感情に訴える
今回は、感情ということを取り上げたいと思います。
文章というのは、感情をムシして成り立ちません。
文章を通じ、心や気持ちを揺さぶろうとしているのだから、
当たり前と言えば、当たり前です。
(ただし、新聞記事や論文など、事実を伝えることが主眼の文章は、
別に考えてくださいね)
では、感情に訴えるとはどういうことなのでしょう。
わかりやすいように作文を取り上げます。
例えば、自分が作文の読み手になったことを想像してみてください。
おそらく、いいなと感じる作文は、
自分があたかもそのストーリーの主人公になったかのような作文。
情景が浮かび、書き手の体験を追体験しているような作文、だと思います。
一言で言ってしまえば、臨場感のある作文で、
臨場感を高めていけば、読み手を引き込むことができるのです。
そのときに大事なのが、読み手の感情の流れを意識すること。
ここで盛り上げよう、ドキドキさせよう、落ち着かせよう、カタルシスを与えよう、
と考えながら、文章をつづっていくのがコツです。
慣れないうちはピンとこないかもしれませんが、回数をこなすうちに
感情の流れを意識し、臨場感を高めることについて理解が深まってきます。
ちなみに、感情の流れを作るのに有効なのが、起承転結だったり、
だいぶ前に紹介したカンカラコモデケアだったります。
だから、話はちょっとそれますが、
二つのことを同時に伝えるのは、
感情に訴えるという観点からもあまり上等な策とは言えません。
急に別のことを言われると、高ぶった感情が冷めてしまう、
つまり、臨場感が下がってしまうのです。
ちょうどドラマや映画の合間にCMが入るようなものでしょう。
気持ちが白けてしまいますよね。
いかがでしょうか。
少々長くて、抽象的な話になってしまいましたが、
読み手の感情に訴える、ということを覚えておいてくださいね。
きっと文章が見違えてきますよ!
ところで、感情を意識して書くと有効なことは、
作文に限らず、手紙でもコピーでも小説でも同じですよ。
身近でわかりやすいという意味で、作文を取り上げただけですので。
文章というのは、感情をムシして成り立ちません。
文章を通じ、心や気持ちを揺さぶろうとしているのだから、
当たり前と言えば、当たり前です。
(ただし、新聞記事や論文など、事実を伝えることが主眼の文章は、
別に考えてくださいね)
では、感情に訴えるとはどういうことなのでしょう。
わかりやすいように作文を取り上げます。
例えば、自分が作文の読み手になったことを想像してみてください。
おそらく、いいなと感じる作文は、
自分があたかもそのストーリーの主人公になったかのような作文。
情景が浮かび、書き手の体験を追体験しているような作文、だと思います。
一言で言ってしまえば、臨場感のある作文で、
臨場感を高めていけば、読み手を引き込むことができるのです。
そのときに大事なのが、読み手の感情の流れを意識すること。
ここで盛り上げよう、ドキドキさせよう、落ち着かせよう、カタルシスを与えよう、
と考えながら、文章をつづっていくのがコツです。
慣れないうちはピンとこないかもしれませんが、回数をこなすうちに
感情の流れを意識し、臨場感を高めることについて理解が深まってきます。
ちなみに、感情の流れを作るのに有効なのが、起承転結だったり、
だいぶ前に紹介したカンカラコモデケアだったります。
だから、話はちょっとそれますが、
二つのことを同時に伝えるのは、
感情に訴えるという観点からもあまり上等な策とは言えません。
急に別のことを言われると、高ぶった感情が冷めてしまう、
つまり、臨場感が下がってしまうのです。
ちょうどドラマや映画の合間にCMが入るようなものでしょう。
気持ちが白けてしまいますよね。
いかがでしょうか。
少々長くて、抽象的な話になってしまいましたが、
読み手の感情に訴える、ということを覚えておいてくださいね。
きっと文章が見違えてきますよ!
ところで、感情を意識して書くと有効なことは、
作文に限らず、手紙でもコピーでも小説でも同じですよ。
身近でわかりやすいという意味で、作文を取り上げただけですので。
言いたいことは一つまで その2
実は、文章というのは、それほど力強い伝達手段ではありません。
何文字も費やして一つ伝われば御の字。
書けばすべてが伝わる、
まして書き手の思いを汲み取ってくれる、
なんて思っちゃいけないのです。
誤解してほしくないのですが、
文章に伝えるチカラがないと言っているのではないですよ。
むしろ文章は、思いや気持ちを伝えるのに、
もっとも適した手段の一つだと考えています。
でも、過剰に期待してはいけないわけで。
書けばわかってもらえる、書いたことはすべて伝わるはずだ、
ととらえるのは、残念ながら間違いと言わざるを得ないと思います。
もし、文章が万能だとしたら、
文章そのものの必要がなくなってくるかもしれません。
少なくとも、長文は必要ないはず。
なぜなら、例えば、「和を大切にしなさい」「隣人を愛しなさい」と
言葉を並べておけば十分なはずだからです。
でも、これでは伝わらないから(意味がわからないから)、
手を変え品を変え、伝えていくのですね。
そんなの当たり前だ、と思いませんか。
でも、不思議なことに、文章と向き合うと、とたんに、
書いてあるからわかるでしょう、となってしまいがちです。
経験も能力も違う人間に、言葉という媒介を使って、
思いなり気持ちなりを伝えるのが文章です。
本当は、言葉一つ一つのとらえ方も人それぞれ違っていたりします。
そんな人間同士が分かり合うのは、いかに困難なことか。
それをやってのける文章は、ものすごいチカラを秘めているのです。
と、話題がややそれてしまいましたが、
伝えることは一つまでの、もう一つの理由を解説しました。
参考にしていただければ幸いです!
何文字も費やして一つ伝われば御の字。
書けばすべてが伝わる、
まして書き手の思いを汲み取ってくれる、
なんて思っちゃいけないのです。
誤解してほしくないのですが、
文章に伝えるチカラがないと言っているのではないですよ。
むしろ文章は、思いや気持ちを伝えるのに、
もっとも適した手段の一つだと考えています。
でも、過剰に期待してはいけないわけで。
書けばわかってもらえる、書いたことはすべて伝わるはずだ、
ととらえるのは、残念ながら間違いと言わざるを得ないと思います。
もし、文章が万能だとしたら、
文章そのものの必要がなくなってくるかもしれません。
少なくとも、長文は必要ないはず。
なぜなら、例えば、「和を大切にしなさい」「隣人を愛しなさい」と
言葉を並べておけば十分なはずだからです。
でも、これでは伝わらないから(意味がわからないから)、
手を変え品を変え、伝えていくのですね。
そんなの当たり前だ、と思いませんか。
でも、不思議なことに、文章と向き合うと、とたんに、
書いてあるからわかるでしょう、となってしまいがちです。
経験も能力も違う人間に、言葉という媒介を使って、
思いなり気持ちなりを伝えるのが文章です。
本当は、言葉一つ一つのとらえ方も人それぞれ違っていたりします。
そんな人間同士が分かり合うのは、いかに困難なことか。
それをやってのける文章は、ものすごいチカラを秘めているのです。
と、話題がややそれてしまいましたが、
伝えることは一つまでの、もう一つの理由を解説しました。
参考にしていただければ幸いです!
言いたいことは一つまで
いろいろと言いたいことがある、という場合があると思います。
言いたいことが見つけられない人にとってうらやましい限りですが、
一つの文章ではいろいろあっても一つにしましょう。
なぜかというと、読み手に伝わらないからです。
たくさん言っても全部が伝わらない、というのではなく、
たくさん言うことで、一つも伝わらないという事態を招いてしまうのです。
一度にたくさんのことを言われることで、
一つ一つの印象が薄まってしまいます。
それで、結果として、
一つも覚えていないということになってしまうのですね。
もちろん、章立てをして数百ページにおよぶ論文を
書こうという場合は別だと思いますが、
通常、文章を書くというと、
だいたい400字~1200字(400字詰め原稿用紙1~3枚)の
作文なり小論文なり手紙なりコピーを扱うことがほとんどでしょう。
そういうときは、言いたいことは一つまで。
一つに絞って、言いたいことを伝えていきましょう!
この話は、もうちょっと深く、長く、説明がいるかなと思います。
長くなりそうなので、次回以降も解説していきますね。
どうぞよろしくお願いします。
言いたいことが見つけられない人にとってうらやましい限りですが、
一つの文章ではいろいろあっても一つにしましょう。
なぜかというと、読み手に伝わらないからです。
たくさん言っても全部が伝わらない、というのではなく、
たくさん言うことで、一つも伝わらないという事態を招いてしまうのです。
一度にたくさんのことを言われることで、
一つ一つの印象が薄まってしまいます。
それで、結果として、
一つも覚えていないということになってしまうのですね。
もちろん、章立てをして数百ページにおよぶ論文を
書こうという場合は別だと思いますが、
通常、文章を書くというと、
だいたい400字~1200字(400字詰め原稿用紙1~3枚)の
作文なり小論文なり手紙なりコピーを扱うことがほとんどでしょう。
そういうときは、言いたいことは一つまで。
一つに絞って、言いたいことを伝えていきましょう!
この話は、もうちょっと深く、長く、説明がいるかなと思います。
長くなりそうなので、次回以降も解説していきますね。
どうぞよろしくお願いします。