手術してから2ヶ月経過時は「とにかく帰りたい」気持ちしかなかった。
今はこの時ほど「帰りたい」気持ちはないけど、どうもやっぱり納得がいかない…自分ががんになったことではなく
「半ば無理矢理連れて行かれた事」とか「自分の事なのに主体的に選択できなかった」ことに未だ折り合いがつかない。
40代くらいで死ぬという選択肢は最近は思い浮かばなくなったけど、何もかもが自分の思うように進まなっかった事は本当に心残りで、入院した時のご飯とかをまとめた記事
全く土地勘のない場所にある古い病院の狭い部屋に置かれたベッドの上で、誰かにつまみ食いでもされたか?と疑いたくなるようなおかずの朝食を一人寂しく食べている自分がなんだかとても惨めに思えた。
それが、ちょうどバナナを食べてる時だったのだ。
数日前まであんなに大騒ぎしていたのが、ほんの数時間ですぐに終わった事にあっけに取られたというか、自分であれこれ考えるまもなく勝手に物事を進められて「自分だけが取り残された」という気持ちがこの時はとても強かった。
そんな気持ちに自分なりに折り合いを付けようとしていた矢先…
帰りのタクシー内で「あんなところに入院してたの?(建物がボロいという意味で…だと思いたい)」と言われた時は、密かに心のなかでは「あぁ、やっぱりこの地域界隈の人にはそういう印象のところなのか」と思ってた。
そして、放射線治療が始まって週2回のペースで「謎の注射」をうたれるようになってから…
あの注射について突っ込んだ質問をしてもうまくスルーされたり、注射デーの度に意味深な発言をしているのを聞いているうちに
「もっと”ちゃんとした病院”に行けば良かった」とも考えるようになってしまった(一応、ちゃんとした病院らしいです…地域基幹病院とか色々認定されてるっぽい)。
病気の事を話しているたまに会う職場の上司など、周囲の人の一部は私が「廃墟みたいなボロいところだった」と話していたせいか?とんでもないところに連れて行かれたと思っていたようで…復帰直後に職場で面談した時に(実際にどんなところか知ってる)直属の上司が「ちゃんとした病院ですから!!」とやたら主張していた(笑)
あと、入院前~退院してからしばらくは「かにこちゃん」グッズを手術を受けた記念に買いたかった…と思っていましたが最近思うことがあって
「取った腫瘍をアクリルで四角く固めたやつ」
が欲しかった…と、激しく後悔している。
親知らずを抜いた時に抜いた歯を小さな検体容器に入れて持ち帰らされた時みたいに手術をした記念(?)に欲しかった。
それが無理なら、実際に取った実物を見せて欲しかった。
おそらく、実際にお願いしたところで「ダメ」と言われるのは目に見えているけど、全く自覚症状もなく本当にがんになったという自覚が無かった(多分いまもほとんどない)ので、実際に取ったやつを見せてもらえば自分自身を納得させられるような気がした。
単に、好奇心…いや、興味本位なところもあるけど。
パピヨンさんが去勢手術をした時も取った”ふぐり”を見せてもらいたかったくらい…ちなみに、これもダメだった。
同時に抜歯もしたので「抜いた歯」なら夜までに行けば見せてもらえたらしいけど、私は歯じゃなくで”ふぐり”の方を見たかったので行かなかった。
これでは単なる「取られ損」…とまでは言わないけど、どうして自分の体の事なのに自分が深く関われないんだろう?と思うとなんだか腑に落ちない。
今だって私はただ、ただ言われるままに薬を飲んでる…言われるままに精密検査して、言われるままに手術してからの流れだ。
あまり考えたくないが、万が一再発したら…また、言われるままに手術なり治療なりをする運命をたどるのか?
となんだか気分が重い。
「精密検査するから、明日でもいいよ」と言われた時に「さすがにそれは無理なんで来週で…」じゃなくて
「少し、考えさせてもらっていいですか?」
と言えていたら、運命は変わっていたかもしれない。