無宗教&無神論者は「身近な人が死んだら」どうするのか? | 今日も、犬とベッドシェア

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おじいちゃんのパピヨンさんと暮らす、ソロ活&おひとり様人生エンジョイ中な私の雑記帳
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私は無宗教で無神論者でもある…初詣に行った事も無いし、墓参りも基本的に行かない。


自身の結婚式だって「宗教要素」のあるものは嫌だという事で宗教要素は一切排除したくらい。

仮に子供がいたとしてもお宮参りにも行かないだろうし、七五三は記念写真を撮るだけにすると思う。

変な話、私は実家に神棚と仏壇があって毎日意味のわからない念仏を唱える親や,
線香の臭いが漂っている部屋も「気味が悪い」としか思えないのだ。


…嗅覚過敏もあるので、特に線香の臭いが嫌だ。


無香料の線香って無いの?

私の場合、先祖信仰も含めた既存の宗教、もいわゆる「カルト」と呼ばれる新興宗教もどっちも「同じような物」だと思う。


宗教では無いと公言してる12ステッププログラムにも「宗教」見出したほどだ…。

いわば、極度の「宗教アレルギー」という訳である。


かといって「アニミズム 」というわけでもない。


では、身近な人が死んだらどうする?



確実に「宗教要素を排除した葬式」にするか、葬式そのものをしないと思う。


そして「墓には入れない」で何かしらの方法で自然に還したいと思っている。


私にとって、その人が死んだ時点で「その人はもう終わり」なのである…死んだ人よりも今生きている人を優先するべきではないのか?と思うことがある。


だから、いつまでも「死んだ人に執着する」自分の親が嫌いだ…16年も一緒に暮らした犬は数万円の火葬費すら惜しいが為に「ゴミ処理施設」に持ち込んでその後は全く知らんぷりなくせに、どうしようもない、大した功績も残さずに死んだ親に対しては1日に何度も線香をやって、毎朝気味の悪い読経をすること。


何かに付けてとっくに死んだ自分の親ばかり優先して、今を苦しみながら生きている子供(私)は二の次という考えが非常に腹立たしいし、許せない。


母親は特に「宗教キ○ガイ」で、私が子供のころから自分の母親(私から見たら祖母)と定期的に寺に通っては気味の悪い読経を唱えていた、母娘2代で宗教狂いだったのだ。


…ちなみに子供の頃には近所に某キリスト系カルトにハマった「真正の宗教キ○ガイ」がおりました、カルト系は大抵自分の子供も巻き込むので余計質が悪いです。


その母親が死んだ時に特に仲が良かったわけでもない「信者」が勝手に葬式に勝手に押し寄せてきて勝手に仕切って行ったのを機に、その宗教(厳密に言うと宗派)から離れてもう寺にはいかないと言っていたものの、今度は別の宗派に乗り換えてまたのめり込んでる有様だ。


仏壇を置くのは勝手だけど、普通仏壇って専用の部屋とかあまり人目につかないところに置きますよね?うちはなんと「リビング」に置いてるんです、正直気持ち悪いです。


だって、線香のにおいが漂う中で食事しなきゃいけないんですよ。


あの仏壇に関しても、将来的に親が死んだら処分しようと思ってます…誰も引き取り手いないし、自分の家の中に宗教要素を一切取り入れたくないという気持ちもあります。


おそらく、パートナーが死んでも私は仏壇を購入することは無いでしょう。


直葬でもして、散骨なり樹木葬なり、バルーン宇宙葬何かしらの形で「自然に還す」方法を取ると思います。


正直なところ宗教と関わるのも嫌ですが…身近な人の死を「金儲けの手段」にされ、その後も法事だの○回忌だの何かに付けて、金銭的搾取をされ続けるのが嫌なんです。


本当にその人を思うのなら、見かけだけの墓や仏壇を置いて意味や内容も解らないまま強迫観念的に読経するよりも、写真と季節の花でも飾って…時々、その人のことを思い出しながら一生懸命「今を生きた」方がよほど喜ぶと思うのですが


…私の考えって間違っていますか?


というような内容の話を今日はしてきました、会話をまとめると難しくなるので当記事を本日の診療記録とさせていただきます。


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