EXILEに学ぶチャンスのつかみ方
最近、EXILEの「I wish for you」という歌にかなりはまっています。きっかけは、先週久々カラオケに行く機会がありまして、その時にこの歌を聴きまして。リズムがとても心地よく、ATSUSHIとTAKAHIROの透き通る声が心地よさに拍車をかけてくれているんですよ。現在、ヘビーローテーションで自宅で、通勤中の電車内(ipodでね)で、ずっと聴いています。「ふたつの唇」「Lovers again」もお気に入りの楽曲です。
願いの塔(AL2枚組+DVD2枚組)/EXILE

¥5,980
Amazon.co.jp
さて、そんなこんなでEXILEにとても関心を持ってしまい、このグループについて調べてみると(といってもウェキペディアですが(苦笑))、とても興味深い歴史を辿ってきていることが分かりました。
19991年。ダンスグループ「ZOO」のメンバーだったHIROが、ボビー・ブラウンに命名されたグループ「JAPANESE SOUL BROTHERS」を結成。それから現在のグループ名「EXILE」に変わるまで、10年もの期間を経ています。ちなみにその間にリリースしたシングルは3枚(エイベックスより)。3枚ですよ。しかもATSUSHIは、まだ加入していません。その当時のボーカルは、SASAという人でした。
「JAPANESE SOUL BROTHERS」の結成から10年間、おそらく音楽界ではほとんど知られていなかったと思います(私が知らなかっただけかもしれませんが)。この間、リーダーのHIROさんはどんな気持ちだったんでしょうか。おこがましいかもしれませんが、きっと不安でしたでしょうし、目の前に広がっていたのは闇だったのでは…と推察してしまいます。
でも、2001年。ATSUHIとSHUN(清木場 俊介/現在ソロ活動中)の加入によって、EXILEは一気に飛躍していきます。デビューシングル『Your eyes only ?曖昧なぼくの輪郭?』は、オリコン最高4位を記録し、同シングルが収録された1stアルバム『our style』はオリコン最高4位を記録しました。おそらく、メンバーの皆さん「キタァ!ヨッシャ!」という気持ちだったと思います。
そして翌年2002年、HIRO、MATSU、USA、MAKIDAI、ATSUHI、SHUNのメンバー6人はそれぞれ50万円ずつ出資し、青山にエグザイルエンタテインメント有限会社(現・LDH)を設立しています。で、何と早い行動なんだ!と思ったわけです。誰かから「会社にしちゃいなよ」とアドバイスがあったのかもしれませんが、おそらくメンバーの皆さんはピンと来たんでしょうね。「この勢いを、チャンスを、無駄にしちゃいけない。逃しちゃいけない」って。それが会社設立と言う形で発現されたのでしょう。自分たちを背水の陣に追い込もうという意図もあったのかもしれません。
私はあまり詳しくはありませんが、音楽業界は栄枯盛衰の激しい、ある意味戦場という事だけは分かります。ヒットしようが、息の長いアーティストになるには途方もない努力と運が要求されることは誰の目から見ても明らか。大きな会社に身を置き、いろんなプロデューサーに楽曲でプロモーションでライブでプロデュースされる道もあるでしょう。でもEXILEの皆さんは、会社を設立(独立といえるのでしょうか)という道を選択し、今や日本を代表するアーティストグループへと到達された。
私見では、ATSUHIとSHUNの加入がEXILEが変わるきっかけだと思いますが、会社設立の時期がある意味、今日に至るまでの飛躍をもたらすか否かを左右する分水嶺だったように思います(ファンの皆さん違ってたらごめんなさい)。
よく言われることですが、「チャンスと言うのはいつも誰しもの目の前を通り過ぎている。つかめるのは、そのチャンスに反応できる感覚(アンテナ)を持っている人だけ」とあります。EXILEの皆さんは、「アーティストとして絶対に成功するんだ」というマインドをセットしていたからこそ、チャンスをつかみ今日のように誰もが知るアーティストになったんだと思います。ここで一人でも「50万円なんて…だせねぇ」という人がいたら、もしかしたら歴史は変わっていたかもしれません。
私たちの日常にも日々、「あっこれって…チャンスって奴!?」と思える場面がけっこうあったりしているものだと思います。もちろん、すぐにチャンスとして認識し行動せよ!というつもりは毛頭ありませんが、ちょっと立ち止まってちょっとだけ考えてみるのも良いかもしれません。些細なきっかけかもしれませんが、劇的な変化をもたらすきっかけに転化する可能性もあります。
さて、EXILEのライブに行きたいと強烈に思い始めている今日この頃。なので、ライブチケットを手にするチャンスを得るため、まずはファンクラブについて調べてみたいと思います(笑)。一般では、おそらく購入は不可能だと思いますから(汗)。
願いの塔(AL2枚組+DVD2枚組)/EXILE

¥5,980
Amazon.co.jp
さて、そんなこんなでEXILEにとても関心を持ってしまい、このグループについて調べてみると(といってもウェキペディアですが(苦笑))、とても興味深い歴史を辿ってきていることが分かりました。
19991年。ダンスグループ「ZOO」のメンバーだったHIROが、ボビー・ブラウンに命名されたグループ「JAPANESE SOUL BROTHERS」を結成。それから現在のグループ名「EXILE」に変わるまで、10年もの期間を経ています。ちなみにその間にリリースしたシングルは3枚(エイベックスより)。3枚ですよ。しかもATSUSHIは、まだ加入していません。その当時のボーカルは、SASAという人でした。
「JAPANESE SOUL BROTHERS」の結成から10年間、おそらく音楽界ではほとんど知られていなかったと思います(私が知らなかっただけかもしれませんが)。この間、リーダーのHIROさんはどんな気持ちだったんでしょうか。おこがましいかもしれませんが、きっと不安でしたでしょうし、目の前に広がっていたのは闇だったのでは…と推察してしまいます。
でも、2001年。ATSUHIとSHUN(清木場 俊介/現在ソロ活動中)の加入によって、EXILEは一気に飛躍していきます。デビューシングル『Your eyes only ?曖昧なぼくの輪郭?』は、オリコン最高4位を記録し、同シングルが収録された1stアルバム『our style』はオリコン最高4位を記録しました。おそらく、メンバーの皆さん「キタァ!ヨッシャ!」という気持ちだったと思います。
そして翌年2002年、HIRO、MATSU、USA、MAKIDAI、ATSUHI、SHUNのメンバー6人はそれぞれ50万円ずつ出資し、青山にエグザイルエンタテインメント有限会社(現・LDH)を設立しています。で、何と早い行動なんだ!と思ったわけです。誰かから「会社にしちゃいなよ」とアドバイスがあったのかもしれませんが、おそらくメンバーの皆さんはピンと来たんでしょうね。「この勢いを、チャンスを、無駄にしちゃいけない。逃しちゃいけない」って。それが会社設立と言う形で発現されたのでしょう。自分たちを背水の陣に追い込もうという意図もあったのかもしれません。
私はあまり詳しくはありませんが、音楽業界は栄枯盛衰の激しい、ある意味戦場という事だけは分かります。ヒットしようが、息の長いアーティストになるには途方もない努力と運が要求されることは誰の目から見ても明らか。大きな会社に身を置き、いろんなプロデューサーに楽曲でプロモーションでライブでプロデュースされる道もあるでしょう。でもEXILEの皆さんは、会社を設立(独立といえるのでしょうか)という道を選択し、今や日本を代表するアーティストグループへと到達された。
私見では、ATSUHIとSHUNの加入がEXILEが変わるきっかけだと思いますが、会社設立の時期がある意味、今日に至るまでの飛躍をもたらすか否かを左右する分水嶺だったように思います(ファンの皆さん違ってたらごめんなさい)。
よく言われることですが、「チャンスと言うのはいつも誰しもの目の前を通り過ぎている。つかめるのは、そのチャンスに反応できる感覚(アンテナ)を持っている人だけ」とあります。EXILEの皆さんは、「アーティストとして絶対に成功するんだ」というマインドをセットしていたからこそ、チャンスをつかみ今日のように誰もが知るアーティストになったんだと思います。ここで一人でも「50万円なんて…だせねぇ」という人がいたら、もしかしたら歴史は変わっていたかもしれません。
私たちの日常にも日々、「あっこれって…チャンスって奴!?」と思える場面がけっこうあったりしているものだと思います。もちろん、すぐにチャンスとして認識し行動せよ!というつもりは毛頭ありませんが、ちょっと立ち止まってちょっとだけ考えてみるのも良いかもしれません。些細なきっかけかもしれませんが、劇的な変化をもたらすきっかけに転化する可能性もあります。
さて、EXILEのライブに行きたいと強烈に思い始めている今日この頃。なので、ライブチケットを手にするチャンスを得るため、まずはファンクラブについて調べてみたいと思います(笑)。一般では、おそらく購入は不可能だと思いますから(汗)。
ルールを守ることは自分を守ることにつながる
ルールを守ること。学校のルールもあれば、企業それぞれのルールもあれば、地域社会のルールというものもあったりする。守って当たり前、と思うのは当然だ。が、なかには確信犯的にルールを無視する人もいたりする。最近の出来事で言えば、カンニングしてしまった予備校生(逮捕は…)。ちなみに踊る大捜査線で織田祐二演じる青島俊作は、「規則は、破るためにあるんだよ」と言っていた(『踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル』(1998年)。
踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル 完全版 [DVD]/織田裕二,柳葉敏郎,深津絵里

¥4,179
Amazon.co.jp
ドラマの中、映画の中で展開する規則を犯してでも自分の信念を貫こうとする主人公の活躍は、見る者に爽快感や高揚感をもたらす。それは自分の中に、権力に対して批判的な考えを持ち、想像の中で権力者たちの失墜を少なからず期待しているからに外ならないからでしょう。かくいう両国さんも、持たざる者が、アイデアと行動力で権力者たちに反旗を翻す、こういった類のドラマや小説は嫌いではありません。といってもこのようなテーマが相応しいのは、封建的な世界観が漂う、現代よりずっと昔の時代が舞台であると言えるのではないかと思います(中世とか)。現代社会では、権力者に対して反旗を翻すような場面も無ければ、人もそういませんからね。エジプトやリビア等を除いて(現時点)。
さてイントロが長くなりましたが、先日、とある先輩がとある後輩に対するアドバイスに聞き耳を立てていた際に、「ルールを守ることは自分を守ることにつながる」という一節に改めて感銘を受けまして。たとえば、報連相。厳密にはルールとして明文化されているものでは無いと思いますが、部下から上司への報連相は、やっぱり大切だというもの。ネガティブな出来事が起こったときほど、報告や相談は早ければ早いほど良い。めんどくさい、怒られるかな…とうじうじして先延ばしにすると、結局はもっともっとずっとめんどくさい局面に陥ってしまう。
その出来事のネガティブ具合によっては、上司への報告が遅くなったばかりに、上司が部下をかばえなくなったりする状況も考えられる。上司がかばえない、それはつまり組織としてのカバー力が弱まったことであり、最終的には「解雇」という最悪の事態も起こりうる。少々厳し目のシミュレーションですが、これぐらいの事態を想定しリスクヘッジを講じるべき。吉報の報告は遅くなっても問題なし、でも悪い報告は耳に入った瞬間即座に上司に報告する。報連相は、規則ではないかもしれないが、組織という枠組みでは暗黙知として、意識の差はあれど誰もが大切なことだと分かっているある種のルールともいえる。
部下から上司へ報連相がなされれば、その出来事の責任は部下だけのものでなはく上司のものともなる。自分で抱え込み、自分で何とかしようとすると、ごまかそうとしたり、隠し通そうとしたり、で上述したように最悪の事態を回避できない状況に陥る可能性が飛躍的に高まる。想像すると、思いのほか怖いことですよね。報欄相が苦手という方は、この報告は、連絡は、自分を守ることにつながるんだと思うようにしましょう。上司に悪い報告をするその瞬間は、とっても気分が重いのは痛いほど分かります。でもその一瞬の勇気が、いち早い心の平穏をもたらすこともまた事実。ぜひ、意識してみていただければと思います。
ルールを守ること…ではなくて、報連相を心がけることは自分を守ることにつながる、というテーマの方がしっくり来ましたね。あらら。。。
踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル 完全版 [DVD]/織田裕二,柳葉敏郎,深津絵里

¥4,179
Amazon.co.jp
ドラマの中、映画の中で展開する規則を犯してでも自分の信念を貫こうとする主人公の活躍は、見る者に爽快感や高揚感をもたらす。それは自分の中に、権力に対して批判的な考えを持ち、想像の中で権力者たちの失墜を少なからず期待しているからに外ならないからでしょう。かくいう両国さんも、持たざる者が、アイデアと行動力で権力者たちに反旗を翻す、こういった類のドラマや小説は嫌いではありません。といってもこのようなテーマが相応しいのは、封建的な世界観が漂う、現代よりずっと昔の時代が舞台であると言えるのではないかと思います(中世とか)。現代社会では、権力者に対して反旗を翻すような場面も無ければ、人もそういませんからね。エジプトやリビア等を除いて(現時点)。
さてイントロが長くなりましたが、先日、とある先輩がとある後輩に対するアドバイスに聞き耳を立てていた際に、「ルールを守ることは自分を守ることにつながる」という一節に改めて感銘を受けまして。たとえば、報連相。厳密にはルールとして明文化されているものでは無いと思いますが、部下から上司への報連相は、やっぱり大切だというもの。ネガティブな出来事が起こったときほど、報告や相談は早ければ早いほど良い。めんどくさい、怒られるかな…とうじうじして先延ばしにすると、結局はもっともっとずっとめんどくさい局面に陥ってしまう。
その出来事のネガティブ具合によっては、上司への報告が遅くなったばかりに、上司が部下をかばえなくなったりする状況も考えられる。上司がかばえない、それはつまり組織としてのカバー力が弱まったことであり、最終的には「解雇」という最悪の事態も起こりうる。少々厳し目のシミュレーションですが、これぐらいの事態を想定しリスクヘッジを講じるべき。吉報の報告は遅くなっても問題なし、でも悪い報告は耳に入った瞬間即座に上司に報告する。報連相は、規則ではないかもしれないが、組織という枠組みでは暗黙知として、意識の差はあれど誰もが大切なことだと分かっているある種のルールともいえる。
部下から上司へ報連相がなされれば、その出来事の責任は部下だけのものでなはく上司のものともなる。自分で抱え込み、自分で何とかしようとすると、ごまかそうとしたり、隠し通そうとしたり、で上述したように最悪の事態を回避できない状況に陥る可能性が飛躍的に高まる。想像すると、思いのほか怖いことですよね。報欄相が苦手という方は、この報告は、連絡は、自分を守ることにつながるんだと思うようにしましょう。上司に悪い報告をするその瞬間は、とっても気分が重いのは痛いほど分かります。でもその一瞬の勇気が、いち早い心の平穏をもたらすこともまた事実。ぜひ、意識してみていただければと思います。
ルールを守ること…ではなくて、報連相を心がけることは自分を守ることにつながる、というテーマの方がしっくり来ましたね。あらら。。。
人を評価することについて
この頃、人を評価するって不可能だと思いました。
なぜなら人は変わるから。
明日には、違った人になっていることだってあるわけで。
「人は変われない」なんてうそぶく人がいるけど、
変われます、変わります、間違いなく、確実に。
確かに、いきなりガラッとはムリですよ。
わかりやすく例を出しますと、たとえば「ダイエット」。
いや、今回はあえて「筋トレ」にしましょか。
それまで運動もせず、ダラダラ過ごしていた人が、
「夏は海に似合う男(女)になる!」と思い立ったとします。
そして、その日から、筋トレをがんばりました。
筋肉ムキムキと、目に見えて結果が出るのは数ヶ月後かもしれません。
でも、「筋トレをしよう!」と決めた日の彼(彼女)と、
それまでの彼(彼女)は同じ人でしょうか。
さらに、1ヶ月間つづけた彼(彼女)は同じ人でしょうか。
違いますよね?
要は、どの時点で、どんなポイントで評価するか、です。
性格最悪だった人が、次の週には良い人に生まれ変わっている
ケースだってありえるのです。
そう考えると、人間の評価って、神様しかできない気がしますよね。
私たちができるのは、その人の作品や結果に対する評価だけです。
それもかなり限定され歪曲された視点からにすぎません。
だから、人間が人間そのものを評価するなんて、おごりでしかない。
人間の価値に対する評価なんて、誰にもできません。
「オマエはだめなヤツだ」
「キミは、ホント、仕事のできない無能だな」
「あなたはいつもウジウジしてキモチワルイのよ」
あなたが変わりたいと思い、行動するだけで、
あの人のあなたに対する評価は、たちまち間違ったことにできます。
「アイツはなんて嫌なヤツなんだ」
「あんなことをする人間なんて信用できない」
「正直、あのタイプの人は生理的に受け付けない」
あなたのあの人に対する評価も、かなりの確率で間違っています。
下記のように言い換えてくださいな。
「なぜ、アイツは嫌なヤツになってしまったのだろう」
「なぜ、あのとき、彼はあんなことをしたのだろう」
「なぜ、あのタイプの人は生理的にダメなのだろう」
→さらにこう続けて、「彼もどうしたら変われるかな?」
そして、許すタイミング、評価するタイミングを見逃さないで!
最後に、神様の視点で考えてみましょう。
きっと神様はどんな場合もこう言うと思うのです。
「あら、そんなことになっちゃったのね。じゃあ、次はガンバレ!」
無条件で、相手を評価できるようになりましょう。
無条件で、相手を許せるようになりましょう。
そうすれば、必ず、人生は豊かになっていきますよ。
なぜなら人は変わるから。
明日には、違った人になっていることだってあるわけで。
「人は変われない」なんてうそぶく人がいるけど、
変われます、変わります、間違いなく、確実に。
確かに、いきなりガラッとはムリですよ。
わかりやすく例を出しますと、たとえば「ダイエット」。
いや、今回はあえて「筋トレ」にしましょか。
それまで運動もせず、ダラダラ過ごしていた人が、
「夏は海に似合う男(女)になる!」と思い立ったとします。
そして、その日から、筋トレをがんばりました。
筋肉ムキムキと、目に見えて結果が出るのは数ヶ月後かもしれません。
でも、「筋トレをしよう!」と決めた日の彼(彼女)と、
それまでの彼(彼女)は同じ人でしょうか。
さらに、1ヶ月間つづけた彼(彼女)は同じ人でしょうか。
違いますよね?
要は、どの時点で、どんなポイントで評価するか、です。
性格最悪だった人が、次の週には良い人に生まれ変わっている
ケースだってありえるのです。
そう考えると、人間の評価って、神様しかできない気がしますよね。
私たちができるのは、その人の作品や結果に対する評価だけです。
それもかなり限定され歪曲された視点からにすぎません。
だから、人間が人間そのものを評価するなんて、おごりでしかない。
人間の価値に対する評価なんて、誰にもできません。
「オマエはだめなヤツだ」
「キミは、ホント、仕事のできない無能だな」
「あなたはいつもウジウジしてキモチワルイのよ」
あなたが変わりたいと思い、行動するだけで、
あの人のあなたに対する評価は、たちまち間違ったことにできます。
「アイツはなんて嫌なヤツなんだ」
「あんなことをする人間なんて信用できない」
「正直、あのタイプの人は生理的に受け付けない」
あなたのあの人に対する評価も、かなりの確率で間違っています。
下記のように言い換えてくださいな。
「なぜ、アイツは嫌なヤツになってしまったのだろう」
「なぜ、あのとき、彼はあんなことをしたのだろう」
「なぜ、あのタイプの人は生理的にダメなのだろう」
→さらにこう続けて、「彼もどうしたら変われるかな?」
そして、許すタイミング、評価するタイミングを見逃さないで!
最後に、神様の視点で考えてみましょう。
きっと神様はどんな場合もこう言うと思うのです。
「あら、そんなことになっちゃったのね。じゃあ、次はガンバレ!」
無条件で、相手を評価できるようになりましょう。
無条件で、相手を許せるようになりましょう。
そうすれば、必ず、人生は豊かになっていきますよ。