私の生きる道、生きてきた道。

私の生きる道、生きてきた道。

自分の特性を、どうすれば「自分の持ち味として活かせるのか?」を考えながら日々を過ごしています。
読み応えのある記事を不定期に更新しています。


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高校の授業で、結婚や離婚に関する民法を少しかじり、10代後半~20歳くらいの頃に「結婚ってどうよ!?(岡田斗司夫著)」や「結婚の条件(小倉千加子著)」といった結婚に対して夢の鱗片もないどころか超がつくほどドライかつ、現実的な視点で書かれた本を読んだ本を読んでいた私の結婚観はかなり独特。

 

当時から「選択的夫婦別姓制度」には関心があったし、家制度などとうの昔に廃止されたにもかかわらず未だに根付く「嫁に行く」とか「嫁をもらう」と言った時代錯誤な表現にはほとほとウンザリさせられていた。

 

婚姻届を提出する場合は「どちらかの姓」に統一する必要がある、しかし必ずしも「女性側が改姓する」必要は無い…法にもこのように記載されているにもかかわらずなぜ「女性が改姓するもの」という風潮が非常に根強いのだろうか?

 

そして、なぜ男性は頑なに自分の姓に改姓させようとするのだろうか?これも「男のプライド」という非常にちっぽけでくだらないものが成せる技なのだろうか?

 

私は昔の、2人目の主治医(男性)から「フェミニストの素質がある」と言われたことがある…そのときに言われたのが「田嶋陽子のような感情的フェミニストではなく、上野千鶴子を目指せ」とアドバイスを受けた。

 

元々、思考や価値観についてはこういうのがベースにあるのかもしれない…現行の結婚制度は「どちらか(多くは女性)の犠牲の上に成り立っているのか?」と今でも思っている。

 

パートナーとの関係に関しては本人にはそれとなく言ってはいたが「事実婚」でも構わなかったのだ。

 

しかし…その思いは通じなかったというか、私は社会の制度に負けてしまったのだ。

 

妥協案として「どちらの姓にするかは”じゃんけん”で決めよう」と提案したことはある…が、却下されてしまった。

 

理由を聞くと「不動産を購入して登記や住宅ローンの申し込みを済ませてしまったから」だという。

 

今住んでいる家…実は結婚前にパートナーの単独名義で購入したものでパートナーが改姓すると登記名の変更などで数十万単位の出費と手間がかかると言われた。

 

それに追い打ちをかけるように一言…「好きな人と同じ名前になって嬉しくないの?」

 

口にこそ出さなかったが、私は心の中でこう叫んだ…「私からこれ以上色んなものを奪うのはやめてくれ」と。

 

結婚を機に専業主婦になって一生社会と関わらないとか、2人を知る者のいない地域に引っ越してまっさらな状態からスタートするとかなら話は別だけど、私は仕事を今の職場でこれからも続けていくんだぞ。

 

実はプライベートな事なので当時、職場には結婚する旨を伝えていなかったし仮に報告しても元の名前を使い続けようと思っていた。

 

が…現実は違った、職場は元の名前を使い続ける権利すら認めてくれず仕事で使う印鑑なども全て買い直し。

 

パートナーは住所変更の手続きだけで済むのに、どうして私だけが変更手続きだけでこんなに苦労しなければいけないのだろうか?

 

当時の自分の中には「どこにもぶつけようのない悔しさと敗北感」の中にいた。

 

自身の名前というアイデンティティを剥奪されるということがこんなにも辛いものだとは思いもよらなかった…これが原因で私は何度か「うつ状態」に陥っていた。

 

当時はmixiの「夫婦別姓コミュ」などにも入っていて、そのコミュの中で「ペーパー離婚(離婚届を提出して、同居解消をせずに名前だけを元に戻す方法)」という方法があることを知ったがこれを提案するほどの勇気は私にはなかった。

 

私は「社会の制度や世間の価値観に負けた」のだ…自ら白旗を上げたと言ってもおかしくないだろう。

 

しかし、数年たった時に大きな出来事がいくつかあった。

 

一つは「パートナーの手術」の時、全身麻酔を伴う大きな手術だった為同意書の署名や手術の時に付き添いが必要だったのだ。

 

基本的にこれは「内縁関係」ではダメなことが多いらしい…となると、パートナーの親や兄弟がこの役割を受けることになったのだろうけど親は高齢だし、兄弟だって働いている、そしてどちらも少し離れたところに住んでいる。

 

この時は「婚姻届を出しておいてよかった」と思った。

 

もう一つは「パートナーが死んだ時」である…内縁関係の場合、生命保険の受取や遺族年金受給者資格は得られるが遺言書が作成されていない場合、どんなに長い期間同居していても「相続権」は発生しないのである。

 

つまり、私の思惑通り事実婚を選択していたら私は本当に「住むところを失っていた」状態だった。

 

私は自身のアイデンティティを失うと同時に「常に相続人」という権利を得ていたのだ…そういえば結婚する前に「自分が死んでも家は残るから」と言われたな、まだ当分先のことだと思っていたのでそこまで考えていなかった。

 

実際に家だけは手続きを終えて名実ともに「私の所有物」になった…法定通りなら私の取り分は全遺産の3分の2なのだが、パートナーの親と話し合った結果、全ての遺産は私の物になった。

 

私にとって現行の結婚制度は失うものもあったが、そのかわり得たものもあった。

 

パートナーと一緒に暮らすこと10年…今の名前にもだいぶ慣れてきた。

 

後は、これからをどう生きるかだ。

 

ちなみに冒頭で紹介した2冊…少しでも結婚に「夢のようなもの」を持っている人は絶対に読まないことをおすすめする。


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2018年末…私は職を失った。

 

職場に出した退職届には「病気の治療に専念するため」と書いたが、実際の退職理由は「子持ち主婦達からの僻み、嫌がらせ」による体調の悪化である。

 

なぜどこに行っても子持ちは「出産・育児をした」という理由だけでさも偉そうに振る舞うのか…ネットでもリアルでも。

 

職場では子持ち主婦3人と仕事をしていた…全員年上だが、うち2人は入職自体は私よりかなり後である(私は勤続10年以上)。

 

本来であれば私はこの人達より「先輩」であるはずなのに、女…特に「主婦」とか「母親」と呼ばれるカテゴリの人たちは協調性と同調圧力の区別がつかないほど馬鹿なのだろうというか、とにかくなんでも「横並び」でないと気が済まないようで。

 

いや、横並びどころか自分たちが気に入らない人間(特に女性)が「既婚だけど子無し」だと知ると決まって「子供もいないくせに」と陰口を言うのだ…おや、私も既婚子無しですが何か?出産がそんなに偉いのか?

 

そしてこの3人…全員「専業主婦」の経験があるようで、専業主婦は私が不快害虫以上に忌み嫌う存在である。

 

専業主婦って底抜けに頭悪い寄生虫未満の存在のくせに立場だけは偉そう…なんでこの世からいなくならないなんだろう?

 

私は専業主婦の経験がない、パートナーもアンチ専業主婦だったが私はそれ以上のアンチだったから。

 

専業主婦になるくらいだったら死んだほうがマシと思えるくらいである、なので私は結婚しても仕事は続けた…そして「主婦」と呼ばれることを頑なに拒否し続けた、アンケートや懸賞ハガキの職業欄も「会社員」と書いていたくらい。

 

思い起こせば小学生くらいから「母親みたいな”主婦”だけには絶対になりたくない」と強く心に誓っていた。

 

主婦になったら人生墓場、それに加えて出産なんかしたら人生強制終了だと思っていたし、今でもそう思うから。

 

前の記事にも書いたが子供を持つことは「自分の人生の選択肢を自ら狭める行為」だと思っている、なぜそんな馬鹿なことをするのかが私には全く理解出来ない。

 

高校の時の担任は女性だったが当時は独身で当時の私にとっては「憧れのロールモデル」だった、自立している女性ほどカッコいいものはないと今でも思う。

 

高校卒業後…とある服飾系の専門学校に1度目の進学をした、その時の授業で「自分のライフプランを作って発表する」というものがあった。

 

男子学生はあまりいなかったけど、彼らは具体的なライフプランを組んでいた(例えば〇〇というメーカーに就職して△△というブランドを担当したい等)…が、女子学生の殆どが「○歳に結婚して退職、もしくは出産して専業主婦になって子供の為に~」というあの…あなた達いつの時代からかタイムスリップして来たんですか?と聞きたくなるくらい激しい違和感。

 

少なくとも当時は2000年は過ぎていたような気がするんだけど。

 

彼女たちの人生のピークって「ウエディングドレスを着ること」で止まってんのね…私にはそのあまりにも前時代すぎる考え方が全く理解出来ない。

 

育った環境や地域が違うから?と思っていたけど、そうでもなさそう。

 

話がそれてしまったが、私は自分の母親を含めて「主婦・母親」という属性の人が嫌いだしそっち側に行きたいとも思わない。

 

なぜ、あの人達はあんなにも「偉そう」なのだろうか?ひどいのだと妊娠しただけで偉そうに振る舞うのもいるよね…俗にいう「妊婦様」ってやつ。

 

個人的には妊娠にもはっきり言って良いイメージが全く持てない、正直「避妊も出来ないバカの過ちの結果」とか「恥ずかしいもの」というイメージのほうが思い浮かびやすい。

 

デキ婚はもちろん、普通に結婚してても「妊娠した」と聞くと有名人だろうが素人だろうがとてつもなく「気持ち悪い」のだ。

 

30代後半に入っても婦人科は「産」の付かない、妊婦お断りな病院でないと行けない…周囲の人から「あの人も妊娠してるのかな?」と思われるだけでという文章を書いているだけでとてつもない嫌悪感を覚える(相当病的だな、これ)。

 

ん~なんだか支離滅裂になってきた。

 

ということで、一旦終了。


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巷では結構な感じで「毒母」がブームになっている…ネットだけでなく書籍を出版する人も多い。

 

私は過去に「母親との不仲」に関する記事をかなり書いているが、よく考えたら世間で言うところの「毒母」とはビミョーに違う気がする。

 

毒母というのは基本的に「自分自身の母親に向けた」言葉であるように私は感じる。

 

ところが、私の場合「主婦・母親という属性の人間全体」が嫌いである…特に自身の母親に対する嫌悪感は半端ない。

 

何が嫌いなのか?どこが気に入らないのか?その辺を今回はゆっくりと考えてみる事にした、と…思ったけど文章が出てこないので箇条書きにしてみた。

 

・いい年して「自立」が出来てない

・依存的、被支配的

・「自分」がない

・そんな生き方が「みっともない」

 

いくつか書き出してみたけど、何が言いたいのか?結論から言ってしまうと「みっともない」のだ。

 

みっともないの意味や使い方はこちらから…いわゆる「毒」とは違うんだよね。

 

だから、私はこの母親を「反面教師」として生きていくことにした。

 

私は母親のことを心の底からみっともないと思っていたからだ…その存在も、生き方の全ても。

 

私が子供を持たなかったのはこの影響もあるかもしれない、無意識のうちに

 

「子供を産むこと=自ら人生の選択肢を狭め、不幸な人生になること」

 

という図式が出来上がっていった。

 

それは大人になっても、パートナーと知り合っても考えは変わらなかった。

 

過去に未成年でデキ婚した女から「女は好きな人の子供を生みたいと思うもの」と言われたこともあるが、この女は自らの過ちで自分の人生の選択肢を狭め、残りのとてつもなく長い人生を専業主婦そして母親という自身にとってはなんのキャリアにもならないつまらない人生を送ることになってしまったのだ…もしかしたら「シングルマザー」という足かせを付けられて国の世話になってるかも?(最悪)

 

おっと、話がそれてしまった…要は私は声を大にして言いたい。

 

「母親が”みっともなくて恥ずかしい”存在」であるということを、具体的に書くと情緒不安定どころのレベルではなくなってしまうので割愛させていただきたい。

 

とにかくこの一言に尽きる…。

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