今日も、犬とベッドシェア -163ページ目

今日も、犬とベッドシェア

おじいちゃんのパピヨンさんと暮らす、ソロ活&おひとり様人生エンジョイ中な私の雑記帳
不定期更新&長い記事多めです

今日は診察の日でした。


先日、職場で自分の特性について話した事 を報告したら


「自分の特性について自分できちんと説明すること、どういう配慮が必要なのかを求めるのはすごく難しいことなんだけど、それを自分の力で成し遂げたTomokoさんはすごい」


とお褒めの言葉を頂きました。


そして、職場の方も出来る限り協力すると言ってくれたと話したら「理解のある職場で良かったね」と言われました。


自身の「得意・不得意」をきちんと理解して自分なりに工夫していくことも大事だけど、どうしてもカバーできないところは周囲に助けてもらうことも必要との事でした。


最近は周囲からの孤立では無く「社会からの孤立感が強くてたまらない」と相談したら、毎週カウンセリングに来てお話ししてるでしょう?と言われたので…「45分じゃ短いんです!!」と訴えたら、仮に1回の面接が2~3時間あったとしてもTomokoさんの孤独感は埋められないと思う。


カウンセリングは自分自身と向き合うという意味もあるけど「限られた時間の中で、いかに自分の『悩みや困っていることを的確に相手に伝えられるか?』という訓練の意味合いもある」と言われた…時間設定に関しては「自分の内面を出せる限界」とか「人が集中して話を聞きつづけられる限界」という説は聞いた事があるけど、この説は初耳だ。


もっと、当事者同士の交流…特に「親との問題を抱えている当事者と交流したい 」という思いが強いので交流会を探しているけど、なかなか見つからないので自分で立ち上げたいと言う話を、月曜に相談したら


「集団療法に詳しい専門家か、そういう問題から完全に回復した人をアドバイザーとして立ち会わせるのが絶対条件」


それが無理ならデイケアとか参加してみたら?と言われたと話したら、病院のデイケアはいろんな病気の人が集まるところだし、自治体の発達障害向けのデイケアもあるけどTomokoさんは性格的に集団で集まって何かするより1対1でじっくりお話しする方が合っているし、現在働いているからデイケア向きではない…と言わました。


今はグループの立ち上げとか、当事者同士の交流を広げようとか考えず「毎週のカウンセリングに専念した方が良い」とも言われました。


グループ立ち上げに関して、ほぼ実現不可能な条件を提示してきたのは「遠回しに”反対”という意味もあったのかもしれない」という自分なりの仮説を話したら、それは「他人との交流も大事だけど、面接はもっと大事なんだよ」と言いたかったのでは?という意見。


最後に「今やってる事(仕事とかカウンセリングとか)だけを考えてそれに専念するのも大切な事」なんだよと言われました。


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私の生きる道、生きてきた道。


私の生きる道、生きてきた道。

答え・不可能…「記憶を抹消する方法は存在しない」そもそも「呪術的な物を操る職業」ではない。

この記事 、我ながらよく書けたと思うので第2弾です。


昨日、お話した時にこんな疑問を投げかけてみた。

私が昔、○○先生とお話しする事になった時…

「この人は私のこころの内を全て読み取って、嫌な経験や記憶を抹消してくれるかもしれない」

という変な幻想を持っていた(実話)、実際はただ「お話しするだけ」という作業を繰り返して行くだけだと知った時に、ちょっとだけ○○先生に失望した。


"先代の副院長"なら出来たんじゃないですかね?と聞いたら、そんな特殊能力は持っていないと言われた。

彼女も結局「ただの人」なんですね…と言ったら、あの先生は職業人としてとても立派な人だったと例によって擁護していた(しかし、この先生 に関してはダメ出しが容赦ない)。


そして、また「一度でもお話しをするべきだった」と言われてしまった…彼女の現実を知ることなく「私の中で”魔女的なイメージ”が固定されている」と注意されてしまった。


あの人は、あくまでも人のこころに寄り添うスペシャリストで


「白衣を着た魔女」ではない


と、そんな特殊能力を持っている人は誰もいないと。


なんか、先代の副院長に限らず「この職業に対するイメージが変な方向に向いている」と言われてしまった。


確かにこのサイトを見る限り では、呪術的な要素全く無い。


実際のカウンセリングってのは想像以上に現実的で、時々しんどい…「自分のこころの中身を読み取ってくれる」のではなく「自分でこころの中身を出さないといけない」のだ。


だから、多くても週1回で1回あたりの時間が40~60分と決められているのかもしれない。


結局のところ、私は「自分の過去をすべて自分で取り出しながら、それらと上手く折り合いをつけていく」という作業をしなければいけないようだ。


ものすごくシンプルに表現すると


「自分のこころと向き合う」

ということ…都合の悪いところだけを”昔の某クイズ番組 みたいに「ハイ、消えたー!!」とテーブルを叩くだけ”では済まないのだ(元ネタ古くてスミマセン)。


記事にはしていませんが、5月27日にお話してきた時に「過去の出来事は、自分で受け入れられるようになってから話すように」と言われました。


3日の診療記録としてこの記事 を書いたけど、実はこのような話をメインにしてきた。


かなり難しい内容でしたのでまとめませんでしたが、宗教というのは私が毎週病院にお話に来るように「こころの拠り所」として誕生したのかもしれないこと。


そして、日本では「信教の自由 が認められているから信仰を持ちたい人は持つ、それはTomokoさんの無宗教&無神論と同じことだから、それを他人に押し付けたり信仰を持つ人を全否定するのはいけないこと」だと言われた。


確かに「信教の自由」をよく読むと「宗教を信じる自由」と「信じない自由」の両方で解釈してもいいようだ。



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私の生きる道、生きてきた道。


私の生きる道、生きてきた道。

私は無宗教で無神論者でもある…初詣に行った事も無いし、墓参りも基本的に行かない。


自身の結婚式だって「宗教要素」のあるものは嫌だという事で宗教要素は一切排除したくらい。

仮に子供がいたとしてもお宮参りにも行かないだろうし、七五三は記念写真を撮るだけにすると思う。

変な話、私は実家に神棚と仏壇があって毎日意味のわからない念仏を唱える親や,
線香の臭いが漂っている部屋も「気味が悪い」としか思えないのだ。


…嗅覚過敏もあるので、特に線香の臭いが嫌だ。


無香料の線香って無いの?

私の場合、先祖信仰も含めた既存の宗教、もいわゆる「カルト」と呼ばれる新興宗教もどっちも「同じような物」だと思う。


宗教では無いと公言してる12ステッププログラムにも「宗教」見出したほどだ…。

いわば、極度の「宗教アレルギー」という訳である。


かといって「アニミズム 」というわけでもない。


では、身近な人が死んだらどうする?



確実に「宗教要素を排除した葬式」にするか、葬式そのものをしないと思う。


そして「墓には入れない」で何かしらの方法で自然に還したいと思っている。


私にとって、その人が死んだ時点で「その人はもう終わり」なのである…死んだ人よりも今生きている人を優先するべきではないのか?と思うことがある。


だから、いつまでも「死んだ人に執着する」自分の親が嫌いだ…16年も一緒に暮らした犬は数万円の火葬費すら惜しいが為に「ゴミ処理施設」に持ち込んでその後は全く知らんぷりなくせに、どうしようもない、大した功績も残さずに死んだ親に対しては1日に何度も線香をやって、毎朝気味の悪い読経をすること。


何かに付けてとっくに死んだ自分の親ばかり優先して、今を苦しみながら生きている子供(私)は二の次という考えが非常に腹立たしいし、許せない。


母親は特に「宗教キ○ガイ」で、私が子供のころから自分の母親(私から見たら祖母)と定期的に寺に通っては気味の悪い読経を唱えていた、母娘2代で宗教狂いだったのだ。


…ちなみに子供の頃には近所に某キリスト系カルトにハマった「真正の宗教キ○ガイ」がおりました、カルト系は大抵自分の子供も巻き込むので余計質が悪いです。


その母親が死んだ時に特に仲が良かったわけでもない「信者」が勝手に葬式に勝手に押し寄せてきて勝手に仕切って行ったのを機に、その宗教(厳密に言うと宗派)から離れてもう寺にはいかないと言っていたものの、今度は別の宗派に乗り換えてまたのめり込んでる有様だ。


仏壇を置くのは勝手だけど、普通仏壇って専用の部屋とかあまり人目につかないところに置きますよね?うちはなんと「リビング」に置いてるんです、正直気持ち悪いです。


だって、線香のにおいが漂う中で食事しなきゃいけないんですよ。


あの仏壇に関しても、将来的に親が死んだら処分しようと思ってます…誰も引き取り手いないし、自分の家の中に宗教要素を一切取り入れたくないという気持ちもあります。


おそらく、パートナーが死んでも私は仏壇を購入することは無いでしょう。


直葬でもして、散骨なり樹木葬なり、バルーン宇宙葬何かしらの形で「自然に還す」方法を取ると思います。


正直なところ宗教と関わるのも嫌ですが…身近な人の死を「金儲けの手段」にされ、その後も法事だの○回忌だの何かに付けて、金銭的搾取をされ続けるのが嫌なんです。


本当にその人を思うのなら、見かけだけの墓や仏壇を置いて意味や内容も解らないまま強迫観念的に読経するよりも、写真と季節の花でも飾って…時々、その人のことを思い出しながら一生懸命「今を生きた」方がよほど喜ぶと思うのですが


…私の考えって間違っていますか?


というような内容の話を今日はしてきました、会話をまとめると難しくなるので当記事を本日の診療記録とさせていただきます。


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