ルールを守ることは自分を守ることにつながる | コミュニケーションの学校 回覧板(錦糸町&両国&浦和)

ルールを守ることは自分を守ることにつながる

ルールを守ること。学校のルールもあれば、企業それぞれのルールもあれば、地域社会のルールというものもあったりする。守って当たり前、と思うのは当然だ。が、なかには確信犯的にルールを無視する人もいたりする。最近の出来事で言えば、カンニングしてしまった予備校生(逮捕は…)。ちなみに踊る大捜査線で織田祐二演じる青島俊作は、「規則は、破るためにあるんだよ」と言っていた(『踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル』(1998年)。

踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル 完全版 [DVD]/織田裕二,柳葉敏郎,深津絵里

¥4,179
Amazon.co.jp


ドラマの中、映画の中で展開する規則を犯してでも自分の信念を貫こうとする主人公の活躍は、見る者に爽快感や高揚感をもたらす。それは自分の中に、権力に対して批判的な考えを持ち、想像の中で権力者たちの失墜を少なからず期待しているからに外ならないからでしょう。かくいう両国さんも、持たざる者が、アイデアと行動力で権力者たちに反旗を翻す、こういった類のドラマや小説は嫌いではありません。といってもこのようなテーマが相応しいのは、封建的な世界観が漂う、現代よりずっと昔の時代が舞台であると言えるのではないかと思います(中世とか)。現代社会では、権力者に対して反旗を翻すような場面も無ければ、人もそういませんからね。エジプトやリビア等を除いて(現時点)。

さてイントロが長くなりましたが、先日、とある先輩がとある後輩に対するアドバイスに聞き耳を立てていた際に、「ルールを守ることは自分を守ることにつながる」という一節に改めて感銘を受けまして。たとえば、報連相。厳密にはルールとして明文化されているものでは無いと思いますが、部下から上司への報連相は、やっぱり大切だというもの。ネガティブな出来事が起こったときほど、報告や相談は早ければ早いほど良い。めんどくさい、怒られるかな…とうじうじして先延ばしにすると、結局はもっともっとずっとめんどくさい局面に陥ってしまう。

その出来事のネガティブ具合によっては、上司への報告が遅くなったばかりに、上司が部下をかばえなくなったりする状況も考えられる。上司がかばえない、それはつまり組織としてのカバー力が弱まったことであり、最終的には「解雇」という最悪の事態も起こりうる。少々厳し目のシミュレーションですが、これぐらいの事態を想定しリスクヘッジを講じるべき。吉報の報告は遅くなっても問題なし、でも悪い報告は耳に入った瞬間即座に上司に報告する。報連相は、規則ではないかもしれないが、組織という枠組みでは暗黙知として、意識の差はあれど誰もが大切なことだと分かっているある種のルールともいえる。

部下から上司へ報連相がなされれば、その出来事の責任は部下だけのものでなはく上司のものともなる。自分で抱え込み、自分で何とかしようとすると、ごまかそうとしたり、隠し通そうとしたり、で上述したように最悪の事態を回避できない状況に陥る可能性が飛躍的に高まる。想像すると、思いのほか怖いことですよね。報欄相が苦手という方は、この報告は、連絡は、自分を守ることにつながるんだと思うようにしましょう。上司に悪い報告をするその瞬間は、とっても気分が重いのは痛いほど分かります。でもその一瞬の勇気が、いち早い心の平穏をもたらすこともまた事実。ぜひ、意識してみていただければと思います。

ルールを守ること…ではなくて、報連相を心がけることは自分を守ることにつながる、というテーマの方がしっくり来ましたね。あらら。。。