアル的というよりも心理学的なお話です。
科学のお話ですが、信じる信じないはあなた次第~。